だが、顔がいい。

犬咲

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1巻

1-1

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   プロローグ ただ、愛で許されていた。


 こつこつと机をたたく指の音が、静かな王の執務室に響く。

「――いいか、ルイス。火遊びだけでは飽きたらず、怪しげな商人の甘言に踊らされ、婚約者に毒を盛るとは……謝って済む話ではないぞ」

 眉間みけんに深いしわを刻んだ父王の言葉に、セプトゥル王国第一王子・ルイスは碧玉へきぎょくの瞳にかかる白金の睫毛まつげを伏せた。

「……ですが、あの男は、ただの媚薬だと――」
「黙れ。本当に媚薬だったならば許されるとでも思っているのか。恥を知れ」
「そのとおりです。婚約者とはいえ、御婦人の意思に反して媚薬を盛ろうなどとは、まともな男のすることではありませんよ、兄上」

 苦しまぎれの言葉を、父とそのかたわらに立つ弟――第二王子アンリにさえぎられ、ルイスは唇を噛みしめた。

「おまえには心底失望した。もはや、おまえには何一つ期待はせぬ」

 冷ややかに告げた王はルイスの背後、ひっそりと立つスフェール公爵令嬢ソレイユに視線を向け、びるように目を伏せた。

「ソレイユ、すまなかったな。こやつのせいで、そなたには今回も、これまでも、長く苦労をかけた。本当に、命が助かって何よりだ。そなたは、弟の……王家の宝だからな」

 微笑ほほえむ王のまなざしはいたわるように温かな光で満ちている。
 ルイスが覚えているかぎり、自分には一度も向けられたことのないまなざしだ。
 ――昔からそうだ。いつも父上は私にだけ冷たい。
 それは単に、ルイスが王となるには怠惰たいだで享楽的すぎるがゆえに苦言を呈されていただけなのだが、ルイスは父が自分をいとうがゆえに文句を言うのだと思い込んでいた。
 ぎりり、と奥歯を噛みしめたルイスの背後でかすかな靴音が響く。
 ソレイユが新緑の瞳をやわらかく細め、すっと腰を落とし、頭を垂れたのだろう。
 ルイスは、彼女の礼が好きだった。
 風にゆれるマリーゴールドの花びらを思わせる鮮やかな巻き毛が華奢きゃしゃな首すじに垂れて、その肌の白さを際立たせる。ふんわりと広がったドレスのすそをさばいて、優雅に腰をおる仕草のうるわしさといったら……
 淡く微笑ほほえみ顔を上げた彼女のくっきりとした鎖骨にかかる巻き毛の一房を払いのけ、そのくぼみをなぞり、かじりつきたいと思ったことは一度や二度ではない。
 ルイスは彼女を害すつもりなどなかった。
 自分が誰と遊ぼうと文句の一言も口にしない、嫉妬しっとのかけらも見せない冷たい婚約者を、熱くとろかしてやりたかっただけなのだ。
 はたから見れば、ただのくずのわがままでしかないが、ルイスは、それを不器用な淡い恋心だと信じていた。 

「……光栄です、陛下。このとおり、私は無事に生きております。どうか、お気になさらずに」
「そうはいかぬ。愚かな息子のせいで、私は療養の身の弟に余計な心労をかけたうえ、あやうく可愛いめいを失うところだった……無事とは、とても言えぬだろう」

 王の言葉にルイスは振りむく。
 妹に肩を抱かれ、もたれかかるように、支えあうように立つソレイユの顔色は、百合ゆりの花のように血の気がない。クリーム色に小花を散らした綾織りの絹のドレスは、生地こそ上等だが飾り気がないデザインで、ソレイユの華奢きゃしゃな身体を引きたたせる愛らしいものだが、今は、その細さが痛々しく見えた。
 ルイスが仮面舞踏会で出会った商人にそそのかされ、媚薬だと信じて盛った毒薬は、心の臓にかなりの負担をかけるものだったと聞く。
 かけつけた宮廷医師が水を飲ませて吐かせ、すぐに薬を調べて毒消しを飲ませたが、ソレイユは、しばらく寝台から起きあがることすらできなかった。
 おそらく、今も立っているだけでつらいはずだ。
 今さらながらにこみあげる罪悪感に、ルイスが目を伏せたところで、静かな王の声が響く。

「……婚約は解消だ」
「なっ、父上!?」
「王位はアンリに継がせる。……ソレイユ、王太子妃として、アンリを支えてやってくれ」
「父上! お待ちください!」

 叫ぶルイスの肩をアンリの大きな手がつかみ、床にひざまずかせた。

「放せ! アンリ! 予備王子の分際で!」
「そうですね。ですが、今から私が王太子で、あなたが予備だ。せめてもの情けで、私が任される所領の一部を譲ってさしあげますから、これからは大人しく余生を過ごしてください」
「放せ! この、筋肉馬鹿が!」

 押さえつけるアンリの腕を振りほどこうとルイスはもがいたが、鉄のかせに捕らわれたようにびくとも動かせない。

「……無様だな、ルイス」

 乾いた王の声があびせられる。
 さながら太陽神のごとく美しいとたたえられるルイスは、自分には似合わぬ野蛮な行為だと武芸を軽んじていた。必要最低限の手ほどきを受けた後は、ほとんど剣を手にすることなく過ごしてきたゆえに線の細さは否めない。
 対して、幼少時より年かさの騎士にまじって鍛錬たんれんを続けてきたアンリは、アッシュブロンドの髪や顔立ちこそ地味だが、軍神のごとくたくましい体躯たいくをしている。
 対照的な兄弟を横目でながめた王は、溜め息を一つこぼし、ソレイユに視線を戻した。

「……ソレイユ、こやつの親としてつぐないをさせてくれ。望みがあるのなら、叶えよう」
「……では、陛下、二つほどお願いがございます」
「叶えよう。一つ目は何だ?」
「アンリ様の妻には私ではなく、妹のプリムヴェールをお迎えください」

 ソレイユの言葉に、ルイスを押さえつけるアンリの手に力がこもる。
 自分ではなく妹を妻に、と言われたことがショックだったのだろう。
 ざまあみろ、と弟を嘲笑あざわらおうとして、自分も同じ立場に成りさがったことを思いだし、ルイスの視線は磨きぬかれた木目の床へと落ちる。
 自分でもなく、アンリでもなく、他の男が彼女をめとる――いや、プリムヴェールがアンリにとつぐのならば婿むこを取ることになるのだろうか。
 ――私の物になるはずだったのに! あの商人がまがものの媚薬を売りつけたりしなければ!
 媚薬さえ本物ならば、今ごろは名実ともに夫婦になれていたはずだ。
 ソレイユを寝台に組みしき、白い肌をあばき、熱くとろけた彼女のはらに思いの丈を注ぎこんでやれたはずなのに――と、ルイスは悔しさに目の奥がジンと熱くなり、きつく目蓋まぶたを閉じた。

「……アンリが気にくわぬのか」

 静かな王の問いに、ソレイユのやわらかな声が応える。

「いいえ、従兄いとことしてお慕いしております。ただ、私は妹の……プリムヴェールの初恋を叶えてあげたいのです」
「お姉様!」

 響いた可愛らしい悲鳴に、皆の視線がソレイユのかたわらに向かう。ソレイユを支える、彼女によく似た華奢きゃしゃな少女へと――

「……プリムヴェール」

 アンリの声にプリムヴェールの肩がはねる。

「今の……ソレイユの言葉は、本当だろうか」
「……わ、わたくし、は……」

 アンリの視線を受けとめて、姉とそろいの鮮やかな新緑の瞳がうるんだ。

「……い、いやぁ、お姉様のばかぁ」

 本当はソレイユの背に隠れてしまいたいのだろう。けれど、みあがりの姉を支える手をどけることができず、せめてとプリムヴェールは姉の肩に顔を伏せる。
 その恥じらいの初々ういういしさ、またたくまに上気していく細い首筋の可憐かれんさは、ルイスでさえ可愛らしいと感じるものだった。
 女に慣れた彼でさえそうなのだ。武芸一辺倒の武骨な男の目には、どう映ったことか。
 ちらりとルイスが振りあおぐと、アンリの視線は、むずがゆくなるほどに甘い、恋する男のものへと変わっていた。
 ――単純な奴め。まあ、干物ひもの男が花の蜜を与えられれば、舞いあがるのも無理はないがな。
 アンリはルイスと違い、家臣の信頼は厚くとも、令嬢の気をくたぐいの美男子ではない。
 社交の場ですら愛想笑い一つ浮かべることのない大男を年若い令嬢たちは怖がり、二十歳を過ぎても婚約話の一つすら持ちあがらなかったのだ。
 ルイスは弟の境遇を爪の先ほどあわれみながら、心地よい優越感にひたり、みくだしていた。
 どれほど武芸の腕を磨こうと何の意味もない。世の女たちは美しい自分に夢中なのだから、と。
 国の半分は女だ。半分の支持を得られていれば、多少出来が悪くとも、国を治めることなど難しくない。
 そんな風に、たかをくくっていた。
 お飾りの王など珍しくもない。面倒事はアンリや家臣に丸投げして、自分はめとった妻をはらませ、血をつなぐだけで充分役目を果たすことになるはずだと信じて。
 そのような甘くて軽すぎる考えゆえに、何の努力もしてこなかったルイスは、ここに来てすべてを失いかけている。
 夜会でソレイユが倒れ、激怒したスフェール公爵が兄である国王に「厳しい処分を!」と訴えたとき、ルイスの味方となる家臣はいなかった。
 家臣の妻も娘も同じだ。彼女たちにとってルイスは、余裕のあるときに楽しむ美術品、ちょっとした楽しみでつまむ砂糖菓子のようなものだったのだ。
 ルイスを誉めそやし、「愛している」と繰りかえし、競うようにその腕に抱かれたがった女たちは、誰一人として心から彼を愛してなどいなかった。
 それを思い知ったとき、ルイスは「世の雌犬どもの口にする愛の、なんと薄っぺらいことか!」と腹を立て、「所詮しょせん、この世には愛など存在しないのだ」と絶望したものだ。
 ――結局、私は誰にも愛されない、あわれな男。
 などと、一人、自分をあわれんでいる。
 そんなルイスの感傷をアンリの声がさえぎった。

「……プリムヴェール、顔を上げてくれ」
「いやっ、絶対に変な顔になっているもの! 見られたくありません!」
「プリムヴェール、頼むから」 

 ――気味の悪い、猫なで声を出しやがって。
 わかりやすすぎる弟の変化にルイスは小さく舌打ちをし、視線をソレイユに向けた。
 まだ、彼女の願いが一つ残っている。

「……う、うむ。アンリとプリムヴェールがよいのならば、それでいいだろう。では、ソレイユ、二つ目の願いは何だ?」

 こほん、と小さくせきばらいをすると、王がソレイユに問うた。
 ルイスは息をひそめて答えを待つ。彼女は何を願うのだろう。ルイスの死か、それとも慕う男との縁談か。
 ソレイユは少しだけためらい、それでも覚悟を決めたように、きりりと顔を上げて唇をひらく。

「私の婿むこに、ルイス様を。それが望みです」

 ソレイユの言葉に皆が息をのみ、ついで、沈黙が広がった。

「……ルイスを、おまえの婿むこに?」

 信じられないというように、王が彼女の言葉を繰り返す。

「はい」
「……理由を聞いてもよいか」
「理由など、一つしかありませんわ」

 薔薇ばらいろの唇をほころばせ、ソレイユがルイスを見た。

「私は、ルイス様を愛しています。ただ、それだけです」

 まっすぐに向けられた視線と言葉に、ルイスは言葉を失う。
 ただただ、ソレイユの視線を受けとめ、彼女を見つめることしかできない。
 ――どうして。
 どれほどルイスが浮名を流そうとも文句一つ言わない彼女は、そもそも彼に興味がないのだろうと諦めていたというのに。
 彼女に盛ったものが媚薬ではなく毒だったと知ったときには、今度という今度は婚約破棄をまぬがれないかもしれない、とルイスはおびえた。
 いくら未来の王妃の座が約束されているとはいえ、自分を殺そうとした男の妻になどなりたくはないだろう。
 ましてや、今のルイスは王太子の座すら失った。
 彼女が自分を選ぶ利点は何もない。そう、思っていた。
 それなのに、彼女は――

「愛している? 私を?」
「はい。心から、あなたを愛しています」

 微笑ほほえむソレイユは輝くように美しく、ルイスは彼女の背に天使の羽を見た。
 ぶわりと愛しい人の姿がぼやけ、ルイスは自分が泣いていることに気がつく。
 愛しています――何十人という女に何百回と言われてきた言葉だが、ルイスが口にしたことはない。「愛しています」と言われれば「そうか」と笑っておしまいだ。
 愛など、あまりにも嘘くさく、馬鹿らしく、たわむれでも口にする気になれなかった。
 ルイスにとって女の語る愛の言葉など何の意味も重みもない、ただの寝台の上での言葉遊びだと考えていた。
 けれど、ソレイユが口にしたそれは、聞きあきたはずのその言葉は、ルイスの心をえぐり、そして、えぐられた場所からは熱い何かがあふれてくる。
 ――ああ、この世に愛はあったのだ。
 彼女の瞳の中に、心の中に。
 ルイスはソレイユに嫌われていたわけではない。ただ、愛で許されていたのだ。

「私も……」
「え?」
「私も、君を愛している」

 その日、生まれて初めて、ルイスは愛を信じ、口にした。
 そうして、今度こそ間違えないと、この愛を守っていこうと心に誓ったのだった。



   第一章 顔だけ王子と初恋天使。


 婚約破棄未遂から一ヶ月後。ソレイユはスフェール家のサンルームで、大輪の薔薇ばらが描かれたティーカップを片手に、ルイスと向かいあっていた。

「……今日は一段と顔色がいいな。よかった」

 テーブル越しに微笑ほほえみながら、そっとソレイユの手に手を重ねるルイスの仕草は繊細せんさいで、まなざしはいたわるような愛しさに満ちている。

「はい。薬湯がよく効いているようです。ルイス様が持ってきてくださる花束にも、いつもなぐさめられておりますわ」

 ちらりとソレイユの瞳がかたわらの花台に置かれた陶器の花瓶に向けられる。
 さきほこる向日葵ひまわりの花は小ぶりで愛らしく、ルイス自らりすぐって花束にしてきたものだ。

「そうか。それは、よかった。他に私にできることがあれば何でも言ってくれ」
「ふふ、ありがとうございます。ですが、こうして毎日、会いに来てくださるだけで充分ですわ」

 あれから、ルイスは人が変わったように惜しみない愛情と献身をソレイユへとささげている。
 くすくすと笑うソレイユの手をそっと握りしめ、ルイスが表情を引きしめた。

「……ずっと君の心を疑って、愚かなまねをして、本当にすまなかった」

 深々と頭を下げる男に、ソレイユは目を細めた。

「ルイス様、どうぞもうお気になさらないで。こうして私は無事に生きておりますから」
「そんなわけにはいかない! ……一歩間違えば、私は、唯一無二の真実の愛を永遠に失うところだった」
「まあ、大げさですわ。唯一無二の真実の愛だなどと……私でなくとも、ルイス様を愛する女性は、きっとおります」

 ソレイユの言葉に、ルイスは長い睫毛まつげを伏せる。

「そんなことはない。君だけだ」
「ルイス様?」
「……ソレイユ!」

 すがるように名を呼ばれ、はい、とやわらかく微笑ほほえむと、ルイスが迷子の子犬めいたまなざしで訴えかけてきた。

「……こんな私のことを愛してくれるのは、きっと君だけなんだ! 君は、私の天使……いや、太陽だ。私の心の闇を照らしてくれる太陽。だから……これからも、どうか私を見捨てないで、ずっとそばにいてくれ!」

 女々めめしさあふれる懇願に、ソレイユは迷わずうなずく。

勿論もちろんですわ。生涯、あなたのおそばにいさせてください」
「……ありがとう!」

 じわりとうる碧玉へきぎょくの瞳を見つめ、ソレイユは胸にこみあげる熱いものを感じた。
 ――ああ、本当に……
 ほう、と溜め息をつき、はにかむように微笑ほほえむルイスの手をそっと握りかえしながら。
 ――顔がいい。
 声には出さずにそうつぶやいて、ソレイユは目の前の理想の顔へと微笑ほほえみかけた。


 ティーセットを片付けて、やわらかな夕陽が降りそそぐなが椅子いすに腰かけたソレイユは、膝に寝ころぶルイスの髪をやさしくでる。
 愚かな婚約者の無防備な寝顔に、笑みを深めながら。
 ――甘えきった犬のようだわ。これほど美しい犬は、そういないでしょうけれど。
 昔から、ルイスは甘ったれで、劣等感のかたまりのような男だった。
 ――まぁ、しかたがないわね。弟があれでは。アンリ様は、出来がよすぎるもの。
 アンリは第二王子という微妙な立場にねることも甘えることもなく、誰にうながされることすらなく、自ら学び、きたえ、ルイスに何かがあったときに国を背負って立つに相応ふさわしい人間になろうと、たゆまぬ努力を続けてきた。
 昨年起こった国境での争いでは自ら兵を率いて戦い、まさしく軍神のごとき働きを見せたという。
 自らの危険をかえりみず、あまたの兵を、ひいては兵の家族である民を救ったアンリは民からの信も厚い。
 おそらく、彼は後世に残る名君となるだろう。
 八年前、アンリが十四、ソレイユが十一、プリムヴェールは十歳になったばかりのころだ。鍛練たんれんですりむけたアンリの手のひらを、プリムヴェールと二人で手当てをしたことがある。
 軟膏なんこうをぬりこみ、包帯を巻きながら、ソレイユはアンリに尋ねた。「アンリ様、ルイス様がいながら、なぜそこまでご自分を厳しく律しようとなさるのですか?」と。
 特段の努力をせずとも、いずれそれなりの領地と爵位を与えられることが決まっている。そして、どれほど頑張ろうとルイスがいる限り、玉座には着けない。
 むなしくはならないのか――と暗に問うたソレイユに、アンリはくもりのないまなざしで答えた。
「確かに私は兄上の予備だ。だが、たとえ努力が無駄になろうとも、そのときにそなえて生きるのが王族の務めだろう。どうせ跡を継げぬのだからと、ふてくされて遊び呆けるような恥ずかしい男にはなりたくない」と。
 思えば、そのときだろう。プリムヴェールがアンリを選んだのは。
 ソレイユも少しだが心がゆれた。
 けれど、ソレイユが選んだのは、跡を継げる身でありながら、ふてくされて遊び呆けていたルイスだった。
 彼は自分に甘い、弱い男だ。
 第一王子として生まれたというだけで、努力らしい努力をすることもなく何不自由のない暮らしを送りながら、彼は周囲に認められぬ自分をあわれみ、自らの心をなぐさめようと、ひらひらと寄ってくる女に片端から手をつけて……
 そのくせ、彼は女を信じていなかった。どうせ上っ面。どうせ裏切る生き物だと。
 ――私のことは、信じているようだけれど。
 くすりと笑って、ルイスの頬を指先でなぞると、ん、と心地よさそうな吐息がソレイユの膝をくすぐる。
 ――本当に、甘ったれでダメな男。
 尊大に見えて小心者で疑り深く、愛されたいと願うくせに自分からは愛そうとしない。
 一人の女ときちんと向きあうこともなく、ただ一夜のぬくもりと愛情を求めるばかりの男に、まともな貴族の女が本気になるはずもない。
 次第に彼の相手をするのは、火遊び目当てのしたたかな女ばかりになっていった。
 その自業自得の結果すら、ルイスは自分をあわれむ材料としていたのだ。
 ああ、やはり私は誰にも愛されない――と。
 どこまでも自分に甘い、愚かで、自堕落じだらくで、身勝手な、子供のように情けない男。
 ――けれど……
 膝でまどろむ男を見つめ、ソレイユは胸のうちでうなずく。
 ――顔がいい。
 ソレイユはルイスの顔を愛している。
 ――なにせ、ひとめぼれだもの。
 それは、ソレイユの六歳の誕生日の少し後のことだ。
 王妃が崩御し、それをいたおごそかな式典で現王の隣に立つルイスに、ソレイユはたましいから見惚みほれた。
 精巧かつ完璧に整った白い顔にうれいをたたえた少年は、生きて動いているのが不思議なほど、ただただ美しく、人ならざる生き物のようにさえ見えた。
 それからしばらくして、彼が自分の婚約者だと知らされたとき、ソレイユは寝台の上で飛びはねてよろこんだものだ。
 少女らしい甘い恋心がなかったと言えば嘘になる。
 ――あれが初恋、だったのよね……きっと。
 月日が流れ、ルイスの自堕落じだらくさに磨きがかかり行状が乱れていくにつれ、あのころの燃える想いはゆらいでしぼみ、やがて最後の残り火も消えてしまったが……
 それでも、ソレイユは彼との婚約を解消したいとは思わなかった。
 ――だって、顔がいいから。
 貴族の娘として生まれた以上、政略結婚は半ば義務。互いの心など二の次で、家の都合で候補を決められ、選択の余地はあってないようなもの。
 心が通えば幸い。どれほど冷えきった仲だろうと跡継ぎは作らねばならず、夜会にも連れだって出席せねば両家の恥になる。
 ならば、せめて、一生見飽きぬほど好みの顔をした男がいい。
 ――この顔ならば、問題ない。
 それがソレイユの結論だった。
 彼女のその思いを理解しているのは、プリムヴェールと母であるスフェール公爵夫人くらいだろう。彼女たちは誰よりもソレイユの価値観を理解し、尊重してくれている。
 ソレイユとプリムヴェールは、姉妹そろって幼い時分から母に言いきかされてきたのだ。「貴族の娘は結婚に夢など見てはいけない」と。
「ただ、できるなら……絶対に譲れない、一生かけて愛せる特性のある相手を選びなさい」とも。
 ソレイユの母にとって、それは声だったそうだ。
 二十数年の昔、「未来の王妃か公爵夫人か」という豪華な選択肢を与えられた美しき伯爵令嬢が選んだのは、壮健な王太子ではなく病弱な第二王子だった。

「弱き者にやさしい人柄にかれたというのも勿論もちろんあるわ。けれど……何よりも、この声ならば、一生聞いても聞きあきないと思ったの。壊滅的に下手な詩も、ぎこちない口説くどき文句も悪趣味なねやでの言葉遊びも、あの声ならば……このうえなく心地よく感じるのよ」

 そういって微笑ほほえんだ母は、ひどく満ちたりた顔をしていた。
 今、ルイスを前にしたソレイユも、おそらく同じような笑みを浮かべているだろう。
 ――まったく、血は争えないわね。
 ソレイユも、ルイスの顔をながめていると大抵のことがどうでもよくなる。
 他の女に笑いかけようが、嫉妬しっとの念など湧いてこない。
「ああ、横顔もいい。こちらを向いていては見られないものね。本当に、顔がいい」と溜め息をこぼすだけだ。
 他の女と夜を過ごしたと耳にしても、ソレイユの視界に入らないところで彼が何をしていようと興味はなかった。
 ――この顔を見られれば、それだけでいい。他には何も期待しない。
 そう、ソレイユは考えていた。


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