その男、死神につき

ニュルン

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7.その女、聖騎士につき

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 仄暗い部屋の中央。アンティークの豪奢なテーブルの上に、それと同調するような装飾の燭台が置かれていた。そこでゆらゆらと不規則に揺れる蝋燭の灯火が怪しげな陰影を部屋中に映し出していた。

「一体これはどういうことですか?」

 影の中から男の甲高い声が静かに響く。

「……は、はい。何者かが東の森の魔獣を殺したようで……」

 部屋の入口あたりでひざまずいた人相の悪い男が声を震わせながらそう答えた。

「そんなことを聞いているのではありません」

 ひざまずいた男がびくりと反応する。影からの声は淡々としたものだったが妙な威圧感に溢れていた。

「私が聞きたいのは、どうして私以外の工房から煙が立ち上っているのかということです」
「……そ、それは、その魔獣を殺した者が扇動したようです、スニフィン様」

 その瞬間、スニフィンと呼ばれた影の周囲の空気がぐにゃりと歪むのが分かった。ひざまずいた男は額からぽたぽたと汗を流し、床に水たまりを作っていた。

「本当に使えない男ですね、あなたは。私は私以外の工房から出る煙など見たくないのです。特にあの、マイス工房なんかの煙はね! ……で、どうするのですか?」
「そ、それがその……。どうやら魔獣を殺したって奴がどうやらマイス工房に肩入れしているらしく……。あっしらだけじゃ如何ともし難いもんで……」

 直後、飛んできたグラスが男の顔近くで砕け散る。

「ひっ!」

 赤黒い果実酒にまみれた男ががたがたと震え出す。

「まだ理解できませんか! 私が代わりにあなたの首をはねても良いんですよ! さぁ、どちらか選びなさい。その魔獣を殺したという者と戦い死ぬか、今ここで私に殺されるか……」

 蝋燭の火がぐらぐらと揺れ、部屋中の陰影が怪物のようにうねり出す。

「い、行きます! 行かせてください!」

 男の懇願に蝋燭のゆらめきは収まり、怪物たちは元の影へと戻っていった。

「よろしい。失敗は許されませんよ。まぁ、その魔獣を殺した者とやらも、じきにこの町を出るでしょう。そうすればいくらあなたでも簡単な仕事でしょう? ただし、マイスの者は殺してはなりませんよ。あの技術は是非とも私の工房に欲しいですからね……」

 影から不気味な甲高い笑いがこだまする。

「は、はい。仰せのままに、スニフィン様……」
「……それにしても、あの魔獣を殺した人間とは面白いですね。いずれ葬らなければならないでしょう。クククク……」

 薄気味の悪い静かな笑いはゆらめく影と共にいつまでも暗い部屋に響いていた。

*********************************************************************

「……ふぁ~あ。……平和だねぇ」

 俺は幾度目かのあくびをした後、そう言ってオンボロのソファーからようやく腰を上げた。

「まったく、いつまでそうしてるつもりだお前さんは。暇なら仕事でもやっちゃどうだい?」

 野太い声でそう言ったのは酒樽を担いで運ぶエイデンだった。

「仕事だ? そこにあるのは畑に出るイノシシを退治してくれだの薪を割ってくれだの、くだらねぇもんばっかじゃねぇか。ジャックポットが聞いて呆れるぜ」

 俺はカウンターのイスへどかっと座ると手近にあった干し肉をかじる。

「ここは元々平和な町なんでね。お前さんのようなバケモノに見合う仕事はこれっぽっちもねぇんだよ」
「町を救った英雄捕まえてバケモノとは言ってくれるねぇ」
「へいへい。それじゃあ、ゆっくり英気を養っておくんなせぇ。……そう言えば、バケモノに不釣り合いなあの黒髪の可愛らしいお嬢さんはどうしたんだい?」

 エイデンが森で採れたベリーのジュースを差し出しながら尋ねる。

「さぁな。暇だから町を見て来るって出てったっきりだな。……と言うか、本当のバケモノは俺じゃなくてあっちだぜ」

 すると、エイデンがにやにやと気味の悪い笑みを見せた。

「ははぁん。さてはお前さん、尻に敷かれてるな!」

 俺はジュースを吹き出しそうになる。

「なんでそうなる! 俺とあいつはそんなんじゃない!」

 だが、エイデンは俺の言葉に耳を貸すはずもなく、からかうように笑い続ける。

「そうムキになるなって! 女には尻に敷かれとくのが上手くいく秘訣だぜ!」
「あんな恐ろしい奴の尻に敷かれるくらいなら死んだ方がマシだね」
「私もお前をお尻で踏みつける趣味などない」

 その声に心底驚き、イスから転げ落ちそうになる。しかも、尻に敷かれるという意味を履き違えている。

「よ、よぉ、ヘル」

 俺はエイデンからベリージュースを受け取るとヘルに差し出す。

「すまない。……ん、良い味だ」

 そのやり取りを見てエイデンが必死に笑いを堪えている。その顔は『やっぱり尻に敷かれてるじゃねぇか』とあからさまに物語っていた。もう何も言うまい。

「それで、観光はどうだった?」
「うむ。そのことだが、東の森の外れに妖しい気配が集まっているのを感じるのだ」
「東の森の外れ……? マスター、その辺りに何かあるか知ってるか?」

 エイデンはグラスを拭く手を止めると首をかしげながら言った。

「森の外れねぇ……。あぁ、そう言えば古い洞窟寺院があったっけなぁ」
「洞窟寺院? アスガルズ教のか?」
「いやぁ、それよりもずっと古い土着の信仰だな。確か墓地として昔は使われてたって話だぜ」
「ふーん。で、そこに妖しい気配があるって?」

 そう言うとヘルがうなずき答える。

「そうだ。どうせ暇そうにしているのならそこへソウルを集めに行った方が賢明だと思うが」
「だてに暇そうにしてた訳じゃない。そういうのを待ってたんだ」

 俺は新しい干し肉を掴むと立ち上り、酒場のドアを押し開けた。

「邪魔したなマスター」
「おう。生きて帰ってこい」

 そして俺とヘルは再び町を出て、東の森の方へと向かって行った。森へ向かう道では何度か行商とすれ違った。あの日から幾日か経ったが、流通が少しずつ再開していることが改めて実感出来た。そのまま森へと入った俺たちだが、あの時の魔獣のような嫌な気配はちっとも感じなかった。

「……何にも感じないが本当にここで合ってるのか?」
「間違いない。嫌な気配がどんどん強くなっている。こっちだ」

 そう言ってヘルが魔獣のねぐらとは逆方向の脇道へと草をかき分けずんずん入っていく。俺は訝しげにその後を付いていったのだが、確かに朽ちた石像の跡のようなものが進む先に規則正しく並んでいる。恐らく洞窟寺院とやらはこの先にあるのだろう。そして何より、誰かが既に通ったような真新しい道がそこには出来ていた。

「どうやら魔獣のような凶悪な怪物じゃなさそうだな」
「そのようだ。……だが、魔力がどんどんと流れ込んでいる。それとは別にもう一つ、嫌な気配があるな」
「別の気配……? たぶんそいつだろうな。俺たちより先にここを通ったのは」

 ヘルが無言でうなずく。その顔は今まで見たことないくらい険しいものだった。

「……そんなにヤバい奴なのか?」
「ヤバい……? ある意味そうかもしれない……」

 歯切れの悪いヘルの言葉。こんな彼女は初めてだった。歩を進める俺たちの周りの木々が次第に少なくなってくると、目の前に洞窟が姿を現す。入口の左右には蔦の絡まった彫像がそびえ、荘厳な雰囲気を醸し出していた。

「ここか。行くぞ」

 俺はマイスの剣を抜くと、古代の寺院へと足を踏み入れた。

「……確かに誰かいるな」

 通路の所々にはたいまつが焚かれ、ぼんやりとした光で洞窟を照らしていた。両側の壁には神々をあしらったレリーフがあり、まるで俺たちをじろりと見詰めているような不気味さを感じる。そして、更に不気味なのは俺たちの足下に無数の骨が散らばっていることだった。

「おいおい、ここは墓地だろ? 昔の人間は埋葬の仕方も知らないのか?」
「いや、どうやらそういう訳ではないらしい」

 ヘルはそう言って屈むと、その骨に手をかざした。

「……幽かだが魔力の痕跡を感じる。……何者かに喚び出されたようだな」
「……ん? ってことはこいつらを薙ぎ倒したのは一体……」
「……嫌な空気が漂ってる」

 俺たちは寺院の奥へと急いだ。
 そして、通路を抜けるとぽっかりとドーム状に広がった礼拝堂へ飛び出した。
 その瞬間。

「こ、こりゃどういうことだ?」

 俺は目を疑った。無数のスケルトンが得物を構える中、その中央には鎧を纏った一人の女性が屹立していたのだった。右手には装飾の施されたレイピアを構え、左手には十字をあしらった美麗なスリッジハンマーを携えている。だが、その妙な取り合わせより目を引いたのは鎧にデザインされた天馬に跨がる戦士のシンボルだった。

「あいつは! 神聖王国ディバニアの聖騎士か!?」

 そして、次の瞬間。女の持つスリッジハンマーに青白い光が纏い始める。

「はぁぁぁあああ! 在るべき処に還りなさい……。ディバインストライクッ!!」

 直後、壮絶な爆発音と共に閃光がほとばしる。

「うぉ! なんつー威力だ……」

 砂埃の中からハンマーを振り抜いた女の姿が辛うじて見える。やがて砂埃が晴れていくと、先程まで彼女を取り囲むように無数にいたスケルトンは跡形もなく消えていた。

「あ、あの力は……! まずいぞ、クイン!!」

 ヘルは俺の袖をぐいぐいと引っ張り必死でそう訴えた。
 その狼狽振りに俺は驚きを隠せなかった。

「まずいって何がだよ。確かにすごい力だが敵とは思えないぜ」
「いや、奴は紛れもない敵だ!」

 ヘルが俺の肩を掴みぐらぐらと揺さぶる。俺は肩に置かれたその手に自分の手を乗せる。

「落ち着けって、ヘル。らしくないぜ。俺にも分かるように……」

 その時だった。異様な気配が礼拝堂の奥から溢れ出すのを感じた。咄嗟に振り向きそれを見遣ると、砂埃の影から巨大な魔法陣が目に飛び込んだ。その周囲にはフードを被った子供のような者たちがその身の丈よりも大きな禍禍しい杖をそれぞれ持ち、魔法陣へと魔力を注いでいるようだった。

「……何か来るな。紛れもないまずい敵が」

 俺のその予言は見事的中した。魔法陣からどす黒い靄が立ち込め、悪寒のような気配がどんどんと強くなる。そして、がちゃりという重厚な金属音を立てて現れたのは漆黒に染まった三体の鎧だった。

「あれはブラックナイトメイル! 何故この世界に悪魔の鎧が!」
「あの異形な奴らを知ってるのか?」

 ヘルが鎧から目を離さず応える。

「私も詳しくは知らない。だが、悪魔がその魔術によって創造した鎧にして上級の使い魔、目の前の生物を全て殺すまで止まらない凶悪な魔具だと聞いたことがある。そんなことより!」

 突然、ヘルがぐいと俺の胸ぐらを両手で引き寄せ、その小さな顔を目一杯俺の顔へ近付ける。
 一瞬どきりとする。まさか、あの女一人残して敵前逃亡しようと言うのか。それ程までに凶悪な鎧なのか。それはそれで興味深い相手だ。だとすれば、こいつが何を言おうと俺はとことんやる。戦いの中で死ねれば本望だ。だが、間近で見る彼女の唇から紡がれた言葉は予想を裏切るものだった。

「あの女より先に奴らを倒すのだ」
「へ? どういうことだ?」

 まさに肩透かしもいいところだ。何が、戦いの中で死ねれば本望、だ。少し恥ずかしくなってきた。

「良いから! 私は魔法陣の方を調べる!」

 すると、彼女は迂回するように闇に紛れて礼拝堂の奥へと走り出した。
 俺は剣を肩に担ぎ、溜め息を一つ吐くと訳の分からぬまま礼拝堂の中央へと真っ直ぐ向かった。

「おい! そこの聖騎士さん! あんたは下がってな」

 その声に女が驚きこちらを振り向く。
 美人だな。
 陳腐だがそれが正直な心の声だった。
 細い金髪を束ね、透き通るような白い肌に、高貴な顔立。その辺のいわゆる美人とは明らかに格が違った美しさだった。年の頃は二十前といったところか。今の俺とそう変わらないはずだが大人びた印象を受けるのは品の違いだろうか。

「あ、あなたは? 一体、何者ですか!?」
「俺はクイン。妖しい気配を感じて来てみりゃこの有様だ。後は俺が片付けてやるからあんたはどいてろ」

 そう言い捨てた俺は彼女の一歩前へ出る。

「……い、いやです。これはわたしの天命です。あなたこそ危ないですから下がっていてください」

 すると聖騎士の女が俺の前へ一歩出た。

「おいおい、強情だなぁ。スケルトン共の相手で疲れただろ? ここは俺が代わってやるって」

 苦笑を漏らしながら再び彼女の前へ出る。

「いえいえ全然大したことないですよ! わたしには神のご加護がありますからね! わたしがあなたをお守りします」

 またもや彼女がずいと俺の前へ立った。
 俺は突如苛立ちを覚える。
 守るだと?
 簡単に言ってくれるじゃあないか。しかも見ず知らずの相手にだ。身の程を知れ。

「俺はお前を守るつもりはない。さっさと消えろ」

 押し退けるように前へ出る俺。

「守ってもらう必要はありません。神がお力添えしてくださります」

 更に前へ立つ女。

「信じる者は救われるか? くだらないな。自分を救えるのは己の力だけだ」

 最後は、彼女の真横に立つ俺。
 目の前には一歩も動かず立ち尽くした鎧が三体あった。
 一瞬の沈黙。

「うぉぉおおお!」
「てぇぇええい!」

 直後、俺と彼女は同時に鎧へ斬りかかる。

「……コォォォ」

 耳をつんざく程の金属音が洞窟に反響する。

「……さすが悪魔の創り出した鎧だな」

 俺の剣戟は鎧の持つ剣で、彼女のレイピアは奴の盾で防がれていた。
 すかさず両側の二体が俺たちに剣を振り下ろす。
「ハッ!」

 女は身軽な動きとレイピアで剣をいなすと同時に、回転するように鎧の背後を取った。直後。

「……聖霊よ。わたしに力をお貸しください。セイントエッジ!」

 纏った青白い光と共にレイピアの凄まじい突きが、悪魔のような恐ろしい黒い兜を高速で貫いた。
 乾いた金属音と共にぽっかりと穴の空いた兜だった物が呆気なく地面に転がる。
 俺は襲い来るもう一体を蹴りで退けると、鍔迫り合いから一旦距離を取り彼女を見遣る。
 すると、彼女が得意そうな笑みを俺に向ける。腹立たしい奴め。
 だが、そう思ったのも束の間。
 兜をもがれた鎧がくるりと彼女の方へ振り向くと勢い良く剣を振り下ろしたのだ。

「え? そんな!」

 一瞬、動揺を見せる彼女。咄嗟にハンマーとレイピアで十字に受け止める。

「やはり中身は空っぽか。……となると、魔力源を突き止めなければならんが。面倒だ!!」

 俺は正面にいる鎧へ再び剣を振るう。

「庖テイ流。乱斬り!」

 縦横無尽に降り注がれる剣戟。あまりの剣速に悪魔の鎧も反撃の機会を失い、手にする剣を俺の攻撃に合わせるだけで精一杯だった。だが、合わせられたのは無数の斬撃の一部であり、ほとんどがその鎧へと打ち込まれていた。小気味良い金属音が鳴り響き続ける。そして、次の瞬間。

「うおぉぉぉおお!」

 斜めに斬り上げた一閃が剣を握る厳めしい小手ごと粉砕する。

「トドメだ!」

 俺は奴の頭上へ跳躍すると、マイスの剣を振りかぶり渾身の力でそれを叩きつける。

「日馬流奥義! 脳天唐竹割り!!」

 漆黒の鎧が残った腕で盾を掲げる。だが、その足掻きも無駄に終わった。俺の頭上からの豪快な一撃は盾もろとも悪魔の鎧を一刀両断に斬り捨てたのだった。左右に割れた黒い金属ががらがらと音を立て崩れ落ちる。
 俺は聖騎士の女を見遣ると、にやりと不敵な笑みを見せた。そして、鎧から溢れ出た光の粒子に触れるとそれは俺の体へ吸収されていった。

「さすが魔獣の力だ。悪くないな……」

 俺がそんな感慨に耽っていると彼女の方から剣戟の音が聞こえる。

「はっ! やっ!」

 レイピアを巧みに操り、鎧からの攻撃をいなしながら的確に斬撃を入れている。その剣術は相当のものだった。並の相手ならば既に五体満足ではいられないだろう。だが、相手は鎧だ。さて彼女、どうするかな。

「やーッ!」

 その声と共に彼女のレイピアの剣速が段違いに増した。そして、ついに鎧の持つ剣を絡めとり彼方へと弾き飛ばした。

「……邪悪なる魂に裁きの鉄槌を! ヘブンリースマッシャーッ!!」

 青白い光を十分に蓄えたハンマーが黒い鎧に下される。
 歪な音。
 衝撃が周囲に走った。見ると、窪んだ地面の中央にひしゃげた黒い鉄塊が無惨に転がっていた。
 聖騎士の女は髪をかきあげると流し目に俺を見る。なんとも腹立たしい。そんな様子を見ていると、黒い鉄塊から光の粒子が溢れ出す。俺がそれを回収しようと近寄ると、なんと彼女がその光を纏っているではないか。そして、彼女が手を組み合わせ祈りを捧げると、光は体から立ち上ぼり消えていった。

「どういう……ことだ? ソウルを集めているのは俺たちだけじゃあないのか?」

 ヘルがこの女を敵だと言ったのはそういうことなのか?
 だが、一体何故だ?
 その時、最後の一体となった悪魔の鎧が俺に斬りかかる。

「ちっ! 邪魔しやがって!」

 斬撃をマイスの剣で受ける。その直後。

「ええい!」

 白銀のハンマーが真横に薙ぎ払われる。
 耳元で壮絶な破壊音が打ち鳴らされた。
 見ると鎧の手にした頑強な盾が粉々に砕け散っていた。
 俺と彼女が視線を交わす。

「一刀流! 双剣閃!」
「セイントエッジバースト!」

 刹那、二筋の線が鎧の肩から腰にかけて交差する。
 そして、鎧が崩れ落ちようとする寸前。レイピアの神速の突きと共に白い閃光が爆発する。
 激しい衝撃が空気を揺るがす。
 目を開けると鎧の胸部から上は塵となり跡形もなく消し飛んでいた。
 俺たちは互いを見るとにやりと笑いあった。そして、悪魔の鎧から解放された光が俺と彼女を包んでいた。
 そんな良い雰囲気をぶち壊すかのように聞き慣れた声が向こうからする。

「クイン! 分かったぞ! 奴らの魔力源は左胸の……ってこの有様はどうしたのだ!?」
「一足遅かったな、ヘル。ご覧の通りだ」
「……あ、あの」

 その声に振り向くと聖騎士の女が丁寧にお辞儀をして言った。

「ありがとうございました。……先程はあんなこと言ってしまいましたがあなたのお陰で助かりました。……えっとクイン、さん?」
「クイン・バルキアだ。クインで良いぜ。中々楽しめたよ」
「わたしはキュリア。キュリア・ジルニトラ。これも神のお導きですね」
「まぁ、確かに私が導いたのだからその通りだな」

 ヘルはいつにも増して不機嫌そうな顔でそう言った。そして、キュリアを一切見ようとはしなかった。

「ああ、こいつはヘル。色々あって一緒に旅してる奴だ」

(さっきからどうしたんだよ? 彼女、敵には見えないが)
(ふん、これだから欲にまみれた人間は。お前も見ただろう? 奴が神聖なる力を使うところを。嫌な気配がしたと思ったが予想した通りだ)
(神聖なる力? ああ、あの青白い光か。嫌な気配ってそっちのことかよ。それがどうしたんだ?)

 ヘルが苦虫を噛み潰したような顔をする。

(あれは神と契約した者に与えられる力だ。そして、その神と言うのが……私の父や兄たちだ)
(……つまり、魔法を使う者が精霊と契約してその力を借りる代わりに、彼女は神と契約してその力を借りると)
(そうだ。そして、魔法の対価は己の魂から生み出される魔力だが、神の力の対価は……魂そのものだ)
(魂だと!? それじゃあ、どっちが死神か分からねぇな。だが、それの何が問題なんだ? 彼女一人が魂を神にやっても、俺たちが集める障害になる程じゃないだろう?)
(お前に言っても詮無いことだが……。人間は、神が自身に似せて創り出した不完全な生き物だ。逆を言えば、神々も人間と同じく欲望というものを持っている。その欲望の一つが魂という力の源を手に入れることだ。そのため、神々が平等に力を分かち合うべく考えたのが魂の管理者の存在だ)
(魂の管理者……。つまり、死神か!?)
(そうだ。だが、既に生まれた神々の中から選ぶというのは平等とは言い難い。そこで提案されたのが、生まれて間もない者を神々の住む天界より最も遠く離れた地の底へやり、孤独な魂の管理者とするというものだ)
(……それが、お前だったって訳か)
(……見ず知らずの親兄弟に脅され宥めすかされるというのはとても良い気分ではなかったよ)

 ヘルは遠い目をしてそう呟いた。俺は初めて彼女に共感を覚えた。何故、俺とヘルの魂が一つになったのか。今、少しだけ分かった気がする。

(……それで、管理者がいなくなった今、キュリアが力を使うとどうなるんだ?)
(魂が見境なく天界に送られることで最悪、神々の間で争いが起こるかもしれない。だが、彼女一人の力では取るに足らない魂だがな)
(神々の争い……ってのは人間の戦争なんかの比じゃないんだろうな。でも、キュリア一人だったら問題ないんだろう? ジールも言っていたように神聖王国ディバニアはグランデル帝国の侵攻を受けて壊滅したらしいし。……恐らく、聖騎士の生き残りもそういないだろうからな)

 俺はキュリアをちらと横目で見遣る。

(……それが問題なのだ)

 ヘルも横目で彼女を見ると魂の会話を続けた。

(神々に魂の力を与えるもう一つの方法。それが信仰だ。祈りを捧げ、自らの魂の力を天界に寄与する。そして、魂の管理者である私がいない今、この世界は有象無象の魂で溢れている。それが澱み、邪なものへと変質すればそこへ魔が生まれる。そして混沌の世界へと変わり果てた時、彼女のような聖騎士が現れれば人間はどう思う?)
(……神の使い、救世主か)
(その後はお察しの通りの結末だよ。だから、奴は敵だと言ったのだ!)

 俺はヘルのその話を聞きふと考え込む。そして、キュリアの顔をまじまじ見詰める。彼女は不思議そうにきょとんとした顔を俺に向けていた。

(だったら、キュリアを連れて旅すれば良いんじゃあないか?)
(え?)

 今度はヘルがきょとんとした顔を俺に向けていた。

(彼女が救世主になるのがまずいんだろ? だから、キュリアの手柄を俺のものにしてしまえば崇め称えられるのは神なんかではなく俺になるって訳だ)
(た、確かに……。最後の台詞も最悪な結末にはなりそうだが、神々の争いよりはマシか……)
(おい、どういう意味だ)
(いや、だが、しかし……。そもそも私は聖職者は好かん! そんな者と一緒に旅など出来るか!)
(この期に及んで好き嫌いなんか言ってられるのかよ。もういい。俺は決めた。あいつは貴重な戦力だ。分け前は減っても効率は段違いだからな)
(むぅ……。だ、だが……)

 俺はそんな煮え切らないヘルを無視して意気揚々とキュリアに話し掛ける。

「いや、悪いな。こいつ人見知りなんだ。ところで、あんたはどうして一人でこんなところへ?」
「え? ああ、そのある人を探して旅をしているのですが、その途中妖しい気配をこの洞窟寺院から感じたものですから。そうして来てみればあんな魔法陣があって……」
「ある人ねぇ。……魔法陣? あ、おいヘル! 魔法陣はどうなったんだ?」

 ヘルがふと顔を上げて答える。

「ん? ああ、魔法陣なら印を消しておいたから心配ない。それに周りで魔力を供給していたインプ共はブラックナイトメイルの召喚で魔力が枯渇し、消滅していったよ。しかし、何故こんなところにインプが……。それに召喚陣まで……」
「インプって何だ? それらも魂の澱みってやつの影響か?」
「インプですか……。教会の書物で読んだことがあります。悪魔の有する最も下級な使い魔であると。臆病で非力な存在だが、人間に卑屈さと猜疑心を植え付ける小さな邪悪。それがインプです。……でも、実在したなんて」
「また悪魔か。確かに滅多に拝めるものじゃないな」
「グレーターデーモンのバラクエルと出会えたマリアは相当な幸運の持ち主だな」

 そう言って悪戯っぽく笑うヘル。それを見て一応の安堵を覚える。どうやら俺の提案をのんでくれたようだ。背に腹はかえられないからな。

「冗談はさておき。クイン、悪魔とはこの世界とは異なる世界の住人だ。それがこうして町の近くに現れ、ましてや魔界の住人を喚び出すということは何か不吉なことが起こり始めているのかもしれない。私たちが倒した魔獣も澱んだ魂に冒された一例ということも有り得る」

 その時、キュリアが驚きの声を上げた。

「あなた方が噂の魔獣を倒したのですか! どおりでお強い訳ですね」
「ああ、まぁな。魔獣のこと知ってるのか?」
「ええ。東の森に魔獣が出るということでベル鉱山の麓の町で足止めされてましたので。お陰でこうしてアイロの町に向かうことが出来ます」
「アイロの町か! 俺たちも今、丁度そこに滞在しているんだ。戻るついでに、良ければ案内しようか?」

 俺は自然にそう切り出した。彼女はそんな俺の下心など露知らず、手をぽんと合わせて純粋に喜ぶ様子を見せる。

「本当ですか!? ぜひご一緒させてください! これも神の思し召しに違いありません!」
「……私は望んでなどいないけどな」
「……天界の神とやらも同感だろうな」
「どうかしましたか?」
「い、いや、何でもない。さ、こんな陰気臭いところさっさと出て町に行こう!」

 そう誤魔化しながら俺は出口の方へと向かって行った。
 やましい気持ちなど一切ないはずなのに何故か動揺してしまう。
 相手が聖職者だからだろうか。
 いや、それはないな。
 信じられるのは己の力だけだ。
 とすれば、それは彼女の純粋さによるものなのだろう。
 不思議な感覚に陥る。
 俺はその純粋さに底知れぬ深淵を覗くような不安に駆られる。
 思い過ごしなら良いのだが。
 礼拝堂に彫られた巨大な古の女神像は俺たちを冷たく見下ろしていた。
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