大戦乱記

バッファローウォーズ

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若き英雄

義将の底力

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 死の間際に己の未熟さを知ったナイツは顔を歪める。

 然し、それこそが最高の調味料又は隠し味だと言わんばかりに黒染の笑顔は闇が深まり、再び人外の様を示す。
彼にとっての最高の瞬間。一縷の情けも無く振り下ろされた鉤槍に、将来を渇望された少年は為す術なく朱に染まる。事後を見計らって正気に戻された兵達は、主の死を確認すれば我を忘れて群がるであろう。そして怒りに満ちた彼等を一人残らず返り討ちにして無念の山を築くのだ。

快感。嗚呼、快感。

 華やかな結末を想像して身を震わせる黒染はメインディッシュを少しでも長く味わうべく、鉤槍を振るう速度をあえて遅くした。

 だが、その変態的思考がナイツを救い、誰にも邪魔されたくないと願っていた一瞬を台無しにする。

「はああ‼」

 鉤槍が振り下ろされる寸前、突如として怒号が上がり、ナイツと黒染の間に一人の男が割り入った。脚に魔力を帯びさせて、離れた場所から一気に飛び移って来たのだ。

「ぐっ!」

 男は黒染の凶刃からナイツを庇った為に左目を抉り取られる。それでも彼は気の狂う痛みを押し殺し、即座に剣を抜いて反撃に出た。

 零距離の抜刀から続く横薙ぎの一閃。
振り切った鉤槍での防御は間に合わないと判断した黒染は、逃げに徹して全力でその場から飛び退いた。

「おのれぇ‼ 剣義将バスナァ‼」

 図ったように現れ、自己を犠牲に味方を救い、強者を退ける。
役者がかったバスナの登場に虫唾が走った黒染は至って人間らしく激昂した。致命傷こそ避けたものの、決して浅くない腹部の太刀傷の痛みさえ忘れるほどに。

 最高の瞬間を最低な立ち回りで邪魔された恨み、黒染にとっては易々と晴らせられるものではない。
彼は手始めに、鉤槍の刃に刺さっているバスナの眼球を振り落とし、鈍重な音を立てて踏みつぶした。そして平たくなった肉塊とそれより噴き出した血を吸った土を、バスナ目掛けて蹴り飛ばす。この行いは黒染にとって最大の挑発を意味した。

「……」

 体の一部を辱められて尚、バスナの表情には一片の変化も見られなかった。
彼は死に勝る屈辱を受けようと毅然とした姿で黒染を睨み、背後に控えるウォンデにも警戒する。

 それが黒染には我慢ならなかった。智者でありながら傲慢、それでいて残虐を好む男からは今のバスナが透かした片目野郎に映ったのだろう。

「痛みも恥も無いとは! 気違いの痴れ者が‼」

 自らが挑発した事も忘れて再び怒声を発する黒染。己の得意とする戦法を捨て、傷を負った体でバスナに切りかかった。
隙なく振りの小さい一撃だ。鉤刃で心臓を抉り取るように見せて先端の突刃で喉元を貫こうとの狙いが黒染の視線から見て取れる。
動作、速度、気迫。全てに於いて弱体化した上、我をも忘れている男の攻撃を受け流すなどバスナには片目で事足りた。

(畜生どもが!)

 黒染の攻撃を容易に流したバスナであるが、彼の敵は黒染一人ではない。
両目であっても手に負えないウォンデがバスナの隙を虎視眈々と狙っており、今しがた見せた隙を突く形で襲い掛かったのである。

「まんまと嵌ったな! 壊れ死ね!」

 振り下ろされた魔剣は絶大な魔力と殺気を帯びた事で、ナイツと相対した時以上の黒い光を発する。

(くっ⁉ また体が……)

 バスナの登場で心が落ち着きを取り戻し、幾分か動けるようになったナイツだったが、今度はバスナに向けられた光の後光を浴びただけで畏縮してしまう。
後光のみでこの有様なら、魔剣による物理的一撃に先行して至近距離で光を浴びたバスナは立つことさえ不可能な筈だった。

「はああっ‼」

 だがバスナは臆する様子を微塵も見せず、右足を軸に反転して、魔力を込めた剣でウォンデの一撃を防ぎ止める。

「何ぃ⁉」

 予想だにしない抵抗を見せたバスナにウォンデは驚愕した。それだけに留まらず、バスナは多大な魔力を放出して交わった剣を力業で振り切り、ウォンデを馬上から叩き飛ばす。
その剣筋は変則性や手数の多さに特化したバスナ独自の剣術とは程遠い、直接的で荒々しいものだった。と思えば、剣を振り切った勢いを用いて黒染に向き直り、全く別の堅実性に富んだ剣術で迫りくる鉤槍を何度も弾き返す。

 弾かれる度に金剛の盾にでも当たったかのような手の痺れを感じる黒染は、怒声を発しはしないものの、増していく怒りに目を吊り上げた。
バスナの術中に嵌った彼はますます冷静さを失い、遂には魔力に物を言わせた力攻めに出てしまう。

 バスナから見て左斜め上からの大振りな一撃。左目を失ったバスナは即座に右足を軸にして左足を引き、体を九十度左回転させた。又、その動作に合わせて丹田に力を、剣に魔力を込めた彼は鉤槍が纏った魔力の強弱を見切る。

「そこだ!」 

 一瞬で万全の体勢を整え、次の一瞬で縦一文字の切り上げを繰り出す。
黒染の魔力を断ち切ったバスナの剣は、鋼鉄製の柄を物ともせずに切断した。
その切れ味は正に、紙を切る鋏の如くであった。

「何と……」

 黒染が如何に強者であろうと、極度の興奮状態にあれば魔力を制御しきれない。必ずやムラが生じ、隙を見せる。特に受け身を得意とする黒染では慣れない攻めに転じた際の隙が大きくなるのは当然であった。
その点に着目したバスナは二対一の状況下でこそ、焦る事無く的確かつ効率的に二人の猛攻を防ぎ、黒染の怒りを助長させる事で彼を己のペースに引き込んで一発逆転の好機を狙ったのだ。

(終わりだ畜生男!)

 黒染を丸腰にしたバスナは手首を捻って大上段の構えを整える。

 だが、それとほぼ同時に黒染が退く姿勢をとり、バスナが剣を振り下ろした時にはさっと身を翻して避けてしまう。
敵の攻撃を誘い、避け様に切る戦法を得意とする黒染の身を退ける術は流石と言えた。

「……ちっ」

 武器を無力化した事で肝を冷やし、落ち着きを取り戻させてしまったかと、バスナは舌打ちする。
やはり良くも悪くも黒染は覇攻軍六華将に数えられる強者であり、そう易々と討ち取られる存在ではないのだ。

 然し、バスナには黒染を長時間退ける事に成功しただけでも充分であった。
何しろ、ついさっき吹き飛ばしたばかりのもう一人の六華将が、早くも体勢を立て直してバスナに切り掛かって来たのだから。

「壊れやがれてめぇ!」

 バスナが最も警戒するウォンデはサキヤカナイに於いて最強の武力を有し、その実力は覇梁に匹敵するとまで言われている。存在だけで戦局を左右してしまえる程に厄介な狂将なのだ。
まともに切り結べばバスナであっても勝機は無い。彼はファーリムの指示で後を追ってきた部下達を視界の端に確認すると、ナイツが無事に退くまでの時間を稼ぐべく、一貫して守りの構えをとる。

(今は何より、ナイツ殿を救出する事が先だ)

 バスナは単身で飛び出す前に、部下達にナイツの救出を任せていた。

「黒染の直下兵が邪魔に入り、最悪の場合はどちらかの六華将も加わるだろうが、数十秒の内にナイツ殿を助け出せ」……と。
二百騎にも満たない部下達には無理難題であったが、それでも彼等は「命に変えても」と答え、手綱を握った状態で拳を握り合わせた。
その一言に覚悟を感じたバスナは一片の心残りも無く、ナイツの危機に馳せ参じる事ができた。

 だが若い将兵達に命を懸けさせた事はバスナの良心を痛め、彼自身に「将である自分が楽をする訳にはいかない」との念と決死の覚悟を抱かせた。その想いこそ、バスナがこれ程の無茶を強いる要因の一つであった。

「貴様が死ね‼」

 下劣かつ道義に反する悪漢に怒声で返すバスナ。
彼は敵わない強敵を前に一時の間、全意識を傾け、剣を極める者にとって忌避すべき殺戮衝動を心の奥底の封印から解放する。人を睨み殺せるほどに昇華した殺意は、赤黒い光からもたらされる虚脱感やウォンデの放つ強大な威圧と言った精神的攻勢を撥ね退けるばかりか、戦闘の高揚感を得る事で、絶え間なく血を流す左瞼の痛みさえも忘れさせる。

 力を込める度に顔を顰める必要のなくなったバスナは、一心にウォンデの死を望んで剣を振るう。
対するウォンデは一変した義将の気配に不敵な笑みを浮かべ、珍しくも防御に回った。
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