61 / 140
第16章 王都は、港市の混乱が嘘だったみたいに平穏で
16-1 王都
しおりを挟む
夢を見ることも、暑さや寒さを感じることも無く、僕は死んだように眠り、目覚めたのは昼ごろだった。
竹の簾越しに、裏庭の榕樹の緑に染まった反射光が部屋に差し込み、板張りの壁と床を彩っていた。
僕が寝ていた竹のベッドのそばには、やはり竹で作られたテーブルと、木彫りの丸椅子があった。
港市に行く前に寝泊まりしていたのと同じ部屋だった。
王宮に着いたのは夜遅くだった。
港市からこの王都まで、川の流れが急になるあたりからは、船を降りて徒歩での旅だった。日が暮れてから雨が降り出したこともあり、僕は疲労で頭がぼんやりしたまま、誰かに案内されるままにこの部屋で眠りについたのだった。
厨房に行き、顔見知りの下男から餅米の粽をもらって食べてから、その足で王都の通りをぶらついた。
王都は、港市の混乱が嘘だったみたいに平穏で、夢を見ているような気分になった。
ココ椰子の木陰で、年老いた農夫がマンゴーを売り、王族の下女や、庶民のおかみさん達が、一個ずつ手にとっては品定めしていた。小さな裸の男の子が子犬を抱いて、おぼつかない足取りで走り回っていた。
僕とアディはすでに十時間以上前にこの王都にたどりついていたが、ドゥルハカ軍も英国兵もまだ追いついてきていないらしい。
あるいは、王都に攻めのぼらずに港市の支配を固める方針なのだろうか。
それとも、王室軍がかろうじて戦線を支えているのだろうか。
石畳の広場に出ると、大きな平らな岩の周りに、今日も子どもたちが集まっていた。
そしていつものように、大勢の子供達に囲まれた岩の上で、二人の子供が竹の棒で剣術の手合わせをしていた。
近づくと、思ったとおり、そのうちの一人、紅色の巻衣を胴に巻いた細身の剣士はムラティ王女だった。
相手の男の子は王女よりずっと背が高かったが、右から、左から、そして正面から激しく振り下ろされる王女の攻撃を支えるので精一杯らしく、じりじりと後退して追い詰められつつあった。
ひと目で気づいたのは、王女の太刀さばきから、しなやかな優美さと調和が消えていることだった。
腕が落ちたのではない。スピードは以前と変わりがなかったし、無駄な動きはますます削ぎ落とされていたくらいだ。ただすべての動きが直線的で、そこには王女の心の緊張がはっきりと見て取れた。相手は全然強くないのに。
やはり、この王都も以前のままではない。
僕は胸が苦しくなった。茉莉のバレエもそんな風に、優美さを失って直線的に見えたことがあったのだ。緊張や不安の中で、あの子自身が舞うことを楽しめなくなっていたような時だ。
もちろん剣はバレエとは違う。剣術にははっきりと実用的な目的がある。だけど、あの子の剣が本当に殺人剣みたいになってしまうのを、僕は見たくなかった。
観戦している子どもたちも、何かに気圧されたかのように声も無く固唾を呑んでいた。
ただ竹の棒がぶつかり合う音と、二人の苦しげな息遣いだけが聞こえる。
右肩を突かれた男の子がついに耐えかねて体のバランスを崩すと、王女はここぞとばかりに容赦なく、一太刀、二太刀、三太刀と続けざまに浴びせた。後頭部で結んだ髪が、獰猛なネコ科の獣のように跳ね踊り、飾っていた白いジャスミンの花がどこかに振り飛ばされた。
男の子は後ずさりして岩の縁から足を踏み外し、まるで空中に投げ出されたみたいに後ろ向きに落ちた。
王女が悲鳴混じりの声で、彼の名前らしい言葉を叫んだ。
同時に、観戦していた子たちがわっと腕を伸ばして、ミュージシャンが客席にダイブしたときみたいに彼の体を支えた。
地面に降ろされた男の子は、巻衣の裾を直して、王女に向かって一礼した。
子供たちが安堵の混じった歓声を上げる中、王女はうつむいて胸を押さえ、しばらくのあいだ息を整えていた。
竹の簾越しに、裏庭の榕樹の緑に染まった反射光が部屋に差し込み、板張りの壁と床を彩っていた。
僕が寝ていた竹のベッドのそばには、やはり竹で作られたテーブルと、木彫りの丸椅子があった。
港市に行く前に寝泊まりしていたのと同じ部屋だった。
王宮に着いたのは夜遅くだった。
港市からこの王都まで、川の流れが急になるあたりからは、船を降りて徒歩での旅だった。日が暮れてから雨が降り出したこともあり、僕は疲労で頭がぼんやりしたまま、誰かに案内されるままにこの部屋で眠りについたのだった。
厨房に行き、顔見知りの下男から餅米の粽をもらって食べてから、その足で王都の通りをぶらついた。
王都は、港市の混乱が嘘だったみたいに平穏で、夢を見ているような気分になった。
ココ椰子の木陰で、年老いた農夫がマンゴーを売り、王族の下女や、庶民のおかみさん達が、一個ずつ手にとっては品定めしていた。小さな裸の男の子が子犬を抱いて、おぼつかない足取りで走り回っていた。
僕とアディはすでに十時間以上前にこの王都にたどりついていたが、ドゥルハカ軍も英国兵もまだ追いついてきていないらしい。
あるいは、王都に攻めのぼらずに港市の支配を固める方針なのだろうか。
それとも、王室軍がかろうじて戦線を支えているのだろうか。
石畳の広場に出ると、大きな平らな岩の周りに、今日も子どもたちが集まっていた。
そしていつものように、大勢の子供達に囲まれた岩の上で、二人の子供が竹の棒で剣術の手合わせをしていた。
近づくと、思ったとおり、そのうちの一人、紅色の巻衣を胴に巻いた細身の剣士はムラティ王女だった。
相手の男の子は王女よりずっと背が高かったが、右から、左から、そして正面から激しく振り下ろされる王女の攻撃を支えるので精一杯らしく、じりじりと後退して追い詰められつつあった。
ひと目で気づいたのは、王女の太刀さばきから、しなやかな優美さと調和が消えていることだった。
腕が落ちたのではない。スピードは以前と変わりがなかったし、無駄な動きはますます削ぎ落とされていたくらいだ。ただすべての動きが直線的で、そこには王女の心の緊張がはっきりと見て取れた。相手は全然強くないのに。
やはり、この王都も以前のままではない。
僕は胸が苦しくなった。茉莉のバレエもそんな風に、優美さを失って直線的に見えたことがあったのだ。緊張や不安の中で、あの子自身が舞うことを楽しめなくなっていたような時だ。
もちろん剣はバレエとは違う。剣術にははっきりと実用的な目的がある。だけど、あの子の剣が本当に殺人剣みたいになってしまうのを、僕は見たくなかった。
観戦している子どもたちも、何かに気圧されたかのように声も無く固唾を呑んでいた。
ただ竹の棒がぶつかり合う音と、二人の苦しげな息遣いだけが聞こえる。
右肩を突かれた男の子がついに耐えかねて体のバランスを崩すと、王女はここぞとばかりに容赦なく、一太刀、二太刀、三太刀と続けざまに浴びせた。後頭部で結んだ髪が、獰猛なネコ科の獣のように跳ね踊り、飾っていた白いジャスミンの花がどこかに振り飛ばされた。
男の子は後ずさりして岩の縁から足を踏み外し、まるで空中に投げ出されたみたいに後ろ向きに落ちた。
王女が悲鳴混じりの声で、彼の名前らしい言葉を叫んだ。
同時に、観戦していた子たちがわっと腕を伸ばして、ミュージシャンが客席にダイブしたときみたいに彼の体を支えた。
地面に降ろされた男の子は、巻衣の裾を直して、王女に向かって一礼した。
子供たちが安堵の混じった歓声を上げる中、王女はうつむいて胸を押さえ、しばらくのあいだ息を整えていた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる