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第2章 時の流れは、僕をおそろしく奇妙な場所に
2-3 石畳
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小屋を脱出することは、もちろん何度も考えた。壁や扉や床は、その気になれば素手でも壊せそうだった。
しかし問題はその後だ。この土地の人々が島ぐるみで異邦人の僕を閉じ込めているのだとしたら、逃げおおせることは簡単ではないだろう。本社か、せめてジャカルタかシンガポールの知りあいにでも連絡がつけばいいのだけど、バイクさえ見かけないこんな土地に、電話屋やネットカフェがあるだろうか?
しかし結局、あれこれ考えたのは無駄らしかった。
誕生日の朝に扉を開けたアディは明るい顔で、僕の肩を叩いて言った。
「おい、よかったな。ご主人様がお戻りになったぞ。ここから出られるぞ」
「僕は、国に帰れるのか」
「きっと帰れるさ。さあ、行こう」
扉を開け放ったままで、アディははしごを降りはじめた。
広場の石畳が朝日を照り返して眩しかった。
成田に着いたら、と僕は思った。
何十時間かあとで成田に着いたら、ひとの目も、僕のルールも気にすることなく、たとえターミナルの人混みの真ん中でも、あの子を思いっきり抱きしめよう。もし会社の誰かがそこにいても、彼女を抱いたままで「仕事は辞めます。二度とこの子から離れたりしません」と言ってやろう。
アディに導かれて丸木のはしごを降り、初めて自分の足で広場の石畳を踏んだ。
村人たちと同じように僕も裸足で、与えられた無地の巻衣を腰に巻いていた。ただその上に着たワイシャツだけが、僕が異国の人間であることを示していた。
見るとアディは、正装なのか、いつもと少し違ったいでたちだった。渋い茶色の更紗を腰に巻き、飾り金具のついた短剣を帯び、頭にはターバンのような白い布を巻いている。
遊んでいた子どもたちがわらわらと集まって、アディと連れ立って歩く僕の後ろをついて来た。彼らは土地の言葉で口々になにか言っていたが、その意味は分からなかった。
あの剣豪少女もその中にいて、他の女の子たちに混じっておしゃべりしているようだ。
「アディ、僕らは今からどこに行くんだ」
「御邸だよ。ご主人様がお帰りになったからな」
御邸というのはおそらく、三層の屋根のあるあの大きな家のことだ。たぶん昔の族長の血を引く有力者が住んでいるのだろう。そういう人物が政党の支部長や警察署長や地方議員になっているのは、こういった国の田舎ではよくあることだ。
「異国人が漂着した時は直々に検分していただくのがしきたりなんだ。でもまあ心配するな。きっと国に帰れるように取り計らってくださるよ」
しかし問題はその後だ。この土地の人々が島ぐるみで異邦人の僕を閉じ込めているのだとしたら、逃げおおせることは簡単ではないだろう。本社か、せめてジャカルタかシンガポールの知りあいにでも連絡がつけばいいのだけど、バイクさえ見かけないこんな土地に、電話屋やネットカフェがあるだろうか?
しかし結局、あれこれ考えたのは無駄らしかった。
誕生日の朝に扉を開けたアディは明るい顔で、僕の肩を叩いて言った。
「おい、よかったな。ご主人様がお戻りになったぞ。ここから出られるぞ」
「僕は、国に帰れるのか」
「きっと帰れるさ。さあ、行こう」
扉を開け放ったままで、アディははしごを降りはじめた。
広場の石畳が朝日を照り返して眩しかった。
成田に着いたら、と僕は思った。
何十時間かあとで成田に着いたら、ひとの目も、僕のルールも気にすることなく、たとえターミナルの人混みの真ん中でも、あの子を思いっきり抱きしめよう。もし会社の誰かがそこにいても、彼女を抱いたままで「仕事は辞めます。二度とこの子から離れたりしません」と言ってやろう。
アディに導かれて丸木のはしごを降り、初めて自分の足で広場の石畳を踏んだ。
村人たちと同じように僕も裸足で、与えられた無地の巻衣を腰に巻いていた。ただその上に着たワイシャツだけが、僕が異国の人間であることを示していた。
見るとアディは、正装なのか、いつもと少し違ったいでたちだった。渋い茶色の更紗を腰に巻き、飾り金具のついた短剣を帯び、頭にはターバンのような白い布を巻いている。
遊んでいた子どもたちがわらわらと集まって、アディと連れ立って歩く僕の後ろをついて来た。彼らは土地の言葉で口々になにか言っていたが、その意味は分からなかった。
あの剣豪少女もその中にいて、他の女の子たちに混じっておしゃべりしているようだ。
「アディ、僕らは今からどこに行くんだ」
「御邸だよ。ご主人様がお帰りになったからな」
御邸というのはおそらく、三層の屋根のあるあの大きな家のことだ。たぶん昔の族長の血を引く有力者が住んでいるのだろう。そういう人物が政党の支部長や警察署長や地方議員になっているのは、こういった国の田舎ではよくあることだ。
「異国人が漂着した時は直々に検分していただくのがしきたりなんだ。でもまあ心配するな。きっと国に帰れるように取り計らってくださるよ」
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