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紀州征伐 後編
平井の重兼
しおりを挟む十ヶ郷東部 平井城郊外
紀ノ川で敗走する寸前、重秀は兄・重兼に対して援軍を要請する使者を派遣していた。
たが、使者の任を帯びた関掃部が平井城を視野に収めた時、城は既に剣合国軍一万の包囲を受けており、攻撃こそされていないが手も足も出ない状況だった。
関本人も広域に張り巡らされた警備網の一角に絡み、颯爽と現れた遊撃小隊によって捕縛された後、剣合国軍本陣へと引き立てられる。
その最中に関が見た旗印は、剣合国を示す「盾心の剣」の他に「宋」の一文字。
後者のそれは、八月の紅月城を守り、李醒率いる紀州侵攻軍の補給・情報支援を一手に担う宋侭を示していた。
「宋侭様、失礼致します。先ほど西方の警備隊が、この者を捕らえました。聞くに、こやつは平井城への援軍を要請する使者だそうです」
「ご苦労だったな。後は私の仕事故、下がってよい」
「ははっ。それでは失礼致します」
宋侭。李醒直属軍の第三大隊々長を務める軍略家であり、八月の内政も司る老将。
李醒の参謀という立ち位置にある彼は当然のように策略を巧みとし、戦略眼・用兵術に長け、視野も李醒に次いで広い。
一・二・四の隊長である呉穆・徐款・王晃が一級の武人かつ猛将である反面、宋侭は李醒に似た生粋の指揮官と言える存在だった。
ただし、彼に関しては李醒が持たぬ武勇をある程度持ち合わせている為、どちらかと言えば安楽武のような武闘派軍師に該当するだろう。
「遣いに任じられし者、面を上げよ」
跪かされていた関は、凍てつく声音によって頭を上げさせられる。
威厳を感じさせる重低音ながら、何処と無く歌うような発音だった。
「左様に畏まらずともよい。何せ、そなた程度の小物を討つ必要もなくなった故に……な」
関の目に映った男は、陣中でありながら揺り椅子に腰掛ける老紳士だった。
一括りにされた黒染めの髪は、肩下より十センチ程の長さで切り揃っている。体躯はナイツ以上にして、韓任以下というところ。ビシッと整った灰色の軍服を着込み、左胸には薔薇の紋章を拵えた短剣を備えている。
「寧ろ、そなたにとっては小躍して然るべき状況であり、己が幸運で身を崩すべきなのだ。大海がごとき我が包陣を、命懸けで泳いで渡る必要がなくなったのだからな」
何より宋侭という老将は、包囲された平井城を借景にして、優雅に紅茶を啜っていた。
然し、その様が優雅とは言えなかった。
敢えて言えば、殺伐としたティータイム。自他を律するあまり普段から余裕を見せない老紳士が、上官や同僚の不在を突いて中途半端に寛いでいる感じだった。
声音による警戒心が半分、行動による気力の保養が半分。
その上で宋侭は、ある人物を示すとともに、この場の雰囲気を使者にもお裾分けする。
「……これも全て、そこに居る賢人の英断が成した結果に他ならん。そなたは心から、良き上役に恵まれた幸運を祝うが良かろう」
「賢人…………はっ! 重兼様!? な、何ゆえ……剣合国軍の陣営に居られるのですか……!?」
宋侭が示した先には、平井城々主・鈴木重兼の姿があった。
彼こそが関の会うべき人物であり、宋侭から少し離れた場所に設けられた丸座に腰掛けながら、呑気に紅茶を飲んでいる場合ではない筈だった。
向けられた半信半疑の視線を前に、重兼は逡巡なく答え返す。
「雑賀衆の誇りを忘れた訳ではないよ。十ヶ郷に生きる民を想えばこその決断だ。
――これ以上の抵抗は皆を徒に苦しめるだけであり、剣合国軍も降伏した者の命までは取らぬと言う。だから私は降伏を表明し、つい先程、宋侭殿も理解して下された」
「そんな……では重秀様はどうなるのですか……!? 中野城にて抗戦を主張する同胞は!? 重兼様は、土地を守らんとする同胞達を見捨てるおつもりですか!?」
「土地を守るのは、何も戦だけが全てではない。抗戦派の者達にも、追って私から降伏を促すつもりだ。決して、十ヶ郷に生きる者を見捨てはしないよ」
「侵略者の剣合国軍が所領安堵を約束するとは思えません。必ずや反故にしますぞ!!」
「それでも一向に構わない」
重兼の即答に、関はあんぐりとして言葉を失った。
鈴木一門でありながら侵攻を前にしても兵を供出せず、居城に敵が迫れば即座に降る。
元から頼りない節を見せる重兼だったが、まさかここまで腰抜けだとは思わなかったのだ。
それ故に、関の腸は煮えくり返った。
「私共が命懸けで戦っておりましたのに、貴方様ときたら何ですか! 得意の外交術でさっさと降伏したと思えば! 頑固たる意思で十ヶ郷鈴木家の名を残そうともせず、敵に付け込まれて茶など召し上がっている! 真に嘆かわしい限りでございます! そんなんで、よく「平井の重兼」を名乗れますな!!」
剣幕になって罵倒を浴びせる関に対し、重兼は尚も堂々と言い返す。
一縷の媚びも、一切の恥心も、一円の保身もない、真眼を持ちし為政者として。
「最優先で守るべきは、所領でも鈴木家の名声でもない。十ヶ郷に生きる民だ」
民と聞いて、私心なき態度を見て、関は黙った。重兼は続けて語る。
「私はね……皆も知っての通り、凄く弱い。多くの危機を撃ち破ってきた豪胆な父上から産まれ、重秀や金兵衛が居るのは別世界かと思う程……滅法弱い。だから私は、一族の中で最も賢く動かなければならないんだ。時勢を見て天命を知り、命を紡ぐに最適な方法を編み出し、率先して決行する。それが矜持に反する行動だったとしても……ね」
「…………」
「重秀や金兵衛や君達は充分なぐらいに強いよ。でも、今回はそれが通用しない相手だ。実際に戦った関なら身を以て理解できた筈。だからこそ、君がこうして現れた。違うかい?」
紀ノ川での敗戦を知っていなくとも、重兼は容易に状況を察する事が可能だった。
味方の戦力と戦に掛ける想い、敵の戦力と戦の先に向ける想いの違いを、外交を担当する者として完全に見抜いていたのだ。
「そんな敵に徹底抗戦して、民を苦しめる訳にはいかんだろう。何の為に……私達は存在するんだ? 守るべき民を守る為、そうじゃないかい?」
「…………むむ……」
聞いている内に、関は苦しくなった。
自分達の意地によって起きた戦が、十ヶ郷に生きる民をも巻き込んでいる……という自覚が、彼の心の中に存在している為。
戦っても敵わないという事実を戦えない重兼が一番理解しており、改めてきっぱりと言われた事が、歴戦の戦士として無性に恥ずかしかった為。
重兼は、反論の余地を見出だせない関へ向けて、請願に似た持論を語る。
私の顔を立てて、言葉に打たれて、徹底抗戦を諦めてくれ……そう言わんばかりに。
降伏と終戦に尽力できる戦力になってくれ……そう思って。
「……上に立つ者は高ければ高いほど、汚名を背負うものだ。だが、その汚名は綺麗なものに限るし、真に果たすべき責務から生じた汚名ならば、私は幾らでも背負う覚悟がある。それこそが、私の「強さ」だからね。
――だから中野城への援軍は、兵士一人・米粒一つとして送れない。関、君を解放して戦力として参戦させる事も、断じてできない。苦しいだろうが、理解してくれ」
こうして、平井城から援軍を求める策は失敗に終わった。
関掃部は拘束され、重兼の降伏が受領された事で城の門も開かれた。
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