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第6話 後宮の大広間
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翠花が再び後宮に上ったのは、それから一週間の後であった。
飛龍が馴染みの客に、彼女が後宮に呼び出されたことを話していたものだから、この一週間は客の質問攻めにあっていた。黙っていればいいのに。翠花は、まるで自分が酒の肴になったような気分だった。
廊下を歩きながら、中庭を見やる。先日来た際も咲いていた桜の木はまだその枝の先に豊かな淡い花びらをたたえていた。その中から少しだけ薄緑色の新芽が見える。桜の宮もこれから少しずつ春を深め、夏へと進んでいくのだろう。
「――どうしましたか? 翠花さま?」
「いえ、なんでもありません。桜の花が――やっぱり綺麗だなと思いまして」
やっぱり後宮は違う。いつも暮らしている街中とは別世界だな、と思う。
どちらが良いかと言えば、――いつもの雑踏の中が落ち着くかな? と翠花は肩をすくめた。
「今が盛りですからね。これから少しずつ葉桜に変わって参りますわ」
「私は葉桜も好きですよ。なんだかゴチャゴチャしていて楽しいじゃないですか」
「あら、そんなことを仰る方は初めてですわ。ゴチャゴチャが良いのですの? それは美しくはないのではなくて?」
「美しさの意味によるかと思います。私はああいう賑やかな感じが好きですよ。ほら、後宮のみなさんだって色々な人がいるでしょう? 私はそういういろんな人が、いろんなことを考えているのを、眺めるのが好きですから」
そんな翠花を振り返り、静雅は目を開いた。
「本当に星澪さまのおっしゃる通りなのね。翠花さまは、根っからの心理士でいらっしゃる」
「――心理士?」
聞き慣れない言葉に、翠花は首を傾げた。
「ええ。星澪さまがおっしゃっていたの。『あいつは、心の理を説き、それを仕事にするような人間。つまり、心理士だ』って」
「なるほど。――心理士」
頷いたのちに、翠花は再びその言葉を口の中で繰り返した。
人の心の理を説いて、人の心と接しながら、それを職業にする。
そんな仕事が出来たらどんなに素晴らしいだろうか。
聞いたこともないその言葉をきっかけとした妄想に、翠花は頬を緩めた。
そんな仕事がこの国にあったとすれば、一番になるべきは自分よりもきっと師匠であろうと思うのだけれど。
「着きましたわ。きっともう皆様お待ちですわよ」
後宮の一角にある大広間。その引き戸の前で静雅は立ち止まった。
翠花は両手を腹部を覆う着物の前で重ねながら、一つ大きな息を吸った。
自分の言い出したことではあれど、その遊戯に参加するのは酒場の酔っぱらいではない。今日、参加するのは、この国の頂上の四妃。天上人の皇帝陛下のお相手をされている妃の方々なのだ。もしものことがあれば、自分はこの国を追放されるのではないか、と今更ながら震えを覚えた。
しかしそれでも、提案を引き下げなかったのは、ひとえに翠花自身の好奇心と、自らが師匠に教えられたことを役に立てたいという思いだったのかもしれない。
おもむろに静雅が引き戸へと手をかける。
「きっとうまくいきますわ。『合戦』と聞きました時には、私もどうなることかと思いましたけれど。今では私もやってみたいな、と思っているくらいですから。四妃の皆様も楽しみにされていますわ。――ちょっと緊張されてもいるみたいですけれどね」
振り返りいたずらっぽい笑みを浮かべる年上の女官に、翠花はただ緊張気味な笑みを浮かべた。
やがて扉が開かれる。美しく磨き上げられた褐色の床が広がる広間には、緑、赤、青、黃の着物に身を包んだ、女性たちが並び座っていた。
翠花は、視界に飛び込んできたその艶やかさに、思わずため息を漏らした。
*
「今日は、四妃の方々も、お集まりいただきありがとうございます。これまでこのようなことは一度もやってきたことはなかったのですが、帝からのご意向もあり、後宮をより良い場所にするためにも、このような場を設けることにさせていただきました」
広間の中央に立ち、星澪が后たちに説明を始める。
隣からその姿を見上げながら、翠花は、この容姿端麗な男が、高貴な人間であることを改めて認識していた。一週間前に来た時は、酒場で説教してしまった時の印象が強すぎて、どうにも、星澪が貴人だという認識に頭の中を切り替えていれなかった気がする。
星澪の話に耳を傾ける広間の妃たち、女官たちを、翠花はぐるりと見回す。部屋の中でも色ごとに四群に分かれて、艶やかな着物を身に纏った女たちが座っていた。そしてそのいずれもが街中に出れば、男の目を引き付けるであろう美しい女たちだった。しかしその中でもひときわ輝く女性の姿が、それぞれに一名ずつおり、それが四妃なのだということは一目でわかった。
緑の一群は翡翠宮から。優雅な佇まいで優しげな笑みを浮かべるのは、貴妃の美翠。
赤い色に囲まれながら、まだ若いぶん溌剌とした美しさを放つのは紅玉宮の淑妃、雪梅。
深い海のような青色の中で、神秘的な雰囲気を漂わせるのが、藍玉宮の賢妃、玄青。
明るい黄色の中で、朗らかな笑顔を無邪気に浮かべるのが琥珀宮の徳妃、嫣紅だ。
「私はこういうところで何をやればいいのかまったくわからず、今日は街の中から講師を呼ぶことにしたのです。私が忍びで街に出た時に偶然出会ったのですが――」
少し悪戯っぽい笑みを浮かべて星澪が言うと、女官たちのなかから「まぁ、星澪さまったら」と、クスクスとした笑い声が広がった。前回来たときにも薄っすらと感じていたが、この星澪という男は女官たちに大層好かれているようである。きっと良い家の者であろうし、この美貌があればそうやって人気が出るのもわかる。正直、翠花は「みんな物好きだなぁ」程度にしか思わないのだけれど。
「――皆さんも先週、彼女が後宮に来た際に、一度、会ってはおられますよね?」
妃や女官が、まばらに頷く。
「よろしい。では、今日は、彼女が提案する遊戯を四妃の皆様に遊んでいただいて、交流を深めたいと思います。やっていただく遊戯につきましては、すでに皆さんにはお付きの方を通して説明済みかと思いますが、改めて講師である心理士の翠花から説明を頂きたいと思います」
突然与えられた肩書きに翠花はぎょっとして、長髪色白男を見上げる。
立ち上がりざま、小声で囁いた。
「なんですか『心理士』って!?」
「仕方ないだろう。ただの町娘を後宮に講師として招聘しようと思えば、なにかの専門家ってことにでもしないと皇帝陛下や宦官相手にも話が通るわけもないのだ。心の理を説き、それを仕事にするような人間なんだから、心理士で相違あるまい?」
「――ですけれど」
「さあ、あまり、コソコソしていると、妃たちに怪しまれるぞ? お前とて、この機会をみすみす逃すのは惜しかろう」
「ぐぬぬぬぬ」
なんだか納得行かない気もする。
ただ星澪が言うことももっともではある。
翠花は妃たちに見えないように大きな溜め息を一つ吐くと、心を決めた。
そもそも心理士と呼ばれるのは、嫌ではない。誇らしくはあれど。
お師匠よりも先にそのような肩書きを戴くのが申し訳なく思うだけだ。
だけど、もし師匠が話を聞いたなら、こう言うだろう。「おもろー! いーんじゃねーの? やっちゃえ、やっちゃ!」とかなんとか。その表情を思い浮かべると、なんだか翠花は肩の力が抜ける気がした。
振り返り、星澪と交代するように、妃たちの前に立つ。
一度、深々と頭を下げる。そして翠花は語り始めた。
「はじめまして。もしくは、お久しぶりでございます。翠花と申します。本日はお集まりいただきありがとうございます。すでに簡単なご説明はお聞きかと思います。ですので、それぞれに一冊の書物を持って来ていただいているとは思います」
くるりと広間を見回すと、琥珀の上級妃、嫣紅妃が無邪気に彼女が持ってきた書物を掲げてみせた。背表紙が紐で縛られたその書籍は、随分と読まれたようで表紙の端が随分とくたびれていた。きっと好きで何度も読んだ本なのだろう。
視線が合って、翠花はお礼を言うように小さく頭を下げる。
「本日楽しんでいただく遊戯は簡単です。ただお妃様同士、自分が好きで、皆にも読んでみて欲しいと思われる本を、短い時間で紹介いただく。ただそれだけでございます。でもそれだけでは講釈を聞くだけみたいで皆さん眠くなってしまうかもしれないでしょう? ですので、これを遊戯にいたします。お妃様を含めてまして、女官の皆様は、四妃がその書物を紹介なさった後に、『どの本が一番読みたくなったか』を考えていただき、一冊の本を選んでいただき、投票をしていただきます。最も多くの票を集められました本が勝者本として選ばれるのでございます。――何かご質問はございますでしょうか?」
簡単な説明を終えると、赤色の淑妃が手を上げた。
「ねえ、投票するのは自分の本でもいいの? 女官は自分の主人に入れてもいいのかしら? もしそうなら女官が少ない私がとても不利だと思うのだけど?」
確かに誰に入れてもよければ、本の紹介内容に関わらず自分自身や応援したい相手に入れてしまうだろう。翠花は一つ頷くと、ゆっくりと首を左右に振った。
「投票の際には、申し訳ありませんが、自分自身以外が紹介された本、また、自分の宮の妃以外の四妃が紹介された本に投票をお願いします。その方が、平等ですし、きっと楽しくなりますから」
しばらく待つと、今度は翡翠宮の美翠が、ゆっくりと手を上げた。
最も気品もあり、立場も高い貴妃ということもあり、思わず翠花は自分の身が引き締まるのを感じた。
「とても変わったお遊戯で、私も楽しみにしております。ところで内容には関係ないのですけれど、この遊戯は――翠花さまご自身が考えられたことなのでしょうか?」
その言葉に、他の宮の女官たち数人も、頷いて呼応する。
翠花は正直に首を左右に振った。
「いいえ。これは私が考えたものではありません。私もある人から教えて頂いたのです。遠い遠い異国からやってこられた流浪の御仁に。この遊戯の名前は『書評合戦 』。――遠い遠い異国で生まれた、本と人、人と人とをつなぐ書評遊戯なのです」
そう語りながら、翠花は、自分自身が初めてお師匠とこの遊戯に挑戦した日のことを思い起こしていた。飛龍とおじいが師匠の本に投票したものだから、ちょっと臍を曲げてしまったことを昨日のことのように思い出す。
やがて星澪が立ち上がり、両手を叩く。「では、始めましょう!」と。 それを合図にして四妃たちは立ち上がり、部屋の中央へと集まった。
「ではみなさまよろしいでしょうか? 本を通して人を知る、人を通して本を知る。後宮書評合戦の開幕でございます!」
大広間に始まりを告げる、町娘の澄んだ声が響いた。
<参考情報>
――――――――――――――――――――――――――――――――
書評合戦公式ルール
1.発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる.
2.順番に1人5分間で本を紹介する.
3.それぞれの発表の後に,参加者全員でその発表に関する議論を2~3分間行う.
4.全ての発表が終了した後に,「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員が1人1票で行い,最多票を集めた本を勝者本とする.
※ビブリオバトル公式ページより引用。表現は一部(中華風ゆえに)漢字ルビ表記に改変。
飛龍が馴染みの客に、彼女が後宮に呼び出されたことを話していたものだから、この一週間は客の質問攻めにあっていた。黙っていればいいのに。翠花は、まるで自分が酒の肴になったような気分だった。
廊下を歩きながら、中庭を見やる。先日来た際も咲いていた桜の木はまだその枝の先に豊かな淡い花びらをたたえていた。その中から少しだけ薄緑色の新芽が見える。桜の宮もこれから少しずつ春を深め、夏へと進んでいくのだろう。
「――どうしましたか? 翠花さま?」
「いえ、なんでもありません。桜の花が――やっぱり綺麗だなと思いまして」
やっぱり後宮は違う。いつも暮らしている街中とは別世界だな、と思う。
どちらが良いかと言えば、――いつもの雑踏の中が落ち着くかな? と翠花は肩をすくめた。
「今が盛りですからね。これから少しずつ葉桜に変わって参りますわ」
「私は葉桜も好きですよ。なんだかゴチャゴチャしていて楽しいじゃないですか」
「あら、そんなことを仰る方は初めてですわ。ゴチャゴチャが良いのですの? それは美しくはないのではなくて?」
「美しさの意味によるかと思います。私はああいう賑やかな感じが好きですよ。ほら、後宮のみなさんだって色々な人がいるでしょう? 私はそういういろんな人が、いろんなことを考えているのを、眺めるのが好きですから」
そんな翠花を振り返り、静雅は目を開いた。
「本当に星澪さまのおっしゃる通りなのね。翠花さまは、根っからの心理士でいらっしゃる」
「――心理士?」
聞き慣れない言葉に、翠花は首を傾げた。
「ええ。星澪さまがおっしゃっていたの。『あいつは、心の理を説き、それを仕事にするような人間。つまり、心理士だ』って」
「なるほど。――心理士」
頷いたのちに、翠花は再びその言葉を口の中で繰り返した。
人の心の理を説いて、人の心と接しながら、それを職業にする。
そんな仕事が出来たらどんなに素晴らしいだろうか。
聞いたこともないその言葉をきっかけとした妄想に、翠花は頬を緩めた。
そんな仕事がこの国にあったとすれば、一番になるべきは自分よりもきっと師匠であろうと思うのだけれど。
「着きましたわ。きっともう皆様お待ちですわよ」
後宮の一角にある大広間。その引き戸の前で静雅は立ち止まった。
翠花は両手を腹部を覆う着物の前で重ねながら、一つ大きな息を吸った。
自分の言い出したことではあれど、その遊戯に参加するのは酒場の酔っぱらいではない。今日、参加するのは、この国の頂上の四妃。天上人の皇帝陛下のお相手をされている妃の方々なのだ。もしものことがあれば、自分はこの国を追放されるのではないか、と今更ながら震えを覚えた。
しかしそれでも、提案を引き下げなかったのは、ひとえに翠花自身の好奇心と、自らが師匠に教えられたことを役に立てたいという思いだったのかもしれない。
おもむろに静雅が引き戸へと手をかける。
「きっとうまくいきますわ。『合戦』と聞きました時には、私もどうなることかと思いましたけれど。今では私もやってみたいな、と思っているくらいですから。四妃の皆様も楽しみにされていますわ。――ちょっと緊張されてもいるみたいですけれどね」
振り返りいたずらっぽい笑みを浮かべる年上の女官に、翠花はただ緊張気味な笑みを浮かべた。
やがて扉が開かれる。美しく磨き上げられた褐色の床が広がる広間には、緑、赤、青、黃の着物に身を包んだ、女性たちが並び座っていた。
翠花は、視界に飛び込んできたその艶やかさに、思わずため息を漏らした。
*
「今日は、四妃の方々も、お集まりいただきありがとうございます。これまでこのようなことは一度もやってきたことはなかったのですが、帝からのご意向もあり、後宮をより良い場所にするためにも、このような場を設けることにさせていただきました」
広間の中央に立ち、星澪が后たちに説明を始める。
隣からその姿を見上げながら、翠花は、この容姿端麗な男が、高貴な人間であることを改めて認識していた。一週間前に来た時は、酒場で説教してしまった時の印象が強すぎて、どうにも、星澪が貴人だという認識に頭の中を切り替えていれなかった気がする。
星澪の話に耳を傾ける広間の妃たち、女官たちを、翠花はぐるりと見回す。部屋の中でも色ごとに四群に分かれて、艶やかな着物を身に纏った女たちが座っていた。そしてそのいずれもが街中に出れば、男の目を引き付けるであろう美しい女たちだった。しかしその中でもひときわ輝く女性の姿が、それぞれに一名ずつおり、それが四妃なのだということは一目でわかった。
緑の一群は翡翠宮から。優雅な佇まいで優しげな笑みを浮かべるのは、貴妃の美翠。
赤い色に囲まれながら、まだ若いぶん溌剌とした美しさを放つのは紅玉宮の淑妃、雪梅。
深い海のような青色の中で、神秘的な雰囲気を漂わせるのが、藍玉宮の賢妃、玄青。
明るい黄色の中で、朗らかな笑顔を無邪気に浮かべるのが琥珀宮の徳妃、嫣紅だ。
「私はこういうところで何をやればいいのかまったくわからず、今日は街の中から講師を呼ぶことにしたのです。私が忍びで街に出た時に偶然出会ったのですが――」
少し悪戯っぽい笑みを浮かべて星澪が言うと、女官たちのなかから「まぁ、星澪さまったら」と、クスクスとした笑い声が広がった。前回来たときにも薄っすらと感じていたが、この星澪という男は女官たちに大層好かれているようである。きっと良い家の者であろうし、この美貌があればそうやって人気が出るのもわかる。正直、翠花は「みんな物好きだなぁ」程度にしか思わないのだけれど。
「――皆さんも先週、彼女が後宮に来た際に、一度、会ってはおられますよね?」
妃や女官が、まばらに頷く。
「よろしい。では、今日は、彼女が提案する遊戯を四妃の皆様に遊んでいただいて、交流を深めたいと思います。やっていただく遊戯につきましては、すでに皆さんにはお付きの方を通して説明済みかと思いますが、改めて講師である心理士の翠花から説明を頂きたいと思います」
突然与えられた肩書きに翠花はぎょっとして、長髪色白男を見上げる。
立ち上がりざま、小声で囁いた。
「なんですか『心理士』って!?」
「仕方ないだろう。ただの町娘を後宮に講師として招聘しようと思えば、なにかの専門家ってことにでもしないと皇帝陛下や宦官相手にも話が通るわけもないのだ。心の理を説き、それを仕事にするような人間なんだから、心理士で相違あるまい?」
「――ですけれど」
「さあ、あまり、コソコソしていると、妃たちに怪しまれるぞ? お前とて、この機会をみすみす逃すのは惜しかろう」
「ぐぬぬぬぬ」
なんだか納得行かない気もする。
ただ星澪が言うことももっともではある。
翠花は妃たちに見えないように大きな溜め息を一つ吐くと、心を決めた。
そもそも心理士と呼ばれるのは、嫌ではない。誇らしくはあれど。
お師匠よりも先にそのような肩書きを戴くのが申し訳なく思うだけだ。
だけど、もし師匠が話を聞いたなら、こう言うだろう。「おもろー! いーんじゃねーの? やっちゃえ、やっちゃ!」とかなんとか。その表情を思い浮かべると、なんだか翠花は肩の力が抜ける気がした。
振り返り、星澪と交代するように、妃たちの前に立つ。
一度、深々と頭を下げる。そして翠花は語り始めた。
「はじめまして。もしくは、お久しぶりでございます。翠花と申します。本日はお集まりいただきありがとうございます。すでに簡単なご説明はお聞きかと思います。ですので、それぞれに一冊の書物を持って来ていただいているとは思います」
くるりと広間を見回すと、琥珀の上級妃、嫣紅妃が無邪気に彼女が持ってきた書物を掲げてみせた。背表紙が紐で縛られたその書籍は、随分と読まれたようで表紙の端が随分とくたびれていた。きっと好きで何度も読んだ本なのだろう。
視線が合って、翠花はお礼を言うように小さく頭を下げる。
「本日楽しんでいただく遊戯は簡単です。ただお妃様同士、自分が好きで、皆にも読んでみて欲しいと思われる本を、短い時間で紹介いただく。ただそれだけでございます。でもそれだけでは講釈を聞くだけみたいで皆さん眠くなってしまうかもしれないでしょう? ですので、これを遊戯にいたします。お妃様を含めてまして、女官の皆様は、四妃がその書物を紹介なさった後に、『どの本が一番読みたくなったか』を考えていただき、一冊の本を選んでいただき、投票をしていただきます。最も多くの票を集められました本が勝者本として選ばれるのでございます。――何かご質問はございますでしょうか?」
簡単な説明を終えると、赤色の淑妃が手を上げた。
「ねえ、投票するのは自分の本でもいいの? 女官は自分の主人に入れてもいいのかしら? もしそうなら女官が少ない私がとても不利だと思うのだけど?」
確かに誰に入れてもよければ、本の紹介内容に関わらず自分自身や応援したい相手に入れてしまうだろう。翠花は一つ頷くと、ゆっくりと首を左右に振った。
「投票の際には、申し訳ありませんが、自分自身以外が紹介された本、また、自分の宮の妃以外の四妃が紹介された本に投票をお願いします。その方が、平等ですし、きっと楽しくなりますから」
しばらく待つと、今度は翡翠宮の美翠が、ゆっくりと手を上げた。
最も気品もあり、立場も高い貴妃ということもあり、思わず翠花は自分の身が引き締まるのを感じた。
「とても変わったお遊戯で、私も楽しみにしております。ところで内容には関係ないのですけれど、この遊戯は――翠花さまご自身が考えられたことなのでしょうか?」
その言葉に、他の宮の女官たち数人も、頷いて呼応する。
翠花は正直に首を左右に振った。
「いいえ。これは私が考えたものではありません。私もある人から教えて頂いたのです。遠い遠い異国からやってこられた流浪の御仁に。この遊戯の名前は『書評合戦 』。――遠い遠い異国で生まれた、本と人、人と人とをつなぐ書評遊戯なのです」
そう語りながら、翠花は、自分自身が初めてお師匠とこの遊戯に挑戦した日のことを思い起こしていた。飛龍とおじいが師匠の本に投票したものだから、ちょっと臍を曲げてしまったことを昨日のことのように思い出す。
やがて星澪が立ち上がり、両手を叩く。「では、始めましょう!」と。 それを合図にして四妃たちは立ち上がり、部屋の中央へと集まった。
「ではみなさまよろしいでしょうか? 本を通して人を知る、人を通して本を知る。後宮書評合戦の開幕でございます!」
大広間に始まりを告げる、町娘の澄んだ声が響いた。
<参考情報>
――――――――――――――――――――――――――――――――
書評合戦公式ルール
1.発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる.
2.順番に1人5分間で本を紹介する.
3.それぞれの発表の後に,参加者全員でその発表に関する議論を2~3分間行う.
4.全ての発表が終了した後に,「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員が1人1票で行い,最多票を集めた本を勝者本とする.
※ビブリオバトル公式ページより引用。表現は一部(中華風ゆえに)漢字ルビ表記に改変。
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