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第20章 虎は小さな丸い目で王女を凝視し、鼻をひくひくと動かしながら
20-5 夢(あるいは現実)
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スマートフォンが放つ緑の光で、ぼんやりとだけど部屋の中が見えた。
ニトリで買った合板のワードローブ。壁のハンガーにかかったスーツの上着とスカート。机にはノートパソコンと、子供用の学習ノート。
部屋の真ん中には布団が敷かれ、黒い髪が見えた。
枕元には十数年前の少女コミックと、資格試験のテキストが伏せてある。
あの子の寝顔を見ようと、ゆらりと立ち上がる。僕の体には重さがない。
掛け布団の端から、顔の半分、鼻から上が見えていた。
布団を少しずらしてみようとしたけど、僕の手は布団に触れる手応えもなく、ただ虚しく宙を探るだけだった。
茉莉は眠ってはいなかった。
意識は目覚めていて、二つの瞳は僕の顔をじっと見ていた。
でも体はまだ眠り続けているから、首や手を動かすことも、言葉を発することもできないのだ。
彼女の目にははっきりと表情があった。驚きと悲しみ。懇願するような、助けを求めるような、去っていく人を呼び止めようとするような。
目を見て優しい言葉でもかけてやりたかったのに、僕は自分の動きをうまくコントロールできない。自分の意志に反して不安定に揺れ動き、ゆがみ、逸れ、ずれてしまう。
茉莉の頭が少し動いた。布団の縁から半開きの唇が見え、苦しげに息をしながら、何か言おうとしているのが分かった。
でも金縛りの状態では、声を出すこともままならない。「ん、んー」と、かすかな呻き声が漏れただけだった。
僕は天井近くまで浮かび上がって、真上から茉莉の布団を見下ろしていた。
昔この部屋で、こんなふうに半覚醒状態でうなされているあの子を起こしてやったことが何度もあった。彼女の名を呼び、肩を揺さぶって目覚めさせたことが。
そんなとき茉莉はたいてい怖い夢を見ていて、目を覚ますなり僕にしがみついてくることもあった。あの子にぎゅっと抱きつかれると、僕は自分が信頼されていることを嬉しく思うと同時に、柔らかいパジャマの布地の肌触りや、汗だくになったあの子の体温や、時には涙に濡れていた冷たい頬の感触や、シャンプーと髪の脂の混じった甘い香りに、心も身も深く乱されもした。
茉莉を縛り、傷つけているのは自分なのではないかという不安にわけもなく駆られて、腕を振りほどいてしまったこともあった。
「お……」と茉莉が声を出した「に…ちゃ……」
茉莉の顔をよく見ようとすればするほど、視界はぼやけ、ゆがみ始める。
「なんで……死んじゃったの……?」
僕の存在はさらに揺らぎ、ほぐれ、崩れはじめる。
これは夢だ。
アパートの部屋で布団に横になっている茉莉の方が現実で、この部屋にいるはずのない僕の方が夢なのだ。
崩れ落ちた僕の両肩を揺さぶり、茉莉は「ミナミ、ミナミ」と僕の名前を呼んだ。
「ミナミ、起きて」
いや、違う。これは茉莉じゃない。
目を開けても部屋は真っ暗で、ほとんど何も見えなかったけど、目の前の影がムラティ王女であることは、体温と香りで分かった。
王女はもう一度、両手で僕の肩を揺すった。
「ミナミ、大丈夫?」
「夢を見ていただけです、王女」と僕は言った。「御心配には及びません」
「泣いているの?」
「ただの夢です。本当に何でもありません」
「そう。よかった」
僕の肩から手を放した王女が元の場所に戻っていく、竹の床のきしみが聞こえた。
もう行ってしまった、という切ない淋しさとともに、王女が抱きしめてくれることを意識の隅で期待していた自分に気づき、僕は二人に背を向け、朝まで固く目をつぶった。
ニトリで買った合板のワードローブ。壁のハンガーにかかったスーツの上着とスカート。机にはノートパソコンと、子供用の学習ノート。
部屋の真ん中には布団が敷かれ、黒い髪が見えた。
枕元には十数年前の少女コミックと、資格試験のテキストが伏せてある。
あの子の寝顔を見ようと、ゆらりと立ち上がる。僕の体には重さがない。
掛け布団の端から、顔の半分、鼻から上が見えていた。
布団を少しずらしてみようとしたけど、僕の手は布団に触れる手応えもなく、ただ虚しく宙を探るだけだった。
茉莉は眠ってはいなかった。
意識は目覚めていて、二つの瞳は僕の顔をじっと見ていた。
でも体はまだ眠り続けているから、首や手を動かすことも、言葉を発することもできないのだ。
彼女の目にははっきりと表情があった。驚きと悲しみ。懇願するような、助けを求めるような、去っていく人を呼び止めようとするような。
目を見て優しい言葉でもかけてやりたかったのに、僕は自分の動きをうまくコントロールできない。自分の意志に反して不安定に揺れ動き、ゆがみ、逸れ、ずれてしまう。
茉莉の頭が少し動いた。布団の縁から半開きの唇が見え、苦しげに息をしながら、何か言おうとしているのが分かった。
でも金縛りの状態では、声を出すこともままならない。「ん、んー」と、かすかな呻き声が漏れただけだった。
僕は天井近くまで浮かび上がって、真上から茉莉の布団を見下ろしていた。
昔この部屋で、こんなふうに半覚醒状態でうなされているあの子を起こしてやったことが何度もあった。彼女の名を呼び、肩を揺さぶって目覚めさせたことが。
そんなとき茉莉はたいてい怖い夢を見ていて、目を覚ますなり僕にしがみついてくることもあった。あの子にぎゅっと抱きつかれると、僕は自分が信頼されていることを嬉しく思うと同時に、柔らかいパジャマの布地の肌触りや、汗だくになったあの子の体温や、時には涙に濡れていた冷たい頬の感触や、シャンプーと髪の脂の混じった甘い香りに、心も身も深く乱されもした。
茉莉を縛り、傷つけているのは自分なのではないかという不安にわけもなく駆られて、腕を振りほどいてしまったこともあった。
「お……」と茉莉が声を出した「に…ちゃ……」
茉莉の顔をよく見ようとすればするほど、視界はぼやけ、ゆがみ始める。
「なんで……死んじゃったの……?」
僕の存在はさらに揺らぎ、ほぐれ、崩れはじめる。
これは夢だ。
アパートの部屋で布団に横になっている茉莉の方が現実で、この部屋にいるはずのない僕の方が夢なのだ。
崩れ落ちた僕の両肩を揺さぶり、茉莉は「ミナミ、ミナミ」と僕の名前を呼んだ。
「ミナミ、起きて」
いや、違う。これは茉莉じゃない。
目を開けても部屋は真っ暗で、ほとんど何も見えなかったけど、目の前の影がムラティ王女であることは、体温と香りで分かった。
王女はもう一度、両手で僕の肩を揺すった。
「ミナミ、大丈夫?」
「夢を見ていただけです、王女」と僕は言った。「御心配には及びません」
「泣いているの?」
「ただの夢です。本当に何でもありません」
「そう。よかった」
僕の肩から手を放した王女が元の場所に戻っていく、竹の床のきしみが聞こえた。
もう行ってしまった、という切ない淋しさとともに、王女が抱きしめてくれることを意識の隅で期待していた自分に気づき、僕は二人に背を向け、朝まで固く目をつぶった。
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