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第1章

16話 それぞれの告白

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 ケントの言葉を聞いて、ルーシーはしばらく固まっていたが、不意に大きく息を吐き出し、肩を落とした。

「はぁ……なんだ、そんなことかぁ」

 そして安堵したように、呟いた。

「いや、そんなことって……」

 ルーシーの反応に、ケントは少し驚いたが、彼女は彼を安心させるようにふっと微笑む。

「言ったでしょ。あたしはそのうちどこかの富豪に買われる身だって。だったら、セックスのひとつやふたつ、大した問題じゃないわ」
「だけど、セックスをしたからって、共有ができるとは限らないんだぞ? 心が繋がるってことの基準があいまいだし」
「なら心が繋がるまで、何回だってすればいいじゃない」
「い、いいのか? 俺と君とは、昨日出会ったばかりなんだぞ? そんな相手に、身体を許すなんて……」
「ケントは命の恩人だもの。この件がなくても、ケントが望むなら、身体くらい喜んで差し出すわよ」

 そこまで言ったルーシーだったが、ふと気まずげに顔を逸らす。

「ただ、その……ケントが、いやじゃなければ、だけど……」

 彼女は顔を背けたままそう言い、視線だけをケントに向ける。

「ルーシー、俺は、その……」
「あのね、ケント」

 ケントがなにかを言おうとしたが、ルーシーは彼に向き直り、言葉を遮るように話し始める。

「あたしみたいなガサツな女を抱くのはいやかもしれない。歳だって、若くないし……」
「いや、ルーシー、あのな……」
「あたしだって無理やり迫るみたいなことはしたくない。でも、可能性があるなら試したいの!」
「待って、俺の話を……」
「だからお願い!」

 ケントのまえで姿勢を正したルーシーは、床に手を着き、深々と頭を下げた。

「人助けだと思って、あたしとセックスしてください……!」

 ルーシーの言動と行動に、ケントは顔を引きつらせて固まった。
 ただ、思考が追いつかないながらも、ケントはなんとか我に返って手をのばし、彼女の肩を優しく叩いた。

「とにかく、頭をあげてくれ、ルーシー」
「……うん」

 そう言ってゆっくりと頭を上げたルーシーは、不安げな表情でケントを見つめた。

 彼女の視線を受けながら、ケントはあらためて彼女の容姿を観察する。

 艶のある黒い髪は、動きやすさを重視してかショートボブにされている。
 前髪のひと房だけが白くなっているのが、オシャレだと思った。

 整った眉、クリッとした目は少しつり上がっているが、愛嬌を感じさせる。
 宝石のように輝く黄色い瞳は、白目があまり見えないほど大きい。
 その中央には、縦長の楕円状になった瞳孔が、ケントを捉えていた。
 もう少し明るければ、もっと細くなるのだろう。

 少し低いが形のいい鼻、薄い唇の、小さな口。

 瑞々しい乳白色の肌。

 命懸けの戦闘を生業にしているとは思えないような、細い首。

 肩幅は狭く、華奢だが、袖のない服から露出された腕は、しなやかな筋肉に覆われている。

 ブラウスを押し上げる胸の膨らみは控えめだが、それでも充分に女性らしさを感じさせた。

 そのブラウスの丈は短く、腹回りは露わになっている。
 腰は細く、ゆるやかな曲線を描くくびれは見事だった。

 七分丈ほどのボトムに覆われた尻や太ももが太く見えるのは、正座をしているせいだろう。
 ただ、冒険者らしく、しっかりと鍛えられたものであることはなんとなくわかった。

「ルーシー、はっきり言っておくよ」
「な、なに……?」
「ルーシーのような美人とセックスできるなんて、この上なく光栄なことだ」
「ふぇっ!?」

 ケントの言葉に、ルーシーは間抜けな声をあげ、表情を崩す。

「あ、あたしが、美人……?」
「ああ。少なくとも、俺はそう思う」
「そ、そう……でも、ほら、あたしってその、耳とか、尻尾とか、さ……」

 ルーシーは不安げに言いながら、頭に生えた獣耳をピクピクと動かし、艶やかな黒い毛に覆われた尻尾をゆらゆらと揺らした。

「むしろ魅力的だと思う」
「み、魅力的……!?」

 ケントは別にケモナーというわけではない。

 ただ、猫好きの祖母の影響で、ケントも猫が大好きだった。
 そんな彼にとって、猫を思わせる外見的な特徴は、美点にしかなり得ないのだ。

「そ、そっか……ケントがいやじゃないなら、よかったよ」

 そう言って胸を撫で下ろしたルーシーだったが、ふと顔を上げ、またも不安げな表情を浮かべる。

「でも、本当にいいの?」
「なにが?」
「たとえば、ほら、他に好きな人がいるとかさ」
「好きな人……」

 そう聞いて、ふとヨシコのことを思い浮かべる。

「ああ、でも、ケントは記憶喪失だったんだね」
「ん? ああ、まぁ……」
「だとしたら、その、もしかすると、故郷に奧さんがいるとか……」
「故郷か……」

 ヨシコだけでなく、祖母や姉、元同僚のことなどを思い出す。

 あらためて確認するまでもなく、ここは異世界だ。
 なぜ自分がこんな場所にきてしまったのか、いまとなってはよくわからない。

 そしてそれがわからない以上、帰る方法もわからなかった。

 なんとなく流されるままいまに至っているが、そろそろこの世界で生きていく覚悟を決めるべきかもしれない。

「なぁ、ルーシー」

 そう思いを定めたケントは、真剣な眼差しをルーシーに向ける。

「先に、俺の話を聞いてほしいんだ」

○●○●

 一度仕切り直すため、ケントは1階に下りて飲み物を注文することにした。
 ルーシーが紅茶を希望したため、ティーポットに淹れたものと、カップをふたつ用意してもらう。

「ふふっ、昼間っからお盛んだね」

 ティーポットとカップをトレイに乗せながら、女将がからかうように言ってくる。

「なんの、本番はこれからですよ」
「おやまぁ」

 ケントの返しにわざとらしく反応しながら、女将は保温用のティーコーゼをポットにかぶせ、トレイを渡してきた。

「ま、あんまりうるさくするんじゃないよ」

 ここを利用する冒険者の多くは昼に活動するが、休みをとっている者も少なくない。
 命懸けの戦闘を生業とする以上、一般職よりも休みが多いのが、冒険者という職業だ。
 なのでこの時間でも、宿の半分には人がいると思ったほうがいい。

「できるだけ、気をつけますよ」

 トレイを受け取ったケントは、そう言い残して部屋に戻った。

「お待たせ」

 ベッドに腰掛けているルーシーの隣に、ケントは座った。
 サイドテーブルを引き寄せ、トレイを乗せる。

「それじゃ、俺の話を聞いてくれ」

 紅茶を飲みながら、ケントは自分のことについて話した。

 自分が異世界人であること。
 突然この世界を訪れたこと。
 その際に、例のマスケット銃を手に入れたこと。
 ようかんや水など、防災バッグの中身が異世界の物であること。

 その他、思いつく限りのことを話して聞かせた。
 もちろん、記憶喪失が嘘であることも。

「ごめん」
「しょうがないよ、そんな状況じゃね」

 ルーシーは少しぬるくなった紅茶をすすり、ほっと息を吐き出す。

「そっかぁ。だからケントは、神代文字にも詳しかったんだね」
「ああ。あれは俺の世界で普通に使われている文字だからな」

 ケントはそう言いながら、ヘッドボードに置いてあったメモ用紙とペンを使って、26文字のアルファベットを書いていく。

(っていうか、普通に紙とペンがあるんだな)

 そんなことを思いながら、AからZまでを書ききり、ルーシーに見せた。

「すごいね。これ、世界がひっくり返っちゃう情報だよ」
「かもな。このことは秘密にしておいてくれよ」
「ええ、もちろん」

 ルーシーはそう言うと、ヘッドボードにあった灰皿を取ってサイドテーブルに置き、そこへアルファベットの書かれたメモ用紙を入れた。
 そのメモ用紙に彼女の指先が触れると、ボッと小さな炎が上がる。

「ルーシー、いまのは?」
「《点火》っていう魔術。基礎的な生活魔術のひとつね」
「なるほど、便利だな」

 火のついた紙は、あっという間に灰となった。

「ケントも、冒険者をやるなら覚えとかないとね」
「それはぜひ覚えたいね」

 なにもないところに火を起こす。
 そんな魔法のようなことが、自分にもできるかもしれない。

 そう思うと、ケントは少しワクワクしてきた。

「それにしても、ケントが不思議なスキルを持ってるのって、異世界人だからなのかな」
「どうだろうな」

 〈魔女の恩恵〉の魔女とは、いったいなんなのか。

 思いつくのは、祖母のことだった。

 いまにして思えば、祖母はケントがここを訪れるのをわかっているようだった。

 祖母の勧めで着たスーツは、異常なまでの防御力を誇り、持たされた防災グッズは効果の高いアイテムだった。

 そして彼女に持たされた物と、例の場所で手に入れたマスケット銃だけを、世界を越えて持ち込むことができた。

(魔女……魔女か……)

 たとえば日本には『美魔女』と言う言葉があった。
 歳を重ねてなお若々しく、美しい女性を指す言葉だ。

 思えば祖母は、物心ついたときから外見にほとんど変化がなかった。

 頭髪は白くなっているが、それでも艶やかで、肌にはシミひとつなかった……と、思う。
 そこまで注意深く祖母の容姿を観察したことがないので、はっきりとは思い出せないが。

(ばあちゃんが、魔女なのか……?)

 謎は深まるばかりだが、会って確かめようのないことだった。

「ケント、どうしたの?」

 考え事をしてぼんやりとしていたケントに、ルーシーが声をかける。

「いや、ちょっと考えごと」

 そこでケントは、ふと思い至る。

「なぁ、ルーシー。魔女って聞いて、なにか思い浮かぶことってある?」

 この世界における魔女について、尋ねてみることにした。

「魔女? そうねぇ……真っ先に思いつくのは、やっぱりソルチスティニアかしら」
「ソルチ……なに?」
「ソルチスティニア。魔女が治めていた国よ」

 それは古来より、魔女を名乗る者が治める国だった。

 加護がもたらす奇跡のひとつ、魔法。
 その魔法を、人の力で再現しようと開発されたものに魔術というものがある。

 魔女は多くの魔術を開発したという。
 それと同時に、加護に作用する薬品も発明した。

 それがポーションだ。

「HPポーションを使えばHPを、MPポーションを使えばMPを回復できるわね。ほかにも状態異常を癒すキュアポーション、0になったHPを復活させるリヴァイヴポーションっていうのもあるわ」

 ポーションのなかには回復だけでなく、一時的に能力値を上昇させるものもあるという。

 ようは、回復魔法や支援魔法を再現したのが、ポーションというアイテムだ。

「ソルチスティニアはそういったポーションの生産が盛んな国だったのよ」
「だった、っていうのは?」
「滅んじゃったの。何十年も前に、政変でね」
「なるほど……」

 国は滅んだがポーション作成技術が失われたわけではない。
 だが質も量も落ちてしまったため、いまなおポーション類は供給不足気味だという。

「魔女印のポーションなんて、すごい値がつくと思うわよ」

 ソルチスティニアで作られたポーションにはロゴマークがついていたらしい。

 いまでも模造品は多く出回っているが、見る人が見れば本物かどうかはすぐに見抜かれるのだとか。
 そして魔女印の不正使用は、そこそこの重罪になるそうだ。

「あれ? もしかしてケント、ソルチスティニアの関係者なの?」
「いや、俺、異世界人だから」
「ああ、そっか。そもそもこの世界とは関係ないんだったわね」
「ああ……」

 どこか歯切れの悪い返事ではあったが、ルーシーはとくに気にならなかったようだ。

「ふぅ……」

 残った紅茶を飲み干したルーシーは、カップをトレイに戻した。

 コトリ、と音が鳴ったあとに、沈黙が続いた。

「ねぇ、ケント」

 先に沈黙を破ったのは、ルーシーだった。

「ケントはどうして、自分の話を聞かせてくれたの?」
「それは、その……」

 少しうろたえながらも、ケントは覚悟を決めたように言葉を続ける。

「俺たちはこのあと、セックスをするだろう」
「う、うん、そうね……」

 あらめてその事実を突きつけられたルーシーは、恥ずかしげにうつむく。

「だから、俺が何者かを知ってほしかったんだ。君に嘘をついたままっていうのは、フェアじゃない気がして」
「……そっか」

 ケントがルーシーに向き直ると、彼女もこちらを見ていた。

「さっき話したとおり、俺は異世界人だ。妙なスキルも持ってるし、この世界では得体の知れない存在だと思う」
「……だから?」
「だから、俺の素性を知って、もしいやになったんなら……俺みたいなよくわからないヤツに身を委ねられないと思ったなら、そう言ってほしい。俺はもちろんルーシーを抱きたいと思ってるけど、だからって君が望まないなら――っ!?」

 突然、口を塞がれた。
 ルーシーの唇によって。

「……話、長いよ」

 顔を離したルーシーは、少しだけ呆れたように笑った。

「どこからきただれだろうと、ケントはケントじゃない」
「ルーシー……」
「あのときあたしを助けてくれた、もしかしたらこれからのあたしを救ってくれるかもしれない人なんだから。それに……」

 そこでルーシーは、自身の唇に人差し指を当てる。

「いまの、ファーストキスだったんだから……」
「え?」

 思わぬ告白に驚くケントへ、ルーシーははにかむような笑みを向けた。

「責任、とってよね」
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