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Episode 17 失意の中で

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【2024年10月7日 → 2024年11月1日】

 過去から戻ってきた。
 戻ってきた場所は自分の部屋だった。過去へと飛び立ったのはベランダだったけれど、戻ってきたのはベッドの上だった。夢から目が覚めるみたいにして、意識が戻った。どういう仕組みなのかわからないし、ベランダからベッドまでどう移動したのかはわからない。

 戻ってきた世界であるここが過去に飛ぶ前と完全一致しているのかもわからない。過去改変が起きたら世界線は分岐するのか、多分順に未来が変わるのかもわからない。だけど一つわかるのは、たった一度きりのチャンスで過去に飛んだのに、僕は未央にちゃんと想いを伝えきれなかったということだ。
 二十歳になり、夏菜子に真実を伝えるまでの僕は、良くも悪くも夏菜子に囚われていたし、その意味で、未央に誤解を与えていたのだと思う。きっと夏菜子が誕生日の日に事故に遭い、意識不明となった別の世界線の僕は、余計にそうだったのだろう。自分が呼び出した待ち合わせの場所で夏菜子は事故にあった。だから余計に自分を責めていたとしても不思議じゃない。自分自身はその経験をしていないからピンと来ないところもあるが、自分をその立場に置いてみると寒気を覚えるとともに、理解できるところもあった。

 スマートフォンを手に取り、画面をつける。日にちは間違いなく過去へと飛んだ日の次の日の朝だ。夜にベランダから飛んで、ベッドに戻って寝ていたのかもしれない。ただ気分は最悪だった。人生一度きりのチャンスを使って過去に飛んだのに、何も得ることもなく帰ってきたのだから。僕はもうあの時間軸にいた未央に会うことはできないのだ。――もう永遠に。
 水族館に一緒に行って、ペンギンを一緒に見た有坂未央はもういない。バッテリーの残量は20%。また充電し忘れている。まあ、過去に飛んだまま寝たので、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
 なんだかたくさん通知が残っていた。画面をスワイプして確認する。明け方に来ていただきメッセージは夏菜子からだった。

 [帰って来れたかな? どうだった? 戻ってきたら報告はすること]

 最悪な気分だったけれど、なんだか少し救われるような気がした。
 少なくともこの世界線では、夏菜子は元気なのだ。

 [帰ってきたよ。無事ね。人生一回のタイムリープ機会を使い終えてきました。収穫は無いけどね]

 メッセージを送ると朝早くにも関わらず、すぐに既読がついた。

 [おはよう! 収穫なかったのか。残念だったね。また話は聞かせてもらうよ!(それなりに心配したんだからね!)]

 返信が返ってきて、固まっていた気分がほぐれた。変に気を使われるすぎないのが良い。母親がこの世を去り、祖父母が施設に入り、誰一人家族として甘えられる相手がいなくなっていた。ふと、夏菜子が、その空白を埋め始めてくれているような気がした。甘えすぎるのは良くないけれど、ちょっと甘えてみるのも良いのかもしれない。お互いに。家族に近い存在として。

 一晩の間に溜まった通知を確認していく。
 何はともあれ朝だ。タイムリープはできなくなっても、一日は始まる。
 ベッドから起き上がると、トーストを焼いて、コーヒーを入れた。冷蔵庫を開けると牛乳の賞味期限が一日だけ過ぎていたけれど、見なかったことにした。目玉焼きを焼いて、トーストの上に乗せて、ミルクコーヒーとともに朝食にする。ローテーブルの上にお皿とマグカップを置いて、自分もクッションの上に腰を下ろしたところで、机の上の携帯が振動した。メッセージの着信だ。

 [今日、どこかで会えないか? 話がある]

 それは翔からのメッセージだった。いつもより少し神妙そうなメッセージに見えた。

 [わかった。夕方に、サークルのボックス前集合でいい?]


【2024年11月1日】

 秋の賀茂川には涼しい風が吹く。西の空は赤く染まっていた。何でだか翔はエレキギターをじゃかじゃか鳴らしている。僕も合わせてベースを弾いている。アンプもないので、大した音は鳴らないけれど。だから逆に、人目を気にする必要もない。

「サークルのボックス前集合とかいうから、てっきりサークル復帰なり、バンド復活なりのイベントが待っているのかと思ったけどな」

 同じ曲を何周かかき鳴らした後に、自分のギターを抱えるような前傾姿勢になり、翔は独りごちた。

「まあ、あまり他に良い待ち合わせ場所も思いつじゃなかったし」
「戻る気はねーの?」
「まあ、追い追いというのはあるかもしれない」
「お、その心境の変化は朗報。――やっぱり、夏菜子ちゃんのことにきりがついたからか?」
「――それが八割かな?」
「ほとんどじゃん」
「まあ、そうかも」

 僕はそう言うと、抱えていたベースを脇に置いた。膝に肘をついて、賀茂川の流れを眺める。数羽の鳥が水面へと舞い降りた。

「それで『話』って言うのは?」

 サークルボックス前に集まってから三十分ちょっと。流石にそろそろ踏み込んでも良いだろう、と僕は口火を切った。そうすると翔も抱えていたエレキギターをベンチの脇に置いた。両手を組むと膝の上に置いた。

「過去にタイムリープしていたんだって?」

 思わず、弾かれたようにその横顔を見る。
 翔は真っ直ぐに賀茂川を眺めていた。珍しく真剣な表情で。
 茶化す気なんてまるでない、真面目な表情で。

「夏菜子か? 夏菜子から聞いたのか?」

 翔は頷く。

「あいつを恨んだりするなよ。悪気があって告げ口したわけでもないんだからさ。あいつはあいつでお前のことが心配だから、俺に相談したんだと思うからさ」
「別に恨んだりしないよ。お前に言われなくても、夏菜子の心配はなんとなく分かるよ」
「それで、どうだったんだ? 過去はさ。したい過去改変はできたか?」

 まるで翔は上京した後の同級生に「東京はどうだった?」とでも聞くように尋ねた。

「過去改変とかやったことないから、その効果が出たときにどうやって確認したら良いのかもわからないよ。……それにしても翔、随分と素直に受け止めるんだな。タイムリープの話」
「おかしいか?」
「うーん、おかしくはないかもだけど、初めは疑うもんじゃないか? オカルトだしさ」
「そうか。そうだよな。初めは疑うもんだよな。オカルトだもんな」

 まるで独り言みたいに翔は呟いた。

「一度しかないタイムリープのチャンス。だから誰もが及び腰になるし、過去を変えたからって、その過去改変がどう未来に影響するのかなんて、誰にもわからない。人は一回しか起きないことからは、なかなか学べないからな」

 翔はそんなことを滔々と口にした。その言葉に僕は驚く。

「――翔、知っているのか? 『ときを翔ける紫水晶アメジスト』の話を?」

 僕がそう尋ねると、翔は両手を後ろに突いて空を見上げた。空の上では鳥の群れが編隊を組んで飛んでいた。やおら翔は後ろポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。そしてそれを僕の前にぶら下げた。

「――紫水晶アメジスト!?」

 それは確かに「ときを翔ける紫水晶アメジスト」だった。
 僕は思わず自分のポケットに手を突っ込む。ポケットの中を弄るとすぐに目的の石に指先が触れた。引き出してぶら下げる。それは僕が未央からもらったものだ。全く同じ宝石が、僕の手にも、翔の手にもあった。
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