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紀州征伐 後編
冷徹な別れ
しおりを挟む城の北側で発生した戦闘は、互いが奇を突かれる事のない真っ向勝負だった。
西慶隊は万全な状態での迎撃に当たっており、雑賀兵達も東西の状況から夜襲を看破されたと分かった上で攻城に及んでいた。
そうなると剣合国兵一千と雑賀兵一千の消耗戦という図式が成り立ち、空堀や塀といった防御設備を用いる剣合国軍が優勢になるのは明白。
雑賀兵達は次第に旗色が悪くなり、完全に攻めあぐねていった。
その最中、軍議の間にて全軍の指揮を執っていた李醒の許に、衛兵が報告に現れる。
「李醒将軍、失礼します。先ほど北山に放たれていた物見が戻り、一大事を報せたいと」
「……通せ」
常々用心深い李醒が軍議の間へ入る事を許可するや、二人の兵士に肩を持たれた熟練の物見が大怪我を負った状態で、頭を垂れながら入室してきた。
まずは物見の右肩を支える兵士が願い出る。
「他言を憚る事にて、お人払いをお願い致します」
「構わぬ。そのまま申せ」
然し、李醒は人を払わなかった。
次は物見の左肩を支える兵士が口を開く。
「されど、それでは……」
「時間の無駄だ。申せ」
李醒が語気強く言い放ち、それを合図にして太嶷が李醒の右斜め前に移り、護衛兵も気配を鋭くさせて身構えた。
そして一拍置いた後、一層睨みを利かした李醒が殺気の込もった言葉を送る。
「…………どうした、遠慮せずに申せ。貴様とは昨日今日の付き合いでもない。
――なぁ、鈴木重幸」
「くっ……!?」
「動くな!!」
弱々しい振る舞いを見せていた物見が威勢よく顔を上げると同時、李醒の護衛兵達が三人を取り囲んで槍を突き付ける。
護衛兵の数は三十人以上は居る上に、李醒の前方には太嶷も構えている。魔力を扱えない三人の一般人が覆せる戦力差ではなかった。
「追い詰められた挙げ句に自らが暗殺者となる……貴様も随分と焼きが回ったな。八月侵攻より今に至るまで、用兵・策略・隠密すべてに於いて凡百の軍師程度の手腕だぞ」
物見に変装した重幸は、暗殺作戦が失敗に終わった事を悔しがった。
歯を噛みしめ、キッ! と睨み返し、全力の殺気を差し向ける。
だが哀しいかな。それは全てに於いて、李醒に届かなかった。
「重幸。貴様は雑賀の将にあって最も賢い男だと思ってきたが、所詮はこの程度の足掻きしかできなかったのか。いったい、何がお前をここまで鈍らせた。…………何故、この期に及んで貴様は、私の前に現れた」
顔色変えぬ李醒の問いに、重幸は憎しみを抱えながらも心のどこかで流石と感じた。
それと同時に、玉砕とも捉えられる彼の最期の策に込められた意図を、此方から言わずして察してくれた事に、若干の嬉しさを覚えた。
重幸は睨みを緩め、すっと姿勢を正すや、皺の目立つ年寄り顔を十や二十も若返らせる程に堂々たる姿を示し、感慨に耽るように返答する。
「…………継承戦争での講和の際、お主は私にこう言ったな。「相争う両国に和をもたらすには、両国に憎まれ役が必要だ」……と」
「確かに言った。それが私と貴様の役目だ……とな。独自の軍を持ち、仲間衆にあって新参であった私と……雑賀衆の宿老にして、広い視野と幅広い先見性を持つ貴様が適任だと思ったからだ。雑賀衆存続と剣合国への憎しみを削ぎ落とし、果ては両国の和解を図る為、貴様は損な役回りに徹し、私は何があっても守りに徹した。ナイト殿も幾度となく友好の使者を送っていた」
「……だが、私が如何に表面上の敵意を抑え込み、お主が我慢強く耐え、ジオ・ゼアイ・ナイトが気を遣ったとしても……皆の心の内に根付く憎しみだけは、変えられなかった。
――そして今となっては……もう、全てが無駄となった。ならば私がするべき事は初心に戻って紀州を守護し、刺し違えてでもお主を討つまで」
「下らん。仮にすまぬと思ったとしても、責任の果たし所が間違っておる。八月侵攻に敗れ、紀州征伐が覆らぬ事実と分かった時点で、貴様は皆に降伏を説いて回るべきだったのだ。にも関わらず、それこそが無駄な抵抗をして徒に死者を増やし、最期に及んでは人知れず勝手に死のうと言う」
李醒は顔色を変えた。眉間に皺を寄せて睨みを強め、怒りの色を露にする。
「この、愚か者が……!!」
愚者もとい凡愚であると、李醒は重幸を罵倒する。
雑賀衆にあって重幸あり、と思って一目置いていただけに、失望の念が彼にしては珍しい怒りとなって顕れたのだ。
「貴様なんぞより、さっさと降伏して城を明け渡した太田定久の方がまだ利口よ。
――言っておくがな、貴様がこうして現れる以外の作戦は全て奴が明かしたわ。貴様が如何に徹底抗戦を主張しようとも、結果は予め決まっていたようなものなのだ」
「……そうか……定久殿まで、裏切っておったのか」
「裏切りではない。土橋守重、岡崎三郎、太田定久。奴等はあるべき先が見えていたに過ぎず、彼等なりの処世術を以て家の存続を図ったまで。……故に、それを見抜けず抗戦の意志を焚き付けた貴様は、焼きを回した愚か者なのだ」
「ふっ……相変わらずの毒舌ぶり。流石は李醒……まったくもってその通りだ。やはり私では、お主に勝てぬのじゃな」
「…………貴様とて定久の人間性を知っていた筈。半ば奴を疑ってもいただろう。それにも関わらず、貴様は敢えて私に挑んだ。……察するところ、何度も逃げ延びた罪悪感に押し潰され、楽になる事を望んだのであろう」
「………………」
重幸は不気味にほくそ笑むだけで、李醒の推測には答えなかった。
厳密に言えば、この期に及んで答える事が自分を更なる愚者にするだけだと理解していた為に、敢えて口を閉ざしたのだ。
「見るものが見えず、真に果たすべき責務からも逃避し、数度の敗戦ごときで自棄になる軍師など……興ざめ甚だしい限りだ」
李醒は右手をゆっくりと挙げた。太嶷は横目でそれを追う。
「貴様は最早、生きる価値のない老いぼれだ。望み通り楽にしてやる」
介錯人が振るう刀のように勢い良く、バッ! とその手は振り下ろされた。
「殺れっ」
冷酷な声音と、温もりを感じさせない眼差しのままに。
護衛兵達が槍を突き出す。それに呼応して、重幸も懐から小銃を取り出そうとした。
「うぐぅっ!?」
だが李醒を守護する兵だけあって、重幸を囲む者達は極めて高い戦闘力を持っていた。
彼等は李醒の指示に次いで、重幸の動作に先んじて、三人の暗殺者を始末する。
「……貴様は愚かだが有能な男であった。惜しむらくは、周りの者が貴様の考えに従えぬ浅慮者ばかりだった事。ならばせめて、貴様の弔いぐらいは厚くしてやる」
こうして雑賀衆の軍師を務める鈴木重幸は、事務的に繰り出された刃に遭って命を落とす。享年六十二歳であった。
城の北側で戦っていた彼の部下達も、西慶隊の迎撃を前に苦戦を強いられていた所をナイツ隊に奇襲され、前後を挟まれた末に敗北。完膚なきまで蹴散らされ、蜘蛛の子を散らすように潰走した。
尚、李醒や呉穆が危惧していた的場昌長の来襲だが、彼は南郷の兵を纏めるのに苦労しており、今夜の作戦には間に合わなかった。
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