81 / 140
第20章 虎は小さな丸い目で王女を凝視し、鼻をひくひくと動かしながら
20-5 夢(あるいは現実)
しおりを挟む
スマートフォンが放つ緑の光で、ぼんやりとだけど部屋の中が見えた。
ニトリで買った合板のワードローブ。壁のハンガーにかかったスーツの上着とスカート。机にはノートパソコンと、子供用の学習ノート。
部屋の真ん中には布団が敷かれ、黒い髪が見えた。
枕元には十数年前の少女コミックと、資格試験のテキストが伏せてある。
あの子の寝顔を見ようと、ゆらりと立ち上がる。僕の体には重さがない。
掛け布団の端から、顔の半分、鼻から上が見えていた。
布団を少しずらしてみようとしたけど、僕の手は布団に触れる手応えもなく、ただ虚しく宙を探るだけだった。
茉莉は眠ってはいなかった。
意識は目覚めていて、二つの瞳は僕の顔をじっと見ていた。
でも体はまだ眠り続けているから、首や手を動かすことも、言葉を発することもできないのだ。
彼女の目にははっきりと表情があった。驚きと悲しみ。懇願するような、助けを求めるような、去っていく人を呼び止めようとするような。
目を見て優しい言葉でもかけてやりたかったのに、僕は自分の動きをうまくコントロールできない。自分の意志に反して不安定に揺れ動き、ゆがみ、逸れ、ずれてしまう。
茉莉の頭が少し動いた。布団の縁から半開きの唇が見え、苦しげに息をしながら、何か言おうとしているのが分かった。
でも金縛りの状態では、声を出すこともままならない。「ん、んー」と、かすかな呻き声が漏れただけだった。
僕は天井近くまで浮かび上がって、真上から茉莉の布団を見下ろしていた。
昔この部屋で、こんなふうに半覚醒状態でうなされているあの子を起こしてやったことが何度もあった。彼女の名を呼び、肩を揺さぶって目覚めさせたことが。
そんなとき茉莉はたいてい怖い夢を見ていて、目を覚ますなり僕にしがみついてくることもあった。あの子にぎゅっと抱きつかれると、僕は自分が信頼されていることを嬉しく思うと同時に、柔らかいパジャマの布地の肌触りや、汗だくになったあの子の体温や、時には涙に濡れていた冷たい頬の感触や、シャンプーと髪の脂の混じった甘い香りに、心も身も深く乱されもした。
茉莉を縛り、傷つけているのは自分なのではないかという不安にわけもなく駆られて、腕を振りほどいてしまったこともあった。
「お……」と茉莉が声を出した「に…ちゃ……」
茉莉の顔をよく見ようとすればするほど、視界はぼやけ、ゆがみ始める。
「なんで……死んじゃったの……?」
僕の存在はさらに揺らぎ、ほぐれ、崩れはじめる。
これは夢だ。
アパートの部屋で布団に横になっている茉莉の方が現実で、この部屋にいるはずのない僕の方が夢なのだ。
崩れ落ちた僕の両肩を揺さぶり、茉莉は「ミナミ、ミナミ」と僕の名前を呼んだ。
「ミナミ、起きて」
いや、違う。これは茉莉じゃない。
目を開けても部屋は真っ暗で、ほとんど何も見えなかったけど、目の前の影がムラティ王女であることは、体温と香りで分かった。
王女はもう一度、両手で僕の肩を揺すった。
「ミナミ、大丈夫?」
「夢を見ていただけです、王女」と僕は言った。「御心配には及びません」
「泣いているの?」
「ただの夢です。本当に何でもありません」
「そう。よかった」
僕の肩から手を放した王女が元の場所に戻っていく、竹の床のきしみが聞こえた。
もう行ってしまった、という切ない淋しさとともに、王女が抱きしめてくれることを意識の隅で期待していた自分に気づき、僕は二人に背を向け、朝まで固く目をつぶった。
ニトリで買った合板のワードローブ。壁のハンガーにかかったスーツの上着とスカート。机にはノートパソコンと、子供用の学習ノート。
部屋の真ん中には布団が敷かれ、黒い髪が見えた。
枕元には十数年前の少女コミックと、資格試験のテキストが伏せてある。
あの子の寝顔を見ようと、ゆらりと立ち上がる。僕の体には重さがない。
掛け布団の端から、顔の半分、鼻から上が見えていた。
布団を少しずらしてみようとしたけど、僕の手は布団に触れる手応えもなく、ただ虚しく宙を探るだけだった。
茉莉は眠ってはいなかった。
意識は目覚めていて、二つの瞳は僕の顔をじっと見ていた。
でも体はまだ眠り続けているから、首や手を動かすことも、言葉を発することもできないのだ。
彼女の目にははっきりと表情があった。驚きと悲しみ。懇願するような、助けを求めるような、去っていく人を呼び止めようとするような。
目を見て優しい言葉でもかけてやりたかったのに、僕は自分の動きをうまくコントロールできない。自分の意志に反して不安定に揺れ動き、ゆがみ、逸れ、ずれてしまう。
茉莉の頭が少し動いた。布団の縁から半開きの唇が見え、苦しげに息をしながら、何か言おうとしているのが分かった。
でも金縛りの状態では、声を出すこともままならない。「ん、んー」と、かすかな呻き声が漏れただけだった。
僕は天井近くまで浮かび上がって、真上から茉莉の布団を見下ろしていた。
昔この部屋で、こんなふうに半覚醒状態でうなされているあの子を起こしてやったことが何度もあった。彼女の名を呼び、肩を揺さぶって目覚めさせたことが。
そんなとき茉莉はたいてい怖い夢を見ていて、目を覚ますなり僕にしがみついてくることもあった。あの子にぎゅっと抱きつかれると、僕は自分が信頼されていることを嬉しく思うと同時に、柔らかいパジャマの布地の肌触りや、汗だくになったあの子の体温や、時には涙に濡れていた冷たい頬の感触や、シャンプーと髪の脂の混じった甘い香りに、心も身も深く乱されもした。
茉莉を縛り、傷つけているのは自分なのではないかという不安にわけもなく駆られて、腕を振りほどいてしまったこともあった。
「お……」と茉莉が声を出した「に…ちゃ……」
茉莉の顔をよく見ようとすればするほど、視界はぼやけ、ゆがみ始める。
「なんで……死んじゃったの……?」
僕の存在はさらに揺らぎ、ほぐれ、崩れはじめる。
これは夢だ。
アパートの部屋で布団に横になっている茉莉の方が現実で、この部屋にいるはずのない僕の方が夢なのだ。
崩れ落ちた僕の両肩を揺さぶり、茉莉は「ミナミ、ミナミ」と僕の名前を呼んだ。
「ミナミ、起きて」
いや、違う。これは茉莉じゃない。
目を開けても部屋は真っ暗で、ほとんど何も見えなかったけど、目の前の影がムラティ王女であることは、体温と香りで分かった。
王女はもう一度、両手で僕の肩を揺すった。
「ミナミ、大丈夫?」
「夢を見ていただけです、王女」と僕は言った。「御心配には及びません」
「泣いているの?」
「ただの夢です。本当に何でもありません」
「そう。よかった」
僕の肩から手を放した王女が元の場所に戻っていく、竹の床のきしみが聞こえた。
もう行ってしまった、という切ない淋しさとともに、王女が抱きしめてくれることを意識の隅で期待していた自分に気づき、僕は二人に背を向け、朝まで固く目をつぶった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる