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第32章 小さな優しい声で「目が覚めた?」と言った。
32-2 奇跡
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エンジンからの排気が熱風となって快晴の空の下を吹き抜け、コンクリートに照り返された陽光が肌を焼き、目を射た。
クンティラナック行きの飛行機は、やはりマイクロバスに翼とプロペラをつけたような代物だった。
タラップを登って座席につくと、ばっちりアイメイクを決めた若い客室乗務員が、猛烈な早口のインドネシア語と英語で安全説明を始めた。
エンジンの音が高まり、機体はゆっくりと走りだす。
隣の席には茉莉がいる。
前より少し伸びた髪をポニーテールにして、今朝ホテルの庭で庭師にもらったジャスミンの花を飾っているのが、とても可愛い。肩を出したジャワ更紗のサマードレスも、少し日焼けした肌によく似合っている。
僕がバンダル市中央病院で意識を取り戻したのは一週間前だった。
インドネシア国家捜索救助庁や地方警察によると、墜落機から海に投げ出された僕は、仮死状態のまま何週間も海面を漂い、このマリムラティ島の岸に流れ着いたのだという。
どう考えてもありそうにない話だけど、地元のメディアは「奇跡の日本人」とか言って二、三日の間話題にしたらしい。
目を覚ましたときには、僕は水色の入院服を着せられて、左腕には点滴、顔には酸素マスクをつけられていた。
ベッドの傍らには白いブラウスを着た茉莉が座って、僕の右手を握っていた。
その時、僕は最初、日本語でなくこちらの言葉で「王女、僕は助かったんですね」と言ったらしい。その場に居合わせた看護師があとでそう教えてくれた。
茉莉は小さな優しい声で「目が覚めた?」と言った。「おはよう、お兄ちゃん」
「茉莉……?」
あの冒険の旅はすべて夢だったのか、と思った。けれど、僕の手を握っている、茉莉の左手の親指には、あのエメラルドの指輪があった。
「……手紙を読んでくれたの?」
茉莉はこくりとうなずき、僕の右手を両手で包んだ。
僕は茉莉を抱きしめたかったけど、まだ起き上がる力が無かった。
「……茉莉、会いたかったよ」
「わたしも……」
「ありがとう。こんな遠くまで、無理なお願いをして悪かったね」
「そんなのいいよ、いいんだよ……」
茉莉は僕の手の甲に頬を当てて、肩を震わせて泣いた。
入院服の袖は茉莉の涙や鼻水でぐしょぐしょになったし、強く手を握られると大きな指輪が関節に当たって痛かったけど、僕は幸せだった。
指輪がどうして手紙の中に入っていたのか、もう知る方法も無い。
マコーミック氏が、僕の形見になるだろうと気を回して封筒に入れてくれたのだろうか。
おかげで切手代を借りたままで一一五年が過ぎてしまったけど、今は彼に感謝するほかない。
彼は祖国に帰っただろうか。それともアジアのどこかで最期を迎えたのだろうか。
あの旅から僕が持ち帰ることができたのは、この指輪ただ一つだった。
王女から授かった短剣も、肌身はなさず持っていたはずの象牙製のチェスのクイーンも、どこにも見つからなかった。
誰に聞いても、僕はワイシャツ一枚を身に着けていただけで、所持品は何もなかったと言う。
茉莉は、自分がもらったものだと思って指輪をお守りにしているようだ。だから、それは本当は僕の物なんだとわざわざ言うつもりもないし、もともとはペアリングの一つだったんだよと教える必要もないだろう。大切にしてくれればそれでいい。
クンティラナック行きの飛行機は、やはりマイクロバスに翼とプロペラをつけたような代物だった。
タラップを登って座席につくと、ばっちりアイメイクを決めた若い客室乗務員が、猛烈な早口のインドネシア語と英語で安全説明を始めた。
エンジンの音が高まり、機体はゆっくりと走りだす。
隣の席には茉莉がいる。
前より少し伸びた髪をポニーテールにして、今朝ホテルの庭で庭師にもらったジャスミンの花を飾っているのが、とても可愛い。肩を出したジャワ更紗のサマードレスも、少し日焼けした肌によく似合っている。
僕がバンダル市中央病院で意識を取り戻したのは一週間前だった。
インドネシア国家捜索救助庁や地方警察によると、墜落機から海に投げ出された僕は、仮死状態のまま何週間も海面を漂い、このマリムラティ島の岸に流れ着いたのだという。
どう考えてもありそうにない話だけど、地元のメディアは「奇跡の日本人」とか言って二、三日の間話題にしたらしい。
目を覚ましたときには、僕は水色の入院服を着せられて、左腕には点滴、顔には酸素マスクをつけられていた。
ベッドの傍らには白いブラウスを着た茉莉が座って、僕の右手を握っていた。
その時、僕は最初、日本語でなくこちらの言葉で「王女、僕は助かったんですね」と言ったらしい。その場に居合わせた看護師があとでそう教えてくれた。
茉莉は小さな優しい声で「目が覚めた?」と言った。「おはよう、お兄ちゃん」
「茉莉……?」
あの冒険の旅はすべて夢だったのか、と思った。けれど、僕の手を握っている、茉莉の左手の親指には、あのエメラルドの指輪があった。
「……手紙を読んでくれたの?」
茉莉はこくりとうなずき、僕の右手を両手で包んだ。
僕は茉莉を抱きしめたかったけど、まだ起き上がる力が無かった。
「……茉莉、会いたかったよ」
「わたしも……」
「ありがとう。こんな遠くまで、無理なお願いをして悪かったね」
「そんなのいいよ、いいんだよ……」
茉莉は僕の手の甲に頬を当てて、肩を震わせて泣いた。
入院服の袖は茉莉の涙や鼻水でぐしょぐしょになったし、強く手を握られると大きな指輪が関節に当たって痛かったけど、僕は幸せだった。
指輪がどうして手紙の中に入っていたのか、もう知る方法も無い。
マコーミック氏が、僕の形見になるだろうと気を回して封筒に入れてくれたのだろうか。
おかげで切手代を借りたままで一一五年が過ぎてしまったけど、今は彼に感謝するほかない。
彼は祖国に帰っただろうか。それともアジアのどこかで最期を迎えたのだろうか。
あの旅から僕が持ち帰ることができたのは、この指輪ただ一つだった。
王女から授かった短剣も、肌身はなさず持っていたはずの象牙製のチェスのクイーンも、どこにも見つからなかった。
誰に聞いても、僕はワイシャツ一枚を身に着けていただけで、所持品は何もなかったと言う。
茉莉は、自分がもらったものだと思って指輪をお守りにしているようだ。だから、それは本当は僕の物なんだとわざわざ言うつもりもないし、もともとはペアリングの一つだったんだよと教える必要もないだろう。大切にしてくれればそれでいい。
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