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第23章 キジャン、君にひとつお願いをしてもいいかな
23-2 聖泉
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カイヌウェランの家を出て梯子を下り、「聖なる泉」に近づいてのぞき込んでみる。
正方形の石組に囲われた水は澄んでおり、さざ波一つ立っていなかったけれど、深くなるほど明るい水色から濃いブルーに色を変え、さらにその奥は真っ暗で何も見えない。何匹かの小魚の影がちらついた。本当に海に通じているのだろうか。
「そこ、水の上、お茶碗浮かべるの」
と、いつの間にか隣に来ていたキジャンが言った。
「お茶碗、みっつ、よっつ、もっとたくさん。お茶碗の中、夢香、火、つけて。あなた、水、入る。それから、夢を見るの」
「君は、やったことがあるの?」
「無い。内の人、この方法しない。外の人、する。どうして? 外の人、殺すの好きね。だから戻すのも好きね」
「そうかも知れないね」
だけどダラムのこの平和もいつまでも続かないだろう。
ウトモ王に始まる今の王家も外来王朝のようだけど、おそらくダラムの神秘的な力を畏れ、尊重し、滅ぼすことはしなかったのだろう。
だけど近代国家は――イギリスにせよ、オランダにせよ、インドネシアやマレーシアにせよ――天然資源と労働力を求め、容赦なくダラムを併合するだろう。
「でも、わたし、おじさん好き」そう言ってキジャンは、おおげさに両腕を広げて、僕の腰に抱きついてみせた。「おじさんら、トラ、殺さない。わたし、カイヌウェラン様とお父さんに話したよ。もし、トラ殺す、カイヌウェラン様、あなたたち会わない」
このキジャンが、将来はこのヌグリグデの族長になるのだという。
おそらくは、最後の族長に。
「キジャン、君にひとつお願いをしてもいいかな」僕はその場にしゃがんで目の高さをキジャンと合わせた。「無理な頼みかも知れないけど、どうか聞くだけは聞いてほしい。無理なら無理でも構わないよ」
キジャンはうなずいた。だけどその時、カイヌウェランの家の中から物音と、鋭い悲鳴のような人の声が聞こえた。
僕とキジャンが梯子を駆け上がって部屋に飛び込むと、アディに後ろから抱きすくめられた赤い巻衣姿の王女が、ほどけた髪を振り乱し、白い太ももを露わにしてもがきながら、喉が張り裂けそうな声で泣きわめいていた。
膝を蹴られ、腕を引っかかれて血を流しながらも、アディは辛抱強く王女の体を抱いて放さない。
身軽なキジャンがアディの足下から小さな壺を取って来てカイヌウェランに渡すと、老女はマントラらしきものを唱えながら、壺に入ったハッカ油のような匂いの液体を頭から王女に振りかけた。
途端に王女は膝から崩れ落ちた。それでもなお身をよじって血を吐くような声で号泣し続ける彼女を、アディはいつまでも、しっかりと抱きしめていた。
正方形の石組に囲われた水は澄んでおり、さざ波一つ立っていなかったけれど、深くなるほど明るい水色から濃いブルーに色を変え、さらにその奥は真っ暗で何も見えない。何匹かの小魚の影がちらついた。本当に海に通じているのだろうか。
「そこ、水の上、お茶碗浮かべるの」
と、いつの間にか隣に来ていたキジャンが言った。
「お茶碗、みっつ、よっつ、もっとたくさん。お茶碗の中、夢香、火、つけて。あなた、水、入る。それから、夢を見るの」
「君は、やったことがあるの?」
「無い。内の人、この方法しない。外の人、する。どうして? 外の人、殺すの好きね。だから戻すのも好きね」
「そうかも知れないね」
だけどダラムのこの平和もいつまでも続かないだろう。
ウトモ王に始まる今の王家も外来王朝のようだけど、おそらくダラムの神秘的な力を畏れ、尊重し、滅ぼすことはしなかったのだろう。
だけど近代国家は――イギリスにせよ、オランダにせよ、インドネシアやマレーシアにせよ――天然資源と労働力を求め、容赦なくダラムを併合するだろう。
「でも、わたし、おじさん好き」そう言ってキジャンは、おおげさに両腕を広げて、僕の腰に抱きついてみせた。「おじさんら、トラ、殺さない。わたし、カイヌウェラン様とお父さんに話したよ。もし、トラ殺す、カイヌウェラン様、あなたたち会わない」
このキジャンが、将来はこのヌグリグデの族長になるのだという。
おそらくは、最後の族長に。
「キジャン、君にひとつお願いをしてもいいかな」僕はその場にしゃがんで目の高さをキジャンと合わせた。「無理な頼みかも知れないけど、どうか聞くだけは聞いてほしい。無理なら無理でも構わないよ」
キジャンはうなずいた。だけどその時、カイヌウェランの家の中から物音と、鋭い悲鳴のような人の声が聞こえた。
僕とキジャンが梯子を駆け上がって部屋に飛び込むと、アディに後ろから抱きすくめられた赤い巻衣姿の王女が、ほどけた髪を振り乱し、白い太ももを露わにしてもがきながら、喉が張り裂けそうな声で泣きわめいていた。
膝を蹴られ、腕を引っかかれて血を流しながらも、アディは辛抱強く王女の体を抱いて放さない。
身軽なキジャンがアディの足下から小さな壺を取って来てカイヌウェランに渡すと、老女はマントラらしきものを唱えながら、壺に入ったハッカ油のような匂いの液体を頭から王女に振りかけた。
途端に王女は膝から崩れ落ちた。それでもなお身をよじって血を吐くような声で号泣し続ける彼女を、アディはいつまでも、しっかりと抱きしめていた。
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