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将門の過去
ミチナキ
しおりを挟む平良兼が水守営所に軍勢を率いて、駐留する事にしてから、一ヶ月が流れた。
薫風が鼻腔をくすぐり、夏空高く、それに合わせて雲の峰が上がってゆく。
平良兼は焦っていた。
化生の痕跡や名などが分かれば、焼け石に水であっても、多少は対処が易くなる算段であったが。……
一月の間に何も情報は得られず、流れる月と日を眺めるだけであった。
良兼は唸り声を上げながら、集まった全軍を見渡す。
「易々と尻尾は出さないか。……致し方あるまい」
小声で、ぼそりと呟く。
良兼はゆっくり、集った兵達の前に立つ。
「これより! 我らは進軍する! 気を引き締めよ!」
鎮守府将軍を務めた、良兼の声色は凄みがあった。
歴戦の兵達は手を挙げ、各々が雄叫びを上げる。
平良正の集めた年若い兵は大地が鳴動している錯覚に陥り、浮き足立つ。
「待った!!」
雄叫びに負けないほどの大声が、軍勢の遥か後方より聞こえ、響めきが起こる。
誰もが、その声の方向に釘付けとなった。
鍛えられた筋肉の上に、虎の皮で威を施された鎧を纏い、虎のように眼光鋭く、獲物に歩み寄るように、ゆっくりと。――正に虎の化身ともいうべき、存在感と威圧感の若武者。
歩くごとに兵は気圧され、道が空いてゆく。
悠々と陣内を歩き、良兼の目の前に立つ。
「平國香が息子。平貞盛! 遅ればせながら参陣致しました!」
貞盛は自信に満ち溢れた顔と声で高らかに宣言する。
粋な貞盛の登場に、そしてその演出に、兵達の士気は上がってゆく。
良兼は密かに、誰にも見えないように握り拳を硬くする。――いつかのように血が滲む。
「よくぞ参った、甥である貞盛よ! 我らに大義あり! 戦さである! 良正を先頭に進軍せよ!」
怒りを顔と声に浮かべないように注意を払いながら、檄を飛ばし、全軍に指示をする良兼。
馬に乗った、平良正を旗印に全軍が駆けてゆく。
水守営所に残ったのは良兼と僅かな手勢、そして貞盛のみであった。
「御無沙汰しております、良兼叔父上。此度の戦さの為に。……その後の坂東と一族の為に此方に残りました」
貞盛の顔に悪意はなく、考え抜いて本心からの行動であった。
「そうか、貞盛。そうか、そうか。……」
良兼は笑みを顔に貼り付けたままに、貞盛にゆっくりと歩み寄る。
「この阿呆が!」
良兼の怒声とともに繰り出された右拳が貞盛の左頬を捉える。――良兼は同時に貞盛の足を刈り払う。
――巨体がいとも簡単に宙に浮く。
翻筋斗打って倒れる貞盛と舞う血。――良兼の血か、貞盛の血かは定かではない。
「何故、将門と儂が言った通りに、都へと帰らなかった! 喪が明けたら帰る約束であっただろう!」
――怒髪天を衝く。
「叔父上。いっ――」
「黙らっしゃい! お前たち、貞盛を縄で固く縛り上げて、都へと連れて行け!」
地面に転がった貞盛は、あっという間に縄で縛られる。
良兼は貞盛を一瞥もせずに、馬へと跨り、先発した軍勢に追いつこうと駆ける。
「叔父上! 何故ですか! 叔父上!」
貞盛の叫び虚しく、馬を駆る貞盛は小さくなっていく。
承平六年(九三六)――七月二十六日。
挙兵し水守営所を出陣した、良兼と良正の連合軍は数千の規模であった。
長い列をなし、連合軍は下野国と常陸国の境である、下野国庁付近を進軍していた。
「良兼兄上。貞盛の姿が見えませぬが。……将門と通じ、逃げましたか?」
良正は知っていた。……貞盛が坂東に戻った後にも、将門と慇懃を重ねている事を。
「なに、大丈夫だ。喝を入れてから下野の俵藤太。……いや、藤原秀郷殿への説得に別の道から向かわせた。貞盛は我らの甥でもあり、藤原秀郷殿にとっても甥であるからな」
良兼と良正は並びながら、小声で語り合う。
「なるほど、確かに適役と言えますな」
良兼の舌先三寸に納得し、良正の顔色が少し良くなる。
川が近いせいか、背の高い葦や、草葦が群生し、風に揺られ、お辞儀しようとしている。
「さて。そろそろか」
良兼の放った言葉は小声であり、軍馬と大軍の足音により掻き消され、隣にいる良正の耳には届かなかった。
「報告! 我が軍の後方より迫る、平将門の軍馬あり! 平将門を先頭に数は、百騎ほど!」
俄かに、響めきたつ軍勢。
其処には、たった百で何が出来る。……と、侮りが蔓延しはじめた。
「全軍! 止まれ! 数の差は歴然としている。しかし、相手は将門だ、侮るな!」
良兼の一喝により、軍勢の響めきは収まり、気を引き締めなおす。
「よし。反転して弓戦用意!」
短い指示であったが、全軍は一糸乱れぬ統制を見せる。――次々に大楯を重ねて配置し、見事な垣が築かれた。
二町ほどの距離で、将門が率いる百騎は止まる。
「義父殿に良正よ! 道無き戦さの連鎖を此処で断ち切りましょうぞ! もし、その勇気があるなら弓を置き、兵を退いて下され!」
将門の大声の振動が風に乗り、草原を揺らしながら良兼達の元に届く。
「どの口で言うか! この道無き戦さの大元の原因は! 全て、お前だろうが将門! お前など、戻って来なければ! 早々に死ねば良かったのだ!」
良正が青い顔に筋を立てながら、まくし立てるように叫ぶ。
その言の葉には怨嗟が篭っていた。
対して、良兼は冷静に将門を見つめる。――口角が上がる。
「話す事など既に無い! 弓隊――」
良正が号令を掛けようと手を振り上げた。
――その瞬間。左右の背の高い葦から、いくつもの影が咆哮を上げながら躍り出る。
武装した伏兵。平将頼達であった。
常道を捨て、身を捨てての疾風迅雷の如き急襲。
それは先の戦さよりも、さらに洗練された一撃。
前列の垣と共に弓隊を粉砕する。
「平将頼! ここにあり! 今こそ、先の戦さの借りを返す!」
鬼気迫る表情で太刀を振るう。――良兼達の前線が崩壊する。
「弓を放ちながら突撃! 敵は烏合の衆だ!」
将門の騎馬隊も突撃を開始し、崩れた前線から逃げていく兵を射抜いていく。
――崩壊の連鎖は止まらない。
いくら督戦をしようとも統制は既に取れず。
兵達は我先にと将門らの恐怖から逃げ出す。
「くそが! この借りは絶対に返すぞ、将門!」
「いくぞ、良正! 国庁まで退けえ! 退けえ!」
良正と良兼は千人程を引き連れて、素早く国庁まで退いて行く。
後に残るのは無傷の将門と屍山だけであった。
「兄い! 国庁まで奴らを逃してしまって良かったのですか?」
将門の元に駆けてくる将頼。
その身体には傷一つ無く、余力も十分にあるようであった。
将門は国庁に入っていく、良兼達を遠くに見ながら、将頼の兜ごと手荒に撫でる。
「ふむ、これで策通り。後は国庁を包囲。……そして平良正を此処で消す」
遠雷を聞きながら、将門達は下野国庁へと向かう。
道無き戦さを終わらせる為に。
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