音痴な私は歌姫の異母妹と国を賭けて竜に歌います

中村わこ

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明日は満月

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 小麦粉、バター、砂糖は見つけたが、まだまだ足りないものがある。
今すぐに実行して、という叔母上の言葉を忠実に守った二人は、まずはシトリニアの持つ便箋に書いてあるものを調理台に並べることから始めた。誰もいない厨房の戸棚や引き出しを片端から開いて、目的の物を探していく。
 アメジストの便箋には、必要な器具類の名前と丁寧なイラストが書いてある。
 どうやら二枚の便箋に書かれた内容を組み合わせることで、一つのレシピが完成する仕掛けのようだった。
 二枚の便箋と交互にらめっこしながら、姫君たちは厨房内を忙しく歩き回っていた。

「本当にこれでいいのかしら」
 アメジストは首をかしげながら、粉ふるいと思しき器具が数個重なっていたのを上の棚から見つけてきた。まとめて調理台に置くと、シトリニアが一つ手にとった。どうやらそれぞれ網目の細かさが異なるらしい。
「多分正解よ。小麦粉をふるうのだから目が細かいほうを使いましょう」
 真剣なまなざしで粉ふるいを選別しているシトリニアに、アメジストは首を振った。
「違うのよ。何のレシピかわからないけど、これに添って二人で料理をすることが本当に儀式の……コツ?なのかしら」
 シトリニアも両手に粉ふるいを持ったまま首をかしげた。
「一見すると歌や儀式には関係ないように思えるけど……過去に歌鳥の姉妹を務めた者だからわかる、と叔母上様はおっしゃっていたわね」
 粉ふるいを見つめたまま、うーん、と考えた。
「……竜の大好物とか?」
 アメジストは漆黒のまつげを伏せてうなずいた。
「……その考えは思いつかなかったわ」
 竜に好物があるなんてどんな物語にも書いていなかったが、この際そんな議論しても仕方がない。でも、と続けて少し不安そうな顔をした。
「私、お料理なんてほとんどしたことがないのよ」
「私もそんなに……だけど、真心をこめて作ればきっとなんとかなるわ。がんばりましょう」
 シトリニアは異母妹を励ますと、桃色の唇をぎゅっと結んだ。

 粉ふるいを置いて改めて二枚の便箋を手に取ると、アメジストも横から覗き込んだ。
 便箋を何度読み返しても材料や手順が丁寧に書いてあるだけで、最終的に何が完成するのかという肝心な部分が抜けている。誰の手助けも借りずに二人の力だけでやり遂げて、という叔母上の言葉が耳によみがえる。
「ただおいしく完成すればいいの?それとも何か別の目的が隠されているの?」
 そう声に出してみて、シトリニアははっとした。
――上手く歌えばそれで儀式は成功なのか。それとも、歌うことによって竜の心を打つ何か・・が起こるのか
 傍らの異母妹も何かを察したらしかった。
「これって……儀式と似ているわね」
 二人は空色の瞳を見合わせて深くうなずくと、器具探しを再開した。

 白い粉がもうもうと舞う中で、シトリニアが小麦粉を振っている。その横ではアメジストがバターを柔らかく練る作業に苦戦していた。
「全然柔らかくなる気配がないしっ!すべて木べらの方にくっついてしまうのだけどっ!どういうことなのっ!」
 いつもの涼しげな表情とは一転し、顔を赤くしてぐりぐりとバターを押し付けているアメジストにシトリニアが粉ふるいを置いて近寄った。
「えっと、木べらについたバターを落としながら練るとうまくいくと思うわ。ちょっと貸してみて」
 アメジストから木べらを受け取るとボウルのふちでバターを剥がし、むにむにと練っていく。それを繰り返すうちに固いバターが少しずつ柔らかくなっていくのを、アメジストは目を輝かせて見守った。
「すごいわ。私もやってみていいかしら」
「ふふ、お願いね」
 一生懸命バターを練るアメジストの横顔を見ながら、シトリニアは量りとったはちみつを用意した。
便箋に書いてあるとおり一つ一つの工程を交代で行い、手が空いたほうは自然に次の工程を確認して必要なものを近くに並べ、使い終わった器具は片付けていく。
「書いてあるように生地がまとまらないのだけどどうしたらいいと思う?」
「そうね……手で少し温めながらこねてみましょうか」
「あ、うまくいきそう!」
 二人は粉だらけの顔を見合わせて笑った。気をつけているつもりでも、つい夢中になってあちこちに材料のかけらがくっついてしまう。

「変な言い方だけど、私たち昔からずっと姉妹だったみたいね」
 丸く一つにまとめた生地を小さくちぎりとると、シトリニアは言った。
 同じ年の同じ日に生まれながら、こうして親密な時間を過ごす機会に恵まれたことは皆無といってもよかった。国外からの客人を迎える際には形式的に城で顔を合わせて挨拶するが、身内に構っている暇はほとんどない。
 だから今までは姉妹がいるという実感がほとんどなかった。遠い親戚の女の子、くらいの距離感と表現してもいいかも知れない。それなのにここ数日一緒に過ごしただけで他人にはない近しい空気を感じるのはやはり姉妹だからだろう。
「そうね。なんだか不思議な感じがするわ。それに誰の力も借りずに料理をするなんて不安だったけど、二人で力を合わせれば意外に何とかなるものね」
 ちぎった生地を均一に伸ばして鉄板に並べながらアメジストも答えたが、はっとしたように手を止めた。
「シトリニア、作業を続けながらでいいから、ちょっと『清流の調べ』を歌ってもらってもいいかしら」
「え……」
 心の準備ができていない、と言いかけてやめた。
 できない言い訳を用意して初めから諦めている、という今朝の苦い言葉がよみがえる。たしかにそうだったかもしれない。今更ながら胸の内で少し反省した。
「わかったわ」
 ここ二日間ずっと二人で過ごしてきたし、できるかぎりの力で練習した。
 それでも、歌を聞かれるのはやはり恥ずかしい。その気持ちを紛らわすように、手を動かし続けながら歌った。
   
   速き流れの   水底に
   まどろむ太古の 思い出よ
   速き流れの   水面みなもにて
   はじける真珠たまの  かがやきよ
   速き流れを   駆けくだる
   赤き落ち葉の  くれないは
   あまかけあがる  清流の
   その背に乗った 稚児のよう
   いざほとばしれ 白き滝
   いざほとばしれ 清流よ

 歌い終わり、一呼吸つく。
 声量はなんとか出せたと思うが完璧な音程ではないし、高音域はいつものように無理があったはずだ。
「そういうことね……!」
 アメジストはというと、なぜか満面の笑みを浮かべて生地を握りしめている。
「何がそういうことなの?」
 輝かんばかりの笑顔で伸ばした生地を鉄板に置くと、質問には答えずにひとつうなずいた。
 そして、小さく歌いだした。
 丸めた生地を伸ばしながらいたずらっぽく目で合図を送ってくる。

 その幼子おさなごように無邪気な笑顔に背中を押されて、思わず声を合わせた。
 アメジストは生地を伸ばす手を休めることなく、微笑を浮かべて歌っている。粉だらけになったその姿はまるで市場の村娘のようだ。
 そういう自分も同じくらい粉まみれなことを思い出し、シトリニアの口元も思わずほころんだ。
 少しでも上手く歌わなければという焦りや義務感から開放され、自然に歌声も大きくなる気がした。笑顔で声を出すと、こんなによく伸びて気持ちがいいと気がつく。

 アメジストは音程が複雑な部分は重ねるように声を合わせて支え、シトリニアが得意な部分は音量を少し控えめにして際立つようにする。高音域は二人の声が心地よく響くように調整すると、シトリニアの声もそれに乗るように高く伸びる。
 シトリニアは胸が熱くなった。こんなに楽しく歌うのはいつぶりだろう。
――たぶんきっと、あの日以来初めてだわ
 あの幼い夏の日にアメジストの歌のすばらしさに衝撃を受けて以来、歌は楽しいという気持ちをすっかり忘れていた。時が経つにつれ、歌を楽しむ権利は上手に歌える者だけが持つものとすら考えるようになっていた。
 それは違う、と今なら思える。
――誰だって自由に歌を楽しむことができるのね

 伸ばされた生地がすべて鉄板に並ぶころ、歌は終わった。
楽しい余韻が厨房に心地よく満ち、今なら二人でなんだって歌える気がした。
「あの」
 同時にお互いへ話しかけようとし、思わず顔を見合わせて笑った。
「あなたの言うとおりだったかもしれないわ。ごめんなさい」
 ここに来るまでは、自分は悪くない、形式だけ謝ろうと心に決めていた。それなのに素直な気持ちでこう言えた事で、喉につかえていたものがすうっと無くなる気がした。
「こちらこそごめんなさい。どちらかに足りない部分は、もう一方が補えばいいのよ。どうしてこんなに簡単なことを気がつかなかったのかしら」
 アメジストはそう言い終わると照れくさそうに顔を背けた。
「今までは上手く歌うことに気を取られすぎていたわ。今初めて、姉妹で歌う意味が少し理解できた気がするの」
 シトリニアは視線を落とすと、生地が乗った鉄板を元気に持ち上げた。
「それでも、二人が上手く歌うのに越したことはないはずよ。私も最後まで練習をがんばるわ。さあ、焼いてしまいましょう」
「ええ」
 二人は元気よく鉄板を持ち、オーブンへと運んだ。


 窓の外は木々も池も暖かい橙色に染まり、二日目の太陽が沈もうとしている。
 最後まで二人でやり遂げるというのはなかなか骨が折れる作業だったが、儀式が関係しているとあれば泣き言は許されないと二人ともよくわかっていた。慣れないことの連続で身体も頭も疲れているが、それはむしろ気持ちのよい疲労感だった。
 アメジストは引き出しから清潔な布巾を出し、調理台を拭いている。
「明日の今頃、私たちは何をしているかしらね」
 シトリニアは器具を棚に戻しながら想像した。
「そうね、儀式の準備を始めるころかも……」
 そこまで言って、とても大切なことを確認していなかったことに気がつく。
「そういえばドレスも髪型も自分で決めていいのかしら」
 なんて大切なことを忘れていたの、と頭を抱えるシトリニアを横目に、アメジストがさらりと答える。
「歌のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていたわ。これが焼けたら叔母上様にお持ちして聞いてみましょうか」
「そうしましょう!あ~悩むわ。何がいいかしら!」
 もう自分で決める気になって浮き足立っているシトリニアに、アメジストは笑みをこぼした。
 オーブンからは、甘く香ばしい香りが漂っている。
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