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8月編
93話 たとえその他大勢であっても
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時刻は17時3分。
私は見ていた携帯電話を小物入れにしまい、駅前広場の椅子に腰を下ろす。
さあって、どうしたものか。待ち合わせ時間の30分も前なのに、待ち合わせ場所に着いてしまった。
隣街に足を運ぶことなんてあまりないし、慣れない浴衣で出歩くからとかなり早い時間に家に出たのは失敗だったかもしれない。
なんだか、今日の花火大会を凄く楽しみにして浮かれているみたいで恥ずかしい。
いや、本当に楽しみにはしているんだけれどね。大人数で祭りに行くことなんて今まで無かったし、それに浴衣を着るのも初めてだし。
そんな誰かに聞かせるわけでもない言い訳をして、私は椅子から立ち上がる。
軽く休憩も出来たことだし、みんなが来るまでの時間はまだあるから、駅の周りを軽く散策してみよう。
そう思い、数歩ほど足を歩ませた時だった。
「紅葉君」
不意に名前を呼ばれ、私は足を止めた。
私のことを君付けで呼ぶ人なんて1人しか思い当たらない。
声がした方を振り返ると、そこにはやはり楓がいた。
彼女は「やっほー」と言いながら上げた右手をひらひらとさせている。
「ねぇ、早すぎない? まだ30分前だよ?」
「そういう貴女もね」
「むぅ……それを言われると何も言えなくなっちゃうなぁ。あれ?」
楓は何かを探すように辺りを見渡す。
「てっきり瑞稀君と2人で来るものだと思っていたんだけれど、今日は別々なんだね」
「浴衣の着付けに手間取っているみたいで、待ち合わせの時間に遅れそうだから先に行ってって連絡があったのよ」
「あぁ、そういうこと。ところで、その浴衣似合ってる。それに今日は髪も結んでいるんだね」
「ありがとう。浴衣を着る機会なんて滅多にないし髪型もいつもと違う感じにしたらどう?ってお母さんがね。貴女は浴衣じゃないのね」
楓はデニムのワイドパンツに白のポロシャツという、休日の彼女がよくしている服装だった。
私たちは各自が好きな服装で来れるようにどの服装で来るかを伝えておらず、私は瑞稀が浴衣で来ることだけを把握していた。
「ボクは浴衣を持ってないから。レンタルも考えてはいたんだけど、やっぱり慣れている服装がいいかなって思ってさ。立ち話もなんだし、みんなが来るまで椅子に座って話さない?」
そう言って楓は、私がさっきまで座っていた椅子を指差した。
私はそれに対して「そうね。そうしましょう」と応え、私たちは椅子にへと座った。
椅子に座ってからみんなが来るのを待っている間、私たちはたわいもない会話を繰り返した。
他の誰が浴衣を着てくるのかを予想したり、屋台で何を買って食べようかを話したり。
そして、その一つの話題が終わる度に私たちの間には必ず沈黙の時間があった。
それはたんに次の話題を考えている時間ではなく、話したいことを切り出そうかどうかを迷っている時間だった。
しかもどうやらそれは私だけではなく隣に座っている楓もまた同じだったようで、彼女は何かを言いかけては言葉を飲み込むように神妙な面持ちで下を向いて、というのを何度も何度も繰り返していた。
次第に会話と会話との間の沈黙の時間は長くなっていき、そして今、私たちはその迷っている時間の最中にいる。
今の時刻は17時19分。
きっと、もうそろそろで他の誰かが来る。
他の誰かが来てしまえば、私が楓に話そうとしていることは話せなくなってしまう。
「あのさ」
そう言って会話の切り口を切ったのは私……ではなく楓だった。
「6月に紅葉君がD組の男の子と付き合っているって話を聞いた時さ、君は本当に好きだった人には何もせずに、他に好きな人を作ることによって自分の気持ちから逃げたんだと思ってた。でもそれは違っていて、紅葉君はちゃんと陸に告白して……って、なんだかまどろっこしいね。単刀直入に言わせてもらうと、ボクは君のことを尊敬してるんだ」
楓は私の顔を見ずに前を向いたまま言った。
その彼女の頬は少し赤に染まっている。
私もまさか「尊敬している」なんて言葉を言われると思っていなかったから顔が熱い。
「ちょっと、いきなりどうしたのよ。それに尊敬されるようなことなんて何もしてないわ。告白しようと決意して告白したわけじゃないの。勉強会の帰りに貴女と話して、色々な感情がごちゃ混ぜになって、それで勢いのまま告白しただけ」
楓は私が銘雪に告白したことを知っていても、『2回』も告白したという事実は知らない。
銘雪への2回目の告白は自分の気持ちに整理が付き、もう一度振られることになったとしても、それでもちゃんと気持ちを伝えたいという覚悟の上での告白だった。
しかし、1回目はそうじゃない。先に私が言った通りだ。
その1回目がなければ、きっと私は2回も告白してないだろうし、ちゃんとした自分の気持ちを伝えることも永遠になかっただろう。
1回目の告白。あれが始まりだった。
だから私は楓にああ言った。
「たとえ勢いでの告白だったとしても、告白したことには変わらないよ。ボクはどんなことがあったって出来やしないもん」
そう言って楓は寂しそうに笑った。
諦めともとれるような、自嘲ともとれるような笑みだった。
「瑞稀が……今日告白するそうよ」
気がついた時には私はその言葉を口にしていた。
それは私が言おうかどうしようかずっと迷っていた言葉だった。
きっと言わない方がいい。そんなことぐらい分かっていた。
それでも私はこのことを楓に伝えたかった。
「そうか……やっとなんだね」
楓は一瞬だけ口を半開きにして固まったが、すぐにそう言うと再び笑った。
先ほどの笑みとは違い、ぎこちない笑顔だった。
それは平然を装おうとしている楓の隠しきれない動揺を物語っていた。
「貴女は告白しないの?」
私がそう言った途端に楓から笑みは消えた。
何を言っているのか理解できない。そう言いたげな表情を彼女はしていた。
言った私自身でさえ、何を言っているんだろう、なんて思ってる。
楓があんな顔をするのも無理もない話だった。
親友が告白する日であることを知っていながら、他の人にも告白しないの?と促すなんてとても最低な行為だ。
しかも告白しようとしている相手は同一人物。
最低にも程がある。
「紅葉君は酷いなぁ。大切な友達が告白しようとしているのに、他の人もけしかけようとするなんてさ」
楓はしばらくの間を置いてから、困った顔をして言った。
ああ全く、彼女の言う通りだ。
私が伝えようと思っていたことは、瑞稀が今日告白するという情報だけ。
さっきのはつい魔が差して言ってしまっただけの言葉。
冗談よ。と言ってしまえばそれで終わる話。
きっと楓も流してくれるはず。
「っ……」
どうしてか、冗談とは言えなかった。
喉の奥が蓋をされてしまったかのように言葉が出ない。
……いや、どうしてか、なんて嘘だ。実際のところは分かってる。
さっきのは本当につい魔が差してしまっただけ? ――ううん。そうじゃない。
どうして私は瑞稀が告白することを楓に伝えた? ――本当は伝えることが目的ではなかった。伝えることは目的の通過点に過ぎない。瑞稀が告白することを伝えた上で、楓が銘雪に告白するかどうかを私は聞きたかったのだ。
瑞稀が銘雪に告白をして2人が付き合ったら、楓の恋は終わってしまう。告白をしないまま、気持ちを伝えないまま。そして、後悔を残したままで……。
告白した私だからこそ分かることがある。たとえ振られてしまっても、告白をすることによって得られるものはあると。
だから私は瑞稀と銘雪の2人が付き合う前に、楓に告白して欲しかった。
好きという感情を相手に一生伝えないままで終わらせることは勿体なく、とても辛いことだと思う。
それはきっと私だけのエゴで、楓にとっては大きなお節介かもしれない。
けれど私はそのエゴを押し通したかった。
瑞稀と銘雪の2人が付き合ったことを知った時、自分の恋の終わりを自覚した楓は、きっと寂しそうに笑うのだろう。さっき私に見せた、あの時と同じ表情で。
私は楓のそんな表情を見たくはないし、して欲しくもない。
だって私は――
「もう一度聞くわ。貴女は本当に告白しないままでいいの?」
私はわざと少しだけ言い方を変えた。
「あのさ……紅葉君は自分が何を言っているのか分かってる?」
「分かってるわよ」
「分かってないよ! 紅葉君は2人の邪魔をしたいの? 瑞稀君も陸も君にとっては大切な友達だろ! ボクのことなんか放っておいてよ!」
楓は怒りを露わにし、それでいて辛そうな顔をして言った。
私はいったいどんな顔をして楓のことを見ていたのだろう。
楓はハッと我に返ったかのような顔をすると「怒鳴っちゃて、ごめん……」と言って気まずそうに顔を逸らした。
「放っておくなんて、そんなの無理よ」
私は楓の左手の上に自分の右手を重ね合わせ、再び顔をこちらに向けさせる。
嘘じゃない気持ちをちゃんと楓に分かって貰いたかったから。
私は楓と交わった視線を逸らさないし、逸らさせまいと強く彼女の瞳を見つめる。
「だって私は貴女のことも大切な友達だと思っているから」
私がそう言った直後、楓はありえないことが起きたかのような顔で固まった。
瞳が動揺で揺れ、湧き上がった涙が彼女の目を潤ませる。
そしてすぐに、それらの涙が両方の目からぽろぽろと流れ落ちた。
「ちょ、ちょっと泣かないでよ。私に大切な友達だと思われていたのがそんなに嫌だったかしら。まあ、今までこうして2人で会話することなんてあまりなかったし、いきなりそんなこと言われてもってなっちゃうのは分かるけど……」
まさか楓が泣いてしまうなんて思っていなかったから、私は戸惑ってしまってあたふたとなりながら彼女を宥める。
それにしても、泣くほどにショックだったのか……なんだか傷付くわね……。
そう思った瞬間、楓の顔が滲んでボヤけた。
まずい。私も泣いてしまいそう。
「待って待って、誤解だから。嫌だなんて思ってないから。だから、紅葉君まで泣きそうになるのはやめてよ。紅葉君にそう思われているなんて思ってなくて驚いちゃっただけで……あー、もう! 目の周りが赤くなっちゃってたらどうしてくれんのさ! もうそろそろでみんなが来ちゃうかもなのに!」
そう言って楓は手で自分の目元を擦った。
私も同じように自分の目を擦る。
「誰かが来て今の私たちを見たら変な誤解をされてしまいそうね」
「本当だよ。2人とも泣いてるし、喧嘩したのかもって思われちゃうかも」
「まあ、あながち間違いではないと思うけどね」
「そんなことないよ。ボクたちは喧嘩なんてしてないし、ボクが泣いているのだって紅葉君に大切な友達だと思われていたのが嬉しすぎて感極まって泣いちゃっただけだから」
「……それ本当?」
「本当だよ。紅葉君は疑い深いなぁ。大切な友達が言うことを信じられないの?」
「うっ……」
何も言えなくなってしまった私を見て、楓は笑った。
そして彼女は一頻り笑い終えると、椅子の背に背中をもたれさせて、空を見上げながら一息吐いた。
拭い切れていなかった目の周りの涙が夕日の光に照らされ、キラキラと光っていて綺麗だった。
そのまま楓はしばらくの間、何かを考え込む様な表情で空を眺めていたが、急に「うん」と言って頷くと、彼女は私の方を向いた。
「紅葉君の気持ちは分かったけどさ。それでもやっぱりボクは告白しないよ」
楓にそう言われ、私は自分が聞いたことをすっかり忘れてしまっていた事に気付く。
多分楓はそれに気付いていたと思うし、彼女からしてみればあの流れのままに話を終わらしてしまっても良かったかもしれないのに、それでも楓はわざわざ答えてくれた。
「付き合えない、断られるって分かっているのに告白する意味なんてボクには無いと思うんだ。ただ傷つきにいくだけ。それって虚しくない?」
「私も告白する前はそう思っていたわ。でも、告白をして得たものはちゃんとあった。それが貴女にもあるかどうかは分からないけど……」
「紅葉君が言うように、実際に告白してみないと分からないことがあるかもしれない。でもそれ以上に傷つくことが怖いよ。それにね……陸が付き合った日のことを思い出す度に、ボクを振ったことも思い出されるのが辛いんだ。普通にボクが辛いっていうのもあるけど、ボクの告白が陸にとって良い日になるである今日を邪魔してしまう事が辛いよ。せっかくなら今日という日を好きな人たちにとっての最高の1日にさせてあげたいじゃん」
「好きな人たち?」
「うん。ボクは陸だけじゃなくて、瑞稀君のことも好きだから」
どこぞの誰かさんと同じでね。と、楓はそう付け足してはにかむように笑った。
「貴女の言い分も私には分かるわ……でも、貴女は告白しなかったことを本当に後悔しないの?」
「多分するよ。……いや、絶対にする。だけどね、それでもいいんだ。好きな人の特別になれなくて、たとえその他大勢であったとしても、今みたいな関係がずっと続くのならボクはそれはそれで満足だよ」
楓の表情はいつになく真剣なものだった。
大きな瞳は目の前にいる私だけを捉えている。
楓は唇をほんの一瞬軽く噛み締めると、口を少し開いて息を吸った。
「だから、ボクは絶対に告白しない」
その声は普段よりもやや大きく、力強かった。
それにしても、絶対……か。
楓はその言葉を自分の意志の固さを示すためにあえて使ったのかもしれない。
もう私が何を言っても楓の気持ちを変えることは出来ないだろう。
「分かったわ。もう私はこれ以上この事については言及しない」
私が諦めてそう言うと、楓は「ありがとう」と言って微笑んだ。
それは優しさのある、温かな笑みだった。
いかし、私はやはりその笑みに、どこか寂しさを感じたのだった。
私は見ていた携帯電話を小物入れにしまい、駅前広場の椅子に腰を下ろす。
さあって、どうしたものか。待ち合わせ時間の30分も前なのに、待ち合わせ場所に着いてしまった。
隣街に足を運ぶことなんてあまりないし、慣れない浴衣で出歩くからとかなり早い時間に家に出たのは失敗だったかもしれない。
なんだか、今日の花火大会を凄く楽しみにして浮かれているみたいで恥ずかしい。
いや、本当に楽しみにはしているんだけれどね。大人数で祭りに行くことなんて今まで無かったし、それに浴衣を着るのも初めてだし。
そんな誰かに聞かせるわけでもない言い訳をして、私は椅子から立ち上がる。
軽く休憩も出来たことだし、みんなが来るまでの時間はまだあるから、駅の周りを軽く散策してみよう。
そう思い、数歩ほど足を歩ませた時だった。
「紅葉君」
不意に名前を呼ばれ、私は足を止めた。
私のことを君付けで呼ぶ人なんて1人しか思い当たらない。
声がした方を振り返ると、そこにはやはり楓がいた。
彼女は「やっほー」と言いながら上げた右手をひらひらとさせている。
「ねぇ、早すぎない? まだ30分前だよ?」
「そういう貴女もね」
「むぅ……それを言われると何も言えなくなっちゃうなぁ。あれ?」
楓は何かを探すように辺りを見渡す。
「てっきり瑞稀君と2人で来るものだと思っていたんだけれど、今日は別々なんだね」
「浴衣の着付けに手間取っているみたいで、待ち合わせの時間に遅れそうだから先に行ってって連絡があったのよ」
「あぁ、そういうこと。ところで、その浴衣似合ってる。それに今日は髪も結んでいるんだね」
「ありがとう。浴衣を着る機会なんて滅多にないし髪型もいつもと違う感じにしたらどう?ってお母さんがね。貴女は浴衣じゃないのね」
楓はデニムのワイドパンツに白のポロシャツという、休日の彼女がよくしている服装だった。
私たちは各自が好きな服装で来れるようにどの服装で来るかを伝えておらず、私は瑞稀が浴衣で来ることだけを把握していた。
「ボクは浴衣を持ってないから。レンタルも考えてはいたんだけど、やっぱり慣れている服装がいいかなって思ってさ。立ち話もなんだし、みんなが来るまで椅子に座って話さない?」
そう言って楓は、私がさっきまで座っていた椅子を指差した。
私はそれに対して「そうね。そうしましょう」と応え、私たちは椅子にへと座った。
椅子に座ってからみんなが来るのを待っている間、私たちはたわいもない会話を繰り返した。
他の誰が浴衣を着てくるのかを予想したり、屋台で何を買って食べようかを話したり。
そして、その一つの話題が終わる度に私たちの間には必ず沈黙の時間があった。
それはたんに次の話題を考えている時間ではなく、話したいことを切り出そうかどうかを迷っている時間だった。
しかもどうやらそれは私だけではなく隣に座っている楓もまた同じだったようで、彼女は何かを言いかけては言葉を飲み込むように神妙な面持ちで下を向いて、というのを何度も何度も繰り返していた。
次第に会話と会話との間の沈黙の時間は長くなっていき、そして今、私たちはその迷っている時間の最中にいる。
今の時刻は17時19分。
きっと、もうそろそろで他の誰かが来る。
他の誰かが来てしまえば、私が楓に話そうとしていることは話せなくなってしまう。
「あのさ」
そう言って会話の切り口を切ったのは私……ではなく楓だった。
「6月に紅葉君がD組の男の子と付き合っているって話を聞いた時さ、君は本当に好きだった人には何もせずに、他に好きな人を作ることによって自分の気持ちから逃げたんだと思ってた。でもそれは違っていて、紅葉君はちゃんと陸に告白して……って、なんだかまどろっこしいね。単刀直入に言わせてもらうと、ボクは君のことを尊敬してるんだ」
楓は私の顔を見ずに前を向いたまま言った。
その彼女の頬は少し赤に染まっている。
私もまさか「尊敬している」なんて言葉を言われると思っていなかったから顔が熱い。
「ちょっと、いきなりどうしたのよ。それに尊敬されるようなことなんて何もしてないわ。告白しようと決意して告白したわけじゃないの。勉強会の帰りに貴女と話して、色々な感情がごちゃ混ぜになって、それで勢いのまま告白しただけ」
楓は私が銘雪に告白したことを知っていても、『2回』も告白したという事実は知らない。
銘雪への2回目の告白は自分の気持ちに整理が付き、もう一度振られることになったとしても、それでもちゃんと気持ちを伝えたいという覚悟の上での告白だった。
しかし、1回目はそうじゃない。先に私が言った通りだ。
その1回目がなければ、きっと私は2回も告白してないだろうし、ちゃんとした自分の気持ちを伝えることも永遠になかっただろう。
1回目の告白。あれが始まりだった。
だから私は楓にああ言った。
「たとえ勢いでの告白だったとしても、告白したことには変わらないよ。ボクはどんなことがあったって出来やしないもん」
そう言って楓は寂しそうに笑った。
諦めともとれるような、自嘲ともとれるような笑みだった。
「瑞稀が……今日告白するそうよ」
気がついた時には私はその言葉を口にしていた。
それは私が言おうかどうしようかずっと迷っていた言葉だった。
きっと言わない方がいい。そんなことぐらい分かっていた。
それでも私はこのことを楓に伝えたかった。
「そうか……やっとなんだね」
楓は一瞬だけ口を半開きにして固まったが、すぐにそう言うと再び笑った。
先ほどの笑みとは違い、ぎこちない笑顔だった。
それは平然を装おうとしている楓の隠しきれない動揺を物語っていた。
「貴女は告白しないの?」
私がそう言った途端に楓から笑みは消えた。
何を言っているのか理解できない。そう言いたげな表情を彼女はしていた。
言った私自身でさえ、何を言っているんだろう、なんて思ってる。
楓があんな顔をするのも無理もない話だった。
親友が告白する日であることを知っていながら、他の人にも告白しないの?と促すなんてとても最低な行為だ。
しかも告白しようとしている相手は同一人物。
最低にも程がある。
「紅葉君は酷いなぁ。大切な友達が告白しようとしているのに、他の人もけしかけようとするなんてさ」
楓はしばらくの間を置いてから、困った顔をして言った。
ああ全く、彼女の言う通りだ。
私が伝えようと思っていたことは、瑞稀が今日告白するという情報だけ。
さっきのはつい魔が差して言ってしまっただけの言葉。
冗談よ。と言ってしまえばそれで終わる話。
きっと楓も流してくれるはず。
「っ……」
どうしてか、冗談とは言えなかった。
喉の奥が蓋をされてしまったかのように言葉が出ない。
……いや、どうしてか、なんて嘘だ。実際のところは分かってる。
さっきのは本当につい魔が差してしまっただけ? ――ううん。そうじゃない。
どうして私は瑞稀が告白することを楓に伝えた? ――本当は伝えることが目的ではなかった。伝えることは目的の通過点に過ぎない。瑞稀が告白することを伝えた上で、楓が銘雪に告白するかどうかを私は聞きたかったのだ。
瑞稀が銘雪に告白をして2人が付き合ったら、楓の恋は終わってしまう。告白をしないまま、気持ちを伝えないまま。そして、後悔を残したままで……。
告白した私だからこそ分かることがある。たとえ振られてしまっても、告白をすることによって得られるものはあると。
だから私は瑞稀と銘雪の2人が付き合う前に、楓に告白して欲しかった。
好きという感情を相手に一生伝えないままで終わらせることは勿体なく、とても辛いことだと思う。
それはきっと私だけのエゴで、楓にとっては大きなお節介かもしれない。
けれど私はそのエゴを押し通したかった。
瑞稀と銘雪の2人が付き合ったことを知った時、自分の恋の終わりを自覚した楓は、きっと寂しそうに笑うのだろう。さっき私に見せた、あの時と同じ表情で。
私は楓のそんな表情を見たくはないし、して欲しくもない。
だって私は――
「もう一度聞くわ。貴女は本当に告白しないままでいいの?」
私はわざと少しだけ言い方を変えた。
「あのさ……紅葉君は自分が何を言っているのか分かってる?」
「分かってるわよ」
「分かってないよ! 紅葉君は2人の邪魔をしたいの? 瑞稀君も陸も君にとっては大切な友達だろ! ボクのことなんか放っておいてよ!」
楓は怒りを露わにし、それでいて辛そうな顔をして言った。
私はいったいどんな顔をして楓のことを見ていたのだろう。
楓はハッと我に返ったかのような顔をすると「怒鳴っちゃて、ごめん……」と言って気まずそうに顔を逸らした。
「放っておくなんて、そんなの無理よ」
私は楓の左手の上に自分の右手を重ね合わせ、再び顔をこちらに向けさせる。
嘘じゃない気持ちをちゃんと楓に分かって貰いたかったから。
私は楓と交わった視線を逸らさないし、逸らさせまいと強く彼女の瞳を見つめる。
「だって私は貴女のことも大切な友達だと思っているから」
私がそう言った直後、楓はありえないことが起きたかのような顔で固まった。
瞳が動揺で揺れ、湧き上がった涙が彼女の目を潤ませる。
そしてすぐに、それらの涙が両方の目からぽろぽろと流れ落ちた。
「ちょ、ちょっと泣かないでよ。私に大切な友達だと思われていたのがそんなに嫌だったかしら。まあ、今までこうして2人で会話することなんてあまりなかったし、いきなりそんなこと言われてもってなっちゃうのは分かるけど……」
まさか楓が泣いてしまうなんて思っていなかったから、私は戸惑ってしまってあたふたとなりながら彼女を宥める。
それにしても、泣くほどにショックだったのか……なんだか傷付くわね……。
そう思った瞬間、楓の顔が滲んでボヤけた。
まずい。私も泣いてしまいそう。
「待って待って、誤解だから。嫌だなんて思ってないから。だから、紅葉君まで泣きそうになるのはやめてよ。紅葉君にそう思われているなんて思ってなくて驚いちゃっただけで……あー、もう! 目の周りが赤くなっちゃってたらどうしてくれんのさ! もうそろそろでみんなが来ちゃうかもなのに!」
そう言って楓は手で自分の目元を擦った。
私も同じように自分の目を擦る。
「誰かが来て今の私たちを見たら変な誤解をされてしまいそうね」
「本当だよ。2人とも泣いてるし、喧嘩したのかもって思われちゃうかも」
「まあ、あながち間違いではないと思うけどね」
「そんなことないよ。ボクたちは喧嘩なんてしてないし、ボクが泣いているのだって紅葉君に大切な友達だと思われていたのが嬉しすぎて感極まって泣いちゃっただけだから」
「……それ本当?」
「本当だよ。紅葉君は疑い深いなぁ。大切な友達が言うことを信じられないの?」
「うっ……」
何も言えなくなってしまった私を見て、楓は笑った。
そして彼女は一頻り笑い終えると、椅子の背に背中をもたれさせて、空を見上げながら一息吐いた。
拭い切れていなかった目の周りの涙が夕日の光に照らされ、キラキラと光っていて綺麗だった。
そのまま楓はしばらくの間、何かを考え込む様な表情で空を眺めていたが、急に「うん」と言って頷くと、彼女は私の方を向いた。
「紅葉君の気持ちは分かったけどさ。それでもやっぱりボクは告白しないよ」
楓にそう言われ、私は自分が聞いたことをすっかり忘れてしまっていた事に気付く。
多分楓はそれに気付いていたと思うし、彼女からしてみればあの流れのままに話を終わらしてしまっても良かったかもしれないのに、それでも楓はわざわざ答えてくれた。
「付き合えない、断られるって分かっているのに告白する意味なんてボクには無いと思うんだ。ただ傷つきにいくだけ。それって虚しくない?」
「私も告白する前はそう思っていたわ。でも、告白をして得たものはちゃんとあった。それが貴女にもあるかどうかは分からないけど……」
「紅葉君が言うように、実際に告白してみないと分からないことがあるかもしれない。でもそれ以上に傷つくことが怖いよ。それにね……陸が付き合った日のことを思い出す度に、ボクを振ったことも思い出されるのが辛いんだ。普通にボクが辛いっていうのもあるけど、ボクの告白が陸にとって良い日になるである今日を邪魔してしまう事が辛いよ。せっかくなら今日という日を好きな人たちにとっての最高の1日にさせてあげたいじゃん」
「好きな人たち?」
「うん。ボクは陸だけじゃなくて、瑞稀君のことも好きだから」
どこぞの誰かさんと同じでね。と、楓はそう付け足してはにかむように笑った。
「貴女の言い分も私には分かるわ……でも、貴女は告白しなかったことを本当に後悔しないの?」
「多分するよ。……いや、絶対にする。だけどね、それでもいいんだ。好きな人の特別になれなくて、たとえその他大勢であったとしても、今みたいな関係がずっと続くのならボクはそれはそれで満足だよ」
楓の表情はいつになく真剣なものだった。
大きな瞳は目の前にいる私だけを捉えている。
楓は唇をほんの一瞬軽く噛み締めると、口を少し開いて息を吸った。
「だから、ボクは絶対に告白しない」
その声は普段よりもやや大きく、力強かった。
それにしても、絶対……か。
楓はその言葉を自分の意志の固さを示すためにあえて使ったのかもしれない。
もう私が何を言っても楓の気持ちを変えることは出来ないだろう。
「分かったわ。もう私はこれ以上この事については言及しない」
私が諦めてそう言うと、楓は「ありがとう」と言って微笑んだ。
それは優しさのある、温かな笑みだった。
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