その男、死神につき

ニュルン

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10.その男、世界の王につき

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 明くる日、朝か夜か分からぬ程の曇天の中、俺は目覚めた。
 何か妙な気分だった。
 胸騒ぎがする。
 一流の暗殺者に狙われた時のような、微かに香り立つ残忍で冷酷無比な気配が鼻をくすぐる。
 そして、その気配の主は間もなく姿を現すのだった。

「帝国軍だーッ!!」

 その怒号と共にジールが部屋の扉を開け放つ。

「クイン! マズいぞ!! 帝国の奴らだ! もうスニフィンの一件が伝わっちまってるらしい! すぐに町から離れたところで身を隠すんだ!」

 突然の出来事に慌てふためくジール。
 それを横目に俺は身支度を整える。
 帝国軍が来ることは想像出来ていた。
 自国の軍備の製造拠点が潰されたのだから当然だ。

「しかし早過ぎるな。まぁいい。いずれはどこかで剣を交えることになるんだ。軽く挨拶してくるかな」
「け、剣を交えるって正気かクイン!? 今ならまだお前がスニフィン商会を倒したと帝国に知られていないんだ!

 帝国を敵に回すなんてバカなことはやめて早く逃げろよ!」

「逃げるのはお前の方だよ。俺と一緒にいるところを見られたらお前にまで火の粉が降り掛かっちまう」

 そして、俺はジールの肩にぽんと手を置き告げる。

「世話になったな。このまま俺たちは町を出る。ゼストにもよろしくな。じいさんを超える鍛冶師になれよ」
「いつもいつも勝手な奴だな……」

 そう言うとジールは俺に抱き付いた。
 俺もそれに応える。

「お前のためなら魂が尽きるまで剣を打ってやる。だから、必ずまた戻って来いよ!」
「ああ、もちろんだ」

 そして、俺はジールを残し、宿を後にする。
 外ではヘルとキュリアが俺を待っていた。
 俺は彼女たちの顔を見渡すと、町の中央、スニフィンの工房に向かい歩き出す。

「……うう。……頭が痛い」
「あんなに酔ってれば当然だろ」
「あ、あんなに? どういうことだ? デカブツと酒を競ってたところまでは覚えているのだが……」
「……そのまま忘れてた方がお前のためだ」
「……うう。……きもちわるい」

 死神が二日酔いとは聞いて呆れる。

「クインさん……」

 そんなくだらない話をしていると、隣を歩くキュリアが真剣な面持ちで訊ねる。

「奴は、ここにいるでしょうか……」

 分かっていながらもギクリとする。
 奴とはもちろんグレン、すなわち俺だ。

「……どうだろうな。奴らは所詮、傭兵だ。戦とならなければ現れないだろう」
「そうですか。……では、望み通り戦を巻き起こしてやる」

 そう言ってキュリアが不気味に口角を上げる。
 俺のことになるとどうも凶暴になるらしいな。
 しかし帝国軍の斥候はどの程度の奴らが来ているだろうか。まさか隠密部隊や騎士団はいないだろうが騎馬猟兵部隊のレンジャーどもがいると厄介だ。
 そんな心配をしていた俺だが、それは見事に裏切られることになった。
 路地を出て、大通りを左に行けばスニフィンの工房だ。
 俺たちは目配せをし互いに頷く。
 そして、角を曲がり勢い良く飛び出した。
 だがその瞬間、俺たちの目に有り得ない光景が鮮烈に飛び込む。
 皆、言葉を失った。
 妙な胸騒ぎの正体。
 残忍で冷酷無比な気配の主。
 そして、世界の王となる男。

「ま、まさか……。皇帝ッ!?」

 巨大な黒馬に跨がるその男は古代の意匠が施された鈍い金色の甲冑を纏い、誰もが畏怖し敬服する程の威厳を湛えた眼光でこちらを見下ろしていた。
 なぜ皇帝が?
 だが、そんな疑問はもうどうでも良かった。
 これまで心の奥深くに埋葬していたとある想いが血飛沫の如く噴き出してくる。
 あいつの命を奪った男。
 気付くと俺は剣を抜き皇帝へと飛び掛かっていた。

「おい! クイン!」
「クインさん!」
「うぉぉぉおおお! ヴァレリアの苦悶、その身で受けろッ!!」

 抜き払った白銀の剣が皇帝の兜ごとその頭を叩き砕かんと振り下ろされる。

「ヴァレリアを知っているとは……。何者だ?」

 渾身の一撃は皇帝の持つ、この世ならざる異形の剣によって受け止められていた。

「ちッ! あの時の魔剣か……!」
「あれは魔剣ディアボロスか!?」

 ヘルの驚愕した叫びが耳に届く。
 さらに次の瞬間、

「ディバニアの無念を晴らすッ!」

 キュリアが怒号と共に聖鎚ヘイラグルを打ち付ける。
 そして、金属がぶつかり合う激しい音が辺りに響く。
 ヘイラグルの一撃を受け止め、キュリアの前に立ちはだかったのは武骨な大剣をいとも容易く操る顎髭を生やした男だった。

「ディバニアの聖騎士か……。まさか生き残りがいたとはな」
「貴様……。 貴様ッ! 貴様ッ! 貴様ッ! その顔!! 一瞬たりとも忘れたことはないッ! 先陣に立ち、わたしの故郷をめちゃくちゃにしていった貴様ッ!!」
「クライヴか!」

 俺は顎髭の男を見ると反射的にそう叫んでしまった。

「なぜ俺の名を? 貴様は……? どこかで、見たような……。いや、と言うよりも……。まさか……?」
「どこを見ている、このゴミムシッ!! 死をもって償えッ!!」

 青白い光に包まれたヘイラグルを彗星の如く振り下ろす。

「邪魔だ」

 だが、クライヴは大剣を目にも止まらぬ速さで斬り上げるとキュリアごとヘイラグルを弾き飛ばす。

「キャァア! そんなッ!」

 キュリアが片膝を付きながら、その身に受けたクライヴの力をまざまざと感じ取っているようだった。
 だが、奴の実力はまだまだこんなものではない。
 今のキュリアでは到底足元にも及ばないだろう。

「マンモーナスを葬ったのはお前たちか?」

 皇帝の厳格たる言葉が俺たちに投げられる。

「ああ。お前もあいつと同じように首を刎ねてやろうか?」
「こんな者にやられるとは。魔界の七大君主とやらも高が知れる」
「それなら世界の王とやらもな!」

 俺は構えた剣を皇帝の喉元目掛け刺突する。

「月下銀閃!」

 それは当然、皇帝の持つ異形の剣に阻まれる。
 だが、弾かれた勢いを利用し剣を引き戻すと再び喉元を狙い突きを繰り出す。

「うぉぉぉおおおッ!」

 連続で繰り出される高速の突き。
 一瞬でも体勢を崩せばたちまち首の皮一枚を残して喉笛がなくなるだろう。
 だが、皇帝は眉一つ動かさず全ての攻撃を防いでいた。

「所詮この程度か。魔界の力の前には無に等しい」

 そう言うと皇帝は聞き慣れぬ言葉でぶつぶつと詠唱を始める。
 すると、魔剣が禍々しい魔力を放ち出す。

「クイン! 魔剣から離れろ! そいつは危険過ぎる!」

 ヘルの悲痛な叫びが聞こえる。
 だが、そんなものを耳にする前からあの魔力を肌で感じた瞬間分かっている。
 あの剣はヤバすぎる。
 全身が消し飛んでしまいそうな程の邪悪なる魔力。

「お前ら! 離れて魔法で防御しろ!」
「クインさんも! 早くッ!」

 その瞬間、皇帝の目がカッと見開き俺を見据える。

「遅い……。吹き荒べ魔界の風よ。コキュートスッ!!」

 魔剣から放たれた魔力は絶対零度の吹雪となり俺たちに襲い来る。
 眼前に広がる白銀の闇。
 周辺にあった一切のものは瞬く間に凍り付いたかと思うと、次の瞬間には吹き荒れる暴風によって粉々に砕け散ってしまう。
 そして、その吹雪の通った後は荒廃した大地だけが残っているのだった。
 魔界の風が止み、静寂だけが存在を許された。

「塵に消えたか」
「クイン!」
「クインさん!」

 ヘルとキュリアが塵の積もった防壁を解くと、白い息を吐きながら疲弊しきった顔を覗かせた。
 爆心地から遙か離れた場所にいたはずの二人だったが相当な力を消耗しているようだった。
 更にはいたるところの皮膚が凍傷によりぱっくりと割れ全身から血を流している。
 呆然と死の大地を見渡す二人。
 その時だった。
 中央の塵が積もった場所から突如飛び出す男の姿。

「うぉぉぉおおおッ! ソウル……ブレイカーッ!!」

 霜を纏いガチガチと歯を打ち鳴らしながら、俺は皇帝に向かい斬り掛かる。

「そうか! クインの奴、ソウルブレイカーの力であの魔力を斬り裂いていたのか!」
「……無駄なことを」

 皇帝が虫を払うかのように気だるく剣を振るう。

「ぐはッ!」

 その剣圧に俺の体は木の葉のように舞い踊り、そして地面へと叩きつけられるのだった。

「……なんて……魔力だ」

 剣を支えにかろうじて上体を起こす。
 そのまま皇帝を睨みつける俺だったが、見上げた奴の姿が遥か彼方にあるようだった。

「終わりだ」

 そう死の宣告を下した皇帝が不気味に蠢く魔剣を掲げる。
 凝縮する死の波動。
 まさか皇帝の力がここまでだったとは。
 急転直下の展開だったが、俺の旅もここで終わりか。
 蘇った意味などなかったのだろう。
 所詮は神の悪戯か。
 いや、悪魔の戯具にされたのか。
 今となってはもうどちらでも良い。
 俺は死を受け入れようとした。
 その時だった。

「放てッ!」

 その声と共に皇帝へ飛来したのは一本の矢だった。
 皇帝が空いた手で矢を捕らえるとそれをパキリと折る。
 だが次の瞬間、皇帝の四方八方から矢の雨が降り注ぐ。

「何者だ」

 皇帝とクライヴは己の剣で難なくそれをしのぐ。
 だが、後ろに控えていた兵士共は違う。雨に打たれた者たちは叫びを上げ、血を流し、混乱の様相を見せていた。
 俺は突然の援護射撃に安心というよりも驚きを覚える。

「い、一体誰が?」

 周囲を見回し、矢の放たれた場所を確認するがいずれも入り組んだ建物の間から射られたようで、さらには同じ場所には留まらず射手は移動し続けているかに思えた。
 さらに次の瞬間、俺たちと帝国軍の間に何と無数の煙幕弾が落とされたではないか。
 たちまち濃霧のように立ち籠める白煙。
 俺たちからは帝国軍の姿が完全に見えなくなっていた。
 それは向こうも同じだった。

「奴らを捕らえろ!」

 皇帝の声が遠くでこだまする。

「さ、君たち。早くコッチへ」
「お、お前は!?」

 唐突に現れた目の前の男。
 俺はコイツも知っている。
 コイツの姿を見止めた瞬間、安堵と懐かしさが胸に広がる。
 その男と数人の仲間は俺たちに肩を貸すと町外れに向かい走り出す。
 暗い路地裏を幾度も曲がり、狭い道を選んで進む。
 帝国兵たちの声はどんどんと遠ざかっていき、次第に聞こえなくなっていった。
 そのまま俺たちは町を出た。
 敗走。
 完全なる負け戦だ。
 圧倒的な力の前に為す術もなかった。
 魂だ。まだまだソウルが足りない。

(……ヘル)
(何だ?)
(魂が欲しい。今まで以上に、もっとだ! だから俺に力を貸せッ!!)
 俺の言葉にヘルは優しく微笑む。
(……当然だ、阿呆。私を誰だと思っている)

 俺もそれに不敵な笑みで応えた。
 これ程までにヘルを頼もしく感じたのは初めてだった。
 俺たちは町を出て北に進む。そのまま山脈沿いの森の中へと入っていった。
 道なき道の獣道をしばらく歩くと木々に紛れた小屋がぽつんと見えた。
 そのかび臭い小屋に入ると、ヘルとキュリアは奥の部屋へ通され治療を受けるようだった。
 俺は一人ぼんやりと窓から外を見つめる。
 そこへ先程の見知った顔の男が俺に近付く。

「やぁ、さっきは危なかったね。ところで、変なこと聞くようだけど……」

 と言って俺の顔をまじまじと見つめる男。
 そして、

「君……もしかして、グレンか?」

 と訊ねたのだ。
 俺は観念したようにため息を大きく一つ吐く。
 コイツには隠しても無駄だろう。

「ああ、そうだよ。久しぶりだな、フーマ」

 するとフーマは目を輝かせたかと思うと、突如俺に抱き付いた。

「やっぱり生きてたか!! 君が死ぬなんてこと絶対に有り得ないと思ってたんだ! それにしても、その姿はどうしたんだ? 若返りの泉でも見付けたのか?」

 やはり旧友の目は誤魔化せないようだ。
 俺は笑いながら告げる。

「いや、俺は死んだんだ」
「え? またまた。君が死ぬ時は世界の終わりの時だよ。何かの呪いかい?」
「……惜しいな。一度死んで蘇ったんだ」
「あははははは! なるほど! やっぱり君が死ぬなんて絶対に有り得ないってことだ!」

 その後、俺は今までの経緯を簡単に伝えた。

「……という訳で俺はこれからクインとして生きていく。くれぐれもグレンとは呼ばないように頼むぜ。さっき話した通り仲間にやっかいな奴がいるからな」
「うーん、そんなことがねぇ。まぁ了解したよ。それにしても仲間とはね。君が立ち直れたようで良かったよ。ヴァレリアを失った時の君はどうにも手が付けられなかったからね」
「そうだな。一遍死んでみたからかな」

 そう言って笑い合う俺たち。

「それにキュリアって娘は君のタイプな感じだもんな!」
「そ、それはまぁそうだが。別にそういう気はないぞ」
「あはははははは。照れない照れない! さて、それじゃあ今日はもう休んでまた明日みんなで話をしよう。君がいなかった時の話も聞きたいだろう?」
「ああ。頼む、フーマ」

 するとフーマが笑顔を見せながらフランクな敬礼をし、部屋へと入っていった。
 俺はまだしばらくの間ぼんやりと外を眺めていた。
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