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第1章 小さな飛行機は空中で十二回転したあげく
1-4 剣舞
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岩の周りで遊ぶ子どもたちの顔ぶれは日や時間によって違うけど、全部合わせればひとクラスくらいの人数だろうか。中でもなぜか僕の目をひいたのは、少し年長らしい、すらっと手足の伸びたひとりの子どもだった。
その子も、普通にしているときは他の子たちに溶け込んでいるのだけど、竹の棒を使った剣術が始まると世界が一変する。
たちまちこの子の一人舞台になるのだ。
素人の目で見ても、この子の動きは鮮やかで優美と言うほかなかった。
無駄のない軽やかな足取りで縦横に飛び回り、自分よりはるかに体格のいい男の子が持った棒を、何気ない一振りでいとも簡単に払い落とす。でもその一方で、小さな子たちが打ち込んで来たときは軽く受け流して身をかわし、決して幼い肌に棒を当てるようなことはしない。
この美しい子どもの剣舞が始まると、僕はつい、謎だらけの今の境遇のことすら忘れそうになって引き込まれてしまう。
正面の相手から一瞬たりとも目を逸らさぬまま、後ろ向きに岩に跳び乗る。かと思うと片足を軸にくるりと半回転して背後の敵の剣を払う。後ろで結んだ黒い髪が生き物のように踊る。
この感じを、僕は知っている。
奇妙な話かもしれないけど、それは妹のバレエの発表会を見ていた時と同じ感覚だった。
高校に上がる前にやめてしまったけれど、あの時のあの子の身のこなしには、兄としての欲目を別にしても、確かに人を引きつける特別なものがあったと思う。
そしてそのことに思い至ると同時に、石畳の広場を飛び回るあの子もまた、あの頃の妹と同じような年格好の女の子であることに、僕は気づいた。
はじめは男とも女とも思っていなかったのだけど、そう思えば、いつも胸が隠れる丈の巻衣を着けている。関節の動きや肩幅から見ても、十代の少女にちがいない。
その妹も、もう少女ではなく、どうにか自分で稼げる大人になった。
今の茉莉なら、僕が出張先で音信不通になっても、なんとかひとりで対処できるかもしれない。
きっと、大丈夫だろう。
そう願うしかなかった。
◇
今朝も広場の子どもたちは剣術遊びに興じている。
幼い子らがふざけながら打ち合うのを、緋色の絣織を巻いたあの少女剣士が岩の上に立って見ていた。距離と角度のせいで表情までははっきり見えないけど、朝の太陽が、浅い褐色の肩先と腕を黄金色に輝かせ、細長い影を日時計みたいに岩に落としていた。
子どもたちの手合わせは、勝ち負けを決めるわけでもなく、ひとり抜け、ひとり加わりしながら続き、少女は岩の上からそれを見守りながら時々何か言った。
僕はその光景全体を、遠くから眺めていた。
だんだん日が高くなってゆく。
じっと動かずに年少の子どもたちを眺めていた少女が、ふいに片手を下に伸ばした。
虫でもいたのか、たぶん無意識にだろう、少女は巻衣の裾を大きくたくし上げて、もう片方の手で膝上の辺りを二、三度払った。
その瞬間だけは、全く無防備な子どもの仕草だった。日に焼けていないすらりとした腿があらわになり、遠目にも白く見えた。
僕は自分が今までずっと一方的にこの少女の姿を眺めていたことに気付き、急に後ろめたくなってうろたえた。
その瞬間だった。
ふと何かを思い出したように、少女が顔を上げてこっちを見たのだ。
光線の角度が生み出すコントラストで、きりっとした目鼻立ちが遠くからでも分かった。
その目は壁板の隙間を射抜いて、真っ直ぐ僕に向けられていた。いや、そんなはずはない。でも少なくとも僕にはそう感じられた。僕は飛び退くようにして壁から離れた。
まさか、あそこから僕が見えるはずはない。それとも映画の剣豪みたいに、僕の視線の気配に気づいたというのだろうか?
あり得ない。
しかし、僕の姿は見えていないとしても、彼女がこの小屋を見ていたことに間違いはなかった。
ここに囚われている人間がいることを、村の子どもでさえ知っているのだろうか?
その子も、普通にしているときは他の子たちに溶け込んでいるのだけど、竹の棒を使った剣術が始まると世界が一変する。
たちまちこの子の一人舞台になるのだ。
素人の目で見ても、この子の動きは鮮やかで優美と言うほかなかった。
無駄のない軽やかな足取りで縦横に飛び回り、自分よりはるかに体格のいい男の子が持った棒を、何気ない一振りでいとも簡単に払い落とす。でもその一方で、小さな子たちが打ち込んで来たときは軽く受け流して身をかわし、決して幼い肌に棒を当てるようなことはしない。
この美しい子どもの剣舞が始まると、僕はつい、謎だらけの今の境遇のことすら忘れそうになって引き込まれてしまう。
正面の相手から一瞬たりとも目を逸らさぬまま、後ろ向きに岩に跳び乗る。かと思うと片足を軸にくるりと半回転して背後の敵の剣を払う。後ろで結んだ黒い髪が生き物のように踊る。
この感じを、僕は知っている。
奇妙な話かもしれないけど、それは妹のバレエの発表会を見ていた時と同じ感覚だった。
高校に上がる前にやめてしまったけれど、あの時のあの子の身のこなしには、兄としての欲目を別にしても、確かに人を引きつける特別なものがあったと思う。
そしてそのことに思い至ると同時に、石畳の広場を飛び回るあの子もまた、あの頃の妹と同じような年格好の女の子であることに、僕は気づいた。
はじめは男とも女とも思っていなかったのだけど、そう思えば、いつも胸が隠れる丈の巻衣を着けている。関節の動きや肩幅から見ても、十代の少女にちがいない。
その妹も、もう少女ではなく、どうにか自分で稼げる大人になった。
今の茉莉なら、僕が出張先で音信不通になっても、なんとかひとりで対処できるかもしれない。
きっと、大丈夫だろう。
そう願うしかなかった。
◇
今朝も広場の子どもたちは剣術遊びに興じている。
幼い子らがふざけながら打ち合うのを、緋色の絣織を巻いたあの少女剣士が岩の上に立って見ていた。距離と角度のせいで表情までははっきり見えないけど、朝の太陽が、浅い褐色の肩先と腕を黄金色に輝かせ、細長い影を日時計みたいに岩に落としていた。
子どもたちの手合わせは、勝ち負けを決めるわけでもなく、ひとり抜け、ひとり加わりしながら続き、少女は岩の上からそれを見守りながら時々何か言った。
僕はその光景全体を、遠くから眺めていた。
だんだん日が高くなってゆく。
じっと動かずに年少の子どもたちを眺めていた少女が、ふいに片手を下に伸ばした。
虫でもいたのか、たぶん無意識にだろう、少女は巻衣の裾を大きくたくし上げて、もう片方の手で膝上の辺りを二、三度払った。
その瞬間だけは、全く無防備な子どもの仕草だった。日に焼けていないすらりとした腿があらわになり、遠目にも白く見えた。
僕は自分が今までずっと一方的にこの少女の姿を眺めていたことに気付き、急に後ろめたくなってうろたえた。
その瞬間だった。
ふと何かを思い出したように、少女が顔を上げてこっちを見たのだ。
光線の角度が生み出すコントラストで、きりっとした目鼻立ちが遠くからでも分かった。
その目は壁板の隙間を射抜いて、真っ直ぐ僕に向けられていた。いや、そんなはずはない。でも少なくとも僕にはそう感じられた。僕は飛び退くようにして壁から離れた。
まさか、あそこから僕が見えるはずはない。それとも映画の剣豪みたいに、僕の視線の気配に気づいたというのだろうか?
あり得ない。
しかし、僕の姿は見えていないとしても、彼女がこの小屋を見ていたことに間違いはなかった。
ここに囚われている人間がいることを、村の子どもでさえ知っているのだろうか?
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