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第1章

第23話 アイリスのエリクサー

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「主、そろそろ下ろしてくれんか? わし、この姿勢しんどい」
「お、おう。すまんな」

 俺が少し慌てて身をかがめると、シャノアはひょいと床に下りた。

 一人称、儂なのか……。

「念のため確認するけど、シャノア、しゃべれるのか?」
「む? そういえば儂、しゃべっとるな」
「いまさら?」
「ふふっ、確かに、いまさらだな」

 うん、いまさらだけど、普通にしゃべってるな。

「あ、あのー」

 そんな俺たちの様子を見ていたアイリスが、おずおずと手を挙げる。

「アイリス、どうしたの?」
「いえ、さきほどからネコチャンは、どちらの言語でしゃべっているのでしょう?」
「言語……? もしかして、シャノアの言葉がわからないんですか?」
「いいえ、わかるのです。だからこそ、おどろいているというか……」

 アイリスの言葉に、モランさんも大きく頷く。

 いわれてみれば、変だな。

「シャノアって、日本語しゃべってんの?」

 俺が尋ねると、シャノアが小さく首を傾げる。
 うん、おじさんボイスだろうと、かわいさに翳りはないな。

「どうだろうな。儂の意志を伝えたいと思えば、自然と言葉が出るという具合だ」
「なるほど」

 一応シャノアが喋るたびに口は動いている。
 でも、猫の口で人間の言葉はしゃべれないはずだ。

「念話のようなものでしょうか……?」
「念話か……」

 そういえばかなりレアだが、そういうスキルがあったな、確か。

 考え込んでいたアイリスが、ふとシャノアの前にしゃがみ込む。

「ネコチャン、ちょっといいですか?」
「娘よ、シャノアだ。儂には主にもらった立派な名前がある」

 そういやシャノアって名前、俺がつけてやったんだっけ。
 フランス語のシャノアールをもじっただけの単純なやつだけど、どうやら気に入ってくれているようだ。

「す、すみません、シャノアさま……! それで、その……」
「なにかな?」
「少し、見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「かまわんが、あまり顔を近づけられるのは好かん」
「あの、これくらいの距離なら?」
「問題ない」

 許可を得たアイリスが、20センチほどまで顔を近づけてじっとシャノアを見つめる。
 眉を寄せ、目をこらしていた彼女が、不意に瞠目した。

「どうした?」
「アラタさま。もう一度シャノアさまをよく鑑定してください。特に種族を意識しながら」
「種族を……?」

 そう言われ、あらためてシャノアを〈鑑定〉する。

「なっ! 神獣!?」

 なんとウチのお猫さま、神獣になってしまわれた。

「エリクサーって、そんな効果があるの?」
「いえ、聞いたことはありませんけど……」
「そもそも動物にエリクサーを使うという例が、ほとんどございませんね」
「そう、ですよね……」

 モランさんの言うとおりだ。
 エリクサーどころか、ライフポーションを使うことも、まずないからなぁ……。

「ん?」

 3人でシャノアを見ると、彼は小さく首を傾げた。

「儂、なんかやってしまったか?」

 いやどこの主人公だよ、お前。

○●○●

「ふむ……」

 トマスさんが帰ってきたというので、ダイニングに移動してシャノアのことについて話してみた。

「例は少ないですが、王侯貴族が溺愛するペットにエリクサーを使ったという記録は、ございますな。ただ、神獣になるというのは、聞いたことがありません」
「そうですか」
「これは私なりの考察なのですが……」

 と前置きしてトマスさんが言うには、こちらの世界でいうダンジョン並みに魔素の濃い地球で長年暮らしたこと、そしてそのあいだライフポーションを使い続けたことも、要因のひとつではないかとのことだった。

「失礼ですがシャノアさん」

 トマスさんが声をかけると、アイリスからおやつをもらっていたシャノアが顔を上げる。
 さっき開けた、ちゅるちゅるのやつだ。

「なにかな?」
「シャノアさんは、エリクサーを飲む前……つまりしゃべれるようになる前から、たとえばアラタさんの言葉がわかるということはありませんでしたかな?」
「ふむ……そういえば、いつのころからか主の言葉を理解できるようになっていたな」
「やはり」
「おいまじかよ」

 やっぱこいつ、俺の言葉をわかってたのか。
 つまりシャノアとの会話は、独り言じゃなかったってわけだな。

「まぁ、こちらの意図を伝えられんので、もどかしい思いをすることは多かったがな。主はとにかく鈍いから」
「それはすまんかった」

 どうやらトマスさんの考察が、当たっていそうな気がするな。

「かまわん。これからは儂の意志もしっかりと伝えられるようなのでな」
「だな」

 うん、細かいことはいいや。
 シャノアが元気になって、会話ができる。
 それはこの上なく幸せなことだ。

 それもこれも、アイリスがエリクサーをくれたおかげだった。

「ありがとうアイリス。エリクサーなんて貴重なものを使わせてもらって」
「かまいません。私にはもう、必要ない物ですから」

 もう、ということは、以前はそれが必要だったのだろうか。

「詮索するようで悪いけど、どうしてアイリスはエリクサーを持っていたんだ?」
「それは……」

 俺に尋ねられたアイリスが、少し困ったようにトマスさんを見る。

「アイリスは生まれつき身体の弱い子でしてな」

 話しづらいならいいかと思っていたけど、トマスさんが語り始めた。

 生まれつき身体の弱かったアイリスは、なんとかライフポーションで延命していた。
 そこはシャノアと似ているので、もしかすると彼女なりに思うことがあったのかもしれない。

「アイリスの母、つまり私の妻は、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまいました。ですから、どうしてもアイリスには生きていてほしかった」

 だがこの世界のポーションは、あまり質がよくない。
 延命にも限界があった。

「そこで私は、王家が保持するエリクサーをいただこうと思ったわけですな」

 聞けばトマスさん、隣国パラソカーボ王国の伯爵だったらしい。
 王国では王族派と貴族派とに分かれて牽制しあっており、トマスさんは貴族派でもかなりの地位にあったとか。

 そこでトマスさんは、爵位と領地を返上する代わりに、エリクサーを求めた。

 トマスさんが治めていた伯爵領は運営も健全で、税収も多かった。
 それが王家直轄になるうえ、貴族派の重鎮がひとり減るということもあり、王はふたつ返事で了承したという。

 そしてトマスさんはわずかに残った資産と、どうしても彼のもとを離れたくないという数少ない家臣を引き連れて、いまいるウルソリブロ共和国にやってきた。

「王国に残ったところで貴族派からは恨まれ、王族派からは疎まれて、ろくなことにならなかったでしょうからな」

 事実上、亡命みたいなもんだ。

 それからトマスさんは行商人からやり直し、やがてウォーレン商会を立ち上げてこの大邸宅を建てるに至ったわけだ。

「じゃあ、アイリスの病気は、もう?」

 俺が尋ねると、アイリスは小さく頷いた。

「はい。14歳のころに〈健康〉を習得できるくらいにはキャパシティが広がったので」
「そっか」

 キャパシティの容量は、成長に合わせて大きくなる。
 俺はダンジョンが現れた時点で大人だったから、最初からスキルを5つ習得できる程度にはあった。
 ただ、子供の場合はかなりキャパシティが狭く、成長期に合わせて大きくなることが多いようだ。

「ここ何年も使うことはありませんでしたし、ほとんどお守りみたいな物でしたから」
「そっか。それでも、ありがとう」
「うむ、儂からも礼を言おう」
「ふふっ、どういたしまして」

 アイリスはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
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