精霊美女たちと緑の指を持つ俺の日常~奇術師は千年桜を咲かせるか~

中村わこ

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二章

運命の朝

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 カーテンを開けると、まぶしい冬晴れの一日が始まろうとしていた。二度寝する気にもなれなくて、たまには外で朝の日差しを浴びようと着替えて部屋を出た。
 居間を覗いてみると今朝は三人がそろっていて、口々におはようを言ってくれる。玄関から庭に出てみると冷たい空気がぴりりと心地よく、身体の輪郭をはっきりと感じた。
「講義もないのにこんな時間に起きてくるなんて珍しいじゃない」
 カラカラと玄関が開き、智恵が出てきた。
「あ、もしかしてどきどきして眠れなかった?」
 茶化すような口ぶりに、強くは否定できなかった。
「昨日までは、ただ満開の御台桜を見たい一心だったんだよ。でも夜中に布団の中で考えてたら、俺が今からやることに桜祭りの成功とか、地域の人の気持ちとかもかかっているような気がして急に緊張してきてさ」
 智恵が首をかしげると、光を透かす細い髪の毛が流れるようにサラサラと肩から落ちた。
「自分を買いかぶりすぎじゃない?」
「え?」
 智恵はさくさくと落ち葉を踏みしめて庭に入ると、一本のりんごの木に触れた。知恵の実をつけるこの木こそ、本来智恵の精神が宿っているもの。本体と言っても差し支えないだろう。
「凍てつくような風雪も、刺すような強い日差しも、耐えられなければそこで終わり。例え苛酷な環境に芽吹いても、私達はそうやって覚悟を決めて生きていくの。御台桜がここでまた花を咲かすのか、それともこのまま静かに朽ちるのかどちらを選ぶのかわからないけど、今の段階でそれを左右できるのは御台桜自身しかいない。誰かが口を出して無理やり従わせることなんてできないんだから、できたらラッキーぐらいに思っておいた方がいいわ」
 我が身の梢をまっすぐに見つめるその横顔は普通の女の子にしか見えなくて、いつにも増して不思議な気持ちになる。
「智恵」
「ん?」
「励ましてくれてありがとう」
 智恵は照れたようにぷいっとそっぽを向いた。
「別にそんなつもりじゃなかったけど……まぁ、いいってことよ」

 人が少なくなるであろうお昼時に御台桜の前に集合することにして、智恵と分かれて家を出た。俺が向かうのは、商店街の吉備堂だ。
 若い職人さんは約束どおり店の前で待っていてくれた。私服を着ているとやはり同い年くらいに見えるので、きっと和菓子職人としてはかなり若い部類に入るだろう。
「お仕事があるのにすみません」
 ぺこりと頭を下げた俺に、いえいえとんでもないと両手を振った。
「今日は店主がいるのでお店は大丈夫です。それに、御台桜のことでと言われたら気になりますし」
 ちらりと店内を見ると、いつものおっちゃんが手を振っている……が、その笑顔に含みがあるように見えるのは気のせいだろうか。
「じゃあ行きましょうか」
 ガラス越しからおっちゃんに一礼すると、二人で敬葉寺へ歩き出した。
「大学一年生っていうのは昨日聞いたけど、一人暮らしですか?」
「うん、まぁそんなもんです。もう少しで一年たちますけど、この辺はまだ知らないことばっかりです」
「そっか。一人で知らない世界に旅立つって、ちょっと憧れます。まぁ和菓子の世界も知らないことだらけなんですど」
 そう言って明るく笑うと、転がっていた松ぼっくりを蹴飛ばした。よく乾いた松ぼっくりはカラカラと音を立てて不規則に転がり、側溝に落ちた。
「ところで、これから会う樹木医さんってどんな人ですか?」
 十分イメトレを重ねた結果を発揮する機会、待ってましたとばかりに説明した。
「僕の地元ですごく有名な桜専門の樹木医なんです。なんとか頼み込んで来てもらったんですけど、すごく気難しいお年寄りで。御台桜に対してすごい熱意を持った人を連れてきたら、働いてやらんこともないって感じなんですよ」
 少し心が痛んだが、まさかこの老人が御台桜ご本人ですと言って対面してもらうわけにもいかないので致し方あるまい。
 そうこう言っている間に、敬葉寺に到着した。

 お昼時の敬葉寺は先日と同じく閑散としていた。
 少し風があるが陽射しは暖かく、二人を会わせるには大変お日柄がよいと俺は内心でお見合いの仲人のように喜んだ。
 少し緊張しながら御台桜の広場に入ると、智恵と御台桜殿がベンチに座っているのが見えた。いくら智恵が精霊化に長けているといってもそれは植物自身の意思があればこそ成立するもので、最初から拒否されてしまうことももちろん考えられる。先日の様子からしてまず御台桜殿が出てきてくれるか不安だったが、ひとまず第一関門をクリアできたのでほっとした。
 近づく俺たちに気づいた智恵が手を振っている。
「待ってたわよ」
「お待たせしました」
 御台桜殿は先日と変わらない様子でベンチに座っているが、しわくちゃな顔から表情は特に読み取れない。早くしないとこの間みたいに消えてしまうかもしれない、と目で訴える智恵にうなずくと早々に話を切り出した。
「吉備島さん、こちらが凄腕の樹木医さんです」
「初めまして。吉備島晶と申します」
 深々と一礼する吉備島さんの横で、御台桜殿に語りかけた。
「話を聞いてもらえますか?」
「……いいじゃろう」
 自分が樹木医として紹介されていることを少し疑問に思った様子だったが、否定するのも面倒だったのかもしれない。
 目を合わせてお願いしますと言うようにうなずくと、吉備島さんは緊張した面持ちで話し始めた。
「私は父の店で和菓子職人見習いをしています。去年高校を卒業して、今ようやく一年が来ようとしているんですけど、当然職人としてはまだまだ未熟で、いつも叱られてばかりです。父は弟に店を継いでもらえればいいと思っていたみたいで、私が職人になると言った時は驚いていましたし、女性には厳しい世界だと反対されもしました」
 吉備島さんは言葉を切ると、緊張を抑えるように深呼吸した。御台桜殿は相変わらずどこを見ているか分からないが、とりあえず形をとどめて話を聞いている。
「父を見ていれば職人の世界が厳しいことも十分想像付きますし、そもそも和菓子自体の需要が減っていることもよく分かっています。それでも和菓子職人になりたかったのは、ずっと小さい頃から考えていた夢があるからです」
「……ほう」
 すっかり吉備島さんの話に引き込まれていた俺と智恵は、まさか御台桜殿が話に相槌を打つとは想定していなかったので思わず目を見合わせた。
「私は和菓子の中でも練り切りが特に好きなんです。あの小さなお菓子の中に閉じ込められた季節の気配を、家の中とか遠い都会の町でも感じてもらえるって素敵ですよね。私の中で春といえば、何と言ってもこの御台桜です」
 吉備島さんは寒々とした大木を見上げた。
「小さい頃からお花見は必ずここに連れてきてもらいますし、咲くのが待ち遠しくて、まだ蕾の時期から何回も通うんです」
 そしてまっすぐに御台桜殿を見た。
「私の夢は、この御台桜を練り切りで表現することです」
 一呼吸置いて、力をこめて続ける。
「父……店主も応援してくれて、早速名前の立て札を作ってショーケースに並べてくれました。毎日記憶の中からあの感動を表現しようと試行錯誤しています。でも何かが足りなくて、満足いくものが作れないんです。できることならもう一度満開の御台桜を見て、私の作品だと胸を張って言えるようなものを作りたいです。どうか力を貸していただけないでしょうか。お願いします!」
 そう言って勢い良く頭を下げた。数秒して今度は勢い良く頭を上げると、かばんを開けて小さいプラスチック容器を取り出した。
「あとこれ私が作った練り切りです。容器がこんなので申し訳ないんですけど、よかったら食べてください!」
 本命チョコを渡すような勢いでずいっと差し出された容器を、御台桜殿は受け取った。しかし両手で包んでしげしげと眺めるばかりで、開けようとしない。
「俺が開けましょうか」
「いや」
 しわだらけの手を蓋にかけたところを見ると、開け方がわからないわけではないらしい。俺と智恵が固唾を呑んで見守る中、御台桜殿がゆっくりと開いた容器の中には……白くて小さな雪うさぎが一匹収まっていた。目と耳がほんのり桃色に色づいているのがなんともかわいらしい。
 吉備島さんは告白の返事を待つような面持ちで、頬を赤らめながらも力強く言った。
「この季節一番人気の練り切りなので、たくさん練習しました」
この後どうなるのかと思ってはらはらしながら見ていると、御台桜殿は添えられた黒文字に目もくれず、親指と人差し指で雪うさぎをひょいとつまみ、ぱくりと口に入れた。
――食べた
 驚きで声も出ない俺たちを気にも留めず、御台桜殿は雪うさぎをむしゃむしゃと咀嚼し、飲み込んだ。
――そういえば一口で食べて大丈夫だったかな
 正月の恒例となりつつある餅絡みのニュースが頭にちらついて心配になってきた時、御台桜殿が口を開いた。
「吉備島とやら」
「は、はい」
「冬来たりなば春遠からじ。雪うさぎが来たのなら、春はもうすぐそこだ。待っていなさい」
「それじゃ……」
 御台桜殿の顔に深く刻まれたしわが、少し優しい表情を形作った。
「善処しよう」
 吉備島さんの緊張した表情が、ぱあぁっと雲が晴れるように笑顔になった。
「ありがとうございますっ!私、がんばります!」
 ぶんっと効果音がつきそうな勢いで頭を下げ、うれしくてたまらないといった表情で小躍りする吉備島さんを、智恵はほっとした表情で見つめていた。
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