月曜日の方違さんは、たどりつけない

猫村まぬる

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第十一話:月曜日の方違さんは、一生許さない

11-4 僕はホームから飛び降りて

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 彼女と僕の間の線路に、湿った雪がぼそぼそと降っていた。
 方違さんはゆっくりと僕に背を向け、改札口へと歩き始めた。

「方違さん! 待って!」

 僕はホームから飛び降りて、二本の線路を斜めに走り抜け、彼女のいるホームによじ登った。

「方違さん、違うよ! ねえ」

 足を止めず、早めもしない方違さんの背中に僕はすぐ追いつき、ダッフルコートの肩に手をかけた。
「触んないで! どっか行って!」
 方違さんは振り返りざまに、拳骨で僕の肩をどんと突いた。
「行かないよ、どこも!」
 僕が強引に抱きしめようとすると、方違さんは腕をばたばたと振り回して叫んだ。
「放して! キモい! 香水臭い!」
「放さないってば! 方違さん、誤解してるんだ」
「なにが誤解? オバサンと、だ、抱きあって、こ、興奮してたじゃん! 苗村のマザコン! ロ、ロ、ロリコンの、シスコンの、マザコン! うう、うわーん」

 方違さんは僕の胸に頭突きとパンチを繰り返しながら、わあわあと泣いた。
 僕は全身の力で方違さんを抱いて、暴れる頭を僕の胸に押さえつけた。

「大好きだよ、僕が好きなのは方違さんだけだよ」
「香水臭い」
「違うんだ、聞いて、あの人はね、方違さんの――」
「そんなの知ってるし」
「えっ?」
「いくら厚化粧してたって分かるよ、自分の顔くらい」

 方違さんはふっと力を抜き、涙と鼻水とよだれでぐしょぐしょの顔で僕を見上げ、青く澄んだ泉の瞳で僕を見つめた。

「今日、すごく楽しみにしてたのに。あのひと、ずるいよ、大人のくせに。今日のまもるくんは、今日のわたしだけのまもるくんだったのに」
「……ごめん」
「悲しいけど、わたしもう、一生まもるくんを許さない。いくら強くぎゅっとしても許さない。くるり愛してる、って言っても許さない」
 僕は腕に力を込め、オレンジの香りの髪に頬ずりした。
「くるり、愛してるよ」
「そんなんじゃまだ弱い。あとそれから、キ、キ、キス五回、じゃなくて、えと、三回しても許さない」

 僕は言われるままにした。小さな体と手足を、ぎゅっと束ねるみたいに抱きしめながら、大人とは違う丸っこい輪郭の、塩辛い頬に一回。それから、熱く濡れた唇に二回、三回。息継ぎのあと、少し柔らかくゆるんだ唇に四回、五回。

「んっ、香水臭い。まさか、あのオバサンとしてないよね」
「絶対にしてない。信じないなら十五年後に自分で確かめて」
「じゃあそれまで信じないし、許さない」と言いつつ、方違さんは対戦ゲームで勝った時の顔をしていた。「けど今日はもういい。腕、放して。痛いよ」
「ごめん」
 腕をほどくと、方違さんは僕の手から紙袋を奪い取った。
「このチョコは、わたしが食べるから」
「それ、チョコなの?」
「当たり前じゃん。まもるくんはこっちを食べるんだよ」
 そう言って、彼女は僕の手に小さなビニール袋を握らせた。

   ◇

 さて、お話はまだここで終わりじゃない。

 そのあと僕らは駅裏のカラオケボックスで半日過ごしたのだけど、未来の高級チョコレートを箱ごと独占して無言でもぐもぐしていた方違さんが、包装紙の中から小さな紙を見つけたのだ。
 どうやら僕への手紙らしい。

 見せてと言える雰囲気じゃないので、僕は方違さん作の豆腐ブラウニー(意外においしい)を食べながら、彼女の反応をうかがっていた。

 方違さんはしばらくのあいだ眉をひそめて手紙を読んでいたけど、突然さっと青ざめた。
「わたしが読むって、分かってたんだ……」
 そうつぶやくと、彼女は手紙をくしゃくしゃにして、引きちぎろうとした。
「あっ」
 僕が手を伸ばすと、方違さんは紙を口に放り込み、ウーロン茶で一気に飲み下した。
「方違さん?!」
「うぐ、かはっ、げほごほ」
 僕はあわてて彼女の背中をさすった。
「なんで飲むの。何が書いてあったのさ」

 僕のカルピスも飲み干し、ようやく落ち着いた方違さんは、今まででいちばん真剣な顔をしていた。

「わたし、まもるくんが好き。愛してる。もっと抱き合ったり、キスしたり、いつかは、もっといろんなこともして、いつまでもいっしょにいたい。まもるくんも、そう思ってるよね? ね?」
「えっ、あの、正直、思ってるけど……」
「じゃあ、ひとつだけ約束を守って。そしたら、十五年でも、五十年でもずっといっしょにいてあげる。ほかのことはなんでもいいから、おねがい。約束して」
「もちろん、約束は守るけど……どんな?」

 方違さんは痛いほど強く、僕の手を握った。

「いい? 理由は言えない。もう飲み込んじゃったし。でも絶対に、絶対に忘れないで。何があっても、大切な用事があっても、たとえばもし、わたしが遠くで事故とかにあっても」

 震える声で彼女は言った。

「飛行機にだけは、絶対に乗らないで」

   ◇

 それ以来、方違さんはこの件を話題にするのを避けてるみたいだ。だけど絶対に忘れてないはずだし、僕も忘れない。
 もともと嫌いな飛行機だけど、将来たとえば仕事とかで必要でも、約束する、僕は二度と乗らない。もしも日本が沈むなら、二人で船で漕ぎだそう。

 十五年後も五十年後も、なんなら百年後も、この小さくて冷たい手を、ずっと握っていられるように。

(最終話へつづく)
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