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幕間 彼女は変わった。

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「おつかれさまでーす」

 かけられた声に同じ言葉を返しながら、コーヒーメーカーからカフェラテのカップを取った。
 定時を過ぎて一人、また一人と帰り、ノー残業デーの今日、見晴らしのいいオフィスに残っているのは、俺だけだ。
 定時に上がる予定だったが、取引先からのデータ納品を待っていたら過ぎてしまった。

 ――まぁ、しかたないか。

 あちらのオフィスは、インフルエンザA型で四分の一がダウンしているらしい。
 「十分で送ります!」と言っていたから、三十分後には帰れるだろう。

 ――少数精鋭も考えものだな。

 利益の分け前は大きいが、一人一人の責任と負担も大きい。
 感染源となった社員も、すぐに熱が下がったので風邪だろう、納期も近いし、とそのまま出勤して後で実は……ということらしいが、インフル感染を免れた社員も、連日の超過勤務で大忙しだそうだ。

「残業代もらっても、割りに合わないよな。絶対ムリ。やっぱ、プライベートも大事にしたいし……」

 呟きながらカップを口につけて――そのまま離した。ついつい溜め息がこぼれる。

「……萌」

 頭に浮かんだのは恋人の姿。
 見慣れたはずの、見慣れない姿。

 昨日、仕事帰りに夕飯を一緒に食べたが、初めてみる黒のチュールパンプスを履いていた。
 8センチはある細いヒールの靴なんて、以前の萌は友人の結婚式くらいでしか履いたことがなかった。転びそうだから、と怖がっていたのに。
 居酒屋の個室に入り、俺の贈ったコートを脱いだ萌は、もう、俺の知らない萌だった。
 悪戯っぽく細めた瞳には春色グリーンのアイシャドウ。くっきりと入ったアイラインにバッチリ上向いた睫毛。以前の萌は、アイラインも入れていなかったのに。
 濡れたような赤い唇、むきだしの細い首、鎖骨。
 ほんの少し身体を乗りだせば、鮮やかなピンクのVネックからのぞく深い谷間と真っ白なふくらみ。
 もう二ケ月さわっていないが、それがどれだけ柔らかいか、よく知っている。はさまれたときの心地よさも。
 生唾を飲みこんで「その恰好で会社いってるの?」とからかうように尋ねると「会社では、もう一枚中に着てるよ。見せるのは拓海にだけ」と甘い声で返されてテーブルに撃沈した。

 前の萌も可愛かったが、今の萌は何というか、とても魅力的だ。
 たった半月で、萌は変わった。
 前はしていなかったメイクをして、前は着ていなかった服を着て、を楽しんでいる。
 最初は、俺への当てつけで無理をしているんだろうと思っていた。
 でも、違う。
 根本から彼女は変わったのだと、この間、わかってしまった。

 二回目の洗浄日。
 萌の見せた痴態を思いだすと、身体の芯と頭が熱くなる。

 ピンクのミニローターは、去年のハロウィン前、酔った勢いで注文したものだ。
 つきあって五年。何十回どころか確実に三桁以上ヤっているはずなのに、いつまでたっても萌はセックスに慣れず、恥じらいやぎこちなさが抜けないままで。そのせいか、濡れてほぐれて入れられるようになるまで、いつも時間がかかっていた。

 ――そういうのも可愛いけど、毎回だと、たまに面倒くさいと思ったりもするんだよな。

 最低の発言だが、セフレ持ちの友人と飲みながら「あいつ、俺の咥えるだけで濡れっから、勃ったら即ハメできてコスパ最高なんだよね。めっちゃ可愛いっしょ」と自慢され、思わず、そんな風にグチってしまった。
 友人は「えー、いいじゃん。可愛いじゃん。そこをうまく仕込んでエロくしてくのが楽しいんじゃん」と笑っていたが「面倒ならローター使えば? 楽だよ。当てるだけだし。それに、入れているときにローター当てるとすぐイクし、キュッとしてめっちゃ気持ちいいし、めっちゃ可愛いよ」というアドバイスもくれて、即、注文した。
 すぐイクという友人の言葉に嘘はなかったし、楽だというのもそうだったが、その代わり、俺の指では前以上にイケなくなってしまって、三回使って封印した。
 萌も「やっぱり拓海の手の方が安心する」と言ってくれたので、仕方ないかと思っていた。

 それなのに、この間の萌は。

「……『すっごく、よかった』なんて、言われたことない」

 「自分でしてみせて」と俺が頼んでもしてくれなかったのに。
 快感に腰をくねらせて、初めて聞くような甘い声で喘ぐ姿が脳裏に浮かぶ。

「っ、ぃって」

 ずきりとした痛みに股間を押さえて、ハッと辺りを見渡し、ホッとする。
 今日の昼間も、エレベーター内で、、こう・・なってしまい大変だった。
 一人挟んだ前に立っていた、別の階のOLの後ろ姿が萌と似ていて、つい思いだしてしまったのだ。
 周りに知られないようにと思えば思うほど、スラックスの下、膨れた肉にケージが食いこむ痛みが強くなり、冷や汗が流れた。
 最近、ずっとそうだ。
 ふとした時に萌のことを思いだして、暇さえあれば萌のことばかり考えてしまう。
 髪型もメイクも服装も、セックスの時の反応も、何から何まで変わってしまった恋人のことを。

 ――もしかして、他の男が?

 その可能性が頭をよぎって、カッとなるたびに思いなおす。自分には責める資格なんてないのだと。
 あのとき、洗浄日、俺の顔を胸に押しつけながら、世にもエロい声で喘ぐ萌を見たときも、そうだった。
 俺以外の男と、もしかしたら――と。
 もちろん、ないとは思う。
 あくまでも、俺の勝手な想像で憶測で、萌に対しても失礼な妄想だと。
 それでも、あの手が俺以外の男のモノを扱いたり、あの唇が他の男にキスしたり、舐めたりしゃぶったり、したり、されたり。そんな光景を思いうかべると嫉妬でのたうちまわりたくなる。

 ――同じこと、したくせにな。

 妄想ではなく、現実で。
 「ごめん、もうしない」と謝って、それで済んだと思っていた。
 だって、萌は許すための罰を決めてくれたから。許してくれるんだと思っていた。
 萌は、まだ俺が好きで。俺と別れたくなくて、結局、俺しかいないんだって。
 これで元通り、俺たちは大丈夫だって。
 全然わかっていなかった。

 ――でも、今はわかってる。

 ちゃんと、わかっている。たぶん。
 萌が感じただろう――ただ一人、自分だけだと思っていた人に裏切られた苦しみも、悲しみも、怒りも――色々な気持ちも、今では、少しは。

「……会いたいな」

 会えば肉体的に苦しくなるとわかっていても、萌に会いたい。
 俺と会っているときは、萌は他の人に会えない。
 そう思うと安心する。
 萌も、そう思ってくれているといい。
 二度と、不安にさせないように、傷付けないように。

 響いた電子音に、我に返った。
 手にもっていたカフェラテは泡が消え、すっかりぬるくなっていた。
 パソコン前に戻って、カチリ、とマウスを操作し、ほう、と息をつく。

 ――これで帰れる。

 萌に会える。
 デスクからスマートフォンを取って、俺は萌に連絡するため、メッセージアプリをタップした。
 
 
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