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4月編

10話 僕は自分のために生きる

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 まさか、高校に入学して2日目で保健室に来ることになろうとは……と保健の先生に頰へ湿布を貼ってもらいながら、僕はため息をついていた。

「こらっ、ため息なんかつかないの。幸せが逃げるわよ。ただでさえ階段から落ちるという不幸に見舞われているのに……」

 若い女性の保健の先生は、僕に消毒をしながら言う。
 そう、僕は不良に絡まれたことで問題になるのが嫌だったため、この怪我を階段から落ちたせいにしたのであった。

「はい、おしまい、っと……まったく、どういう落ち方をすればこんな怪我をするのかしら……」

「いやぁ、僕もどうしてこうなったのやら……」

 笑いながら僕は誤魔化す。
 体の方は何を言われるか分からないので、痛いけど隠した。
 僕は保健の先生に礼を言い、保健室から出る。

 結局、僕は朝のホームルームには間に合わなかった。
 いや、間に合うには間に合ったが、教室に入るなり、みんなから色々聞かれ、保健室に行く事を強要されたのだ。
 僕が保健室に入ったタイミングでホームルームの始まりを告げるチャイムがなり、怪我の事情を話したり消毒をしたりしているうちに、終わりのチャイムがなってしまった。
 まったく、今日はついてない。
 そんなことを思いながら、僕は1時間目の授業に遅れないようにするため、小走りで教室に急いだ。




 教室に帰ると、真っ先に橘が僕のもとに走り寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか……」

 その目には涙が浮かんでいる。

「たいしたことはないから、すぐに治るってさ」

 僕は心配をかけさせまいと笑いながら答えた。
 実際のところ、怪我の具合がどうなのかを聞いてないので本当はなんとも言えないし、体の方に至っては診てもらってないのだが……。

 「そ、そうですか。その――」

 橘が何かを言いかけている途中で1時間目の始まりを告げるチャイムがなった。

「また、次の休み時間に聞くよ」

「あ、できれば2人っきりでじっくり話したいので、昼休みに……」

 橘はそう言うと、自分の席に急いで戻って行った。




 午前中の授業が終わり、僕は屋上を目指して、1人で階段を上がっていた。
 橘と一緒に行くことで誤解される可能性があるため、橘には先に行ってもらっている。
 まぁ、また晴矢たちからの誘いを断るのに時間がかかったため僕があとになっただけなんだが。

 屋上に着くと橘がフェンスの近くで、僕が作った炒飯を食べながら座っていた。
 僕ら以外に人は居ないようだ。
 僕も橘の横に座り、炒飯が敷き詰められた弁当箱を開ける。
 いまさらながら、この弁当を見られても誤解される可能性があったことに気付き、屋上に他の人が居なくて良かったと安堵のため息をつく。
 まぁ、明日からメニューを変えて2つの弁当を作らないといけないから、更に早起きしないといけないという問題が発覚したが……今だけはその事を忘れよう。

「それで、話したいことってなんだ?」

 僕は幸せそうに口へ炒飯を運んでいる橘に話しかける。
 橘から笑顔が消え、真剣な表情へと変わる。

「今日の朝のことを含めて、昨日話せてなかったことを話そうかと……」

 今日の朝のこと?
 朝のことと言えば、不良にボコボコにされた……。

「あぁ、僕以外の人間に危害を加えれないってやつか」

 橘がこくりと頷く。

「神が人間に関与してはいけないように、私たち神の使いにも制限はあります。さすがに、陸さん以外の人とまったく関わりを持ってはいけないということはないのですが、人に危害だけは絶対に加えてはいけないのです」

「もし、人に危害を加えるとどうなる?」

「私はこの世界にいられなくなります。そして、陸さんの命もそこで終わりです。人に危害を加えないのを他の神と約束をして、私はこの世界にいるので」

 ……なるほど。他の神との約束もあって、僕を生かすことができているというわけか。

「僕に危害を加えることが出来るのは、僕が神に生かされているからだろ?」

「はい。もう言わば陸さんは神の所有物なので、なにをしてもオーケーです。なので、陸さんだけにあの例のメールを送ることができるし、殴ることもできるのです」

 橘は得意げに言っているが、そこは他の人と同じような感じでお願いしたかったな。

「そういえば、聞いてなかったが、他の人に僕の余命が一年と知られたり、橘が神の使いだということが他の人に知られたりしたらどうなる? その時点でアウトか?」

 僕はふと疑問に思ったことを言う。
 普通は昨日聞くことなのだろうが、余命の話や同棲の話ですっかり抜けていた。

「え? 全然大丈夫ですよ?」

 橘はキョトンとした顔でさらっと言う。

「……えっと、橘さん? 神の存在がバレてはいけないとかそういうのはないんですかい?」

「神を信じている人なんかこの世に沢山いますし、その点では大丈夫です。まぁ、今は言えませんが、あと一つだけ他の神様と約束ごとをしていて、それがもっとも関係しているといえばしてますね」

 なんだかよく分からないが、深く考えない方がいいのだろうか……。

「じゃあ、僕の寿命や橘のことをみんなに言いふらしても構わないってことか?」

「いいですけど……信じて貰えますかね?」

 ……確かに急に余命が一年だとか、神の使いだとか言ったところで、一昨日の僕がそうであったように、信じる奴はいないだろう。
 残りの寿命を厨二病キャラで通すのはかなりキツイものがある。

「あー、無理だな。ていうかお前がそれを言うのか……」

「私も一昨日のあれは、テンションが変に高かったためあんなことになってしまいましたが、一般常識は持っているのですよ?」

 カツアゲも知らないのに、よく一般常識を持っていると堂々と言えたなぁと思うが、口には出さない。
 そうかいそうかい、と適当に返し、弁当も食い終わったので、先に戻る準備を始める。

「じゃあ、先に教室に戻っとくぞ」

 僕は立ち上がり、階段の方に行こうとしたが、橘が「待って」と呼び止める。

「私が一番言いたかったことを言えていません……」

「なんだ? まだ他にあるのか?」

 橘の方を振り返ると、橘と目があった。
 橘は慌てて目をそらしながら、ドギマギしながら僕に言った。

「そ、その……陸さんは今日の朝のことを後悔していますか……?」

「…………あぁ、後悔している」

 橘の表情が一気に青ざめる。
 橘のためを思うなら、「別に」とか、「後悔してない」と言えば良かったのかもしれない。
 しかし、僕はそれらを言うことができなかった。

「抵抗も出来ないのに、ただ殴られにいっただけ。関わらなければ余計な怪我もしなかった。何か良いことがあったと言われても、何一つ良いことなんてない。ただただ、後悔しか残っていない」

 橘は下を向き、僕からはその表情は確認できない。
 しかし、それでいい。
 橘の今の表情を見ても、僕がただ傷つくだけだから……。

「無償で人を助ける? そこまで僕は人間ができてなんかいない。これといって、生に関心を持ってはいないが、残りの一年くらい、僕の自由に生きさせてくれ」

 僕はもう橘の方を見なかった。
 橘は僕のことをずっと見てきたと言っていた。
 なら、僕のあの出来事を知っているはずだ。
 橘は僕のためを思って行動してくれているのは分かっている。
 しかし、それは大きなお世話だ。

「……じゃあ、先に戻る」

 気まずい雰囲気の中、僕は屋上の出口に向かう。
 罪悪感を感じてはいるが、僕は橘の方を見ずに屋上から出た。
 しかし、階段を降りている僕は罪悪感とはまた違う何かを感じてた。




 午後の授業も終わり、僕は1人で下校をしていた。
 橘とはあれから一切話せず、こんな時に限って晴矢たちの誘いはなかったからだ。

 あいつは帰ってくるのだろうか……。
 あんなことを言ってしまい、今更ながらに少しだけ後悔している。
 本当に少しだけだが……。

 ふと気がつくと橘と初めて会った公園に来ていた。
 まぁ、だからといって何かするわけでもないのだが。
 家に帰るため歩き出そうとした時、公園の方から聞き覚えのある声がした。

「君可愛いね。俺らと今から遊ばない?」

 まさか、と思い公園の中を見る。
 しかし、僕の心配は杞憂に終わった。
 朝の不良3人組がいるが、絡まれているのは橘ではなかった。
 髪が茶色でロング、制服は僕が通う学校と同じものを着た女性。
 しかし、僕はその女生徒を見たことがある。
 確かあれは、同じクラスの……
 そうだ。日光 紅葉にっこう もみじだ。

「邪魔。お前らと遊んでる暇なんかない」

 日光はその場を立ち去ろうとしている。

「そんなこと言わずにさ? 楽しいことしようぜ? なぁ?」

 しかし、立ち去ろうとしている日光を金髪が遮る。

「耳が腐ってるの? 暇じゃないっていってるんだけど」

 少し離れているところから聞いているせいか、日光の声は震えているように聞こえる。

「あんまり手荒な真似はしたくないんだけどなぁ」

 金髪がそう言うと、他の2人が日光を囲むように移動する。

「……っ!」

 日光の顔がこわばる。
 見間違いとかではなく、確実に日光の体は震えている。

 その時、日光と僕は目が合ってしまった。
 僕はすぐに自分の姿が見えないように身を隠す。

 こんなところで助けを呼ばれたら、たまったもんじゃない。
 朝の二の舞になるのはごめんだ。
 抵抗も出来ないのに助けられるはずがないし、今は橘もいない。

 僕はすぐに逃げれるように体勢を整える。
 しかし、一向に助けを求める声はしない。

 様子を見ると、さっきと状況は少しも変わってはいない。
 しかし、日光は助けを求めない。
 助けを求めないということは、助けはいらないのだろう。
 橘もいないし、今僕がこの場から立ち去っても、誰も僕を責めることはない。

 僕は公園から出ようと試みる。
 しかし、なぜだか心に何か靄がかかっているのを感じ、うまく動けない。
 これは屋上から立ち去った時と同じものだ。
 しかし、今はそんなことどうでもいい。
 早くここから立ち去らなければ。

 僕の寿命はあと1年。
 だったら、あとの1年くらい自分のためだけに使ってもいいはずだ。
 他の奴らはあと、何十年もある。
 今辛いことがあっても、巻き返せるくらいの時間は山ほどあるだろう。
 わざわざ少ない僕の寿命を他人の為に使うのは馬鹿げている。
 この気持ちは間違いであるはずがない。

「きゃっ! やめっ、離して!」

「きゃっ! だってさ。案外可愛い声出すんじゃねぇか」

 …………あぁ、そうだよな。
 本当はわかってた。
 本当は分かってたはずなのに気付いていないフリをしていた。
 今感じている、心の靄みたいなものの正体を僕はずっと前から知っている。
 理由がないと助けない。
 見返りがないと助けない。
 僕の寿命は一年だから助けない。
 本当は意味のない理由づけを自分に言い聞かせていた。
 人を助けるのに、たいした理由なんか元々いらなかったはずなのに。
 困っている人を見るたびに本当は助けたいと……ずっと思っていたはずなのに。

 日光と目が合った時、彼女は怯えた目をしていた。
 助けを求める目をしていた。
 ただそれだけで、助けるには充分な理由だった。

 心にかかった靄の正体は、自分に対して嘘をつき続ける、自分自身への嫌悪感だった。

 僕は歩き出す。

 どうせ、僕は1年しか生きられない。
 だったら、僕は残りの人生を自由に生きよう。
 僕はもう自分の心に嘘はつかない。

 ――僕は自分だれかのために生きる
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