24 / 140
第6章 窓枠に掴まってぶら下がっていたのは
6-4 芳香
しおりを挟む
「ありがたいお言葉ですが、危険な場所ならなおさら僕は行けません。それに、大人だからこそ、子どものあなたを虎が現れるような場所へ連れて行くわけにもいきません」
「ミナミのことはわたしが守ってあげる。わたしは子どもだけど、来年は十五になるわ。成人の儀式の準備も始めてるのよ。大丈夫。行きましょうよ」王女は両手で僕の巻衣の裾をぎゅっと掴んで引っ張った。「ねえ、お願い。あなたからアディに頼んで。あなたの言うことなら彼も聞くかもしれない」
こうなるとただの駄々っ子と変わらない。僕は懐かしいものを感じずにはいられなかった。とはいえ幼い頃の茉莉みたいに、頭を撫でたり甘いものをあげたりしてごまかすわけにもいかない。
僕は裾を引っ張られながらも、日本式に居住まいを正して座り直した。
「王女、あなたの地位に敬意は払いますが、私はあなたの臣下ではありませんし、全てに従うことはできません。嘘をつくわけにも、考えを曲げるわけにもいきません。それに十四歳や十五歳など、私の国では全くの子供です」
王女は僕の衣から手を離して、再び突き通すようなあの視線で僕の目をじっと見た。僕は内心たじろぎながらも、最後まで言い切ってしまおうと心に決めた。
「ただ、ご両親にひと目会いたいというお気持ちは、痛いほどよく分かります。あなたのように心が強く育っていなかった妹の茉莉が、いったい何か月のあいだ毎晩泣いていたことか」
「わたしも泣いたわ」と、ほとんど聞こえないような声で王女が言った。「何百日もの間」
「あなたとアディの友人として、お話を彼に伝えることだけはさせていただきます。私からアディには、行きたいとも行きたくないとも言いません。嘘はつけないからです。どうかそれでお許しください」
僕が頭を下げて、そして上げても、王女はまだじっと僕の顔を見ていた。視線は全てを突き抜けて、僕の心の奥まで達しているような気がした。
でもかまわない。僕は何も嘘をついていないのだから。
王女はそのまま長い間僕を見つめていた。
僕がだんだん不安になり始めたころ、王女は一瞬だけ眉間にしわを寄せて軽く下唇を噛み、それからふっと表情を緩めて言った。
「分かったわ。ありがとう」
僕はもう一度、少女に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いいの。あなたはぜんぜん間違ってない」
王女はそう言うと、自分の巻衣の胸元に指を突っ込み、なにか細長い茶色いものをつまみ出した。
「立派な答えだったわ。王女はあなたを信用します。これをあげるわ、ミナミ」
それは木の枝か、木の皮のような物で、一見シナモンスティックによく似ていたけど、もっと細く、筒状ではなく中まで詰まっていた。
「これがそのお香よ。『花園の神殿』ほどじゃなくても、他の場所でも少しは効果があるわ」
手に取ると、人肌で温められたためか、強い芳香が広がった。明け方に嗅いだあの香りの源はこれに違いなかった。
「じゃあ、またね」
立ち上がったかと思うと、王女は飛ぶように二、三歩駆け、窓枠に片手を掛けてひょいと外へ跳び出した。
僕が窓際に駆けつけた時には、小さな虎のように身軽な少女はもう床下の柱を伝ってほとんど地面に降りようとしているところだった。
彼女の両足が地面に着くのを見届けてから、僕は声をかけた。
「王女、どうかやめてください。いきなりそんなことをされると心臓が止まります」
「いつものことよ!」
そう叫んで広場の方へ駆けていく裸足の王女の後ろ姿を、片手にお香を握って見送りながら、僕はなんとなく胸がいっぱいになっていた。
その気持ちを言葉で説明するのは難しい。自分でもよく分からなかった。
「ミナミのことはわたしが守ってあげる。わたしは子どもだけど、来年は十五になるわ。成人の儀式の準備も始めてるのよ。大丈夫。行きましょうよ」王女は両手で僕の巻衣の裾をぎゅっと掴んで引っ張った。「ねえ、お願い。あなたからアディに頼んで。あなたの言うことなら彼も聞くかもしれない」
こうなるとただの駄々っ子と変わらない。僕は懐かしいものを感じずにはいられなかった。とはいえ幼い頃の茉莉みたいに、頭を撫でたり甘いものをあげたりしてごまかすわけにもいかない。
僕は裾を引っ張られながらも、日本式に居住まいを正して座り直した。
「王女、あなたの地位に敬意は払いますが、私はあなたの臣下ではありませんし、全てに従うことはできません。嘘をつくわけにも、考えを曲げるわけにもいきません。それに十四歳や十五歳など、私の国では全くの子供です」
王女は僕の衣から手を離して、再び突き通すようなあの視線で僕の目をじっと見た。僕は内心たじろぎながらも、最後まで言い切ってしまおうと心に決めた。
「ただ、ご両親にひと目会いたいというお気持ちは、痛いほどよく分かります。あなたのように心が強く育っていなかった妹の茉莉が、いったい何か月のあいだ毎晩泣いていたことか」
「わたしも泣いたわ」と、ほとんど聞こえないような声で王女が言った。「何百日もの間」
「あなたとアディの友人として、お話を彼に伝えることだけはさせていただきます。私からアディには、行きたいとも行きたくないとも言いません。嘘はつけないからです。どうかそれでお許しください」
僕が頭を下げて、そして上げても、王女はまだじっと僕の顔を見ていた。視線は全てを突き抜けて、僕の心の奥まで達しているような気がした。
でもかまわない。僕は何も嘘をついていないのだから。
王女はそのまま長い間僕を見つめていた。
僕がだんだん不安になり始めたころ、王女は一瞬だけ眉間にしわを寄せて軽く下唇を噛み、それからふっと表情を緩めて言った。
「分かったわ。ありがとう」
僕はもう一度、少女に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いいの。あなたはぜんぜん間違ってない」
王女はそう言うと、自分の巻衣の胸元に指を突っ込み、なにか細長い茶色いものをつまみ出した。
「立派な答えだったわ。王女はあなたを信用します。これをあげるわ、ミナミ」
それは木の枝か、木の皮のような物で、一見シナモンスティックによく似ていたけど、もっと細く、筒状ではなく中まで詰まっていた。
「これがそのお香よ。『花園の神殿』ほどじゃなくても、他の場所でも少しは効果があるわ」
手に取ると、人肌で温められたためか、強い芳香が広がった。明け方に嗅いだあの香りの源はこれに違いなかった。
「じゃあ、またね」
立ち上がったかと思うと、王女は飛ぶように二、三歩駆け、窓枠に片手を掛けてひょいと外へ跳び出した。
僕が窓際に駆けつけた時には、小さな虎のように身軽な少女はもう床下の柱を伝ってほとんど地面に降りようとしているところだった。
彼女の両足が地面に着くのを見届けてから、僕は声をかけた。
「王女、どうかやめてください。いきなりそんなことをされると心臓が止まります」
「いつものことよ!」
そう叫んで広場の方へ駆けていく裸足の王女の後ろ姿を、片手にお香を握って見送りながら、僕はなんとなく胸がいっぱいになっていた。
その気持ちを言葉で説明するのは難しい。自分でもよく分からなかった。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる