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一章
「ようこそ人の世へ」
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「御台桜殿、ようこそ人の世へ」
「うむ」
智恵の言葉に、老人は短く一言返事をした。
「で、わしに用があるのはそこの小僧か?用件を言え」
麗しい大和撫子と会える希望が断たれたダメージからまだ立ち直れていない俺は、爺さんなのか婆さんなのか判別が付かないほどしわくちゃな顔でこちらをぎょろり見られてギクッとした。白とも灰色ともつかない髪の毛はなんとも微妙な長さで、性別を判断するヒントにはなりそうになかった。
「初めまして。鈴木照彦と言います。忙しいところ出てきてもらってすみません」
わざわざ精霊化してもらった相手に、姿が予想と違うと口に出す図々しさはさすがに持ち合わせていないので、一礼して出来るだけ丁寧な挨拶を心がけた。
「別に忙しくはないが、お前と話す時間は惜しい。手短に言え」
木で鼻をくくったような物言いとはこのことだろうか。奇しくも文字通り御台桜殿は由緒正しい木であるわけだが。
「えっと、今年花を咲かす予定ありますか?」
たおやかな桜美人と軽い世間話をしてから話を進める予定でいた俺はまるで心の準備ができておらず、自分でもびっくりするほど間抜けな角度から質問を切り出した。
「ない」
一刀両断。どうやら御台桜殿は短気な性格らしい。
昔の俺ならここであっさり引き下がったかもしれない。でも以前に、わざわざ精霊化して会話の機会を作るんだから、諦めるのは言葉と誠意を尽くしてからにしろと智恵にえらく怒られたことを思い出して耐える。
――幸い相手は大学教授ではなく精霊だから、万が一嫌われても学業に響かないし大丈夫だぞ
人に嫌われることを恐れる弱気な自分を心の中で説得し、持てる力の最大限を発揮して食い下がった。
「友達に満開の御台桜さんを見せてあげたいんです。出来ることがあれば何でもやります。どうか理由だけでも聞かせてもらえませんか」
御台桜殿の向こうでは智恵が試合を見守る鬼監督のような面持ちでうなずいており、その隣ではなぜか鳩も訳知り顔でこちらを見ている。
「理由なぁ」
御台桜殿は曲がった腰を少し伸ばして自分自身……大木の御台桜を見上げた。
「わしがなぜ御台桜と呼ばれるのか知っとるか」
俺はうなずくと、イメージアップのチャンスとばかりにさっき立て看板で予習しておいた知識を余すことなく披露した。
「えっと、昔とある天皇が島流しへの道中に御台桜殿を見て、そのあまりの美しさに舞台を作らせて舞いを舞ったんですよね。」
余すことなく、と思った割にはあやふやな話になってしまったが、それでも御台桜殿のしわくちゃな顔に少し意外そうな表情が浮かんだ。
「よく覚えとるな」
俺はちょっとうれしくなった。
「さっきそこの看板で読んだので」
「そんなもん読んだそばから忘れるやつのほうが多い。それにしてもこの体は重いな。ちょっと座ってもいいか」
「あそこのベンチに行きましょうか」
人の身体に慣れない御台桜殿に智恵が手を沿えた。
俺と智恵で御台桜殿を挟んでベンチに座り、自分が老人の散歩に付き合う孫になったような錯覚を覚えていると、御台桜殿が独り言のように口を開いた。
「供の者を引き連れた雅な風情をした若者が通りかかってな、満開のわしを呆けたように見上げるので、たわむれに花を少し散らしてやった」
この分だと何も聞けないと諦めかけていた俺は思わず智恵と顔を見合わせると、御台桜殿のしわくちゃな横顔を見つめた。
「若者がその花弁を浴びながら供の者に何か言いつけると、瞬く間に舞台が組み上がった。若者は改めてわしを見上げると、その美しさを称えて、舞を一手捧げ申し上げると言う。満開のわしの下で踏み鳴らす足も、あでやかにひるがえる白い袖も忘れはしない。それはそれは雅やかな舞だった。わしは喝采の代わりに吹雪のごとく花を散らしてやった」
御台桜殿の深いしわの奥に隠されたまなざしの先には、ある春の日の幻のような舞台がよみがえっているのだろうか。満開の桜の下で舞う若者。それはなんと美しい光景だっただろう。
「舞が終わると若者はわしの幹に触れて言った。自分はこの国の帝だが、わけあって都を追われる身であり、辺境の地で命を落とすかも知れない。桜よどうかこの国の民を末代まで見守りたまえ、とな。わしはその言葉に感じ入るものがあり、それ以後数百年この地で毎年花を咲かせ、集まる人々を見守ってきた。その若者にはそれきり二度と相まみえることはないがな」
そこまで話すと御台桜殿は突然立って伸びをしたので、俺は背骨が折れないか心配になった。
「だがもう疲れてなぁ。最近のやつらは飲み食いに夢中でわしをろくに見もせんし、そろそろ潮時じゃろう。しかし体が重い。もうえぇか小僧」
「あ、すいません。ありがとうございました」
慌てて礼を言うと御台桜殿は振り返り、冬の空気に溶けるように消えた。
御台桜の広場を出て少し登ると見晴らしのいい東屋があったので、ここで休憩することにした。
日向さんお手製のおにぎりが詰まったランチバッグを開いていると、横から中を覗きながら智恵が言った。
「シャケ取ってよ」
「無茶言うなよ。日向さんはおにぎりのプロだから見た目じゃ中身はわからんぞ」
具は食べてみてのお楽しみというサプライズ感を大切にしている日向さんは、どんなに急いでいても外側に具をはみ出させるような事はしない。丁寧にラップで包まれたそれを試しに一つ手に取ってしげしげと眺めてみたが、白いご飯の中に何を秘めているのか見当もつかなかった。
「全くわからんな」
「うん。まぁでも仮病って言うのもあながち間違っていないのかも」
智恵があごに手を当てて考えているのは、どうやらおにぎりのことではなく御台桜が咲かない理由らしい。頭の回転が早いのか何なのか、彼女の話は油断しているとあっちこっちに行ってしまう。
「御台桜殿の話をざっくりまとめると、雅な若者が舞いを舞って頼んだからここまでがんばって毎年花を咲かせて、人々を見守ってきたのよね。でも最近の人は御代桜より屋台に夢中だし、疲れたからもういいかって思ったと」
「うん。そんな感じだったな」
「初めに照彦が見た時は、特に何も感じなかったのよね」
俺は初めに御台桜を見た時の感覚を思い出してみた。
最近は種や苗から育てた植物には劣るものの、集中して感覚を澄ませば植物が困っていることがあればなんとなく聞こえるぐらいになっているが、御台桜には嫌な虫が付いているわけでも欲しい肥料があるわけでもなさそうだった。その点ではテレビで作業着の人が言っていた、特に原因が見当たらないという意見と同じだ。
難しい顔をしている智恵におにぎりを一つ手渡しながら答えた。
「樹自体の特別な不調みたいなものは感じなかったな」
智恵はおにぎりのラップを剥がしてうなずく。
「元気なのに花を咲かさないって、人に例えるならくしゃみを我慢するようなものよ。さすがは古木の精神力と言うべきなのか、本当に寿命で弱ってきているのか。わからないわねぇ」
そう言っておにぎりをぱくっと頬張るなり、目を見開いた。断面からシャケのほぐし身が顔を出すおにぎりを手に満面の笑みを浮かべ、彼女は小さくガッツポーズをした。
家に着く頃には夕焼けの名残が空から消えようとしており、冬の空気はしんしんと冷え込みを増していた。
「ただいま~」
「お帰りなさい」
玄関を開けると、台所から日向さんの声と味噌汁の香りが漂ってきた。
暖かい居間に戻ると実紅は相変わらずこたつで俺の教科書を読んでいたが、今日は珍しく顔を上げておかえりを言ってくれた。
何時間ぶりかのこたつに入ると生き返る心地がして、心地よい眠気が押し寄せてくる。
「日が暮れるとますます冷えるわねぇ」
エプロン姿の日向さんが熱いお茶を淹れてくれたのでありがたく頂いた。
熱々の湯のみで冷えた手を温めていると、エプロンを外してコタツに入った日向さんと相変わらず本から顔を上げない実紅に、智恵が今日の顛末を話して聞かせた。
「で、二人はどう思う?」
智恵が首をかしげて意見を求めると、意外にも先に口を開いたのは実紅だった。
「どんなに多くの人に囲まれる人気者でも、その輪の中で孤独を感じることがあるということか。もちろん年で気力が弱っているのもあるだろうが」
彼女は興味のない話題には入ってこないので、少しは御台桜に関心があるということらしい。
「なるほどね」
「なるほど」
智恵と二人でうなずいた。確かに思い返せば御台桜殿の言葉には、孤独とか悲しみに近しい感情があったように思える。
日向さんは少し考えていたが、もしかしたら、と切り出した。
「御台桜さんはその雅な若者に、恋をしたんじゃないかしら」
考えもしなかった発想を耳にして眠気が完全に払われると同時に、つい横から口を出してしまう。
「でも日向さん、御台桜殿は木だし若者は人間でしょう。種族と言うか、生きる世界が違いますよ」
日向さんは艶っぽい笑みを浮かべた。
「あらそうかしら。どんな形であれ、人だって人以外の生き物を愛することがあるでしょう。心奪われた相手にお願いされたら、聞かないわけにいかないと思うわ」
「……なるほどね」
「……なるほど」
その口ぶりに妙な説得力を感じ、智恵と二人で思わず深くうなずいた。
風呂から上がって寝室に戻った俺は布団に転がった。
にぎやかに過ごすのも楽しいが、もともと一人っ子の俺は一人でいる時に考えを整理する癖がある。普段は自由奔放に振舞っているように見える三人だが、その頃合を感じ取って付かず離れずの距離を保ってくれるのが有難かった。
茶色い天井をぼーっと見上げていると、御台桜殿の丸まった背中が思い出されてくる。仮に自分があと千年生きることになったらと考えるとぞっとするし、俺には百年もあれば十分過ぎると心から思った。
御台桜は若者の願いどおり、春が来るたびに花を咲かせてたくさんの人に囲まれながら、想像も付かない数の出会いと別れを繰り返して生きてきたのだろう。
――千年桜の恋、ねぇ
千代の命を持つ桜と、人の若者との恋。それはなんと儚いものだろうか。
「俺の出る幕ないんじゃないのか?」
一人きりの部屋に声がむなしく響いた。御台桜が咲かない理由がそこにあるなら、俺にはどうしようもない。俺がイケメンだったら新しい恋に発展する可能性もあったかもしれないが、いきなり小僧呼ばわりされたところと力士の土俵入りかと錯覚する大盤振る舞いな塩対応からして無理そうだ。
――満開の御台桜、見てみたかったなぁ
もちろん深沢とその彼女にも見せたかったが、同じくらい俺自身があの大木に花が満ちるところを見たいという気持ちも大きかった。智恵の力を借りればなんとかなると軽く思っていたが、事態はそれほど単純でもないらしい。
しばらくごろごろしながら考えてみたが御台桜殿にやる気を出していただく妙案は思い浮かばず、冷えてきたのでおとなしく電気を消して布団に入った。
「うむ」
智恵の言葉に、老人は短く一言返事をした。
「で、わしに用があるのはそこの小僧か?用件を言え」
麗しい大和撫子と会える希望が断たれたダメージからまだ立ち直れていない俺は、爺さんなのか婆さんなのか判別が付かないほどしわくちゃな顔でこちらをぎょろり見られてギクッとした。白とも灰色ともつかない髪の毛はなんとも微妙な長さで、性別を判断するヒントにはなりそうになかった。
「初めまして。鈴木照彦と言います。忙しいところ出てきてもらってすみません」
わざわざ精霊化してもらった相手に、姿が予想と違うと口に出す図々しさはさすがに持ち合わせていないので、一礼して出来るだけ丁寧な挨拶を心がけた。
「別に忙しくはないが、お前と話す時間は惜しい。手短に言え」
木で鼻をくくったような物言いとはこのことだろうか。奇しくも文字通り御台桜殿は由緒正しい木であるわけだが。
「えっと、今年花を咲かす予定ありますか?」
たおやかな桜美人と軽い世間話をしてから話を進める予定でいた俺はまるで心の準備ができておらず、自分でもびっくりするほど間抜けな角度から質問を切り出した。
「ない」
一刀両断。どうやら御台桜殿は短気な性格らしい。
昔の俺ならここであっさり引き下がったかもしれない。でも以前に、わざわざ精霊化して会話の機会を作るんだから、諦めるのは言葉と誠意を尽くしてからにしろと智恵にえらく怒られたことを思い出して耐える。
――幸い相手は大学教授ではなく精霊だから、万が一嫌われても学業に響かないし大丈夫だぞ
人に嫌われることを恐れる弱気な自分を心の中で説得し、持てる力の最大限を発揮して食い下がった。
「友達に満開の御台桜さんを見せてあげたいんです。出来ることがあれば何でもやります。どうか理由だけでも聞かせてもらえませんか」
御台桜殿の向こうでは智恵が試合を見守る鬼監督のような面持ちでうなずいており、その隣ではなぜか鳩も訳知り顔でこちらを見ている。
「理由なぁ」
御台桜殿は曲がった腰を少し伸ばして自分自身……大木の御台桜を見上げた。
「わしがなぜ御台桜と呼ばれるのか知っとるか」
俺はうなずくと、イメージアップのチャンスとばかりにさっき立て看板で予習しておいた知識を余すことなく披露した。
「えっと、昔とある天皇が島流しへの道中に御台桜殿を見て、そのあまりの美しさに舞台を作らせて舞いを舞ったんですよね。」
余すことなく、と思った割にはあやふやな話になってしまったが、それでも御台桜殿のしわくちゃな顔に少し意外そうな表情が浮かんだ。
「よく覚えとるな」
俺はちょっとうれしくなった。
「さっきそこの看板で読んだので」
「そんなもん読んだそばから忘れるやつのほうが多い。それにしてもこの体は重いな。ちょっと座ってもいいか」
「あそこのベンチに行きましょうか」
人の身体に慣れない御台桜殿に智恵が手を沿えた。
俺と智恵で御台桜殿を挟んでベンチに座り、自分が老人の散歩に付き合う孫になったような錯覚を覚えていると、御台桜殿が独り言のように口を開いた。
「供の者を引き連れた雅な風情をした若者が通りかかってな、満開のわしを呆けたように見上げるので、たわむれに花を少し散らしてやった」
この分だと何も聞けないと諦めかけていた俺は思わず智恵と顔を見合わせると、御台桜殿のしわくちゃな横顔を見つめた。
「若者がその花弁を浴びながら供の者に何か言いつけると、瞬く間に舞台が組み上がった。若者は改めてわしを見上げると、その美しさを称えて、舞を一手捧げ申し上げると言う。満開のわしの下で踏み鳴らす足も、あでやかにひるがえる白い袖も忘れはしない。それはそれは雅やかな舞だった。わしは喝采の代わりに吹雪のごとく花を散らしてやった」
御台桜殿の深いしわの奥に隠されたまなざしの先には、ある春の日の幻のような舞台がよみがえっているのだろうか。満開の桜の下で舞う若者。それはなんと美しい光景だっただろう。
「舞が終わると若者はわしの幹に触れて言った。自分はこの国の帝だが、わけあって都を追われる身であり、辺境の地で命を落とすかも知れない。桜よどうかこの国の民を末代まで見守りたまえ、とな。わしはその言葉に感じ入るものがあり、それ以後数百年この地で毎年花を咲かせ、集まる人々を見守ってきた。その若者にはそれきり二度と相まみえることはないがな」
そこまで話すと御台桜殿は突然立って伸びをしたので、俺は背骨が折れないか心配になった。
「だがもう疲れてなぁ。最近のやつらは飲み食いに夢中でわしをろくに見もせんし、そろそろ潮時じゃろう。しかし体が重い。もうえぇか小僧」
「あ、すいません。ありがとうございました」
慌てて礼を言うと御台桜殿は振り返り、冬の空気に溶けるように消えた。
御台桜の広場を出て少し登ると見晴らしのいい東屋があったので、ここで休憩することにした。
日向さんお手製のおにぎりが詰まったランチバッグを開いていると、横から中を覗きながら智恵が言った。
「シャケ取ってよ」
「無茶言うなよ。日向さんはおにぎりのプロだから見た目じゃ中身はわからんぞ」
具は食べてみてのお楽しみというサプライズ感を大切にしている日向さんは、どんなに急いでいても外側に具をはみ出させるような事はしない。丁寧にラップで包まれたそれを試しに一つ手に取ってしげしげと眺めてみたが、白いご飯の中に何を秘めているのか見当もつかなかった。
「全くわからんな」
「うん。まぁでも仮病って言うのもあながち間違っていないのかも」
智恵があごに手を当てて考えているのは、どうやらおにぎりのことではなく御台桜が咲かない理由らしい。頭の回転が早いのか何なのか、彼女の話は油断しているとあっちこっちに行ってしまう。
「御台桜殿の話をざっくりまとめると、雅な若者が舞いを舞って頼んだからここまでがんばって毎年花を咲かせて、人々を見守ってきたのよね。でも最近の人は御代桜より屋台に夢中だし、疲れたからもういいかって思ったと」
「うん。そんな感じだったな」
「初めに照彦が見た時は、特に何も感じなかったのよね」
俺は初めに御台桜を見た時の感覚を思い出してみた。
最近は種や苗から育てた植物には劣るものの、集中して感覚を澄ませば植物が困っていることがあればなんとなく聞こえるぐらいになっているが、御台桜には嫌な虫が付いているわけでも欲しい肥料があるわけでもなさそうだった。その点ではテレビで作業着の人が言っていた、特に原因が見当たらないという意見と同じだ。
難しい顔をしている智恵におにぎりを一つ手渡しながら答えた。
「樹自体の特別な不調みたいなものは感じなかったな」
智恵はおにぎりのラップを剥がしてうなずく。
「元気なのに花を咲かさないって、人に例えるならくしゃみを我慢するようなものよ。さすがは古木の精神力と言うべきなのか、本当に寿命で弱ってきているのか。わからないわねぇ」
そう言っておにぎりをぱくっと頬張るなり、目を見開いた。断面からシャケのほぐし身が顔を出すおにぎりを手に満面の笑みを浮かべ、彼女は小さくガッツポーズをした。
家に着く頃には夕焼けの名残が空から消えようとしており、冬の空気はしんしんと冷え込みを増していた。
「ただいま~」
「お帰りなさい」
玄関を開けると、台所から日向さんの声と味噌汁の香りが漂ってきた。
暖かい居間に戻ると実紅は相変わらずこたつで俺の教科書を読んでいたが、今日は珍しく顔を上げておかえりを言ってくれた。
何時間ぶりかのこたつに入ると生き返る心地がして、心地よい眠気が押し寄せてくる。
「日が暮れるとますます冷えるわねぇ」
エプロン姿の日向さんが熱いお茶を淹れてくれたのでありがたく頂いた。
熱々の湯のみで冷えた手を温めていると、エプロンを外してコタツに入った日向さんと相変わらず本から顔を上げない実紅に、智恵が今日の顛末を話して聞かせた。
「で、二人はどう思う?」
智恵が首をかしげて意見を求めると、意外にも先に口を開いたのは実紅だった。
「どんなに多くの人に囲まれる人気者でも、その輪の中で孤独を感じることがあるということか。もちろん年で気力が弱っているのもあるだろうが」
彼女は興味のない話題には入ってこないので、少しは御台桜に関心があるということらしい。
「なるほどね」
「なるほど」
智恵と二人でうなずいた。確かに思い返せば御台桜殿の言葉には、孤独とか悲しみに近しい感情があったように思える。
日向さんは少し考えていたが、もしかしたら、と切り出した。
「御台桜さんはその雅な若者に、恋をしたんじゃないかしら」
考えもしなかった発想を耳にして眠気が完全に払われると同時に、つい横から口を出してしまう。
「でも日向さん、御台桜殿は木だし若者は人間でしょう。種族と言うか、生きる世界が違いますよ」
日向さんは艶っぽい笑みを浮かべた。
「あらそうかしら。どんな形であれ、人だって人以外の生き物を愛することがあるでしょう。心奪われた相手にお願いされたら、聞かないわけにいかないと思うわ」
「……なるほどね」
「……なるほど」
その口ぶりに妙な説得力を感じ、智恵と二人で思わず深くうなずいた。
風呂から上がって寝室に戻った俺は布団に転がった。
にぎやかに過ごすのも楽しいが、もともと一人っ子の俺は一人でいる時に考えを整理する癖がある。普段は自由奔放に振舞っているように見える三人だが、その頃合を感じ取って付かず離れずの距離を保ってくれるのが有難かった。
茶色い天井をぼーっと見上げていると、御台桜殿の丸まった背中が思い出されてくる。仮に自分があと千年生きることになったらと考えるとぞっとするし、俺には百年もあれば十分過ぎると心から思った。
御台桜は若者の願いどおり、春が来るたびに花を咲かせてたくさんの人に囲まれながら、想像も付かない数の出会いと別れを繰り返して生きてきたのだろう。
――千年桜の恋、ねぇ
千代の命を持つ桜と、人の若者との恋。それはなんと儚いものだろうか。
「俺の出る幕ないんじゃないのか?」
一人きりの部屋に声がむなしく響いた。御台桜が咲かない理由がそこにあるなら、俺にはどうしようもない。俺がイケメンだったら新しい恋に発展する可能性もあったかもしれないが、いきなり小僧呼ばわりされたところと力士の土俵入りかと錯覚する大盤振る舞いな塩対応からして無理そうだ。
――満開の御台桜、見てみたかったなぁ
もちろん深沢とその彼女にも見せたかったが、同じくらい俺自身があの大木に花が満ちるところを見たいという気持ちも大きかった。智恵の力を借りればなんとかなると軽く思っていたが、事態はそれほど単純でもないらしい。
しばらくごろごろしながら考えてみたが御台桜殿にやる気を出していただく妙案は思い浮かばず、冷えてきたのでおとなしく電気を消して布団に入った。
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