余命1年から始めた恋物語

米屋 四季

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6.7月編

62話 見えていなかったもの

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 目が覚めるとそこは自分の家の布団の中だった。

 今まで見ていた夢は……僕の記憶だ……。
 僕は確かに……小学4年生の時にいじめを受けていた。
 
 今まで忘れていた記憶を思い出した事を理解し、僕は頭を抱えた。
 まだ分からないことだらけで混乱はしているものの、今まで繋がっていなかったものが繋がりつつあった。
 あの時助けた名前も知らない茶髪の女の子には僕がよく知っている人物の面影が確かにあった。
 あの時助けた少女が日光だったんだ……。
 林間学校の肝試しの時に日光が言っていた、小学校の時に僕が酷い目にあったというのは、あのいじめのことだろう。

 だが待てよ……。

 とある疑問が浮かび、僕は立ち上がる。
 僕は小学校の卒業アルバムを取り出し、日光を探した。
 しかし、全てのページを見ても日光の姿どころか名前さえ無かった。

 僕は日光と同じ小学校ではないと思っていたし、晴矢も林間学校の時に日光はいなかったと言っていた。
 しかし、あの時助けた茶髪の女の子は間違いなく日光だ。
 もしかして……あのあと引越しをして転校したのか?
 それとも――日光が神様なのか?

 僕は林間学校の帰りのバスでの出来事を思い出す。
 僕が神様はあの時の班員の中にいるのかと橘に聞いた時、橘はいないとは言わなかった。
 もし、仮に日光が神様だとしたら……それなら僕があの時の記憶が無いのも説明がつく。
 橘は神が僕に恩があると言っていたし、神と関わった記憶は消えるとも言っていた。
 ………………まぁ、いくらここで1人で考え込んだところで日光が神様かどうかは分かる訳が無い。
 それを確かめるには橘に確認するしか他に方法は無いだろう。

 僕は小学校の卒業アルバムを元の場所にしまい、橘と話をするために自分の部屋から出ようとした。
 しかし、ドアノブに手をかける寸前で新たな疑問が頭に浮かび、その手は止まった。
 
 そういえばあの後、僕はどうなったんだ?

 僕は小学校4年生の頃にいじめを受けていたという記憶は確かに戻った。
 そう……いじめられていたという記憶だけしか戻っていないのだ。
 あの後に僕へのいじめが無くなったのかが、いまだに思い出せていない。

 どうして僕へのいじめが無くなったんだ?

 僕は他の人に頼る気なんてなかったし、僕1人の力であれを解決する力なんてどこにも無いことなど当然理解している。
 じゃあ、あいつらが僕をいじめるのに飽きて自然消滅したのか?
 いや、それは無い。
 だって、僕がいじめられていた事を晴矢が知っていたのだ。
 もし、自然消滅したのなら僕は自分がいじめられていた事を誰にも言うはずがないので、晴矢が知っているのはおかしい。
 晴矢が知っているという事はあの後に何かがあったのだ。
 僕の知らない何かが……。
 僕はまだ……あの時の出来事の全てを思い出せてはいない――

「やっと起きましたか……疲れが溜まってたのもあってかだいぶ長い間眠っていましたね」

 目の前のドアが開き入ってきた橘は、ドアの前で固まっている僕を見るとすぐにそう言った。
 壁に掛かっている時計を見ると針は16時40分を指していた。

 ……ん? 16時40分?
 確か学校が終わったのが16時くらいで、その後は晴矢とプリントを運ぶのを手伝ったり、体調が悪かったからふらふらとゆっくり帰ったりで…………まさか……。
 
「橘……もしかして僕って……」

「えぇ、お察しの通り丸2日眠っていましたよ」

「は……? 2日⁈ 待て待て待て待て待て待て! 全然お察しの通りじゃないっ! 今日は土曜日じゃないのか⁈」

「日曜日ですけど?」

 橘の言葉を聞き、せっかくの休みを寝て潰してしまったという後悔が雪崩のように押し寄せてきて、僕は頭を抱え込み項垂れた。
 もしかして、橘の冗談なのでは? と一瞬微かな期待を持って携帯電話で確認するも、ただ現実を突きつけられただけだった。

「ところで……気分の方はどうですか?」

 頭を抱えて落ちこんでいる僕に対し、橘は心配そうな顔をしながらそう尋ねた。

 丸2日も眠っていたためか、頭痛や吐き気、足の重みなどは一切なくなっていた。
 体調の方でいうと万全の状態だ。
 ここ最近の中で1番良いかもしれない。
 しかし、それでも今の気分は……。

「そんなの……最悪に決まっている……」

 僕は橘から目を逸らして答えた。
 体調は良くなっているがその言葉は嘘ではない。
 そして、今の気分が最悪なのは休みを潰してしまったからではなく、記憶が戻ったからだ。

 僕は小学4年生の頃にいじめられていた……しかし、そんなことはもはや今更のことであって、僕の気分が悪い本当の訳は――

『ずっと悩み続けてたのが本当……馬鹿みたい』

「あぁ……本当に最悪だ……」

 肝試しの時の日光の言葉を思い出し、僕は呟くように言った。

 日光はあの時の事をずっと覚えていたのだ。
 自分のせいで僕がいじめられていたと、あの日から今までの6年間、ずっと悩み続けていた。
 そんな彼女に対し僕はなんて言った?
 それは別人だ。人違いなんじゃないか?
 あぁ、本当に最悪だ。

「くそっ……」

 突然涙が込み上げてきたので、僕は急いで目を手で覆った。
 自分のやった事がどれだけのことだったのかをやっと今理解した自分の愚かさが……あの肝試しの時に日光が見せた少し寂しげな表情の意味が、僕の胸を強く締め付けた。

『君のその中身のない空っぽの優しさはいつか誰かを傷付けるだろうね』

 そんないつかの大地の言葉が脳内に響き渡った。

 ……あぁ、その通りだ。
 結局、僕の優しさなんて……。

「陸さん……」
 
 橘に呼ばれ、僕はハッと我に返った。
 目を覆っていた手を退け橘の方を見ると、不安げな顔をしながら僕を見つめる橘がそこにいた。

「大丈夫ですか……?」

「あぁ、大丈夫…………なぁ、日光が神様なのか?」

 僕は橘の心配に答えつつ、自分が今1番彼女に聞きたかった事を聞いた。

「ぶっぷー。大ハズレです」

 場を少しでも和まそうとしてか、橘は口元で小さなバッテンを作りながら戯けた調子でそう言った。
 しかし、そんな橘を見て、僕は乾いた笑いしか出てこなかった。

「そうか……ただ、僕が忘れていただけか……」

 冷静になって考えてみれば、大地も瑞稀さんも中学校で日光と一緒に過ごした記憶があった。
 日光が神様だったとして、僕の記憶だけがないのはおかしい。
 つまり、日光が神様ではないという事など考えるまでもなかったのだ。
 それなのに僕は、自分がただ忘れていただけの事を、日光が神様だったから記憶が消えていた、という自分に都合のいい展開を期待していて……。
 僕は本当に……心の底からどうしようもない奴だった。

「紅葉さんは神様ではありません。しかし、あの出来事に神様が関わっていたのも事実です」

 橘にそう言われてすぐに僕は驚きを隠せないまま彼女の方を向いた。
 橘はそんな僕に対して少し微笑みながら続けてこう言った。

「記憶が消えていたのはそのせいですよ」
 
 僕は橘から視線を逸らしてあの時の記憶を辿る。

 あの出来事に神様が関わっていた?
 どこに? 誰が?
 まさか僕を虐めていたあいつらの中の誰かが……いや、絶対にそれはない。
 神様は僕に恩がある……だが、僕があの時助けたのは日光だけだ。
 ということはまだ思い出せていない記憶に何か神様と関係のあることが……。
 あぁ、駄目だ。何も思い出せない。

 僕は1度ため息を吐き、部屋に掛けてある薄手のパーカーを羽織った。

「どこに行くんですか?」

「…………気分転換をしにちょっと散歩に」

 僕はドアの前に立っている橘の横を通り、部屋を出た。
 一階に降り、外に出るため僕は靴を履く。

「陸さん……」

 玄関で靴を履いていると、橘が僕の名前を呼んだ。

「どうした?」

 僕は振り向かずに言った。

「また……迷っていますか?」

 橘は静かにそう言った。
 その彼女の言葉は疑問形でありながらも確信があった。

「迷ってるって……何に?」

 僕は橘の言葉に内心驚きつつも、彼女の方を振り向かず、また、平静を装って言った。

「はぁ……本当は分かっているくせに……自分がやっている事が正しいかどうか、です」

 橘は呆れたような、やれやれといった口調で僕に言った。

「……あぁ、分かってた。でも、それに対する僕の応えも、橘……お前なら聞かなくても分かるだろ?」

「えぇ、そうですね……まぁ、正直な話しをしますと、何があってそんな事を悩んでいるのかは知りませんし、陸さんの生き方が正しいかどうかなんて私には分かりません。ただ、今の陸さんに言いたいことは……」

 橘は一旦そこで言葉を区切り、少し間を空けてから口を開いた。

「もっと周りを見てください。陸さんは1つのことに対して執着しすぎて、それ以外の他のことが目に入らないことが多々あります。それが陸さんの悪いところであり、良いところでもあるのですが……」

 僕が橘の方を見ると、難しいところですね、と彼女はぼやきながら首を傾げて困った表情をしていた。
 きっと橘はもっと周りを頼れってことを僕に伝えたかったのだろう。
 しかし、僕はまだ――

「大丈夫……」

「ん? 今何か言いましたか?」

「いいや、何も言ってない。それじゃあ行ってくる」

 つい出てしまった言葉を誤魔化し、僕はドアを開けた。
 なんとなく、橘の方をもう一度見ると、彼女は手を振りながら佇んでいた。
 橘はまだ何かを言いたそうな顔をしていたが……僕は何も言わずに外へ出た。




 陸さんが家を出て数秒後、私は深い、それはとっても深いため息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。
 本当は他にも言いたい事が山程あった。
 紅葉さんと何があって今みたいな他人行儀な関係になっているのか聞きたかったし、何があってまた人を助けることを迷っているのかも問いただしたかった。
 そして……苦しそうにもがいている彼に救いの手を差し伸べてあげたかった……。
 しかし、それは私がやるべき事ではない。
 彼を救うべき人は他にいる。

「本当……面倒な人ですね……それでも信じてますよ」

 私は閉じられたドアを見ながら微笑み、誰にも届かないであろう言葉を独り呟いた。




 家を出て数分、僕は特にこれといった目的もなく、ただ適当にぶらぶらと歩いていた。
 外の風に当たれば少しでも気が紛れるかと思っていたが、そうはいかなかった。
 逆に1人になってしまったことにより、頭の中に次から次へと様々な思いが湧き上がっていた。
 自分の生き方についての迷いや葛藤。
 そして、日光への罪悪感。
 僕は空を見上げ、気持ちを落ち着かせるために1度だけ大きな深呼吸をした。
 
 僕のあの頃の記憶は神様が関わっていたため消されていた。
 しかし、それでも僕が日光にやった事は許されることではない。
 僕に振られてから1週間足らずで大地と付き合った日光を見て、振った身でありながら日光が誰かと付き合っていることに関してどうこう言うのは馬鹿げている、と僕は思った。
 そして心のどこかで、その程度の気持ちだったのだと、日光を蔑んだ僕も確かにいた。
 だけどそれは間違いだった。
 日光は中学生の頃に好きな人がいるからと大地を2度振っている。
 その好きな人というのは僕の事だった。
 僕の今ある記憶の限りだと、日光とは小学校でのあの出来事の時にしか関わっていない。
 つまりは日光はあの時から今までの6年間、ずっと僕の事を好きでいてくれたのだ。
 それなのに僕は日光の気持ちを踏みににじるようなことを……。

 あぁ……何がその程度だ……。
 何が代わりが見つかって良かっただ……。
 悪いのは僕の方だったのに――

「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!」

 自分に対しての嫌悪感や日光に対する罪悪感がとうとう抑えきれなくなり、僕は叫びながら走り出した。
 纏わりつく色々な想いをこのまま振りほどけてしまえば、どれだけ楽になれただろう。
 走りながらそんな事を思った。
 しかし、どれだけ走ろうともそれらが離れていく事はなく、ぴったりと僕に纏わりついてきた。
 それでも僕はただひたすらに全力で走り続けた。
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