大戦乱記

バッファローウォーズ

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第二次カイヨー解放戦

心の守護

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カイヨー城

 剣合国軍本隊が涼周・楽瑜隊と連携し、承土本軍を撃破した頃。侶喧、飛蓮、稔寧が守るカイヨー城に敵が現れた。
輝士隊・涼周連合軍に水上戦で敗れ、後方の軍港まで撤退した殷撰と、ファーテイスの守軍を預かっている衡裔配下の老将シャイ・チャイである。

「はははは! もう遅いわ裏切り者の殷撰! カイヨー城は我等涼周軍が奪還致した! そしてここにあるは、お主の愚息・殷諞だ! 攻めるならば、お主の首ごと殷諞の首も落ちるぞ!!」

『はははは! もう遅いわ裏切り者の殷撰! カイヨー城は我等涼周軍が奪還致した! そしてここにあるは、お主の愚息・殷諞だ! 攻めるならば、お主の首ごと殷諞の首も落ちるぞ!!』

 山頂上の飛氏館にて、殷諞を縛り付けた丸太の前に仁王立ちする絶好調の侶喧が、来襲した承土軍へ向けた侮辱を放つ。
それに多くのカイヨー兵も真似して続き、士気高潮な様を示していた。

「うざったいのぉ! ああいう挑発! あの城が天然の要塞でなく、そなたの息子が人質でなければ、即行で城まで攻め込んで奴の首を落とすのにのぉ!」

「申し訳ないチャイ将軍。……これは私の不手際にて、遠慮なく始めて下され」

「そう言われて、うむ始めるぞぃ! ……などと言う柄じゃないわ。それに城には、前線赴任した兵達に伴って移住した家族も、大勢保護されておるのだろう。……何より、長居は無用となったようじゃ」

 城下町より外に布陣し、カイヨー城を含んだ全体の様子を窺っていたチャイ。
彼が目を横に逸らした先には、情報部の緊急伝令が駆け寄っていた。

「チャイ将軍、御報告が……」

「ん、ご苦労。鉉彰殿は負けたんじゃな」

「はい。鉉彰様は討ち死に。殿となった魏儒様は現在消息の確認中。シセン様と荀擲様は敗残兵を纏めてトーチューへと避難したとの事です」

 前線の報告を受けたチャイは、大きく口を開けて悲嘆の声を上げる。

「かぁー、大惨敗じゃのぉ! 特に鉉彰殿が討たれたのは実に痛い! これではファーテイスも危ういわ! …………という事で皆の者、カイヨー城は捨てて下がるぞ! 城下に火を放って全軍反転だ! 甲兄弟は殿を務めてくれぃ!」

 承土軍二万五千は直ちに転進。城下町を焼き払うべく火を放ち、炎の壁を背面の盾とし、その先に堅固部隊を残す鉄壁ぶりを以て、ファーテイスへの撤退を開始した。

「…………奴等、城下にまた火をかけた。承土軍は焼く事と殺す事しか知らないの? ……殷撰もそう、何だってあんな奴等が生き残るの……」

 館から撤退する承土軍と燃える町を見て、窶れた表情を浮かべる飛蓮。瞳は赤く、それでいて睨みの角度は楽瑜と初めて会った時と同じ鋭さだった。

「……申し訳ありません。飛蓮様には、辛い想いばかり、させてしまいます」

 飛蓮にとって何気ない言葉ではあったが、傍に居た稔寧はそれを聞いて心を苦しめた。

「あぁ……いや……独り言独り言。気にしないで」

 気にしないでと言われて気にしない稔寧ではない。彼女はとても申し訳なさそうに目を細め、自ら肩身を狭くしてしまう。

 飛蓮は自身の言葉を失言と捉え、場の空気を変えるべく別の話題に切り替える。

「でも、奴等が撤退して行くって事は……」

「……はい。御味方の軍が、前線の承土軍を撃破、したのでしょう」

 次は独り言ではない。飛蓮から稔寧への、同意を求めるものだ。
続けて飛蓮は、今後に予想される事を話し合う。
甘尹の死で動揺した上、戦経験に富んでいる楽瑜と主たる涼周が出払い、侶喧達が城下の消火活動に向かった今、カイヨーの守将たる彼女にとって、有力な仲間は稔寧だけなのだ。

「……前線の承土軍は、此方に向かって撤退するかな?」

「……いえ、それはないでしょう。残軍は恐らく、トーチューへ逃れるかと」

「……なら私達はここを守って涼周殿の帰還を待つ……だね」

「はい。先ずは城下の火を、消さなければ、なりません」

 稔寧の言う通りだと、飛蓮は大きく首肯した。
彼女は後の情報精査を稔寧に任せ、自身は館を出て侶喧達の加勢に向かおうとする。

「…………あの、稔寧…………殿」

 だがそこで飛蓮の足は止まり、稔寧に背を向けた状態でぎこちなく声を掛けた。

 当の稔寧は声がした方向へ向き直り、飛蓮が背を向けている事も、どんな表情を浮かべているかも分からないながら、彼女の気配で何が言いたいかは察する事ができた。

「……飛蓮様、私の事はお気になさらず。貴女様の方が、とても苦しい筈……御無理だけは、なさらずに。心はもとより、体にも大きな毒ですから」

「……うん、分かってる。でも、今の私は自分の力で侶喧達を手伝う事ぐらいしか……」

 肩を震わして必死に堪える飛蓮の背中に、彼女が羽織る血に塗れた水色の打掛に、稔寧の右手がゆっくりと当てられた。
目の見えない稔寧が手探りで飛蓮に寄り添い、震える肩を優しく撫でてほぐし、次第に飛蓮を包んで彼女を背後から抱き締める。

「おこがましかと、思われるでしょうが……御無理だけはなさらずに。貴女様は一人では、ないのですから」

「……っぅ! …………ぅん……!」

 優しい声音と温かい人肌が、心身ともに冷えていた飛蓮の全てを癒していった。

「あの、稔寧殿。良かったらその……姉さんって……稔姉さん……って読んでも……」

 気持ちを落ち着かせた飛蓮は、一つの願いを頼んだ。
それは突然の事ながら、稔寧を姉に、自分を妹にしてほしいとの要求だった。

 元々、兄や弟、年下の子供達に囲まれていた飛蓮に、姉は居なかった。
それ故に彼女は稔寧の温もりに前にして、かつての確執を完全に排除した親しみを感じたのだろう。或いは大切な存在を失った絶望で感情が麻痺し、代わりとなる者を新たに定める事で精神の維持を図ろうとした、本能的な自己防衛だったのか。
どちらにせよ、飛蓮は冷めきった心身を温めてくれる存在を、涼周以外にも求めたのだ。

「はい。私も末娘でしたので、妹の存在がとても愛おしく、想えます。……手の掛かる姉でしょうが、どうぞ宜しくお願い、します飛蓮様」

 対する稔寧も飛蓮の想いを快く受け入れ、悲痛な苦しみを抱える彼女を強く抱擁した。
飛蓮は赤面しつつも、棘の道から抜け出せた様な安堵と家族の温もりも覚える。
失う事が多かっただけに、得た喜びはひとしおだったろう。

 ほっそりとなめらかでいて、透き通る様な白い稔寧の手を、飛蓮は強く握り返す。

「私のことは……その、蓮って、言ってくれれば……!」

「承りました。……蓮、貴女は私の、とても大切な妹です。貴女の苦しみは、私の苦しみでも、あります。無理をせず、私に打ち明けて下さい、ね」

「…………!」

 飛蓮は自分が何て馬鹿なんだと、心の底から思って涙を浮かべた。何故こんなにも優しい人達を忌み嫌っていたのか、何故素直に謝罪や感謝を言えないのか。

「私……助けられて……ばっかり。もっと……みんなの力になりたいよ……!」

「焦る事はありません。貴女は充分、皆様の御力に、なっているのですから。……それに、想いが先走って、自分を見失っては、貴女は貴女でなくなって、しまいますよ」

 全身を傾けてまで、飛蓮を抱き締めた。
目が見えない反面、稔寧の嗅覚や聴覚は優れていた。
だが彼女は、飛蓮の着物から放たれる血や泥水の匂いを何一つ嫌がる事なく、寧ろそれすらも受け入れる程の包容力を以て、飛蓮の苦しみを和らげる。

「……あっ……あのね、稔姉さん……そこ……」

 然しそこで、思考を働かせるまで回復した飛蓮がある事に気付き、朱色を強めて見せた。

「……私の……胸、揉んでる……!」

 稔寧の両手は、知らずの内に飛蓮の両胸を鷲掴みっっっぽくなっていた。

「あ、失礼しました。蓮の胸はとても、大きく柔らかく、とても気持ち良いですね」

「恥ずかしいからそういうのは言わないでっ!」

 手を自らの口許へ戻し、うふふと笑う稔寧に、飛蓮は半ば泣き叫んだ。

 何はともあれ飛蓮は元気を取り戻し、城下町に繰り出して侶喧やカイヨー兵達を鼓舞。率先して消火活動に当たり、侶喧達からは逆に無理をしているのではないかと疑われたという。



「カイヨーに上陸後、連合軍は二手に別れた。
ナイツと韓任の騎馬隊は北上。鉉彰率いる承土軍を奇襲するも、魏儒の巧みな用兵とトーチュー騎軍の来襲によって失敗に終わり、ナイツ自身も銹達との戦いで負傷した。
あの御方は歩兵軍を率いてカイヨー城へ急行。飛蓮が秘密の脱出路を用いて城内を撹乱。内から門を開け、守将たる殷諞を捕縛した。
然しその一方、疲労困憊のあの御方は城内に入る事が遅れ、密かに囚われていたトーチュー騎軍の弟君・甘尹が放っていた魔力声をつかめず、救出に失敗。許嫁たる飛蓮の前で息を引き取らせてしまった。
悲しみも束の間に、楽瑜はナイト本軍へのトーチュー騎軍急襲を予期して出撃。あの御方も同行し、翌朝には第二の奇襲部隊となって魏儒隊を果敢に攻めた。
ナイト本軍も呼応して攻勢に転じ、ナイトが敵大将・鉉彰を討ち取った。
承土軍は魏儒が殿となってトーチューへ撤退。あの御方は魏儒の自己犠牲に感化され、ナイツ、楽瑜の助けを借りて魏儒隊そのものを仲間に引き入れた。


あの御方はこの戦を語る中で、一つの仮説を立てていた。それは私が時に思うものと同じく、こうであったなら、歴史は変わっていただろうという話だ。
「俺にもっと体力があれば……カイヨー城へ潜入して、甘尹殿の聲を拾えたんだ。それにもしもだけどね……甘尹殿の救助ができていれば…………みんな生き残っていたかもしれない」
悲しみの色を纏ったあの御方の顔を見て、私は筆を止め、姫は静かに目を瞑った」
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