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幕間
閑話 アサーヴ・イシャン・グルバルガ・キル・バンガロールの怖気
しおりを挟むあ――。
余が止める間もなく、第8王子が手にした槍で第4王妃の首を刎ねた。
自分の母親を――。
チャタリッ!!
驚きが先に立ち、悲しみで喉が詰まり、声が出ぬ!
腹を痛め、慈しみ、体が弱いからと甲斐甲斐しく世話していた己の母に何を!?
思えば、病弱であったカレヴィの素行が可怪しくなったと聞いたのは最近のことであったか?
何があった!?
虫をも殺せぬひ弱な其方が何故槍を振るっておるのだ!?
声も出せず、倒れて行くチャタリに手を伸ばそうとした瞬間、カレヴィの槍がチャタリの胸に穴を開けた!
な、なに、何をしておるのだ――。
「――――!」
「気を抜くな!」
そう考えていたせいで、雪毛の兎人を先頭に謁見の間へ入って来た一団に気付かず、兎人の声で正気に戻る。エルフ語以外の言葉を聞いたのはいつ振りであろうか。
300年?
カレヴィが生まれる前の話か……。とは言っても、余はエルフ語しか話せぬからな。何を言っておるのかサッパリ分からぬ。
「――――――!?」
「雌鬼が討たれて終わりかと思ったか!?」
どうやら兎人の男の言葉をスルバラン家の娘が訳しているようだ。確か、奴隷にされたと聞いたが……。
「――――――」
「王の横で槍を持っている王子様気取りの奴も――」
「――――――!」
「エルフの皮を被った雄鬼だぞ!」
耳を疑った。余だけではない。一同が弾かれたようにギョッとした表情を片腕のない第8王子を見る。あの男は何を言っているのだ?
ガン!
不意にカレヴィが右手に持った槍の石突を床に落として、音を出したせいで驚いてしまった。皆の体がビクッと跳ねたのを見るに、驚いたのは余だけではないらしい。
「クックックックック」
肩を揺らしながら、気弱かったとは思えぬ笑みを浮かべる息子の顔に目を凝らす。
「なかなか楽しませてくれるではないか。なあ、父上?」
「き、貴様は、な、何者だ!? カレヴィではないのか!?」
「いえいえ。正真正銘、カレヴィですよ、父上?」
その言葉に堪忍袋の緒が切れた。
「莫迦を申すでない! カレヴィならば、母が殺せるはずがないであろうっ!? そもそも! そもそも、あれは体が弱く草木や小鳥を愛でていたのだ! こんな、こんな、血腥い――」
「「「「陛下!?」」」」
久し振りに声を荒げたせいか、急に眩暈に襲われ、ガクンと膝から力が抜けてしまう。そのまま背凭れへ背中を投げ出すように腰を下ろすと、皆が余の周りに集まるのが見えた。
だが、カレヴィは違った。
余の喉元に、槍の三日月型の刃を突き付けたのだ。矢張り、姿形はカレヴィでも、中身が違うという事か?
「父上、動けば母上同様、首を刎ねる。大臣どもが動いても父上の首を刎ねる。近衛や侍従どもが動いても父上の首を刎ねる」
「御乱心!?」「王子! お気を確かに!」「ご自分が何をなさっておられるのか、理解しておられるのですか!?」「おやめください!」
「ふん。ならば、貴様らが首を差し出すのと言うのか?」
ザワリ……。
その一言に周りの大臣たちを含め近衛騎士らも水を打ったように静かになった。何と言う事だ。妻だけでなく息子の変容に気付かぬとは……。
何が父親か――。何が夫か――。
そこから周りの者が何か交渉のようなことをしているのが見えてはいたが、何一つ頭の中に入って来なかった。余は夢を見てるのではないか……?
ふわふわと思いを彷徨わせていた時、チャタリとカレヴィのことを話している声に気付く。
「――、―――――。――――――」
「言っておきますが、その男は王子と同化したオーガです。王妃の皮を被っていたオーガと同じです」
どれくらい時間が経っていたのか分からぬ。ただ、妻と息子の事だ、と気が引かれたのだ。スルバラン家の娘がカレヴィを指差す。何とも凛々しいものだ。
王国法で、奴隷落ちしたことのある者は貴族には嫁げぬ。スルバラン家も惜しいことをしたものよ。
「――、――――」
「だから、情に訴えても無駄です」
スルバラン家の娘に強く言われたせいかは知らぬが、大臣たちも動揺しておるようだな。いや、それを言えば余もそうだ。現実に起きたことだと何処かで思いたくない気持ちが、余の頭の中に霞を掛けているのであろう。
「――、――――? ―――――――。――――」
「私としては、あなた方が断るのも仕方ないと思っています。次の王を選んで下さい。私は仲間と共に都を出ます」
「――、―――――――?」
「どちらにしても、世界樹に認められた私たちか王族でなければ聖域には入れません。どうされますか?」
"聖域"か。
そう言えば彼此何十年も足を運んでおらなんだな。この騒ぎが終われば余も行ってみたものだ。
……ん?
スルバラン家の娘と目が合う。良い目をしておる。そうか。行ってくれるか。
ならば、余が出来ることは1つ。
「許可する」
「「「「「陛下っ!?」」」」」
これで良いと思い、背凭れに体を預け目を瞑る。喉を刃に曝す形だが、今更だ。
ここで死ねば、余の人生はここまでであったということだ。
「ま、待て! 貴様らがここに返って来ると言う保証があるのか!?」
「そうだ! 毛虫の言う事がこの場を逃れるための口実やもしれぬ」
「陛下! 騙されてはなりませぬ! 所詮は獣――」
耳障りな大臣たちの言い分が飛び交う。どの道、カレヴィがあの雪毛の兎人の言う通り鬼であるのならば、余を含めこの場で誰も生き残れぬであろうよ。
兎人を獣と笑う其方らこそ、醜い……。
いや、それを思うても詮無きことか。
ならば、余が恥を曝せば良い。
「済まぬが、スルバラン家の娘よ。皆の不安も頷ける。このような姿で余が言えたことではないかもしれぬが、助けてくれまいか」
兎人の怒気に身が竦むが、右手を上げ静まらせる。喉元にまだ三日月型の刃が突き付けられてるが、些細な事よ。
「陛下。それは、私にこの場に残れと、そう言われてるのでしょうか」
「うむ。其方が国の外へ連れ去られた経緯は"影"から聞き及んでおる」
「っ!?」
スルバラン家の娘の問いに答えると、息を呑むのが判った。まあその反応が妥当であろう。"影"の存在を知るのは王族でも一部の者らだけであるからな。
「今其方が置かれた状況を知った上で頼む。最初で最後で構わぬ。貴族の責を果たしてくれまいか。済まぬが、他にもう一人ここに戻って来る楔を頼む」
喉元に刃があっては然程頭は下げれぬが、小さく頭を動かして目礼する。王がすることではないと宰相辺りに後で叱られるやもしれぬが、いつもの通り笑って遣り過ごせばよかろう。
余がすべきことは、この場に居る者らを殺させぬことだ――。
◆◇◆
しかし、その願いも虚しく、余とスルバラン家の娘、それに赤髮の美しい人族の娘以外、カレヴィの凶刃に倒れてしまった――。
長年に亘り余に仕えてくれた友も目の前で逝った。
……許せ。
力のない余を許してくれ。
すぐには行けぬだろうが、幾星霜の後"涅槃"でまた逢おうぞ。
老害だと嗤いながら忠臣を斬り伏せて行く、そんな鬼畜の所業を平然として行う者がいるとは、到底思いもよらないことだったわ。
それが我が息子だとは……。
夢ならば覚めて欲しいと幾度となく願ったか。
口の中がカラカラに乾き、幾度喉を鳴らして唾を飲もうとしても何も出ぬ。
妻や友を亡くしたのに、涙も出ぬ……。
いつしか、余は何も考えず、何にも感じず、夢現のまま時が過ぎていた――。
◆◇◆
余が正気を取り戻したのは、焼け付くような火柱がすぐ側で噴き上がったからだ。
この国で【火魔法】を使うことは憚られる。王国法で火事を厳しく罰しているからだ。特に森を焼くことは一族郎党に死罪をもたらす。
それを知っている国民は国内で【火魔法】は使わぬ。
それを堂々と謁見の間で使うという事は、国民ではないのだろう。気が付けばスルバラン家の娘と赤髮の美しい人族の娘の姿がない。
殺されてしまったか?
――いや、謁見の間の入り口付近に2人の顔がある。
自然と胸を撫で下ろしていた。
あれらの横に、若くして伎芸神殿の司教に任じられた者の顔が見える。任せておけばよいか。
同時に余は目を疑った。
余が目で追えぬカレヴィの動きを超えて、カレヴィを翻弄する雪毛の兎人が居たからだ。
確か、"聖域"に行ったのではなかったか……?
どうやら、余が感じている以上に時が過ぎたらしい。
余も多少は剣を習ったが、今は老いてまともに剣も振れぬ。せいぜい剣を杖代りに体を支えるだけよ。
その点、目の前の兎人の動きは目を瞠るものがある。獣人族は身体能力に優れると耳にしたことがあったが、ここまでとはな。
血と糞尿の混ざった臭いが立ち込め、屍が散乱する謁見の間であるはずなのに、この2人の戦いから目が離せずにいた。
長引くかとと思った戦いも、カレヴィの槍が一度も兎人に触れることなく終わってしまったではないか。
余は何を見ておるのだ?
何故、胸の骨を持っておる?
最後、カレヴィが消える寸前に胸に触れているようにも見えた……。まさか。まさかカレヴィのものだと言うのか?
その答えに行きついた途端、余の体はガタガタと震え始めた。血飛沫を浴びて体が赤くなっている兎人から目が離せなくなったのだ。
一体どうしたというのか。
そう思いながら兎人の赤目と目が合った瞬間、事もあろうに足元へ今抜き出したばかり胸の骨を投げて来おったのだ。
「ひいいいぃっ!?」
もう息子ではないと頭では解ってはいても、未だに心が付いて来ぬ。そこへカレヴィから抜き取られたのであろう、生々しい胸の骨が足元で跳ねたのだ。
湧き上がって来た怖気に負けて、跳び上がるように椅子の上で器用に跳ねてしまったではないか。
あ――。
余の姿を笑いもせず、くるりと背を向けて出て行こうとする兎人を呼び止めようと思ったが、声が出なかった。
否。
呼び止めようと持った矢先、兎人の左手首に巻かれた、枝の飾り巻きの腕輪に気が付いたからだ。腰を浮かしたまま、手首に目を凝らす。
見紛うはずがない!
あの枝は"世界樹の若枝"。
国王戴冠式で用いる王冠の装飾に使われているものではないか!? だとすると、あの兎人は"世界樹"に認められたという事……。
莫迦、な――。
エルフでも無い者が、それも獣人族が……だと?
いや、待て。宰相が斬られる前に何を言っていた?
思い出せ。
――九柱の使徒!
「何と言う事だ……」
浮かした腰を落とした勢いで背凭れに背中を預ける。
事の大きさに、自然と右手で顔を覆った隙間から乾いた笑いを漏らしてしまう。
妻を亡くし、友を失い、我が子すら鬼に取られ、廷臣たちの躯が散らばる中、我が国の"護り樹"にすら愛想を尽かされたことに気付かされるとは……。
「父上――っ!」「「「「陛下――っ!!」」」」
息子たちの声が聞こえる。
皆殺しにされていると思ったが、無事だったか――。
鬼に体を奪われたとは言え、カレヴィの心は残っていたのかもしれぬ。余の勝手な思い込みだが、今はそれを喜ぼう。
幸い、この惨劇を目撃したのは余だけだ。あの司教と侍従2人には口止めをしておけば良かろう。使徒とその眷属には国から圧力をかけてはならぬ。
それがせめてもの手向けだ。
スルバラン家の娘も居るのだ、上手く言い含めてくれることを期待しよう。あれには最初で最後の願いを口にしているのだ。反故にする訳にもいくまい。
「ふ――っ」
そう、心に決めて大きく息を吐き出した時、涙が頬を伝っている事に気付く。
「ふぐっ。ぐっ……。ぐふっ……」
止まっていた時が動き出したという事か……。
堰が切れたように溢れ出す感情に流されながら、謁見の間に雪崩込んで来た息子たちの目も憚らず、余はただ咽び泣いた――。
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