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8月編

84話 その他大勢と特別

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 テーマパークの入口を思わせるかのような大きなアーケード商店街。
 そこは平日の昼前だというのに、沢山の人で賑わっていた。
 この商店街はこの街の有名観光スポットで、3つの商店街で構成されており、南口の端は総合公園に繋がっている……らしい。
 目の前に広げている、駅で取った街の紹介パンフレットにはそう書かれていた。
 今、僕と楓はその商店街の東口にいる。
 パンフレットには他にも色々な観光地が載ってあったが、お寺やら庭園やら博物館やらと、今日知り合ったばかりの女の子と2人で行くのはどうかと思うような場所ばかりだったので、色々な店が集中しているであろう商店街を僕は選んだのだった。
 駅から徒歩1時間と中々の距離だったが、ここを選んだのはどうやら正解だったようで、隣にいる楓は物珍しそうに周りを見渡しながら目を輝かせている。

「ねぇねぇ。どこから行くの?」

 楽しみを隠しきれていない弾んだ声で楓はそう言うと僕の方を向いた。

「んー……そうだな……」

 僕は顎に手を添えて、わざとらしく考えるポーズをとりながら頭を悩ませる。
 駅から商店街に行くと決めてここに来るまでの間、商店街に着いてからどこに行こうか色々と考えはしたのだが、最後までここぞという場所が思い浮かぶことはなかった。
 なんせ、普段友達と遊ぶ時は外で体を動かして遊んだり家でゲームをしたりなどばかりで、こういった買い物をするような場所には来たことがない。
 しかも今日は男友達とかではなく女の子と2人っきりであって…………あれ? 待てよ……女の子と2人っきりということは、これっていわゆるデートみたいなものなのでは?
 楓と出会ってから今までの間に気付かなかったことを、何故かこの今になって気付き、僕の心に動揺が芽吹いた。
 これから行くところを考えないとならないというのに、それをそっちのけにして動揺が僕の脳内を侵食していく。
 …………いや、待て。落ち着け。
 電車で妊婦さんに席を譲ったあの時、彼女に僕と楓が恋人関係だと思われている事に僕は勘付いたが、その時は何も思わなかった筈だ。
 それにここに来るまでの間、僕は楓と普通に接することが出来ていただろ。
 それなのに、この状況がデートぽいなってちょっと思っただけで、挙動不審になったりあたふたしたりするのは自分のことながら気持ち悪い。
 今まで通り普通に接したらいいんだ。
 どうせ楓はこれがデートぽいだなんて、これっぽっちも思ってはいない。
 僕だけが変に意識してしまっているだけ。
 そう、これは単なる1人相撲。
 考えるだけ馬鹿な話。
 そうは自分に言い聞かせるものの…………やっぱりダメだった。
 一度ああいった事を意識してしまった以上、心に落ち着きが戻ってくることはなかった。
 まぁ……妊婦さんの時は彼女に席を譲る事に頭が一杯一杯になっててそれどころじゃなかっただけだし、商店街に来るまで楓と普通に接することが出来たのも、全然知らない初めての街で地図だけを頼りに目的地に着くか不安だったり、着いてからどうしようかと考えたりしていて、あんなことを考えるだけの余地がなかっただけであって……あぁ、そうか。
 僕は今になって、どうしてこの状況がデートぽいとあの時に気付いてしまったのか、分かった気がした。
 とりあえずの目的地に無事辿り着いた事により、浮ついたことを考えることが出来るくらいの余裕が心に生まれてしまったのだ。
 その余裕も今では見る影もないが……。
 
「どうしたんだい?」

「うわっ⁈」

 突然下から覗き込むように楓が顔を近付けてきて、僕は驚きのあまり、声を上げて体を仰け反らしてしまった。
 まさか僕がそんな反応をすると思いもしてなかったのか、楓も「ひゃっ⁈」という声を上げて僕から少しばかり距離をとる。

「びっくりしたぁ……」

「そ、それはこっちのセリフだ! なんなんだよ⁈ いきなり顔を近付けてきて!」

 僕の心臓は破裂しそうなくらい、バクバクと早いスピードで鼓動している。
 そんな状態のせいもあってか、つい大きな声が出てしまった。

「いやぁ、すごく悩んでる顔してるなぁって思って見ていたら急に顔つきが険しくなったからさ。何かあったのかと心配して声をかけたんだけど……驚かせてごめんね」

「うっ……」

 楓のしゅんとした、しおらしい様子に心が痛んだ。
 楓は別に何も悪くない。それどころか心配して声をかけてくれたというのに、さっきの僕の態度はあんまりでないだろうか。
 ……あの距離感は流石にどうかと思うが。

「こっちこそごめん。どこに行こうか考えるのに集中し過ぎてて……びっくりして大声が出ちゃっただけで、怒ったわけじゃないんだ。そう、さっきのはつい反射的に――」

 僕がそこまで言った時だった。
 楓は「ふっ」と空気を吐き出した。
 僕は喋っている途中だったが、次に出そうとしていた言葉の代わりに「へ?」という間の抜けた声が出て、その後に言葉が続く事はなかった。
 きっと顔の方もとんでもない間抜け面を晒していたに違いない。
 楓はとうとう声を出して笑った。

「な、なんだよ……」
 
「ごめんごめん。やっぱりヤンキー君は優しいし、真面目だなって思ってさ。私は全然気にしてないから大丈夫だよ」

 楓にそう言われて、あたふたと言い訳を並べていた先程の自分を思い返し、顔が熱くなる。
 
「それじゃ。何があってあんな険しい顔をしてたのか聞かせて貰おっか」

 楓はひとしきり笑い終えると、真面目な表情をして言った。
 その言葉で僕は、すっかり頭から抜け落ちていた事を無理やり拾い上げさせられた。
 一旦引いた波が更に大きいものとなって帰ってくるように、あの時よりも激しい動揺が僕を揺さぶる。

「なんでもないなんでもない! さっきも言ったけど、これからどこに行こうか迷っていただけであって他には何も考えてない! 本当に何も考えてないから!」

 僕は早口でそれを言い切る。
 僕があの時思った事は、楓に真面目な表情をさせているのが申し訳ないと思うくらい馬鹿馬鹿しいことであり、口に出して説明するのはとても恥ずかしいことだ。
 これ以上詮索しようとするのはやめてくれ、と心の内で悲鳴を上げる。

「えー、嘘だぁ。あれは絶対に別の事を考えてる顔だったよ」

 だけど僕の気持ちなんてつゆとも知らない楓は詮索する事を止めない。

「本当だって。信じてくれよ……」

 僕は懇願するような声を出し、手を合わして頼み込む。

「ふぅーん……そこまで言うならこれ以上は聞かない事にするけど……」

 腑に落ちない、そんな顔をしながらも楓は前を向いた。がしかし、またすぐに僕の方にへと向きを変える。

「あれ? でも、そんなにも行くところに悩むってことは…………あ、さては」

 楓は悪戯でも思いついた子どものような笑みを浮かべた。
 まさか、ギクッ、なんて漫画や小説などの物語の中でしか見ないような声を心の中で本当に言う日が来るとは思わなかった。
 男女2人で遊ぶこの状況がデートぽいと僕が思っていた事に楓は気付いてしまった訳じゃない。
 彼女はきっと違う事に気付いてしまった。

「ヤンキー君、女の子と遊んだ事がないんでしょ」

「なっ、は、はぁ⁈ あ、遊んだことぐらいあるし⁈ なんなら付き合ったこともありますけど⁈」

 予想していた楓の言葉に、僕は間髪入れずすぐに答えた。
 平静を装う事を忘れて。
 しかも、余計な見栄まで張ってしまうおまけ付き。
 僕は産まれてこのかた、彼女なんて出来た事がない。
 年齢イコール彼女いない歴だ。
 女の子と遊んだことがあるというのは事実だが、小学校低学年とかそれぐらい昔の話だった。 

「ヤンキー君は本当に分かりやすいよね。凄く取り乱してるし絶対に嘘でしょ」

 楓はニマニマと笑う。
 もし僕が逆の立場だったとしても、さっきの反応を見れば絶対に嘘だと思うだろう。
 あの動揺っぷりを誤魔化せる上手い言い訳を探すも……僕のお堅い頭ではそんなものなど出てくるわけがなかった。

「この話はもう終わりだ」
 
 僕は話を切り上げるという、考えうる限り最悪の選択を取ってしまった。
 そして、行くところも決まってないのに僕の足は勝手に進み始めた。
 楓は「あっ、待ってよ」と言い、僕の少し斜め後ろを遅れて付いて来る。
 僕達はそのまま無言で歩き続ける。
 何か話した方がいい。それを理解はしているのに話す内容が見つからない。
 やっぱりあの時にデートぽいとか変な事を意識してしまったせいだ。
 しばらく無言で歩いていると、楓が突然歩くのをやめて「ねぇ」と言った。
 僕も立ち止まって、楓の方を振り返る。

「もしかして怒ってるかい?」

「え? 怒ってないけど……なんで?」

「だって……ずっと黙ってるから……」

 楓はそこまで言って僕から目を逸らし、落ち込んでいるような、反省しているともとれるような顔をした。
 どうやら楓は、僕が1人で勝手にドギマギして喋れなくなっているのを気分を害して喋らなくなったと誤解いしてるらしい。
 話を切り上げたことで僕の吐いた嘘を楓は絶対に信じないんだろうなという心配はすれど、そっちの方はこれっぽっちも頭が回っていなかった。

「黙っていたのは……その……」

 僕は言葉を詰まらせる。
 楓の誤解を早く解きたいとは思いつつも、次に出す言葉はまだ見つかっていない。
 ……いや、違う。見つかっていないわけじゃない。
 ただのしょうもない自尊心が出そうとしていた言葉を詰まらせただけ。

「緊張しているからだ」

 僕は今の感情を正直に口に出した。
 その言葉に楓は訝し気な顔をして首を傾げる。

「緊張って……え? どうして?」

「そりゃあ、女の子と2人っきりで遊ぶのはやっぱり緊張するというかなんというか……」

 僕はしどろもどろになりながら応えた。
 もうここまで言ってしまえば、女の子と遊び慣れていないと白状しているようなもの。
 それでも僕は、この重苦しい空気をどうにかできるのなら自分のしょうもない自尊心がどうなろうがどうでも良かった。
 というよりも、こんな空気になっている元々の原因は僕にあるので、受けるべき報いをただ受けた訳であって……。
 まぁ、なんにせよこれで誤解は解けた筈。そう思っていたのだが……目の前にいる楓は未だ納得してない顔をしていた。

「それはおかしいよ。ヤンキー君は女の子と交際経験があるんだよね?」

 どうやら楓はなんだかんだ言いながらも僕の嘘を信じてくれているらしい。
 いや、僕が怒っていると思ったから信じてくれたのだろうか。

「それに商店街に来るまでは私と普通に喋ってたじゃん。適当な理由をでっち上げて誤魔化そうとしていないかい?」

 楓はついでにごもっともな意見まで付け足してきた。
 本当は僕は女の子と付き合ったことなんて一度もない、と今の楓に言ってもきっと信じてはくれないだろう。

「ごめん。僕の言葉が足りなかった」

 そう言ってから僕は片手で自分の頭を抑え、楓から視線を少し外す。
 僕が緊張して楓と上手く話せなくなっている理由は大きく分けて2つあり、その内の1つを僕は言おうとしていた。
 しかし、それは口に出すのは気恥ずかしいもので、言おうか言わまいかという躊躇いが、その言葉を喉元でつっかえさせていた。
 理由の1つは今まで散々言ってた通り、僕自身が全然女の子と遊んだことがなくて女の子慣れしてない、というもの。
 そしてもう1つの、口に出そうかどうか躊躇っている方の理由は何かというと――楓が普通の顔立ちをした女の子ではなかった、というものだった。
 楓は可愛い方……いや、可愛いとはっきり言えるくらいに可愛いかった。
 ただでさえ僕はろくに女の子と遊んだことがない。そんな体たらくであるのに、緊張するなと言われるのは無理な話だった。
 それに……楓は似ていた。
 僕が小学生の頃からずっと片想いをしている相手に。
 性格や雰囲気は似ても似つかないが、ショートカットといい、背の高さといい、丸い大きな瞳といい、容姿の方は僕の好きな人と所々だが似ていた。
 中学から離れ離れになってしまった、今後会えるかどうかも分からない、今も想い続けている好きな人。
 僕は心の中のどこかで、その人と楓の姿を重ねていたのだ。

「また険しい顔して固まってるよ?」

 楓は僕の視線の先にわざわざ回り込んでから言った。
 距離の方は先ほど驚いてしまった僕の事を考慮してか、やや離れ気味で。

「ごめんごめん。足りなかった言葉が口に出すのが恥ずかしいものだったから……何か他に上手く言い換えられないかな、って考えてた」

「え? 口に出すのが恥ずかしいって……一体何を言うつもりなの?」

「あぁ、いや。大丈夫。そんな身構えるほどの言葉じゃないから。日常会話の中でも普通に出てくるような言葉なんだけど、ただ僕が恥ずかしいってだけで」

「ふぅーん、そうなんだ。で、その言葉を言い換えられそうなものは見つかった?」

「全然見つからない。たぶんこのまま探し続けても、語彙力のない僕じゃどうせ出てこないから、そのまま伝えるよ」 

 僕は軽く咳払いをして一呼吸の間を置き、その間に僅かながらに残っている躊躇いを振り払う。
 そして、そのまま楓の顔を真っ直ぐに見続けながら僕は言った。

「楓のこと、よく見たら可愛いなって思って……それで緊張してだな……」

 言ってから湧き上がる後悔。
 僕は楓からすぐに目を背けた。
 想像してた以上の羞恥が雪崩れ込むように僕を襲う。
 思えば女の子に可愛いと言ったのなんていつぶりだろうか。
 いや、もしかしたら女の子にあんな事を言うなんて、これが初めてかもしれない。
 なんにせよ、こんな恥ずかしい思いをするくらいなら、信じてくれないにしても本当は全然女の子と遊んだ事がないから緊張している、と白状した方がマシだった。
 それになんだよ。よく見たら可愛いって。失礼の塊か。
 僕が言葉を発してから1、2分は経とうとしている。
 次から次へと出て来る後悔に僕が苛まれている間、楓は一言も言葉を発していない。
 なんだか嫌な予感がして、良くない想像が瞬く間に頭の中を埋め尽くしていく。
 楓はなぜ何も言わないのだろう。
 あまりの気持ち悪さに言葉を失ってしまっているのか?
 それとも、この場をやり過ごすためにまた適当なでたら目を言っていると思って呆れているのか?
 あれ? ちょっと待って。まずちゃんと隣にいる? もしかして、いなくなってない?
 あまりの反応のなさに僕はとうとう楓の存在まで疑ってしまう。
 僕は楓がいるであろう方向に恐る恐る視線を戻す。
 僕の想像は全て外れていた。
 感情をどこかに置き去りにしてしまったのか、目の前にいる楓は口をポカンと開けて固まっている。
 まさに、何が起こったか分からない。そういった顔だった。

「楓……?」

 僕の呼び掛けに楓は我に帰ったようにハッとする。

「ああっ⁈ ごめん⁈ ぼっ……んんっ。私、可愛いとかそういうこと言われたの初めてで……っていうかそれこそおかしいじゃん⁈ 私たち出会ってから、かれこれ数時間は経ってるんだよ? なんで今さらそんな事を……あ! 分かった! また誤魔化すために適当なこと言ってるんでしょ! あーあっ、まいった。これはヤンキー君に一本取られたなぁ」

 楓は両手を上げて、降参するようなポーズをとり、やれやれといった様子で首を左右に振る。
 照れているのか顔は真っ赤だ。
 それを隠すために大袈裟なリアクションをとっておどけて見せていることは、どんなに鈍い僕でも分かった。
 ここで「あー、バレたかぁ」とでも言って、さっき僕が言った言葉をはぐらかしてしまうことが、きっと僕と楓にとっての正解だったのかもしれない。
 しかし、僕はそれを選ばなかった。

「僕は冗談やお世辞で『可愛い』なんて絶対に言わない」

 何故か少しだけムキになっている僕がいた。
 ほいほいとあんな恥ずかしい事を口にするような軽い男だとは思われたくなかったのかもしれない。
 言おうか言わまいか悩んだあの葛藤を意味の無いものにしたくなかったのかもしれない。
 誤魔化すためにあんな言葉を口にしたと思われたくなかったのかもしれない。
 ただ、確実に言えることは――楓にあの言葉が嘘だと思われたくなかった、ということだけ。

「どうして……そんなにも真っ直ぐな目をして言うの……」

 楓は瞳に今にも溢れ出してしまいそうなほど涙を溜めて、引きつったぎこちのない笑みを見せた。
 その表情に息が詰まる。
 
「ズルイよ……」

 振り絞って出すように楓は言った。
 今までの軽やかな明るい声からは想像出来ないほどに、重たくて暗い声だった。
 楓は下を向き、制服の袖で涙を拭う。
 なんで楓が泣いているのか僕には分からなかった。
 理由を聞こうにも、言葉が詰まって声が出せなかった。
 僕も楓のことを直視できなくなり、横に顔を向けた。
 気不味い雰囲気が僕達を包み込む。

「見てあれ」

「あら。何かあったのかしら」

「なんだなんだ? 喧嘩か?」

「女の子を泣かせるなんて酷い兄ちゃんだな」

 耳に届いたヒソヒソ話。
 気が付けば周りの視線が僕たちに集中していた。
 きっと周りの人たちは僕が何か酷いことを言って楓を泣かせたように思っているのだろう。
 いや、うん。僕が楓を泣かせた事に変わりはないけども……。

「楓」

「え? あ……」

 顔を上げた楓もどうやら周りの視線に気付いたようだ。

「とりあえず歩こうか……」

「そうだね……」

 僕達はこの場から逃げるようにいそいそと歩き始める。
 ……歩き始めてしばらく経っても、2人とも何も言わない。
 また無言が続いている。 
 思えば、今までの会話の話し始めはいつも楓がしてくれていた。
 だけど、さっきの事があってか楓が口を開く様子はない。
 僕から会話を切り出さない限り、きっとこの無言は続くだろう。
 僕は軽く咳払いをして、短く息を吸う。
 話すネタがなかった先ほどとは違い、楓に聞いてみたいと思う事が出来ていた。

「楓はその……どうなんだよ?」

「何が?」

「彼氏とかいないのか?」

 この質問にこれといった特別な意味はない。
 ただ純粋に興味があっただけ。 

「いないよ」

 楓はあっけからんと応えた。

「男友達さえ出来たことないし……なんなら男の子と遊んだことは一度もないね。小中どちらとも女子校で周りはいつも女の子だらけだったから。そういうの考えたことなくって」

 楓は歩く足を止めず、ただ前だけを見て淡々と話していく。
 それを聞いて僕が抱いた感想は……なんというか、意外だった。

「へぇ……でも、周りに男がいない環境で育ってきたって言う割に男慣れしているように見えるけど?」

 僕は今までの楓の様子からして、彼女は男の子と遊び慣れているものだと思っていた。
 楓は容姿は良いし、出会って数時間の僕が言うのもなんだが性格も悪くない。
 彼氏がいてもおかしくはないのに、彼氏が出来た事がないどころか男と一度も遊んだことがないなんて。

「あまりにも男の子に関心がないから、逆に意識せずにこうやって話せるのかもね」

「そういうものなのか……やっぱり女子校の女の子って男には興味がないもんなんだな」

 男子校の男は女の子に対しての耐性がなくなるとか、女の子に飢えるみたいなことはよく耳にするが、女子校の女の子の方でそういった話は耳にしない。
 偏見だとは分かっているが、女子校ってだけでお嬢様みたいな気品のあるイメージを僕は持っていた。
 しかし、そう勝手に1人でに納得しかけていた僕に対し、楓は首を横にへと振った。

「私だけが違うと思うよ。周りの子は他の学校の男の子と付き合ったり、休み時間や放課後に好きな異性のタイプとかの恋バナで盛り上がったりしてさ。私が『恋愛に興味ない』なんて言ったら、女の子なのに勿体ないって言われて……」

 今まで淡々と話していた楓の言葉はそこで止まった。
 横目で楓の様子を確認すると、彼女は俯きがちに陰りのある表情をしていた。
 どうしたのだろう?
 僕の口から心配の言葉が出るよりも先に楓は口を開いた。

「君も勿体ないと思うかい?」

 楓は淡い微笑みを僕に向ける。
 まるで、僕が今から出すであろう答えが分かっているかのような、そんな微笑み。
 きっと楓は今までにその質問を様々な人達にして、全員から同じ答えが返されてきたのだろう。
 そして僕もまた、その今までの『全員』の中の1人だと楓は勝手に決め付けているのだ。
 しかし、僕は楓のことを非難したりはしない。
 楓の質問に対する僕の答えは決まっていた。
 その答えはきっと楓の予想通りのものだ。
 だけど楓にどう思われようと、僕はその答えを変える気はさらさら無かった。 

「勿体ないかどうかは別として……僕は誰かを好きになったり、誰かと付き合ったりすることは良いことだと思うよ」

 僕のその答えに、楓は淡い笑みをそのままで「ほら、やっぱり」というふうに軽く息を吐く。

「どうして?」

 素っ気ない言葉だった。
 そこに感情は感じられない。
 あれはきっと常套句のようなもの。言わば、あの質問と先の言葉はセットなのだ。
 楓は僕が次に出す言葉を、どうせまたみんなと似たようなことを言うのだろうな、と思っているのかもしれない。
 そして僕もまた、みんながこれまで楓に言ってきたような言葉を今から口にするのだろう。
 それでも僕は、今から言おうとしている言葉を変えようとは思わない。
 僕は思っている事を、自分の恋愛観を、ありのまま口にする。

「その他大勢じゃない、血の繋がった家族や親友とはまた違った自分にとっての特別な人。誰かを好きになるってことは、これだけ沢山の人がいる中でその人を選ぶ、ってことだと僕は思うんだ。ちょっと重たい気もするけどな」

 僕は言い終わってから少し照れ臭くなって、それを誤魔化すために短く笑う。
 どうやら僕のあの言葉は楓が予想していたものと違ったらしく、彼女は眼を見開いて僕の事を見つめていた。
 楓の反応に自信がついた僕は更に言葉を続ける。

「自分が好きな人のことを強く想っているように、相手にも自分と同じ気持ちになって欲しい。自分にとっての特別な人の特別になりたい。だから告白をして、付き合って、一緒に過ごして行くうちに特別からかけがえの無い存在になっていって、そして結婚をして。不思議な話だよな。もし、何かが違っていれば、友達にすらならなくて、赤の他人のままで終わってしまっていたかもしれないのに。…………なんだろう。こう……上手くは言えないけどさ、そういうのって素敵だと思わない?」

 調子に乗りすぎた……。自分の恋愛観をまるでポエムのように連ねている事に途中から気付き、急な羞恥心に襲われた僕は言いたいことがまだまだあったのに、話を雑に終わらしてしまった。
 そんな僕の内心を見透かしているのか、楓はふふっと軽く笑った。

「締まらないなぁ」

 楓はそう言ってから僕の方を向くのをやめ、前を向いた。
 そして、眩しいものでも見るかのように目を細め、彼女は再び口を開く。

「でも、なんだか羨ましいなって思った。私は誰かのことをそんな風に想ったことがなかったからさ。いつか私もそう想える日が来るといいなぁ……」

 どこか遠くを見つめているような目だった。
 きっと、楓の目が捉えているのは目の前の景色ではなく、僕には見ることの出来ない彼女だけの未来だ。
 いつか楓にとって特別だと想えるような人が現れますように――。
 隣を歩く楓の横顔を見ながら僕は独り、心の中で静かにそう祈った。
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