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八月防衛戦
李醒の想い
しおりを挟む南に向かって敗走を続ける的場が山岳地帯に入った時、兵数は既に二千を切っていた。
それでも李醒本隊は執拗に追撃を掛ける。
ここまで来れば追撃する側にも疲労の色が見られるが、それは揺るぎない優勢という精神的優位によって抑えられ、積み重ねた訓練による成果の見せ所でもあった。
そして的場隊が細い隘路に差し掛かった時、最悪な頃合いを見計らった新手が現れる。
「今だ! 一斉に射ち掛けろ!」
それは高所に伏せられた李洪隊一千だった。
彼等は細長く伸びた的場隊の頭上に矢の雨を降らし、走る体力さえ充分に残っていない雑賀兵達を次々と射殺していく。
「いかん!? 駆けろ駆けろ! 一気に駆け抜けるのだ!!」
的場は魔力を扱える為、味方や自身の頭上に魔障壁を顕現させて矢を防ぐものの、細長い地形では如何ともし難く、大半の雑賀兵が魔障壁の範囲から外れてしまう。
「……将軍の言った通り、ここに敵は現れた。だが彼等の負け具合は……正直予想外だ。勇猛で知られるあの雑賀衆が、まさかここまで痛めつけられるなんて……! あの姿はまるで、反乱に失敗した農民軍ではないか……!」
高所より的場隊の絶命を眺める李洪は、想像以上に体裁が損なわれた敗軍の姿に憐憫の情を抱き、それと同時に指揮を忘れて戦慄した。
李醒の策が余りにも現実となりすぎており、軍議の場で誰一人として意見を述べなかった理由が、眼下に横たわる雑賀兵の骸にあると理解したのだ。
(李醒軍の将校は全員が分かっていたのか! こうなる事を! 推測では三千近い兵が逃げ込んで来ると言ったあの言葉が、謙遜に他ならない必要以上の討伐になると! 父上は……いったい何手先までを読み、何故それでいて平然としていられる!? 私は…………あれになれるのか……?)
「若様。次の動きを思案なされているのであれば良いですが、敵への同情や自身の実力を嘆く事だけはやめなされ。それでは機を逸しますぞ」
李洪の補佐を命じられた千人将が、上官の見せる顔色から内面をそれとなく察し、身分を弁えない諫言を放つ。
李洪は千人将に向き直るものの、何も言い返す事ができなかった。
元々が優しい性格の彼は、ナイツの傍に仕える事でその色を増していた。
故に李醒直属軍の千人将にすら指摘される程、柔くなっていたのだ。
「優しさは人の美点。去れど将官の欠点です。優しさを持つ者はナイト様やナイツ様であり、若様ではありません。そこを履き違えなされますな」
「……貴方達は……この状況が予測できたのですか……?」
「できておりません。ただ李醒将軍を信じればこそ、勝利の為に戦地へ赴けるのです。我々は李醒将軍の御力を知り、それが疑いようもない強さであると理解しております。言い換えれば、我々は李醒将軍が御強いから黙して戦えるのです。仮に将軍が中途半端な優しさを持つ軟弱者であれば、今頃我々は前線の砦に籠って無駄な消耗戦をした挙げ句に死んでおりましょう」
千人将は非常に直言が過ぎる人物であった。
厳しいとか容赦がないとかではなく、半ば信念の様なものを抱いていた。
それだけに李洪は、本当に何も言い返せなかった。
寧ろ、ナイツを補佐する立場にありながら、この千人将の様な確固たる意思を持てていない事に、恥ずかしさすら覚えた。
「李洪様! 的場が矢の中を掻い潜り、数百名の部下と共に逃げていきます!」
不意に上がった報告で、李洪はびくついた。
思わず「しまった!?」となったのだ。
「問題ありません。李醒将軍の計算通りです」
千人将の方が場数を踏んでいると思わせる程に、落ち着いた言動だった。
李洪は平静を取り戻し、逃げる的場と追い討ちを掛ける李醒本隊を目で追う。
(そうだ……的場は矢ごときでは討てぬ、父上はそう言った……。それでも矢を放つのは、敵将の周りを薄くして確実に討ち取れる状況を作る為。……言わば、私は助攻役に過ぎないのだ)
大した期待をされていない自分へ、李醒が大仕事を任せる訳はない。現に今、的場に止めを刺すべく全力で追い掛けているのは呉穆である。
その様子を見た李洪は更に自虐的になってしまう。
「若様、李醒将軍より伝言です。「呉穆の武勇を見よ。直ちに参れ」……との事です」
だがそんな彼に思いがけない伝言が届いた。
知勇兼備の将を目指すなら呉穆を見習え。何とも李醒らしくないお節介と言えた。
「将軍よりの命令、承知した。直ちに駆け下って的場を追撃する」
あくまで将軍からの命令として、その伝言を受けた。
やはりと言うか、李洪も李洪で素直になれない息子だった。
これに関しても、ナイツの傍に仕える事が影響しているのだろう。
李洪が現場に駆け付けた時、的場と三百名近い部下達は千仞の渓谷へと繋がる崖に追い詰められていた。
馬は乗り潰されて息絶えており、将兵ともに全員が満身創痍状態。
前面には李醒と呉穆が構え、背面の谷間には激流。正に絶体絶命と言える状況である。
「…………えっ……?」
だがその現場にあって、李洪は思わず疑問符を浮かべた。
彼が受けた命令は呉穆の勇姿を目に焼き付けろというもので、それ即ち的場の最期だ。
然し実際には、呉穆を控えさせた李醒が的場に降伏勧告を促していたのだ。
李洪が思考を働かせるのを余所に、的場は声を荒げて李醒に喰ってかかる。
「黙れ! 剣合国の狗風情が! 雑賀の男が誇りを捨ててまで、貴様等に命乞いするとでも思っているのか! 不覚をとって無様な体を示そうとも、ワシ等の心は決して折れぬ!!」
到底余力が無さそうに見える的場だが、最期の足掻きとばかりに魔力声を振り絞る。
雑賀の古強者に相応しい、心臓を握り締めるかの様な重圧を放つ一喝であった。
対する李醒は魔力を扱えず、武力を持ち合わせていないながらも、毅然として返す。
一縷の動揺も一寸の後退りもない姿は、一介の軍師を超える知の猛将であった。
「それは貴様だけの下らん持論だ。愚かにも時代に取り残された翁の主張に他ならん。貴様の様な愚か者が上に立って扇動するからこそ、何時までも戦が終わらぬのだ」
「はっ! 今も昔も散々殺しておいて、よくもそんな綺麗事を吐けるものよ! 貴様のそれこそ、厚顔無恥なイカサマ師による呆れた主張に他ならん!!」
「そう思うならば過去を振り返ってみよ。我等同盟軍が剣合国を継承して以来、今日に至るまで雑賀を襲ったか? そちらの口に戸を立てたか? 覇攻軍との繋がりを責めたか? 貴様等が何度となくその逆を行ってきても、我等は一貫して和を求め続けた。ナイト殿には罪を償う覚悟もあった。だからこそ剣合国を継承し、私もそれに心を動かされたのだ。……それでも貴様等は、徒に乱を求めた。故に紀州征伐は免れぬ事となったぞ」
雑賀兵達は緩やかに敵意を弱め、紀州征伐の単語に戦慄を覚えた。
的場は押し黙り、李醒が続けて語る。
「私がイカサマ師であるのは間違いない。私は軍師であり、西部を任されている将軍だ。綺麗事を述べる無能な軍師ではなく、中途半端な優しさを持つ将軍でもなく……手を汚してでも多くを守る男たり得ねばならん。それが私の役目であり、その為なら、血塗れの両手で食事をするも辞さぬ」
「……ち…………将軍……」
「だが私は、それで上に立つつもりはない。上に立つ者はナイト殿ただ一人だからだ。故に私は彼の意思に従う。彼が和を望むなら汚い手を用いようが、憎まれ役になろうが、ありとあらゆる手を尽くして和を築く生け贄となろう。彼が戦を望むなら容赦のない尖兵となって雑賀に攻め込み、私が身代わりとなって恨みを買おう。……そして彼が心を苦しめるならば、救いの策を生み出そう」
「…………李醒、貴様は何が言いたい……!」
「和を築くのはまだ間に合う。即ち、紀州征伐を免れる方法があるというのだ」
これは、ただの降伏勧告ではなかった。
言わば両勢力の行く末を変える策の始まりだ。
「旧剣合国による紀州征伐を実際に体験し、生き証人となっている貴様が考えを改めれば、その波は瞬く間に拡がりを見せて雑賀衆の心を揺り動かす。そこに私が介入する。血を流す荒事は私が引き受けよう。膳も私が整えよう。最小の犠牲で済む為の知恵も貸そう。
――故に降れ、的場。誇りを捨てた裏切り者としてではなく、雑賀衆の全滅を阻んだ英雄となるべく降れ。そうさせる為に貴様の周りを討ち果たし、強引ながらも対話の場を作ったのだ。ここで貴様が降らねば、先に死んだ部下共は無駄死にのそれとなろう。……よく考えよ的場。怨恨が己の存在理由である事ほど、哀れなものは――」
「下らぬ戯れ言だ」
だがそこで的場は、李醒の素直な想いを切り捨てた。
呉穆は眉間に皺を寄せ、太嶷と西慶と楊蕭に至っても眼光を強める。
それは李洪に関しても同じで、彼は父の言葉を無下にする的場へ怒りを抱いた。
多くを語らぬ李醒がこれ程まで熱意を込めて提案し、同時に息子である自分へ教えてくれているにも拘わらず、それを「下らぬ」しかも「戯れ言」と評した事が許せなかったのだ。
然し、当の李醒は全く動じていなかった。
まるでこうなる事さえも予想していた様に、彼は表情を変えずに毅然とあり続ける。
「イカサマ野郎の奉仕精神なぞ、知った事ではないわ。救国の英雄になるつもりもない。ワシはただ仇を報ずる存在! 誰よりも雑賀で生き、誰よりも剣合国と戦った男! そのワシが矛を収めれば、父や兄、我が一族、雑賀の民、全ての無念は肥溜めに捨てられようがぁっ!! 全霊を想えばこそ、降伏など断じて有り得ぬ!!」
的場は刃こぼれ著しい大刀を構え直した。
もはや言葉は通じぬと分かりつつも、李醒は手を掲げながら最終勧告を促す。
「貴様の我が儘が、血溜まりの相剋を作る事になるぞ」
「構わぬ!! ワシ等が死んでも想いは紡がれる! 恨みは積もって力となり、雑賀の誇りがいつかは剣合国を滅ぼす! ワシ等の死が後年の礎となるのなら……死んで本望ォォ!!」
「……それを想いとは言わぬ。やれ仕方がない――殺れ」
降伏を良しとしない的場へ向けて、李醒は手を振り下ろして殲滅号令を掛けた。
普段以上に冷めきった、冷酷な声音であった。
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