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紀州征伐 後編
月光纏いし憂いの姫
しおりを挟む宮郷郡は侵攻を受けて二刻とかからずに帰順した。
定久の居城である太田城は無血で明け渡され、入城した剣合国軍は同城を拠点として兵站維持に努め、態勢を整えがてら軍議を開く。
腰を落ち着ける間もなく召集を掛けられた諸将の中には、降伏後に従軍を求められた岡崎三郎や太田定久の姿も見られた。
「明日の正午を機に南郷郡へ進出する。呉穆と私の軍に加え、岡崎、太田両名にも一千の兵を率いて従軍してもらう。亜土雷殿は西へ進出して雑賀荘までの進軍路を確保する。若君と弟君は、この城と補給路の守備をお任せします」
降伏した岡崎三郎と太田定久も引き連れるが、それは純粋な戦力としてではなく、南郷小野田家への降伏勧告を意味していた。
「よって、今日の行軍はここまでとする。各隊は各々が担当する方面の郊外に布陣し、明日の準備を念入りに整えた後にしかと休養するように」
日が傾きかけている現在。占領したばかりの元敵地という事情や、鈴木重幸の動向に警戒する姿勢もあり、流石の李醒もこれ以上の進軍は行わなかった。
軍議は端的に終了し、諸将は休養を兼ねて明日の準備に専念する……という筈が――
「皆様方、少々お待ちを。李醒将軍がお呼びです」
「李醒が……分かった。すぐに行くよ」
一緒になって部隊の許へ戻ろうとしていた輝士隊の面々及び飛蓮と楽瑜は、李醒によって改めて召集を受ける。
そして彼等が軍議の間に戻れば、李醒は当然として、亜土雷と呉穆の姿まであった。
(成る程ね……李醒にしては厳重警戒を指示しないと思ったら、要はそういう事か)
ナイツ達は策の気配を感じ取る。それは亜土雷及び呉穆も同じであった。
信頼できる要人の中の要人が集まったところで、李醒が口を開く。
「今より言う事は本来の目的故に、他言無用を徹底していただく。
――先ずは若君と洪と飛蓮殿の三名ですが、各々方は直属部隊の中から精鋭を五百名ずつ選りすぐり、密かに城内で待機してください。他の将は城から離れた南方に陣を張り、そこで兵を休ませるように。城で何が起きても出撃はならん故、よく肝に命じておかれよ」
ナイツ達は黙して頷き、それを確認した李醒は亜土雷と呉穆に向き直る。
「次に亜土雷殿と呉穆だが……二人は西と南の郊外に布陣した後に守りを固め、宮郷の内外に於ける人の出入りを禁じよ。外から新手が来れば迎撃し、内より逃亡兵や宮郷の兵が現れたら迷わず切り捨てるのだ。二人もまた、この城や城下町に火の手が上がったとしても、救援に馳せ参じる事は断じて許さぬ。西と南を頑なに守る姿勢を部下達に徹底させ、無駄な体力は一切使わせるな。城で起こる変事は城の守備隊で対処するように、二人の許で起こる変事も二人が対処せよ」
厳命を帯びた二将もまた、ナイツ達同様に黙して頷いた。
「特に呉穆。お前は的場への警戒に注力する一方、岡崎と太田の二人にも意識を向けておけ。私の兵の大半を預ける故、そちらの指揮を任す」
「……なんだ、お前は南部に駐屯せんのか?」
「私と太嶷と西慶は一千の兵と共にこの城に残る。……明日の朝まで友軍との連絡や覇攻軍の状態把握に努めるという理由で、定久を通じて重幸に好機だと知らせ為だ」
「重幸は今夜にでも仕掛けてくると?」
「仕掛けざるを得ぬ。遠路の疲れ勢が休養の為に油断している隙を狙わねば、今後、奴等には勝ち目がない。雑賀随一の知恵者を称する重幸ならば、その事を必ず理解している」
普段から警戒厳重を基本とする李醒の用兵には隙らしい隙が見当たらなかった。
そんな彼もとい剣合国軍が、連勝による慢心や疲労にとって油断し、休養に専念する。そう聞けば重幸ならずとも、今が絶好の機会にして、次は有り得ないと思わざるを得ない。
「今作戦の最大の目的。それは太田城内及び城の郊外に潜む鼠の討伐である。太田定久の方針に従わぬ者、中郷より逃れてきた残党、これ等を一気に殲滅する事だ」
「某等が油断していると奴等に感じ取らせ、城内に招き入れた所を一揉みに叩き潰す……という策か」
「うむ。小規模なれど、後顧の憂いを断つ為の戦だ。これを逃せば、以降常に背後を脅かされると思うのだ」
逸早く理解を示した呉穆に李醒は首肯。ナイツ達若手組に事の重大さを認識させ、具体的な動きについてを伝授した。
そして夜となり、剣合国軍の兵は半分以上が眠りについていた。
李醒から明日に備えた休養を指示された為もあるが、最たる理由は太田定久の降伏を良しとしない雑賀兵をあぶり出す為だった。
「……よし、誰も居ないな。いいぞ、続け」
日を跨いだ頃。李醒の読み通り、彼曰く城内に潜む鼠と言われる存在が姿を現した。
数にして十名の雑賀兵と一人の隊長。太田城の城仕えに扮して内部深くまで潜入し、連勝による油断から剣合国軍の警備が緩いと判断して決行に及んだのだ。
「いいか? 先ずは館に火を放ち、裏切り者だと叫んで回って敵を混乱させる。そして程よく乱れた隙を狙って門を開け、重幸様の兵を中に入れるんだ」
暗闇の中で隊長が最終確認を行い、部下は一様に頷いて返す。
彼等の作戦は内部撹乱からの城攻めであり、立案者たる鈴木重幸は太田定久の報告を信じて太田城の郊外に手勢を忍ばせ、その時を待っていた。
「それでは始めるが……皆、くれぐれもぬかるなよ。成功して生きて帰れば、我々は雑賀衆を救った英雄になる。剣合国軍なんかに捕まるんじゃないぞ」
「はい、やりましょう隊長!」
敵に大打撃を与えた英雄たらんと、意気揚々な様を見せる雑賀兵達。
隊長は「うむ」と頷くや、先頭を切って影から身を出した。
「止まって。止まらないと一人残らず射抜くから」
雑賀兵達が火の手を用意して館へ近付いた瞬間だった。
屋根上より一人の少女が姿を現して、殺気を込めた脅迫を掛けるや否や、それを合図にして闇に紛れていた警備兵が、得物を構えながらスッと顕れる。
何を隠そう飛蓮とカイヨー兵達だ。裏工作や隠密を得意とする彼女等は、敵の立場になって放火しやすい場所や動きやすい場所を予め見抜いており、各所へ二十名ずつ配置していた。
「くっ……剣合国の狗共が! 我等の動き、悟られておったか!」
雑賀兵の隊長は歯ぎしりとともに身構え、睨みを利かす飛蓮を睨み返す。
当の飛蓮は月光に淡く照らされた状態で静かに短刀を構えており、和の装いを着こなす彼女の姿は、戦時でなければ思わず見とれてしまうほど絵になっていた。
例えるならば、飛天に扮して舞い降りた美しきくノ一の様に。
「何もするな! お前達は既に包囲されている! 死にたくなければ道具を捨てて両手を上げろ!」
それに反し、カイヨー兵は若干の怒気を含んだ声音を以て事に当たる。
雑賀兵達は決死の突撃を敢行して館に松明を投げ込むより、カイヨー兵及び飛蓮の飛刀の方が断然早いと判断。この状況では何もできない事を悟り、言われるがままに投降した。
仁王立ちの必要がなくなった飛蓮は、屋根上から音もなく飛び降り、地面に足を付けるや近くのカイヨー兵に伝令役を頼む。
「よっと! ……それじゃあ早速、ナイツ殿や他の将達に伝えて。鼠の捕縛に成功したから、もう火を放っても大丈夫……って」
飛蓮同様、城内を密かに警備しているナイツと李洪。城郊外の西に構える亜土雷と、南に構える呉穆。城内にて全体の状況を管理する李醒。
飛蓮は雑賀兵捕縛を諸将へ連絡し、第一段階の成功を知った彼等は次の策へ移行する。
「姫様。ナイツ様の持ち場より火の手があがりました」
「姫様……我々は、その……火を付けなくても宜しいので?」
「…………付けて……」
抑揚のない指示に従い、カイヨー兵達が何もない小屋へ火を掛けた。
木で出来た小屋は忽ち炎上し、パチパチと音を立てながら黒煙を上げる。
その光景に照らされた飛蓮の顔色は、ひどく褪せて見えた。
燃ゆるカイヨー城とともに目前で多くのものを失った彼女にとって、策の一環と言えども、火を扱う事に抵抗や嫌悪感があったのだ。
「……我等一同、姫様のお気持ちを御察ししております」
「…………別に……あんまり気にしなくていいよ……」
それを察してやれないカイヨー兵ではなく、寧ろ飛蓮に同情できる者達ばかりであったが、兵達は大人の男として私情を挟まず、任務として割り切っていた。
だが、指示を仰がれた飛蓮は十六歳の少女である。
兄の飛昭に似て強靭な精神力と健気な姿を誇る彼女でも、一夜で全てを灰塵と化す炎を自分から生じさせては、浮かない顔の一つや二つぐらい見せても致し方なかった。
「……蓮、大丈夫ですか?」
「……稔姉さんに、涼周殿。それにレモネ殿まで……何でここに……」
そんな飛蓮を心配してか、涼周に手を引かれる形で現れた稔寧が声を掛けた。
「ぅ……飛蓮、元気ない。……良い子良い子する。涼周が良い子良い子する」
覇気のない返事を受けて、涼周は稔寧から手を離して飛蓮に駆け寄った。
そして幸の薄い苦笑いを浮かべる飛蓮の頭を、小さな右手で徐に撫で撫でし、波紋の生じる彼女の心へ安らぎを添えて落ち着かせた。
「……二人とも、ありがとう。……でも何で起きてるの?」
涼周を休ませる為、ナイツと楽瑜と飛蓮の三名は、作戦の内容を稔寧に教えただけで、涼周及びレモネには郊外の南陣地で眠るように言っていた。
「飛蓮、にぃに。涼周に黙ってどっか行く、ダメ。涼周も行く」
「涼周様が行くなら、当然ながら私と稔寧様も一緒に……という事です」
「ふふっ、成る程ね。結局のところ、隠しても来ちゃうわけか」
飛蓮は涼周の頭を徐に撫で撫でする。
その顔には既に、憂いの美は存在していなかった。
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