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第一話:月曜日の方違さんは、起きられない
1-3 逃げるという選択肢はもうなかった
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「寝過ごしてここまで来ちまったわけかね。ははは、そりゃ気の毒なね。あたしゃてっきり、学校をサボってデートしとる不良かと思ったがね」
食堂にいたのは、汚いエプロンをしたおばあさんだった。
方違さんは僕の斜め後ろできょろきょろしている。壁も床も油煙で黒ずみ、紙にマジックで書いて貼られたメニューはほとんど読めない。
「急ぎなら、縦浜スカイライナーに乗ればいい。あれがいっちゃん速い。乗り場へはうちの裏口を出て一本道さね」
おばあさんが指さす方には、ビールの樽や段ボールが積まれてやっと通れるほどの狭い通路があった。
「ここで切符を買って行きなね。乗り場で買うより安いで」
お金を渡すと、おばあさんはエプロンのポケットからくしゃくしゃのチケットを二枚出して方違さんに渡した。
「お嬢ちゃん、次に来たときは縦浜名物の天つゆ丼でも食べて行きなね」
「え……、おいしそう……また来ます」
僕は二度と来ないと思う。悪いけど。
◇
裏口を出ると、崖に取り付けられた木造の通路が遠くまで続いているのが見えて、僕と方違さんはまた顔を見合わせた。
作られてから何十年も経ってそうで、板が割れて隙間が出来てたり、コケが生えていたりする。古い縁側みたいなものが、何十メートルも続くのだ。
幅は一メートルもないだろう。右側は崖。左側は、一応手すりはあるけど僕の膝くらいの高さで、その向こうは青空しかない。ちょっとつまづいただけでも空中に投げ出されて落ちてしまいそうだった。
ずっと遠くに見えるのが、縦浜スカイライナーの駅だろうか。駅前食堂と同じようなボロ家にしか見えないけど。
体を崖の方に向けて、横歩きで進むしかなさそうだ。
行くしかない。
僕が右手を差し出すと、方違さんは左手でしっかりと握りかえしてきた。方違さんの手は小さくて、冷たくて、人形の手みたいにすべすべしていた。
僕が前になって、少しずつ進んだ。通路は行けば行くほど古くなるみたいで、一歩踏むごとにぎしぎしと鳴った。
方違さんはますます強く僕の手を握る。
こんなにしっかり手をつないでいたら、僕が落ちたとき方違さんまで巻き添えにしてしまう。
でもその小さな手を振りほどくことなんてできなかった。
しょうがない。落ちるときはいっしょだ。
◇
何分かかったか分からないけど、僕らはどうにか目指す場所に到着できた。
食堂よりも何倍も大きいが、さらにぼろぼろの木の建物が、何十本もの斜めの支柱に支えられて崖にしがみついている。
壁には白いペンキで「縦浜スカイライナーのりば」と書いてあった。
僕はトタン板のドアを開けて、真っ暗な中に向かって言った。
「ごめんください。スカイライナーに乗りたいんですが」
「はいはい」
出てきたのは野球帽に作業服の、どうみても農家のおじさんだった。
「こっちだよ」
おじさんの案内に従って歩き出したとき、僕はまだ方違さんの手を強く握ったままでいることに気づいて、あわてて離した。
大きな暗い部屋で、おじさんが電気のスイッチを入れた。
そこにあるものが「縦浜スカイライナー」であることを僕が理解するまでに、一分くらいかかった。
なるほど。電車じゃなかったわけだ。
「方違さん」
「ん?」
「僕は駅に戻って夕方の電車で帰るから、また明日ね。クラスのみんなによろしく」
「え、一緒に行くって……」
「無理だよ……。これは無理だよ……」
「あんな高いところで助けてくれたのに?」
「いやだ! 絶対無理!! 勘弁してよ、飛行機だけは……だって、普通の飛行機が空を飛んでるのを見るだけでも怖いのに!」
縦浜スカイライナーというのは、言ってみれば翼のついたビニールハウスか、巨大な提灯みたいなものだった。
カーボン(まさか竹じゃない……と思う)の骨組みに、厚めのビニール布みたいなものを張っただけで作られた、モーターの無いグライダーだ。
中には座席が四つあって、いちおう人を乗せられるようにはなってるみたいだけど――。
「苗村くん、大丈夫だよ。見て、シートベルトがある」
「関係ないよ! これ、落ちるよ! 落ちたらシートベルト意味無いでしょ!」
「きっと落ちないよ。軽そうだし……」
「男が、情けねえぞぉ」とおじさんが笑った。「小さい嬢ちゃんのほうがよっぽど肝っ玉が座っとるし、分別もある」
僕はめまいがしてきた
「怖くないの……方違さんは……」
「ん。怖くないよ」と、方違さんは当たり前みたいに言った。「さっきも怖くなかった。なんでかな、苗村くんがいっしょだと、怖くないみたい……」
ここまで言われては、逃げるという選択肢はもうなかった。
それは方違さんから逃げることだ。
せっかくの新しい友達を捨てることだ。
「じゃあ……目をつぶって乗るから、ごめん、方違さん、誘導してくれる?」
「わたし、いい考えがある」
と言うと、方違さんは自分の制服のネクタイをするすると外しはじめた。
「えっ、なに、ちょっと待って」
「苗村くん、向こうむいて……」
「えっ……あっ?」
あわてて顔をそむけると、目の前が真っ暗になった。
「これで、こわくない?」
それからのことは、あまりよく覚えていない。
記憶にあるのは、「進路ヨシ! 風向きヨシ!」というおじさんの声と、急激な加速度と落下感。
そして、何も見えない世界で僕の手をずっと握ってくれている、小さくて冷たい、すべすべした手の感触だけだ。
食堂にいたのは、汚いエプロンをしたおばあさんだった。
方違さんは僕の斜め後ろできょろきょろしている。壁も床も油煙で黒ずみ、紙にマジックで書いて貼られたメニューはほとんど読めない。
「急ぎなら、縦浜スカイライナーに乗ればいい。あれがいっちゃん速い。乗り場へはうちの裏口を出て一本道さね」
おばあさんが指さす方には、ビールの樽や段ボールが積まれてやっと通れるほどの狭い通路があった。
「ここで切符を買って行きなね。乗り場で買うより安いで」
お金を渡すと、おばあさんはエプロンのポケットからくしゃくしゃのチケットを二枚出して方違さんに渡した。
「お嬢ちゃん、次に来たときは縦浜名物の天つゆ丼でも食べて行きなね」
「え……、おいしそう……また来ます」
僕は二度と来ないと思う。悪いけど。
◇
裏口を出ると、崖に取り付けられた木造の通路が遠くまで続いているのが見えて、僕と方違さんはまた顔を見合わせた。
作られてから何十年も経ってそうで、板が割れて隙間が出来てたり、コケが生えていたりする。古い縁側みたいなものが、何十メートルも続くのだ。
幅は一メートルもないだろう。右側は崖。左側は、一応手すりはあるけど僕の膝くらいの高さで、その向こうは青空しかない。ちょっとつまづいただけでも空中に投げ出されて落ちてしまいそうだった。
ずっと遠くに見えるのが、縦浜スカイライナーの駅だろうか。駅前食堂と同じようなボロ家にしか見えないけど。
体を崖の方に向けて、横歩きで進むしかなさそうだ。
行くしかない。
僕が右手を差し出すと、方違さんは左手でしっかりと握りかえしてきた。方違さんの手は小さくて、冷たくて、人形の手みたいにすべすべしていた。
僕が前になって、少しずつ進んだ。通路は行けば行くほど古くなるみたいで、一歩踏むごとにぎしぎしと鳴った。
方違さんはますます強く僕の手を握る。
こんなにしっかり手をつないでいたら、僕が落ちたとき方違さんまで巻き添えにしてしまう。
でもその小さな手を振りほどくことなんてできなかった。
しょうがない。落ちるときはいっしょだ。
◇
何分かかったか分からないけど、僕らはどうにか目指す場所に到着できた。
食堂よりも何倍も大きいが、さらにぼろぼろの木の建物が、何十本もの斜めの支柱に支えられて崖にしがみついている。
壁には白いペンキで「縦浜スカイライナーのりば」と書いてあった。
僕はトタン板のドアを開けて、真っ暗な中に向かって言った。
「ごめんください。スカイライナーに乗りたいんですが」
「はいはい」
出てきたのは野球帽に作業服の、どうみても農家のおじさんだった。
「こっちだよ」
おじさんの案内に従って歩き出したとき、僕はまだ方違さんの手を強く握ったままでいることに気づいて、あわてて離した。
大きな暗い部屋で、おじさんが電気のスイッチを入れた。
そこにあるものが「縦浜スカイライナー」であることを僕が理解するまでに、一分くらいかかった。
なるほど。電車じゃなかったわけだ。
「方違さん」
「ん?」
「僕は駅に戻って夕方の電車で帰るから、また明日ね。クラスのみんなによろしく」
「え、一緒に行くって……」
「無理だよ……。これは無理だよ……」
「あんな高いところで助けてくれたのに?」
「いやだ! 絶対無理!! 勘弁してよ、飛行機だけは……だって、普通の飛行機が空を飛んでるのを見るだけでも怖いのに!」
縦浜スカイライナーというのは、言ってみれば翼のついたビニールハウスか、巨大な提灯みたいなものだった。
カーボン(まさか竹じゃない……と思う)の骨組みに、厚めのビニール布みたいなものを張っただけで作られた、モーターの無いグライダーだ。
中には座席が四つあって、いちおう人を乗せられるようにはなってるみたいだけど――。
「苗村くん、大丈夫だよ。見て、シートベルトがある」
「関係ないよ! これ、落ちるよ! 落ちたらシートベルト意味無いでしょ!」
「きっと落ちないよ。軽そうだし……」
「男が、情けねえぞぉ」とおじさんが笑った。「小さい嬢ちゃんのほうがよっぽど肝っ玉が座っとるし、分別もある」
僕はめまいがしてきた
「怖くないの……方違さんは……」
「ん。怖くないよ」と、方違さんは当たり前みたいに言った。「さっきも怖くなかった。なんでかな、苗村くんがいっしょだと、怖くないみたい……」
ここまで言われては、逃げるという選択肢はもうなかった。
それは方違さんから逃げることだ。
せっかくの新しい友達を捨てることだ。
「じゃあ……目をつぶって乗るから、ごめん、方違さん、誘導してくれる?」
「わたし、いい考えがある」
と言うと、方違さんは自分の制服のネクタイをするすると外しはじめた。
「えっ、なに、ちょっと待って」
「苗村くん、向こうむいて……」
「えっ……あっ?」
あわてて顔をそむけると、目の前が真っ暗になった。
「これで、こわくない?」
それからのことは、あまりよく覚えていない。
記憶にあるのは、「進路ヨシ! 風向きヨシ!」というおじさんの声と、急激な加速度と落下感。
そして、何も見えない世界で僕の手をずっと握ってくれている、小さくて冷たい、すべすべした手の感触だけだ。
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