南洋王国冒険綺譚・ジャスミンの島の物語

猫村まぬる

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第13章 暗い階段を、どこまでも、どこまでも

13-2 円塔

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 屋形船は全体が目立ちにくい濃緑色に塗られ、窓には黒いカーテンが掛けられていた。
 その少し先にはその船がぎりぎり通れるくらいの、低いアーチ状の出口が開き、外からの白い光が入ってきていた。
 目隠しに植えられているらしいヒルギバカウのマングローブ越しに、広い川面の一部が見える。地下の水路が丘の麓から外に出て、地上の川と合流しているらしい。

 そこは街はずれらしく、川辺にはマングローブばかりで民家は無いようだったが、姿勢を低くしてよく見ると、対岸近くの水面から、二階屋くらいの高さの、半分崩れた赤茶色の石造りの円塔が突き出ているのが、木々の間から垣間かいま見えた。これも砦の名残りなのだろう。
 それは小さなバベルの塔を思わせた。
 南蛮人フランキとは、おそらく16世紀ごろに香料を求めて東インド諸島の各地に拠点を築いたポルトガル人だろうか。
 彼らの栄華はもうここにはない。今僕がいるのは帝国主義の時代、イギリス人の時代だ。

「こちらです、ミナミ様」

 彼女は屋形船の扉を開け、ランプで中を照らしながら、のぞき込むよう僕を促した。
 船の外側は飾りもなく質素だったが、内装は床も天井も黒っぽいビロード張りで、両舷に沿った長い椅子は、座面がクッションになった豪華なものだった。

「万が一のときには、わたくしたち家族はこの船で難を逃れることになっています」と彼女は言った。「もしかするとミナミ様も」
「中に入ってみても構いませんか」
「ええ。どうぞ」
 僕は船の中にそっと足を踏み入れた。思いのほか安定した船らしく、揺れや傾きはほぼ無い。椅子は座ってみるとバスのシートのような感触だった。

 彼女があとから入ってきて、僕の隣に座り、ランプを床に置いた。
「子どものころ、姉たちとここで遊んでいるところを見つかって、父にひどく叱られたことがありました。『そこはお前たちの死に場所なのだ』と」
「そして僕の死に場所かもしれないわけですね」
「ミナミ様」彼女は僕の横顔をじっと見ていた。「ほんとうに、わたくしと一緒にいてくださるおつもりなのですか。お国にはご家族がいらっしゃるのでしょう?」

 彼女の顔はランプに照らされ、額はブルーに、口元はピンクに染まっていた。
 僕は何も言わず、両手で彼女の肩を引き寄せ、ピンクの唇に唇を重ねた。それは小さな果物みたいで、人肌で融けてとろりと蜜が流れた。

 あなたはお分かりでないのです。と、胸の中で僕はつぶやく。どうするつもりとか、どうしたいとか、僕にはもうそんな選択肢など無いんですよ。

 僕は顔を離して、両腕で彼女を抱きしめた。

 他にどうしろというのですか。美しく、優しく、温かく甘やかで柔らかいあなたが、ここにいる。今の僕にはそれしかないのです。あなた方はそうなることを望んでいたのでしょう? あなたのお父上と、あなたは。

 彼女の豊かな胸のふくらみの柔らかさを感じながら、僕はそれを押しつぶすくらいのつもりで腕に力を込めた。苦しさに、彼女が一瞬小さなうめき声を上げるほど。

 どんな恐ろしいことが起こるにせよ、あなたのお父上が僕をどう利用するにせよ、あるいは役に立たないと気づいて切り捨てるにせよ、僕にとっては同じことです。明日この島で死んだとしても、日本に帰ってあと半世紀生きたとしても、もとの世界には帰れない。茉莉にはもう二度と会えないのですから。

「僕にはもう、あなたしかいないのです。僕にはもう……」
 僕は彼女の髪に頬をうずめ、甘い香りの中で、気がつくと涙を流していた。
 彼女は片手で僕の背中を抱きながら、もう片方の手で何度も僕の頭を撫でた。
「おかわいそうなミナミ様」と、僕の首筋のそばで彼女は言った。「おかわいそうな、わたくしのミナミ様。お忘れにならないで、今のわたくしの命は、あなたにいただいたものだということを」
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