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明日は満月
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二人が訪ねたとき、叔母上はベッドに横になっているところだった。少し顔色が悪く見えるのは、季節の変わり目の風に当たったからだろうか。
期を改めようとする二人を微笑みで制すと、ゆっくりと起き上がる。
室内は壁紙から家具まで落ち着いた色調にまとめられているが、壁に飾られた大きな猫の絵画だけが浮き上がるように白い。
たしか叔母上が幼少期に飼っていた猫を描かせたものだ。シトリニアは幼いころこの絵が苦手で、叔母上の部屋にはあまり行きたくなかったことを思い出した。
久しぶりに見ると、白猫の長く柔らかい毛を表現するために描き込まれた線の緻密さに感心する。猫にしてはあまりに大きく描かれているのを除けば、なかなか愛嬌のある表情をしていた。
――意外とかわいいかも?
怖かったものをそう思えたことが、成長した証の気がして少しうれしくなる。
濃い青地に白い小花模様があしらわれたソファに移動した叔母上は、年をとると疲れやすくて嫌ねぇと笑いながら膝にブランケットをかけた。
「さて。うまくできたのか見せてちょうだいな」
姉妹は顔を見合わせ、うなずいた。
「いただいたお手紙に書いてあったとおり、二人でやり遂げました」
シトリニアがアメジストのささげ持つ盆から皿を取り、うやうやしく差し出した。
緑のつる草をあしらって金縁で装飾した皿に、焼きたての香ばしいクッキーが盛られている。
二枚の便箋に書かれていたのは、クッキーのレシピだった。
焼きあがった後にオーブンから出したての熱々をつまんで味見し、これは紛れもなくクッキーねと言って笑いあったのは、つい先ほどのことだ。
やたらと噛みごたえがあるものの、味は素朴で美味しくできている。
クッキー作りはこんなにも手間がかかることに驚きつつ、これからはより一層料理技官に感謝しましょうと言って頷きあった。
それから粉まみれになってしまったドレスを着替え、今に至る。
「おいしそうね」
年を重ねた白い手でひとつ取ると、かり、と噛んだ。音を立てて咀嚼すると、シトリニアから水のグラスを受け取った。
緊張した表情で感想を待つ二人を前に、笑みをこぼす。
「少し固いわね。でもよくできているわ」
淹れたての紅茶に落とした角砂糖のように、二人は表情を崩した。
「叔母上様のおっしゃっていた儀式のコツを、確かに理解できたと思います。ありがとうございました」
アメジストが頭を下げると、シトリニアも声を重ねて頭を下げた。
瑠璃色の瞳をいたずらっぽく光らせて叔母上は笑う。
「あら、私そんなこと言ったかしら?ただ焼きたてのおいしいクッキーが食べたかったからお願いしたのだけど。あなたたちが、クッキーが竜の大好物だと勘違いしたらどうしようと思っていたところなのよ」
思わず二人は顔を見合わせて吹き出した。
「私たち、初めは本当にそう思っていました」
二人の華やかな笑い声に、朗らかに弾んだ声が重なった。
「夕食の前だけど、焼きたてのクッキーでお茶会をしましょう。はちみつは喉にいいの。今日は甘いものを食べてゆっくり体を休めるのが一番よ」
叔母上とのお茶会の後にしっかり夕食も取った二人は、シトリニアの部屋に戻ってご馳走が詰ったお腹を休めていた。
ハンナもフィオナもいないのを良しとして、シトリニアはお行儀悪くソファの背もたれに身を預け、アメジストは肘掛にクッタリと身体を傾けている。
ドレスに包まれた曲線美をあらわにした姫君たちの姿は、宮廷画家が歓喜してキャンパスを広げそうなたおやかさだ。
「今日はちょっと欲張ったわね」
シトリニアが苦笑すると、アメジストも悔しそうにうなずいた。
「デザートがフルーツたっぷりのタルトだなんて反則よね。もう一つくらいいただきたかったわ」
ソファの背もたれに頬を乗せると、シトリニアはつぶやいた。
「それにしても、本当に服装も髪型も二人で決めていいのね。アメジストは何を着る?」
「そうねぇ」
アメジストは眠たそうに目をつむっている。
「普段のドレスはいつもフィオナに任せているし、お洒落ってよくわからなくて。特に何を着たいというこだわりはないのよね……」
シトリニアは勢いよく身体を起こすと、信じられないといった表情を浮かべた。
「なんてもったいないの」
「そうかしら」
「私がもしアメジストみたいな黒髪だったら、着てみたいドレスがたくさんあるのに」
シトリニアは口をとがらすが、アメジストは眠そうな表情を変えない。
「そういうものなの?金髪の方が明るくていいじゃない」
「一概にそうとも言えないのよ。一人ひとりに似合う色っていうのがあるの」
「そう?」
力説するが、興味を引くことはできないらしい。シトリニアは頬を膨らませた。
「もう。それなら私が選んでもいい?」
アメジストは、漆黒のまつげを重たそうに持ち上げた。
「いいの?そうしてもらえると助かるわ」
「本当に?」
ぱっと笑顔になると、思わず手のひらを胸の前で合わせた。
おしゃれは大好きだし、自分とまったく系統の異なる美人のアメジストにふさわしい衣装を考えると思うと心が躍った。
「任せておいて。持ってきたドレス見せてもらってくるわ」
思い立ったシトリニアの行動は早かった。
食べ過ぎて重たいお腹のことも忘れ、るんるんと軽い足取りでフィオナを探しに部屋を出た。
期を改めようとする二人を微笑みで制すと、ゆっくりと起き上がる。
室内は壁紙から家具まで落ち着いた色調にまとめられているが、壁に飾られた大きな猫の絵画だけが浮き上がるように白い。
たしか叔母上が幼少期に飼っていた猫を描かせたものだ。シトリニアは幼いころこの絵が苦手で、叔母上の部屋にはあまり行きたくなかったことを思い出した。
久しぶりに見ると、白猫の長く柔らかい毛を表現するために描き込まれた線の緻密さに感心する。猫にしてはあまりに大きく描かれているのを除けば、なかなか愛嬌のある表情をしていた。
――意外とかわいいかも?
怖かったものをそう思えたことが、成長した証の気がして少しうれしくなる。
濃い青地に白い小花模様があしらわれたソファに移動した叔母上は、年をとると疲れやすくて嫌ねぇと笑いながら膝にブランケットをかけた。
「さて。うまくできたのか見せてちょうだいな」
姉妹は顔を見合わせ、うなずいた。
「いただいたお手紙に書いてあったとおり、二人でやり遂げました」
シトリニアがアメジストのささげ持つ盆から皿を取り、うやうやしく差し出した。
緑のつる草をあしらって金縁で装飾した皿に、焼きたての香ばしいクッキーが盛られている。
二枚の便箋に書かれていたのは、クッキーのレシピだった。
焼きあがった後にオーブンから出したての熱々をつまんで味見し、これは紛れもなくクッキーねと言って笑いあったのは、つい先ほどのことだ。
やたらと噛みごたえがあるものの、味は素朴で美味しくできている。
クッキー作りはこんなにも手間がかかることに驚きつつ、これからはより一層料理技官に感謝しましょうと言って頷きあった。
それから粉まみれになってしまったドレスを着替え、今に至る。
「おいしそうね」
年を重ねた白い手でひとつ取ると、かり、と噛んだ。音を立てて咀嚼すると、シトリニアから水のグラスを受け取った。
緊張した表情で感想を待つ二人を前に、笑みをこぼす。
「少し固いわね。でもよくできているわ」
淹れたての紅茶に落とした角砂糖のように、二人は表情を崩した。
「叔母上様のおっしゃっていた儀式のコツを、確かに理解できたと思います。ありがとうございました」
アメジストが頭を下げると、シトリニアも声を重ねて頭を下げた。
瑠璃色の瞳をいたずらっぽく光らせて叔母上は笑う。
「あら、私そんなこと言ったかしら?ただ焼きたてのおいしいクッキーが食べたかったからお願いしたのだけど。あなたたちが、クッキーが竜の大好物だと勘違いしたらどうしようと思っていたところなのよ」
思わず二人は顔を見合わせて吹き出した。
「私たち、初めは本当にそう思っていました」
二人の華やかな笑い声に、朗らかに弾んだ声が重なった。
「夕食の前だけど、焼きたてのクッキーでお茶会をしましょう。はちみつは喉にいいの。今日は甘いものを食べてゆっくり体を休めるのが一番よ」
叔母上とのお茶会の後にしっかり夕食も取った二人は、シトリニアの部屋に戻ってご馳走が詰ったお腹を休めていた。
ハンナもフィオナもいないのを良しとして、シトリニアはお行儀悪くソファの背もたれに身を預け、アメジストは肘掛にクッタリと身体を傾けている。
ドレスに包まれた曲線美をあらわにした姫君たちの姿は、宮廷画家が歓喜してキャンパスを広げそうなたおやかさだ。
「今日はちょっと欲張ったわね」
シトリニアが苦笑すると、アメジストも悔しそうにうなずいた。
「デザートがフルーツたっぷりのタルトだなんて反則よね。もう一つくらいいただきたかったわ」
ソファの背もたれに頬を乗せると、シトリニアはつぶやいた。
「それにしても、本当に服装も髪型も二人で決めていいのね。アメジストは何を着る?」
「そうねぇ」
アメジストは眠たそうに目をつむっている。
「普段のドレスはいつもフィオナに任せているし、お洒落ってよくわからなくて。特に何を着たいというこだわりはないのよね……」
シトリニアは勢いよく身体を起こすと、信じられないといった表情を浮かべた。
「なんてもったいないの」
「そうかしら」
「私がもしアメジストみたいな黒髪だったら、着てみたいドレスがたくさんあるのに」
シトリニアは口をとがらすが、アメジストは眠そうな表情を変えない。
「そういうものなの?金髪の方が明るくていいじゃない」
「一概にそうとも言えないのよ。一人ひとりに似合う色っていうのがあるの」
「そう?」
力説するが、興味を引くことはできないらしい。シトリニアは頬を膨らませた。
「もう。それなら私が選んでもいい?」
アメジストは、漆黒のまつげを重たそうに持ち上げた。
「いいの?そうしてもらえると助かるわ」
「本当に?」
ぱっと笑顔になると、思わず手のひらを胸の前で合わせた。
おしゃれは大好きだし、自分とまったく系統の異なる美人のアメジストにふさわしい衣装を考えると思うと心が躍った。
「任せておいて。持ってきたドレス見せてもらってくるわ」
思い立ったシトリニアの行動は早かった。
食べ過ぎて重たいお腹のことも忘れ、るんるんと軽い足取りでフィオナを探しに部屋を出た。
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