上 下
135 / 140
第32章 小さな優しい声で「目が覚めた?」と言った。

32-2 奇跡

しおりを挟む
 エンジンからの排気が熱風となって快晴の空の下を吹き抜け、コンクリートに照り返された陽光が肌を焼き、目を射た。

 クンティラナック行きの飛行機は、やはりマイクロバスに翼とプロペラをつけたような代物だった。
 タラップを登って座席につくと、ばっちりアイメイクを決めた若い客室乗務員が、猛烈な早口のインドネシア語と英語で安全説明を始めた。
 エンジンの音が高まり、機体はゆっくりと走りだす。

 隣の席には茉莉がいる。
 前より少し伸びた髪をポニーテールにして、今朝ホテルの庭で庭師にもらったジャスミンの花を飾っているのが、とても可愛い。肩を出したジャワ更紗バティックのサマードレスも、少し日焼けした肌によく似合っている。

 僕がバンダル市中央病院で意識を取り戻したのは一週間前だった。
 インドネシア国家捜索救助庁バサルナス地方警察ポルダによると、墜落機から海に投げ出された僕は、仮死状態のまま何週間も海面を漂い、このマリムラティ島の岸に流れ着いたのだという。
 どう考えてもありそうにない話だけど、地元のメディアは「奇跡の日本人」とか言って二、三日の間話題にしたらしい。

 目を覚ましたときには、僕は水色の入院服を着せられて、左腕には点滴、顔には酸素マスクをつけられていた。
 ベッドの傍らには白いブラウスを着た茉莉が座って、僕の右手を握っていた。

 その時、僕は最初、日本語でなくこちらの言葉で「王女、僕は助かったんですね」と言ったらしい。その場に居合わせた看護師があとでそう教えてくれた。

 茉莉は小さな優しい声で「目が覚めた?」と言った。「おはよう、お兄ちゃん」
「茉莉……?」

 あの冒険の旅はすべて夢だったのか、と思った。けれど、僕の手を握っている、茉莉の左手の親指には、あのエメラルドの指輪があった。

「……手紙を読んでくれたの?」

 茉莉はこくりとうなずき、僕の右手を両手で包んだ。
 僕は茉莉を抱きしめたかったけど、まだ起き上がる力が無かった。

「……茉莉、会いたかったよ」
「わたしも……」
「ありがとう。こんな遠くまで、無理なお願いをして悪かったね」
「そんなのいいよ、いいんだよ……」

 茉莉は僕の手の甲に頬を当てて、肩を震わせて泣いた。
 入院服の袖は茉莉の涙や鼻水でぐしょぐしょになったし、強く手を握られると大きな指輪が関節に当たって痛かったけど、僕は幸せだった。

 指輪がどうして手紙の中に入っていたのか、もう知る方法も無い。
 マコーミック氏が、僕の形見になるだろうと気を回して封筒に入れてくれたのだろうか。
 おかげで切手代を借りたままで一一五年が過ぎてしまったけど、今は彼に感謝するほかない。
 彼は祖国に帰っただろうか。それともアジアのどこかで最期を迎えたのだろうか。

 あの旅から僕が持ち帰ることができたのは、この指輪ただ一つだった。
 王女から授かった短剣クリスも、肌身はなさず持っていたはずの象牙製のチェスのクイーンも、どこにも見つからなかった。
 誰に聞いても、僕はワイシャツ一枚を身に着けていただけで、所持品は何もなかったと言う。

 茉莉は、自分がもらったものだと思って指輪をお守りにしているようだ。だから、それは本当は僕の物なんだとわざわざ言うつもりもないし、もともとはペアリングの一つだったんだよと教える必要もないだろう。大切にしてくれればそれでいい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...