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幕間
閑話 イドゥベルガ・ティルピッツの悪戯1
しおりを挟むそれはとても不思議な感覚であり、光景でした。
温かい光に包み込まれていたのです。
それも、自分以外何も存在しない真っ白な空間で……。
ーーイドゥベルガ
唐突にわたしを呼ぶ声が耳に響きました。
回りを見渡しても、真っ白なままです。
しばらくすると、ぼんやりと光る輪郭がわたしの上に現れたではありませんか。
ーーイドゥベルガよ。聞きなさい。
この時初めて、神託を受けているのだということに気付き、慌ててその場に平伏しました。
――もうじき、この神殿にハクトちゃん、おほん。青い小鳥を頭に乗せた雪毛の兎人族の男が来ます。2人の女従者を連れていますから直ぐ判るでしょう。彼はわたしの愛おしい子です。生まれ持った相故に辛いことも経験するでしょう。陰ながら便宜を図って下さい。呉呉も、彼が嫌うことはせぬように頼みます。
畏れ多く、それでいて体に染み渡る温かくて心地良い感覚に、わたしは声も出せずに泣いておりました。
長く神殿でスピカ様にお仕えして来た中で、初めての経験なのです。至福の時を味わい、感動で咽び泣いたとて良いではありませんか。
声に出して返事をするまでもありません。
心の底から、「そう致します」と念じるように思うと、ふっと心が軽くなったような錯覚に陥りました。同時に温かいものに包まれたような感覚が伝わって来たのです。
ーーイドゥベルガ、頼みましたよ。
優しいスピカ様の声がわたしの頭の中に響き渡っている余韻に浸っていると、急に景色が萎み始めたではありませんか。
真っ白な空間が霧散していき、わたしの足元に暗い穴が開きました。
「あっ」と声を上げる間もなく、穴に落ち込みます。
意識がぼんやり戻って来ると、誰かがわたしの体を揺すっていることに気付きました。
目を開けると、寝台に横たわるわたしの体を揺らしながら、「イドゥベルガ様」と泣きそうな顔で覗き込んで来くる侍祭の少女が居ました。彼女はわたしのに付き従う者で、身の回りの世話もしてくれているのです。
ああ、今のは夢だったのね。
そう思うと、「もう少しあの感覚を味わって居たかった」という身勝手な欲望が顔を出し始めたので、慌てて頭を振ります。
「どうしたの、クレール?」
半身を起こし、肩を縮こませて俯く少女に尋ねます。
「あ、あの。イドゥベルガ様が苦しそうに泣いていらっしゃったので、失礼かと思ったのですが、何かあったのではと思い体を揺すっておりました。も、申し訳ありません!」
「ふふふ。良いのですよ。そうですか。泣いていましたか……」
その姿勢から更に頭を下げる少女の仕草が微笑ましく、つい笑いが漏れてしまいました。目尻を指の甲で触ると確かに濡れています。
本当、幸せな時間でした。
スピカ様、感謝致します。
「あの、イドゥベルガ様?」
目を瞑り、短く感謝の祈りを捧げているとクレールがおずおずと様子を窺います。
「良いのです。幸せな夢を見たので泣いていたのですよ。心配させて悪かったですね」
「い、いえ! 滅相もありません!」
「ふふふ。では、クレール。書く物と書状用の羊皮紙を3枚持って来てくれるかしら? 大事な用事ができたの」
「は、はいっ! ただいま!」
パタパタと部屋を出てゆくクレールの背中を見送りながら、神託の内容から推察出来ることを思い巡らします。それを書状に認めて、あの子たちに送ることにしましょう。
ふふふ。あの子たちの驚く顔が目に浮かぶようだわ。
何度かに分けて、書状を送った方が効果的ね。じゃあ、差し障りない程度に書くほうが良いかしら。あとは、「ハクトちゃん」にあ会ってからね。
クレールが戻って来るのが待ち遠しくてなりません。
ふふふ。久し振りに悪戯ができそうだわ。
◆◇◆
それはとても楽しい時間でした。
「んな事知るかよ! じゃあな、ばあさん!」
すれ違いざまに挨拶のような言葉を乱暴にぶつけて、入り口を目指す雪毛の兎人、の背中を見送りながら、己の心が久し振りに躍り上がってる感覚を覚えてしまいました。
騒がしく、案内役であろう狼人の女騎士と言葉を交わしながらも、従者の2人の動きに注意を払っています。それだけでも、彼が非凡であることが伺えますね。
獣人というのは得てして若く見られるものですが、観察するにそれなりの年齢でしょう。
それに、固有職種と言っていましたね。
従者の2人も魔法弓士見習いと魔法剣士見習いという、見たことのないクラスでした。
あれが公になっては静かな生活など望めないでしょう。わたしの胸の中だけに留めておきます。良い、ネタになりそうですからね。ふふふ。それにしてもーー。
「あらあら、今回の使徒様は随分とそそっかしい方なのね。またお会いしたいですわね」
つい、そんな言葉が漏れるくらい、惹きつけられる御仁でした。
そんな余韻に浸っていると、参拝客やウチの司祭や助祭たちが仕事を放置して集まってくるではありませんか。
まあ、気持ちは解らなくもありません。
“青い小鳥の戴冠”は、ああは言いましたが使徒確定の証ですからね。それを知っている信者や神官たちが何を聞きたいのか……。
困ったものです。
まずはこの騒ぎを沈めましょう。
パンッ! パンッ!
わたしの柏手が珍しく、小気味良く良い音を出してくれました。
「静まりなさい」
わたしの柏手で瞬く間に静まり返る礼拝堂を見渡すと、皆の視線がわたしに向いていることが判ります。
可愛い子たち。今は言えないのだけど、神意に従わなければなりません。出来るだけ優しく、諭すように言わねばなりませんね。
そう言い聞かせながら、ゆっくりと口を開きます。
「今日見たことは忘れなさい。彼らは偶然、この神殿に立ち寄った只の旅人です。あの小鳥は、あの旅人が飼っている鳥だと聞いています。飼い主の下に戻ろうとするのは、愛情を沢山注いでもらっているからなのでしょう。さあ、皆さん。時間は有限です。些事で皆さんの予定が滞ることのありませんように」
わたしの言葉を聞いた皆は顔を見合わせて、呟き始めます。
ええ。そう言わなければならないのは心苦しいのですがこれ以上話すことはありません。
「偶然であんな事が起きるのか?」「青い小鳥を飼ってるって羨ましい」「雪毛の兎人だったわ」「兎人が使徒とか無いわ」「油売ってないで、畑に戻るぞ」
微笑みだけを浮かべて、現場を見た参拝客を無言で追い返すと、今度はウチの者たちが押し寄せてきます。
申し訳ないのだけど、あなた達にも伝えることはできませんね。
「何を聞いても無駄です。わたしの言うべきことは先程言いました。あなたたちも自分の務めに戻りなさい」
彼らが口を開くよりも先に、浮ついた気持ちを正します。
愛想笑いは要りませんね?
口を開きかけたところで釘を刺すことに成功したようで、何よりです。まだ何人かはわたしに尋ねようとしてますが、口を開きかけても隣の者に袖を引かれて、口を噤んでる様子も見えました。
これでしばらくは大丈夫でしょう。
誰ともなく顔を見合わせ、1人、また1人と各々の持ち場へと足を向け始める神官たちの背中を見送りながら、側に立つ守門に声を掛けます。人が集まって来たので、わたしの警備に来てくれていたのでしょう。
丁度良いところに来てくれました。
「紛らわしい出来事で、変な噂が広まってはかないません。広まってあらぬ嫌疑を掛けられる前、に他の神殿へ釈明に行きます。馬車の準備を」
「はい。イドゥベルガ様」
一礼してその場を去っていく守門を見送ると、わたしの回りには誰も居なくなりました。つい、笑いが込み上げて来ます。
「うふふふ。面白いことになってきたわね。どう自慢してやろうかしら」
これから向かう友人たちの顔を思い浮かべながら、静かになった礼拝堂で、どう悪戯をしようかと思案するのでしたーー。
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