月曜日の方違さんは、たどりつけない

猫村まぬる

文字の大きさ
上 下
7 / 55
第一話:月曜日の方違さんは、起きられない

1-3 逃げるという選択肢はもうなかった

しおりを挟む
「寝過ごしてここまで来ちまったわけかね。ははは、そりゃ気の毒なね。あたしゃてっきり、学校をサボってデートしとる不良かと思ったがね」

 食堂にいたのは、汚いエプロンをしたおばあさんだった。
 方違さんは僕の斜め後ろできょろきょろしている。壁も床も油煙で黒ずみ、紙にマジックで書いて貼られたメニューはほとんど読めない。

「急ぎなら、縦浜スカイライナーに乗ればいい。あれがいっちゃん速い。乗り場へはうちの裏口を出て一本道さね」
 おばあさんが指さす方には、ビールの樽や段ボールが積まれてやっと通れるほどの狭い通路があった。
「ここで切符を買って行きなね。乗り場で買うより安いで」
 お金を渡すと、おばあさんはエプロンのポケットからくしゃくしゃのチケットを二枚出して方違さんに渡した。
「お嬢ちゃん、次に来たときは縦浜名物の天つゆ丼でも食べて行きなね」
「え……、おいしそう……また来ます」
 僕は二度と来ないと思う。悪いけど。

   ◇

 裏口を出ると、崖に取り付けられた木造の通路が遠くまで続いているのが見えて、僕と方違さんはまた顔を見合わせた。

 作られてから何十年も経ってそうで、板が割れて隙間が出来てたり、コケが生えていたりする。古い縁側みたいなものが、何十メートルも続くのだ。
 幅は一メートルもないだろう。右側は崖。左側は、一応手すりはあるけど僕の膝くらいの高さで、その向こうは青空しかない。ちょっとつまづいただけでも空中に投げ出されて落ちてしまいそうだった。
 ずっと遠くに見えるのが、縦浜スカイライナーの駅だろうか。駅前食堂と同じようなボロ家にしか見えないけど。

 体を崖の方に向けて、横歩きで進むしかなさそうだ。
 行くしかない。
 僕が右手を差し出すと、方違さんは左手でしっかりと握りかえしてきた。方違さんの手は小さくて、冷たくて、人形の手みたいにすべすべしていた。

 僕が前になって、少しずつ進んだ。通路は行けば行くほど古くなるみたいで、一歩踏むごとにぎしぎしと鳴った。
 方違さんはますます強く僕の手を握る。

 こんなにしっかり手をつないでいたら、僕が落ちたとき方違さんまで巻き添えにしてしまう。
 でもその小さな手を振りほどくことなんてできなかった。

 しょうがない。落ちるときはいっしょだ。

   ◇

 何分かかったか分からないけど、僕らはどうにか目指す場所に到着できた。
 食堂よりも何倍も大きいが、さらにぼろぼろの木の建物が、何十本もの斜めの支柱に支えられて崖にしがみついている。
 壁には白いペンキで「縦浜スカイライナーのりば」と書いてあった。

 僕はトタン板のドアを開けて、真っ暗な中に向かって言った。
「ごめんください。スカイライナーに乗りたいんですが」
「はいはい」
 出てきたのは野球帽に作業服の、どうみても農家のおじさんだった。
「こっちだよ」

 おじさんの案内に従って歩き出したとき、僕はまだ方違さんの手を強く握ったままでいることに気づいて、あわてて離した。
 大きな暗い部屋で、おじさんが電気のスイッチを入れた。

 そこにあるものが「縦浜スカイライナー」であることを僕が理解するまでに、一分くらいかかった。
 なるほど。電車じゃなかったわけだ。

「方違さん」
「ん?」
「僕は駅に戻って夕方の電車で帰るから、また明日ね。クラスのみんなによろしく」
「え、一緒に行くって……」
「無理だよ……。これは無理だよ……」
「あんな高いところで助けてくれたのに?」
「いやだ! 絶対無理!! 勘弁してよ、飛行機だけは……だって、普通の飛行機が空を飛んでるのを見るだけでも怖いのに!」

 縦浜スカイライナーというのは、言ってみれば翼のついたビニールハウスか、巨大な提灯みたいなものだった。
 カーボン(まさか竹じゃない……と思う)の骨組みに、厚めのビニール布みたいなものを張っただけで作られた、モーターの無いグライダーだ。
 中には座席が四つあって、いちおう人を乗せられるようにはなってるみたいだけど――。

「苗村くん、大丈夫だよ。見て、シートベルトがある」
「関係ないよ! これ、落ちるよ! 落ちたらシートベルト意味無いでしょ!」
「きっと落ちないよ。軽そうだし……」
「男が、情けねえぞぉ」とおじさんが笑った。「小さい嬢ちゃんのほうがよっぽど肝っ玉が座っとるし、分別もある」
 僕はめまいがしてきた
「怖くないの……方違さんは……」
「ん。怖くないよ」と、方違さんは当たり前みたいに言った。「さっきも怖くなかった。なんでかな、苗村くんがいっしょだと、怖くないみたい……」

 ここまで言われては、逃げるという選択肢はもうなかった。
 それは方違さんから逃げることだ。
 せっかくの新しい友達を捨てることだ。

「じゃあ……目をつぶって乗るから、ごめん、方違さん、誘導してくれる?」
「わたし、いい考えがある」
 と言うと、方違さんは自分の制服のネクタイをするすると外しはじめた。
「えっ、なに、ちょっと待って」
「苗村くん、向こうむいて……」
「えっ……あっ?」
 あわてて顔をそむけると、目の前が真っ暗になった。
「これで、こわくない?」

 それからのことは、あまりよく覚えていない。
 記憶にあるのは、「進路ヨシ! 風向きヨシ!」というおじさんの声と、急激な加速度と落下感。
 そして、何も見えない世界で僕の手をずっと握ってくれている、小さくて冷たい、すべすべした手の感触だけだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...