精霊美女たちと緑の指を持つ俺の日常~奇術師は千年桜を咲かせるか~

中村わこ

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一章

知恵の木様に任せなさい

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「桜ねぇ~」
 深沢からの電話で集中力とやる気が完全に消え失せた俺はレポートを放り出すと、寝転んでテレビをつけた。チャンネルはお気に入りのローカル局に合わせる。
「桜がどうかしたの?」
 智恵は潔く苺大福を諦めたのか、親父が箱で送ってきたみかんを剥いている。
「友達が今度彼女を連れて花見に来たいってさ」
 肘枕をしてぼーっとテレビを眺めると、日本人に生まれた喜びがじんわりと湧いてくる。冬のコタツは最高の堕落アイテムだ。
「このあたりだったら、桜といえば敬葉寺さんの御台桜が有名ねぇ」
 うとうとしながら日向さんの声を聞いていると、テレビに作業着姿の人たちに囲まれた巨木が映った。画面右上には生中継と書かれており、その場所は……
「私は今、敬葉寺の御台桜の前に来ています!」
「あ、噂をすれば」
 元気なアナウンサーの声に、智恵がみかんを食べながらつぶやいた。
「こちらが皆さんが毎年楽しみにされている敬葉寺桜祭りの目玉、御台桜です。御台桜はヒガンザクラの一種のアズマヒガンと呼ばれる種類の桜で、なんと樹齢は千年とも言われています。覚えている方も多いと思いますが、昨年は残念なことにつぼみが付かなかったため一輪も咲きませんでした。枯れてしまったかと心配されましたが、その後少しではありますが葉を出しまして、私たちに元気なことを教えてくれました」
「葉を出したからといって元気なわけではないんだが」
 実紅はそう言いながらもテレビが気になるのか、縁側から歩いてきてこたつに入った。相変わらず目線は本に落としたままだ。
「今作業されているのは地域の樹木医の方々で、御台桜が今年は花を咲かせてくれるのか様子を見ていらっしゃいます。主任の上田さんに話を伺ってみましょう。」
 六十代くらいのよく日焼けした男性が画面に映り、アナウンサーにマイクを向けられた。
「大きな虫害や病気もなく状態に問題はないように見えますが、もしかしたら近年の異常気象で木のホルモンバランスが乱れているのかもしれません。しっかり出来ることをして、春に備えるしかないですね」
 アナウンサーが深くうなずいた。
「本当に異常気象が続いていますからね。御台桜の開花は地域の皆さんが毎年楽しみにしているので、ぜひ今年はきれいな花を見せて欲しいところです。以上、敬葉寺から中継でした」

「智恵」
 俺が身体を起こすと彼女はちょうど三つ目のみかんに手を伸ばしたところだったが、私は何も知りませんというようにするするとコタツの中に引っ込めた。
「なにかご用でしょうか」
「敬葉寺に行こう」
「まさか御台桜と話しに行くの?」
 俺はニヤリとした。
「さすが知恵の木様、察しがいい」
「こういう時だけヨイショするの止めてくれる?」
「ただでとは言わない。流行のお菓子を買ってやるぞ」
「知恵の木様に任せなさい。ほら行くわよ」
 キリリとした顔で立つなり、外出の準備を始めた。
「智恵は相変わらず現金だな」
 あきれ顔の実紅の横で、日向さんがいそいそと台所に向かった。
「あら、善は急げよね。おにぎり握るからちょっと待っててね」

 日向さんのおにぎりを持って家を出た俺たちは、天気がいいので運動がてら歩いてのんびり敬葉寺へ向かった。途中で商店街のスーパーに立ち寄って、約束どおりお菓子を買うことも忘れない。
「……おいしい」
 歩きながらパッケージをしげしげと眺める智恵に、俺は満足そうにうなずいた。
「だろ?」
 目を輝かせた智恵の手に握られているのは、お馴染みの黒い雷神ブラックサンダーだ。
「最高においしいわ。サクサクのココアクッキーの中にチョコを入れてチョコでコーティングするとか、考えた人天才じゃない?世の中にこんなに素晴らしい食べ物があったなんて感動だわ。あまりのおいしさに雷に打たれたような衝撃が走るからこの名前なのかしら」
「食ったんだから働いてもらうぞ」
「……」
 もぐもぐと口を動かしながらさりげなく俺のポケットにゴミをねじ込もうするので急いでかわした。
「自分で捨てろよ!」
「めんどくさい。最近のお菓子は包装が丁寧すぎるのよ」

 そんなこんなで敬葉寺の門に着くと、幸運なことに丁度お昼時で他に参拝者は見当たらなかった。
「元々桜の季節以外はそんなに人が多いところじゃないのよね」
「そうなのか」
「他にソメイヨシノもあるけど……桜祭りは御台桜を中心に屋台が出るから、人としてはやっぱり御台桜が咲いたほうが楽しいわよね」
 だとしたら去年は寺の人も目玉の御台桜が咲かなくて困っただろうと考えながら歩いていると、目的の広場に着いた。
 御台桜は遠目からでも思わず目を奪われる高さとどっしりとした幹周りが古木の風格を感じさせ、近づけば近づくほど大きくなっていく。幸いテレビの取材班も作業着の人たちもすでにいなくなっていて安心した。
「こりゃあ大きいな」
 思わず声に出すと、智恵も同意した。
「本当ねぇ」
 根元までたどり着くと大木の周りは寒々としていて、春になれば取り合いになるであろうベンチにも今は誰もおらず、動くものといえば一羽の鳩だけだ。冬の弱い日差しを受けて首周りを玉虫のように光らせながら、てくてくと歩いている。
「まずは自分で見てみなさいよ」
「俺はじいさんと違って種や苗から接してないとあんまり聞こえないんだよ」
 立て看板に御台桜の由来が記されているのを読みながら弁解したが、知恵の木様は鳩を追い回すのに夢中のご様子なので仕方なく御台桜に目をやった。
 深呼吸して気持ちをリセットし、幹の周囲を回りながら神経を集中して幹、根元をまんべんなく見てみる。樹皮の模様や根の形にも目を凝らす。最後に腰を伸ばし、はるか高くまで伸びた堂々たる枝を仰ぐ……が、特に訴えてくるものはなく、首を傾げるしかなかった。
「……仮病か?」
「修行が足りないわねぇ」
 俺がめぼしい成果を上げられなかったのを見て智恵は仕方なさそうに言うと御台桜の幹に手を当て、目を閉じた。日の光で誤魔化されてはいるが、よく見るとその身体がほんのりと光っている。食欲の化身である点を除けば、ごく普通にかわいい女の子にしか見えない普段の姿からは想像できないが、智恵はこれが抜群に上手い。
 これとはつまり、植物の持つ意識を人の姿にして引っ張り出すことだ。精霊化、とでもいうべきだろうか。以前に日向さんと実紅にも聞いてみたが、二人は自分が精霊化することは簡単でも他の木の意識を人の形にすることは難しいらしい。智恵曰く『少しコツがある』だそうで、そこはさすが知恵の木様といった所だろうか。

 智恵がゆっくりと手を引くと、その手にはちょうど握手するような形で手が握られており、人の形をした何かの手を引いているのがわかる。何度見ても神秘的なその光景を、俺はいつにも増して固唾を呑んで見守った。
――桜の精霊といえば、そりゃあもう非の打ち所のない大和撫子のお姿のはず……!
 茶色い着物をまとった腕が現れ、人の足が一歩土を踏む。満を持して智恵の手に引かれて出てきたのは……しわくちゃで腰の曲がった老人だった。
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