異聞平安怪奇譚

豚ドン

文字の大きさ
上 下
46 / 71
将門の過去

ギコン

しおりを挟む


 あのひとは、一度として「私」を見てはくれなかった。
 欠陥品の私のことなど、一族の恥さらしだとでも思っているのだろう。

 武芸のできない姮娥こうがの直系など、不要だと。

「姉上の姿が見当たりません。こんな時間まで戻って来ないなんて······捜しに行ってきます」

「待ちなさい。どうせ金虎きんこの第一公子のところでしょう?役に立たない一族の直系同士、お似合いじゃない。その内帰って来るでしょう。あなたがわざわざ捜しに行く必要などないわ」 

「確かに、そうですね」

 扉越しに聞こえて来た声に、胸元で握りしめていた指先の血の気が無くなっていた。それはふたりの本音だろう。自分など、最初から必要のない人間だった。

「こんな夜中に外へ出て、あなたになにかあったら心配よ。あなたは、私の大事な娘であり、次期宗主となる者なのだから。椿明ちゅんめいにも余計な事はしないように、釘を刺しておいて頂戴、」

「はい、椿明ちゅんめいにもそのように伝えておきます」

 音がして、慌てて我に返り、部屋の扉の前から逃げ出す。用意された自室へと戻り、部屋の隅で耳を押さえて蹲る。

 どうやってこの邸に戻って来たか、まったく憶えていない。

 虎珀こはくの所へ行き、金虎きんこの邸を出た後からの記憶が曖昧だった。気付けば扉の前にいて、さっきの会話を立ち聞きしていたのだ。

 そっと、暗い部屋で蹲ったままの、蘭明らんめいの肩を抱く者がいた。

「ほら、ね。言ったでしょ?あなたはここの人たちには必要のない存在。でもね、私たちにはあなたが必要なの」

 男の声なのに、女みたいな口調のその闇の化身は、少女の砕けた心に優しく囁く。

「あなたがしたいことを、私たちが叶えてあげる。その代わり、」

 甘い甘い囁きは、少女の心を満たしていく。ずっと自分をしまい込んで、他人のために尽くして来た。しかし、その結果がこれだ。

 結局、なにひとつ、手に入れることはできず。欲しい言葉は得られず。笑顔の仮面は剥がれ落ちかけていた。それも、もう、必要ない。

「あなたは、私たちのために動くお人形になるの。良い子ね、そう、それでいい」

 もう、引き返せない。
 戻れない。

 その手を取ったその瞬間から、それは決まっていたのだ。先に裏切ったのはあちらで、その報いを受けるべきだと。

「あなたのその満たされない渇望は、私たちが叶えてあげる」

 その日から、ずっと闇の中にいる。光は届かない。もう二度と、届かない。

 玉兎ぎょくとに戻ってからは、想像の通りだ。
 人形を完成させるため、少女たちを攫って、殺して、分解した。

 ひとり、ふたり、さんにん。気付けば五人の少女を殺していた。最初に攫った少女の親たちを病鬼びょうきの呪いにかけた。

 それは疫病と勘違いされ、どんどん広まっていき、やがて都を覆い尽くす。少女の失踪事件は、疫病の蔓延によって人々の中から薄れ、残りの部分を集めるためにまた少女を攫った。

 少女たちの親は、疫病の影響を受けて病に倒れ、いなくなったことすら気付いていない。

 そうやって、最後の十人目を攫った。あとは、あの瞳を埋め込むだけ。もうすぐ、完璧な人形が完成するはずだった。

「一体、どこから破綻し始めていたのかしら、」

 蘭明らんめいはひとり言のように呟く。事の一部始終を聞き終えた竜虎りゅうこは、肩を竦めて蘭明らんめいを見下ろす。

無明あいつに手を出した時点で、こうなることは決まっていた。それに、甘い他人の言葉に溺れ、目の前の大切なひとたちの声を聞かなかった、あなた自身の落ち度だろう」

「はじめから、」

 本当は、解っていたのではないか?

 宗主はともかく、朎明りょうめいがあんな風に言うはずがない。あの子なら、きっと、間違いなく自分を捜しに行っただろう。
 どうしてあの時、気付けなかったのか。どうして信じられなかったのか。

 あれはそもそも、本当に宗主と朎明りょうめいだったのか。声だけで姿は見ていないのに、どうしてその言葉を信じてしまったのか。

 今となっては、もうどうでも良いことだ。

「姉上、何度も言った。私も母上も椿明ちゅんめいも、他の者たちだって。姉上があの別邸に戻っているとも知らないで、ずっと紅鏡こうきょうの都中を捜し回っていたと」

「もう、いいわ」

 もう、終わりにしよう。
 これしか、方法はない。

 隠し持っていた刃物を袖の中で手に取り、蘭明らんめいは自分の首筋に当てる。冷たい刃は、確かな感覚を与えてくれる。

「姉様、駄目!」

 突然の事に呆然としていた朎明りょうめい竜虎りゅうこの間に入って、椿明ちゅんめいがその手首を弾き、刃物を取り上げる。

「返してちょうだい。椿明ちゅんめい、母上になんて言われたの?わたしくを殺しなさいって言われたんでしょう?気付かないとでも思った?」

 ずっと泳いだ目でこちらを見ては、霊槍を震えた手で握りしめ、動揺していた。今も、肯定しているとしか思えないほど視線が合わない。

「さあ、心臓はここよ。その刃で私を殺しなさい」

 それはどこまでも優しい笑み。

 蘭明らんめいは地面に座ったまま、無防備に手を広げ、自分から奪った刃物を握り締める椿明ちゅんめいを見上げた。

 そんな均衡に割り入るように、黒い影がゆらりと身体を揺らす。

 それは血の気の失せた生白い指先を伸ばし、蘭明らんめいの首筋を掴むと、そのまま無理矢理立たせた。

 地面に足が付くか付かないかというぎりぎりの位置まで持ち上げられ、先程まで浮かんでいた笑みが消える。

 あの、人形がまた動き出したのだ。
 その一連の動作までがあまりに素早く、誰も手を出すことができなかった。

「姉上を、放せ!」

 その沈黙破るように、朎明りょうめいの怒りに満ちた声が響いた。

 同時に、その場に強い風が吹き荒れる。蘭明らんめいの自室の中のさらに奥の部屋であるこの場所に、吹くはずのない風だった。
 その先に現れた影に、竜虎りゅうこたちは目を瞠った。

無明むみょう?え?なんで、」

 そこに立っていたのは、白い神子装束のような衣裳を纏う無明むみょうと、目の錯覚だろうか。あれは、えっと、確か。

「渓谷の、妖鬼?」

 紅鏡こうきょう碧水へきすいの間の渓谷で見た、あの特級の妖鬼がその横にいる。あの時のことを思い出し、竜虎りゅうこはひとり、呆然と立ち尽くすのだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

女の首を所望いたす

陸 理明
歴史・時代
織田信長亡きあと、天下を狙う秀吉と家康の激突がついに始まろうとしていた。 その先兵となった鬼武蔵こと森長可は三河への中入りを目論み、大軍を率いて丹羽家の居城である岩崎城の傍を通り抜けようとしていた。 「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」 若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

槻の樹の下

東郷しのぶ
歴史・時代
 7世紀日本、近江大津宮。ある男の病床にて。 ※槻とは、ケヤキの古名です。神聖視され、その樹の下は清浄な場所とみなされました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...