上 下
108 / 333
幕間

閑話 イドゥベルガ・ティルピッツの悪戯1

しおりを挟む
 
 それはとても不思議な感覚であり、光景でした。

 温かい光に包み込まれていたのです。

 それも、自分以外何も存在しない真っ白な空間で……。



 ーーイドゥベルガ



 唐突にわたしを呼ぶ声が耳に響きました。

 回りを見渡しても、真っ白なままです。

 しばらくすると、ぼんやりと光る輪郭がわたしの上に現れたではありませんか。



 ーーイドゥベルガよ。聞きなさい。



 この時初めて、神託を受けているのだということに気付き、慌ててその場に平伏しました。



 ――もうじき、この神殿にハクトちゃん、おほん。青い小鳥を頭に乗せた雪毛ゆきげの兎人族の男が来ます。2人の女従者を連れていますから直ぐ判るでしょう。彼はわたしの愛おしい子です。生まれ持った相故さがゆえに辛いことも経験するでしょう。陰ながら便宜を図って下さい。呉呉くれぐれも、彼が嫌うことはせぬように頼みます。



 おそれ多く、それでいて体に染み渡る温かくて心地良い感覚に、わたしは声も出せずに泣いておりました。

 長く神殿でスピカ様にお仕えして来た中で、初めての経験なのです。至福の時を味わい、感動でむせび泣いたとて良いではありませんか。

 声に出して返事をするまでもありません。

 心の底から、「そう致します」と念じるように思うと、ふっと心が軽くなったような錯覚に陥りました。同時に温かいものに包まれたような感覚が伝わって来たのです。



 ーーイドゥベルガ、頼みましたよ。



 優しいスピカ様の声がわたしの頭の中に響き渡っている余韻に浸っていると、急に景色がしぼみ始めたではありませんか。

 真っ白な空間が霧散していき、わたしの足元に暗い穴が開きました。

 「あっ」と声を上げる間もなく、穴に落ち込みます。

 意識がぼんやり戻って来ると、誰かがわたしの体をすっていることに気付きました。

 目を開けると、寝台に横たわるわたしの体を揺らしながら、「イドゥベルガ様」と泣きそうな顔で覗き込んで来くる侍祭アコライトの少女が居ました。彼女はわたしのに付き従う者で、身の回りの世話もしてくれているのです。



 ああ、今のは夢だったのね。



 そう思うと、「もう少しあの感覚を味わって居たかった」という身勝手な欲望が顔を出し始めたので、慌てて頭を振ります。

 「どうしたの、クレール?」

 半身を起こし、肩を縮こませてうつむく少女に尋ねます。

 「あ、あの。イドゥベルガ様が苦しそうに泣いていらっしゃったので、失礼かと思ったのですが、何かあったのではと思い体を揺すっておりました。も、申し訳ありません!」

 「ふふふ。良いのですよ。そうですか。泣いていましたか……」

 その姿勢から更に頭を下げる少女クレールの仕草が微笑ましく、つい笑いが漏れてしまいました。目尻を指の甲で触ると確かに濡れています。

 本当、幸せな時間ときでした。

 スピカ様、感謝致します。

 「あの、イドゥベルガ様?」

 目をつむり、短く感謝の祈りを捧げているとクレールがおずおずと様子をうかがいます。

 「良いのです。幸せな夢を見たので泣いていたのですよ。心配させて悪かったですね」

 「い、いえ! 滅相めっそうもありません!」

 「ふふふ。では、クレール。書く物と書状用の羊皮紙を3枚持って来てくれるかしら? 大事な用事ができたの」

 「は、はいっ! ただいま!」

 パタパタと部屋を出てゆくクレールの背中を見送りながら、神託の内容から推察出来ることを思い巡らします。それを書状にしたためて、あの子たちに送ることにしましょう。

 ふふふ。あの子たちの驚く顔が目に浮かぶようだわ。

 何度かに分けて、書状を送った方が効果的ね。じゃあ、差し障りない程度に書くほうが良いかしら。あとは、「ハクトちゃん」にあ会ってからね。

 クレールが戻って来るのが待ち遠しくてなりません。

 ふふふ。久し振りに悪戯ができそうだわ。



                 ◆◇◆



 それはとても楽しい時間でした。

 「んな事知るかよ! じゃあな、ばあさん!」

 すれ違いざまに挨拶のような言葉を乱暴にぶつけて、入り口を目指す雪毛の兎人ハクトちゃん、の背中を見送りながら、己の心が久し振りに躍り上がってる感覚を覚えてしまいました。

 騒がしく、案内役であろう狼人ろうじんの女騎士と言葉を交わしながらも、従者の2人の動きに注意を払っています。それだけでも、彼が非凡であることが伺えますね。

 獣人というのは得てして若く見られるものですが、観察するにそれなりの年齢でしょう。

 それに、固有職種ユニーククラスと言っていましたね。

 従者の2人も魔法弓士見習いと魔法剣士見習いという、見たことのないクラスでした。

 あれが公になっては静かな生活など望めないでしょう。わたしの胸の中だけに留めておきます。良い、ネタになりそうですからね。ふふふ。それにしてもーー。

 「あらあら、今回の使徒様は随分とそそっかしい方なのね。またお会いしたいですわね」

 つい、そんな言葉が漏れるくらい、きつけられる御仁ごじんでした。

 そんな余韻に浸っていると、参拝客やウチの司祭プリースト助祭ディアコンたちが仕事を放置して集まってくるではありませんか。

 まあ、気持ちはわからなくもありません。

 “青い小鳥の戴冠たいかん”は、ああは言いましたが使徒確定の・・・ですからね。それを知っている信者や神官たちが何を聞きたいのか……。

 困ったものです。

 まずはこの騒ぎを沈めましょう。



 パンッ! パンッ!



 わたしの柏手かしわでが珍しく、小気味良こぎみよく良い音を出してくれました。

 「静まりなさい」

 わたしの柏手でまたたく間に静まり返る礼拝堂を見渡すと、皆の視線がわたしに向いていることが判ります。

 可愛い子たち。今は言えないのだけど、神意に従わなければなりません。出来るだけ優しく、諭すように言わねばなりませんね。

 そう言い聞かせながら、ゆっくりと口を開きます。

 「今日見たことは忘れなさい。彼らは偶然、この神殿に立ち寄ったただの旅人です。あの小鳥は、あの旅人が飼っている鳥だと聞いています。飼い主の下に戻ろうとするのは、愛情を沢山注いでもらっているからなのでしょう。さあ、皆さん。時間は有限です。些事ざじで皆さんの予定が滞ることのありませんように」

 わたしの言葉を聞いた皆は顔を見合わせて、つぶやき始めます。

 ええ。そう言わなければならないのは心苦しいのですがこれ以上話すことはありません。

 「偶然であんな事が起きるのか?」「青い小鳥を飼ってるってうらやましい」「雪毛ゆきげ兎人とじんだったわ」「兎人が使徒とか無いわ」「油売ってないで、畑に戻るぞ」

 微笑ほほえみだけを浮かべて、現場を見た参拝客を無言で追い返すと、今度はウチの者たちが押し寄せてきます。

 申し訳ないのだけど、あなた達にも伝えることはできませんね。

 「何を聞いても無駄です。わたしの言うべきことは先程言いました。あなたたちも自分の務めに戻りなさい」

 彼らが口を開くよりも先に、浮ついた気持ちを正します。

 愛想笑いは要りませんね?

 口を開きかけたところで釘を刺すことに成功したようで、何よりです。まだ何人かはわたしに尋ねようとしてますが、口を開きかけても隣の者に袖を引かれて、口をつぐんでる様子も見えました。

 これでしばらくは大丈夫でしょう。

 誰ともなく顔を見合わせ、1人、また1人と各々の持ち場へと足を向け始める神官たちの背中を見送りながら、側に立つ守門アスティアリーに声を掛けます。人が集まって来たので、わたしの警備に来てくれていたのでしょう。

 丁度良いところに来てくれました。

 「紛らわしい出来事で、変な噂が広まってはかないません。広まってあらぬ嫌疑を掛けられる前、に他の神殿へ釈明にきます。馬車の準備を」

 「はい。イドゥベルガ様」

 一礼してその場を去っていく守門アスティアリーを見送ると、わたしの回りには誰も居なくなりました。つい、笑いが込み上げて来ます。

 「うふふふ。面白いことになってきたわね。どう自慢してやろうかしら」

 これから向かう友人たちの顔を思い浮かべながら、静かになった礼拝堂で、どう悪戯をしようかと思案するのでしたーー。





しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

スマートシステムで異世界革命

小川悟
ファンタジー
/// 毎日19時に投稿する予定です。 /// ★☆★ システム開発の天才!異世界転移して魔法陣構築で生産チート! ★☆★ 新道亘《シンドウアタル》は、自分でも気が付かないうちにボッチ人生を歩み始めていた。 それならボッチ卒業の為に、現実世界のしがらみを全て捨て、新たな人生を歩もうとしたら、異世界女神と事故で現実世界のすべてを捨て、やり直すことになってしまった。 異世界に行くために、新たなスキルを神々と作ったら、とんでもなく生産チートなスキルが出来上がる。 スマフォのような便利なスキルで異世界に生産革命を起こします! 序章(全5話)異世界転移までの神々とのお話しです 第1章(全12話+1話)転生した場所での検証と訓練 第2章(全13話+1話)滞在先の街と出会い 第3章(全44話+4話)遺産活用と結婚 第4章(全17話)ダンジョン探索 第5章(執筆中)公的ギルド? ※第3章以降は少し内容が過激になってきます。 上記はあくまで予定です。 カクヨムでも投稿しています。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

主人公を助ける実力者を目指して、

漆黒 光(ダークネス ライト)
ファンタジー
主人公でもなく、ラスボスでもなく、影に潜み実力を見せつけるものでもない、表に出でて、主人公を助ける実力者を目指すものの物語の異世界転生です。舞台は中世の世界観で主人公がブランド王国の第三王子に転生する、転生した世界では魔力があり理不尽で殺されることがなくなる、自分自身の考えで自分自身のエゴで正義を語る、僕は主人公を助ける実力者を目指してーー!

元34才独身営業マンの転生日記 〜もらい物のチートスキルと鍛え抜いた処世術が大いに役立ちそうです〜

ちゃぶ台
ファンタジー
彼女いない歴=年齢=34年の近藤涼介は、プライベートでは超奥手だが、ビジネスの世界では無類の強さを発揮するスーパーセールスマンだった。 社内の人間からも取引先の人間からも一目置かれる彼だったが、不運な事故に巻き込まれあっけなく死亡してしまう。 せめて「男」になって死にたかった…… そんなあまりに不憫な近藤に神様らしき男が手を差し伸べ、近藤は異世界にて人生をやり直すことになった! もらい物のチートスキルと持ち前のビジネスセンスで仲間を増やし、今度こそ彼女を作って幸せな人生を送ることを目指した一人の男の挑戦の日々を綴ったお話です!

性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。

狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。 街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。 彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)

異世界転生!ハイハイからの倍人生

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は死んでしまった。 まさか野球観戦で死ぬとは思わなかった。 ホームランボールによって頭を打ち死んでしまった僕は異世界に転生する事になった。 転生する時に女神様がいくら何でも可哀そうという事で特殊な能力を与えてくれた。 それはレベルを減らすことでステータスを無制限に倍にしていける能力だった...

最弱クラスからの逆転冒険者ライフ! ~不遇スキルで魔王討伐?! パーティーは奇形・単眼・屍喰鬼(グール)娘のハーレム!?~

司条 圭
ファンタジー
普通の高校2年生、片上勇二は軽トラに轢かれそうになった子犬を助けた……つもりで、肥溜めに落ちて窒息死する。 天国に行くかと思いきや、女神様に出会い、けちょんけちょんにけなされながら異世界へ強制的に転生することに。 しかし、聖剣にも匹敵するであろう「強化」スキルのおまけつき! これなら俺も異世界で無双出来る! ヒャッホウしている勇二に、女神は、ダンジョンの最深部にいる魔王を倒せなければ、次の転生はミジンコだと釘を刺されてしまう。 異世界に着いたのは良いが、貰った「強化」スキルは、自分の能力を増幅させるもの! ……かと思いきや、他者が使ったスキルを強化させるためのスキルでしかなかった。 それでいて、この世界では誰でも使えるが、誰も使わない……というより、使おうともしない最弱スキル。 しかも、ステータスは並以下、クラスは最弱のノービス。 しかもしかも、冒険者ギルドに薦められた仲間は3本目の腕を持つ奇形娘。 それから立て続けに、単眼娘、屍喰鬼(グール)娘が仲間になり、色モノパーティーに…… だが俺は、心底痛感することになる。 仲間の彼女たちの強い心と卓越した能力。 そして何より、俺のスキル「強化」の持つ潜在能力を……!

処理中です...