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第3章 暗い部屋を三つ通り抜けて奥に進むと
3-2 王国
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穏やかな目で虚空をみつめたまま、青年は言った。
「わが名を名乗りましょう。しかしわたしの身分では、先に名乗るわけにもいきません。ご客人、まずはあなたから名をお教えいただきたい」
「ヒロミ・ミナミです。ミナミがわたしの家名です」
「ミナミ殿、ではわが全名を名乗りましょう。わが名は、クンバンムラティ島の主・あらゆる民族と信徒の庇護者・回教王にして正法王・アングレック・イスカンダル・シャー」
ここに来てから見聞きすることは全て奇妙だったとはいえ、やはり僕は驚いた。
彼は自分がこの国の王だと言い切ったのだ。
クンバンムラティ王国?
そんな国は無いはずだ。少なくとも国際社会に認められた独立国として、そのような名前の国は無いはずだ。
「……では、ここはマレーシアやインドネシアといった国の領域ではないということですか?」
「港務長官、客人がおっしゃるような諸国を知っているか」
「存じません、殿下。聞かぬ名です。この海域の国々ではありますまい」
マレーシアもインドネシアも知らないなんて。ここはそこまで孤立した島なのか? 何か特異な政治的事情があるのか。それとも……。
「電話《テレポン》を……電話をお借りできませんか」
「テレポンとは?」と港務長官は首を傾げた「どのようなものですかな。もしこの国で手に入るようなら準備させましょう」
「電話とは、つまり……」
僕は次の言葉が思いつかなかった。
ここは本当に、ただの浮世離れした離島なのか。それとも何か、今まで知っていたのとは別の世界なのか。それともここの連中全員で芝居を打っているのか。どれもありそうで、どれも馬鹿馬鹿しい。
このまま、茉莉に会えないのかもしれない。
僕はめまいを感じて、アディの隣に座り込んでしまった。
その時、背後から、トトトトと床板を走るネコのような足音がした。
振り向く間もなく、アディと僕の間を赤いものが裸足でひらりと駆け抜けたかと思うと、玉座の青年の足元にぺたんと横座りして、片手を青年の膝に置いた。
それは、赤い金襴の巻衣に象牙の柄の短剣を帯び、頭上に結った髪に金の花飾りをつけて正装したあの少女剣士だった。
「ご客人の前だ」と青年が言った。「不作法な振る舞いはいけないよ」
「ご客人じゃないわ」と少女は言った。見た目以上に幼く聞こえる声だった。「お友達です。さっき広場でお目にかかりましたもの」
「ではまた広場で遊んでいたのだね? みだりに外へ出てはいけないというのに」
「そんなことよりお兄様、ご客人はお疲れみたい。お休みさせてさしあげては?」
「そうか。それは申し訳なかった」青年ははじめて顔を動かして、少女の方に向けた。「これはわが妹、ラトゥ・ムダ・プトリ・グテ・ムラティ王女です。ご覧の通りわたしは目が見えぬ故、幼いながらいろいろ力になってくれています。強く、優れた、良い子です」
少女は王の片手を握り、にこにこしながら僕を見ていたが、兄の言葉を聞いて頬を赤らめた。
両親が健在だった頃は、茉莉もよくこんな顔をしたものだった。
「わが名を名乗りましょう。しかしわたしの身分では、先に名乗るわけにもいきません。ご客人、まずはあなたから名をお教えいただきたい」
「ヒロミ・ミナミです。ミナミがわたしの家名です」
「ミナミ殿、ではわが全名を名乗りましょう。わが名は、クンバンムラティ島の主・あらゆる民族と信徒の庇護者・回教王にして正法王・アングレック・イスカンダル・シャー」
ここに来てから見聞きすることは全て奇妙だったとはいえ、やはり僕は驚いた。
彼は自分がこの国の王だと言い切ったのだ。
クンバンムラティ王国?
そんな国は無いはずだ。少なくとも国際社会に認められた独立国として、そのような名前の国は無いはずだ。
「……では、ここはマレーシアやインドネシアといった国の領域ではないということですか?」
「港務長官、客人がおっしゃるような諸国を知っているか」
「存じません、殿下。聞かぬ名です。この海域の国々ではありますまい」
マレーシアもインドネシアも知らないなんて。ここはそこまで孤立した島なのか? 何か特異な政治的事情があるのか。それとも……。
「電話《テレポン》を……電話をお借りできませんか」
「テレポンとは?」と港務長官は首を傾げた「どのようなものですかな。もしこの国で手に入るようなら準備させましょう」
「電話とは、つまり……」
僕は次の言葉が思いつかなかった。
ここは本当に、ただの浮世離れした離島なのか。それとも何か、今まで知っていたのとは別の世界なのか。それともここの連中全員で芝居を打っているのか。どれもありそうで、どれも馬鹿馬鹿しい。
このまま、茉莉に会えないのかもしれない。
僕はめまいを感じて、アディの隣に座り込んでしまった。
その時、背後から、トトトトと床板を走るネコのような足音がした。
振り向く間もなく、アディと僕の間を赤いものが裸足でひらりと駆け抜けたかと思うと、玉座の青年の足元にぺたんと横座りして、片手を青年の膝に置いた。
それは、赤い金襴の巻衣に象牙の柄の短剣を帯び、頭上に結った髪に金の花飾りをつけて正装したあの少女剣士だった。
「ご客人の前だ」と青年が言った。「不作法な振る舞いはいけないよ」
「ご客人じゃないわ」と少女は言った。見た目以上に幼く聞こえる声だった。「お友達です。さっき広場でお目にかかりましたもの」
「ではまた広場で遊んでいたのだね? みだりに外へ出てはいけないというのに」
「そんなことよりお兄様、ご客人はお疲れみたい。お休みさせてさしあげては?」
「そうか。それは申し訳なかった」青年ははじめて顔を動かして、少女の方に向けた。「これはわが妹、ラトゥ・ムダ・プトリ・グテ・ムラティ王女です。ご覧の通りわたしは目が見えぬ故、幼いながらいろいろ力になってくれています。強く、優れた、良い子です」
少女は王の片手を握り、にこにこしながら僕を見ていたが、兄の言葉を聞いて頬を赤らめた。
両親が健在だった頃は、茉莉もよくこんな顔をしたものだった。
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