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涼周の仁徳
神出鬼没の女将・淡咲
しおりを挟む遜康とカイヨーの国境付近 承土軍陣地
「…………以上の事が、砦の内部で起こった事です」
「うむ、よく分かった。危険な任務をよく果たした。これは褒美だ」
承土軍の名将・楽瑜は、金貨の入った袋を部下に渡して功績を労った。
この部下はカイヨー兵に扮して砦内の戦闘に混ざり、そこで起きていた一部始終を目撃していた。承咨の突出、承咨の非人道的戦法、カイヨー兵解放の階となった涼周の存在の全てを。
そして報告を受けた楽瑜本人は、心から信頼できる部下のみを残した後に小さく呟いた。
「成る程……涼周殿……か」
彼の頭の中には、報告にあった幼子の姿がこれやあれやと生み出され、とてつもない興味と共に実物を見てみたいとの念を強く抱かせていた。
(限りなき異例の存在。補佐があったにしても、たった一人の小さき身で戦の様相を変えた事に相違はない。剣合国軍……いや、剣合国を含めた周辺の諸勢力は近いうち、かの者を中心に大きく動く事だろう。……願わくば、それまでに実物を見たい事)
「楽瑜様は、その幼子に、興味を持たれたのですか?」
一人の女性将校がゆっくりとした口調で、不意に楽瑜へ問い掛けた。
「如何にも。かの者は、今の世に珍しき想いを持っていると見た。ナイトの代となり剣合国には尊敬に値する騎士が多く存在するようになったが……戦の様相そのものを作り替え、敵である者等を言葉一つで味方に変えてしまう者など、彼の国どころか人界を端々まで捜してもそうそうおらん。真、気になった存在に他ならん」
「では、まずは見るべきかと。次に、言葉を交わすべきでしょう。そして最後に、かの者を、お試しなさるべきでしょう。わたくしを、お使いください」
女性将校はとてもゆっくり、且つ柔らかに提案する。
「うむ。今はただ、汝の想いに甘えよう」
楽瑜は大きく首肯して、他の部下達とも深く協議した。
遜康防衛は三日目で決着がつき、停戦協定が結ばれた両軍は速やかに兵を退いた。
停戦と同時に、まずは剣合国から旧レトナ国領と承土軍本拠地・ジョウハンへ大使が派遣される。これはレトナ国民への狼藉の有無を監視する事と、両軍の関係を取り持つ意味があった。
そして次にカイヨーの虜兵達、計四万七千名を家族共々解放させ、シンシャク川を挟んで遜康の北隣に位置するアーカイ州梅朝の地で保護。
彼等に伴い、カイヨーからの亡命を望む民達も続々と遜康やトーチューに移る。
剣合国軍は難民の中に承土軍の間者が混ざっていないかを念入りに検査した後に保護した。
山茱萸の月 アーカイ州梅朝 シンシャク川南岸の港
遜康防衛戦の五日後、ナイツは直属部隊三千及び涼周と共に、梅朝の地にあった。
遜康発の船で大河を渡った元カイヨー民兵達の、受け入れ指揮を執るナイトとバスナを手伝うためである。
「我等の出番が来たぞお前達! 老人子供の手足となるんだ! 戦に間に合わなかった分、ここで手柄を競のだ! 終わった際には歓迎大宴会が待ってるぞー!」
「おおおっう‼」
遠い道程で疲れはてた老人や子供を、彼等がこれから住む大集落までおんぶするナイト親衛隊の筋肉自慢素敵紳士達。その総数、優に八千を超える。
それでは肝心のナイトの護衛は誰がするのかって? 知りません。
抑々にして、ナイト本人が荷車をしょっぴいて先頭を疾走するもんだから、誰も追い付いてない状態なのだ。
「こういう時だけは体力馬鹿が凄いと思うな。どうだ、ナイツ殿もああなりたいか?」
「全然。逆に聞くけど、この軍の中に父上並のアホがもう一人増えたら、バスナは嬉しい?」
「それこそ全然だな。胃に穴が開きそうだ。……とは言え、そうなりかねん存在がな……」
「……うん。居るんだよね。まだ発展途上だけど」
ナイツとバスナの二人は、数百名の輝士兵とともに、難民の子供達へ保存の利くお菓子を配っている涼周に目を向けた。
時々、お菓子をつまみ食いしている姿が見られ、それが何ともナイト色を思わせる。
「あれが後々は進軍中に干し柿とか配る将になるんだよ、きっとね」
「……干し柿か、そう言えば保龍戦の時は方元殿の柿をナイト殿が奪取したせいで、大変な目に遭った」
「それって父上と母上がデートしてる時の事?」
「ああ、元々の軍務があった上に、傷心気味の方元殿に代わって出陣準備を整えた故……猫の手も借りたいとは、あの時の状況を言うのだろうな」
思い出した途端、額に小さな青筋を浮かべるバスナ。
彼は繊細で、意外と根に持つ性格なのだ……とはナイトの後日談。
「若様、バスナ将軍、失礼します。淡咲将軍がお見えになりました」
「そうか。では行くとしよう」
フォンガンとともにアーカイ州を守備し、主に内政を担当している主将・淡咲。
彼女が現れたと聞いたバスナはナイツを伴って会いに行こうとした。
「おやおや? おやおやおや? バスナ殿眼帯ですか? 良いですね似合ってますよ。渋みが増して男爵将軍みたいです。ついでにおヒゲが有ればもっと良し」
然し、バスナ兵の案内で二人が動き出した正にその時。
悪戯っ子を連想させる、やや低めの声音を放つ女性が、言葉の区切り毎にバスナの右後ろや左後ろ、木の影や樽の中からヒョコッ、ヒョコッと姿を現す。
「はぁ……相変わらず、誉めているのか馬鹿にしているのか分からん奴だな。……要は老け顔と言いたいんだろ?」
「マイナス思考と溜息はですね、最終的に多大な損失を生むんですよ。何事もプラス思考で捉えなければ、歩いている間に落とし穴にはまって財布を無くし、責任感じて切腹……とはいきませんが、切腹って痛いらしいですよぉ? バスナ殿は切腹した経験とかあります?」
「無いに決まってるだろ。……まぁ、腹を切る訳だから痛いのは当然だ」
落とし穴の中からひょっこり、大仰な身振りで切腹の真似をしたと思ったら、次はバスナの背後からすっと現れる淡咲に、バスナは冷めた口調で返す。
「そう言えばそう言えばバスナ将軍。お腹と言えばなんですけど奥姉様が絶賛してた、ぐりぐり~ってしたくなる魅惑のおへそを持った子供って何処に居ます? ちょっと全身隅々に至るまで隈無く身体検査させてもらっても宜しいですかね?」
「やめておけ。噛まれて干からびても知らんぞ」
「…………と、言うことは、実際に噛まれて血と魔力を吸いとられ、吸収した子供がそれを己の力に変えた事は……正しいと」
ナイツが会話についていけない程に動きの激しかった淡咲が、急に落ち着いて声音を上げた。
猫目をした桃色短髪の低身長女性主将・淡咲。
彼女は珍しい才能を複数所持する、ナイトを以てしても掴み所がないと評される気まぐれ者だ。
因みに、「奥姉様」とはナイトに肖ったキャンディに対する呼称である。
元は東方大陸出身の巫女の一族だそうだが、どういった経緯でナイトの仲間衆に加わったのかは、彼が語った武勇伝の中に含まれていなかった。
それ故に、ナイツにとっては淡咲こそが一番謎に包まれた人物に当たる。
「失礼しました、挨拶が遅れてましたね。若様、久方ぶりでございます。また一段と逞しくなられた様で、私は嬉しいですよ」
固まったナイツの視線に気付いた淡咲は即座に姿勢を正し、至極真面目な様で一礼する。
彼女は一見、メスナ以上の不真面目者と思えるものの、それは同位の仲間衆にだけ。
礼を尽くす相手にはけじめ良く対応を変え、だからと言って機嫌を取るような事はせず、是々非々を以て真言のみを発する。
それは部下や民達に対しても言える事。偏に、群州以上に広大かつ肥沃なアーカイ州の統治を、ナイトが彼女に任せている理由であった。
「そう……かな?」
逞しくなった。その言葉にナイツは父の様な屈強な肉体と鋼の筋肉を連想して苦笑する。
その様子からナイツの考えを察した淡咲は、そうではないと言いたげな笑みを作った後に、彼女が見て感じた、とても大切なものを評価する。
「ふふっ……ええ、逞しくなられました。三ヶ月前にお目にかかった時は、未だ守る存在を見出だせていない不安定な状態に映りましたが、今は金剛なる気配を放っていますよ」
ナイツは一瞬で理解に及んだ。
淡咲の言う存在が涼周の事であり、それによって自らの心も大きく成長した事に。
同時に謎の多い淡咲が、人の気配から内面を悟る術に長けた人物だという事も判明した。
「弟君に抜けた点があったとしても、私はそれが悪いとは思いません。何故ならそれが、貴方様の強さを助長させる事に繋がると感じるからです」
一通り言った後に淡咲は一礼する。
そして涼周が居る方向に振り返ると、持ち前の神出鬼没さを活かして涼周の前に出現。
目を見開いて驚く涼周や輝士兵を余所に、涼周の服を上着ごと捲り上げ、その腹部を晒す。
「ぅ? …………ぃあっ⁉」
「おおぉっ‼」
ナイツと輝士兵達は思わず目を奪われた。
状況を理解できずに呆然としていた涼周が、羞恥心を感じて抵抗するまでの数秒ではあったものの、しなやかなお腹をベースに縦長の真っ直ぐなおへそがそこには君臨していた。
綺麗という言葉では形容し尽くせない、芸術的かつ神秘的な、これだけで数多の敵軍を懐柔できるとさえ思えわせる、完璧なおへそだった。
「よいではないですか、よいではないですか。皆さんの士気を高める為にもさぁさぁ」
「にぃに、にぃに! このひと、へんっ! ……ぃあっ⁉」
「まぁまぁそんなにつっけんどんになさらず、どうですかここは一つ私と奥姉様と一緒に温泉でも入りません? 素敵な所を知ってますですよ秘湯ですよ? 貴方のおへそと一緒で絶景ですよ?」
「にぃに! にぃにっ!」
ナイツに向かって逃走する涼周を、言葉の区切り毎に先回りして待ち構える淡咲。
ナイツへ抱きついた時には、涼周は完全にべそをかいていた。
(俺の知り合いの女は……何故こうも……まともな奴がいないのだ?)
幼子相手に才能を無駄遣いし、ナイツから止められる淡咲を見て、バスナは呆れた。
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