悪徳令嬢と捨てられない犬

犬咲

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生きて、知らない朝にいる。

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 頬をなでる陽ざしに目を開いた。

「……ん」

 天窓から差しこむ光の温もり。もぞりとふれた敷き布は、シャボンの匂いがした。
 洗いたての木綿の心地よさに目を細めて、ハッと身を起こす。

「……ここは……?」

 いつのまに眠ったのだろう。覚えていない。

 昨夜、ジャックに抱かれて小さな馬車に乗りこみ、毛布にくるまれて。
 それから、彼は私の背を撫で、出ていった。
 曳き馬にかける声に耳をすましていると蹄の音がして、回る車輪。
 少しのあいだ遠くで人々のざわめきが聞こえていたが、どこかの門を抜け、跳ね橋を渡ったあたりから、人の声が消え、鳥や虫の声へと変わっていった。
 ガタゴトガタゴトと揺られているうちに、ウトウトしてきて。

 そうして、目が覚めたら今。
 シンプルな木枠の寝台で身を起こし、そうっとあたりを見渡す。
 四角い上げ下げ窓からは鳥の声。
 ふらりと寝台から足をおろして、とたとたと近付いた窓から外をのぞけば、窓をふさぐように青々と葉をしげらせた木が見えた。
 どこかの商家の二階だろうか。
 窓枠に手をかけ、視線をおとすと、昨夜ジャックから渡された衣装とは違う、リネンの夜着を身につけていることに気がついた。

「…………」

 首筋に手をやり、さらさらと揺れる毛先にふれる。少年のように短くなった髪に。
 そうして、もう一度、窓の外をみた。
 きらめく陽ざし。小鳥のさえずり。揺れる緑。

「……朝」

 ぽつりと呟く。

「朝なのね」

 窓枠と茂る葉の輪郭がぼやけ、頬を熱い滴が伝う。
 夜は明けた。
 約束された破滅の日は過ぎ、私は生きて、知らない朝にいる。
 ジャックと生きる未来のはじまりの朝に。

「……っ」

 あまりのまばゆさに言葉もなく、きらめく光と揺れる緑を見つめつづけた。



 あふれる涙をぬぐっていると、控えめなノックの音が響いた。
 すん、と鼻をすすって、背を伸ばす。

「はい、どなた?」
「ジャックです……入ってもよろしいですか、お嬢様」
「ええ、もちろん」

 きい、と扉を開けて入ってきたジャックの顔をみてハッとする。

「どうしたの? 目が赤いわ。それに隈も……」

 かけより、手を伸ばして、寸前で思いとどまる。

「あ、ご、ごめんなさい……馴れ馴れしくて……」
「いえ」
「あっ」

 下げようとした手をつかまれ、ぐいと引き寄せられて、とすんと彼の胸にぶつかる。
 おずおずと見上げれば、戸惑ったような瞳が私を見おろしていた。

「ジャック?」
「泣いていたのですか?」
「え?」
「あまりにも貧相な部屋でガッカリしたのですか? こんなやつに付いてきてしまって、失敗だったなぁ、と? もっと金のある男をたらしこんでおけばよかったとでも思ってしまいましたか?」

 くすり、と笑われ、カッと頬が熱くなる。

「そんなこと、あるわけがないじゃない! バカなことを言わないで!」
「では、何の涙です?」
「それは……」
「言えないのですか」
「……嬉しかったの」
「何が?」
「……この朝を迎えられたことが」
「え?」
「ずっと私は、この朝を待ちのぞんでいたの。何もかも昨日で終わりだと思っていたから。この朝を迎えられて、この先は、あなたと一緒に生きていけるかもしれないと思ったら……嬉しくて……」

 ああ、私は何を言っているのだろう。
 小さく首を振り、微笑みかけた。
 
「……ごめんなさい、わけのわからないことを言って。とにかく、これは喜びの涙なの。それだけ、わかってちょうだい」

 ジャックは笑わなかった。
 怖いほどに真剣なまなざしで、私を見つめていた。

「……昨夜、ずっと考えていたのです」
「え?」
「……六年前のお茶の時間を覚えていますか? 夏の日で、お嬢様は、ストロベリーパイを召しあがってらっしゃいました」
「……覚えているわ」
「あのとき、お嬢様はストロベリーパイを床に投げすてましたね」
「……ええ」

 頷き、睫毛を伏せた次の瞬間。

「思えば、あれが始まりでした」

 ジャックの言葉にドキリと鼓動が跳ねた。

「はじまり?」
「ええ。あの時、お嬢様は自分がしたことが信じられない、というように戸惑ってらっしゃいました。あれからです。お嬢様が人が変わったような言動をされるようになって……そのうちに、完全に変わってしまわれた」

 静かな声には、一言では表せないような感情が滲んでいた。怒り、悲しみ、さびしさ、そして、悔いるような響きも。

「……ごめんなさい。あなたを、たくさん傷つけたわ」
「いいえ……とは、申せません。この六年間、正直にいえば、あなたを殺したいほど憎んだこともありました。私の愛したイライザ様は、いなくなってしまった。ここにいるのは、私の知らない美しき暴君、許しがたい悪徳令嬢だ。こんな女は死んでしまえばいいと……」
「……そうね。憎まれて当然よ」

 それほど憎んでいたのに、彼は来てくれたのだ。

「助けてくれて、ありがとう」

 口にした瞬間、背に回った手に抱きしめられた。

「イライザ様」
「ジャック?」
「あなたを脅かしていたものは、いなくなりましたか?」

 問われ、ひゅっ、と息を呑む。

「あなたを支配していた何かは……昨夜、屋敷と共に燃えてなくなったのですか?」

 とまっていた涙が、あふれだし、ポロポロとこぼれる。
 言葉には出来ない感情が次々とこみあげて、しゃくりあげながら、何度も何度も頷いた。

「……そうですか」

 私を抱きしめる腕の力が痛いほどに強まって。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 やさしい囁きが耳をくすぐった。



「……ねぇ、ジャック」

 散々泣きはらした顔を見られたくなくて、シャツの胸に額を押しつける。

「はい、お嬢様」

 シャツ越しに感じる胸板は、少女のころにふれたときよりも厚みが増しているような気がして、ドキドキとしながら囁いた。 

「あのね……そろそろ、お嬢様と呼ぶのをやめてくれないかしら」
「……イライザ様?」
「それも、よ。……私は、もうお嬢様じゃなくて、あなたの弟? になるのでしょう? それならば言葉遣いだって、なおしてくれないと困るわ」

 昨夜、少しだけ知れた素のままの彼が頭をよぎる。
 荒ぶるジャックは恐ろしかったが、取りつくろっていない、むきだしの彼を見れたことは少しだけ嬉しかった。

「……弟は、近いうちに追いだします」
「えっ」

 厳しい声に顔を上げようとして、ひょいと後頭部にふれた手に押され、ぽすりとシャツに鼻先が埋まる。

「弟には近いうち、できるだけ早く、私の結婚を機に郷里に帰ってもらいます」
「むぐ」
「あなたを弟になんてしたくない」

 ふう、と溜め息が髪を揺らした。

「一刻も早く、名実ともに、あなたを私のものにしたい。あなたと夫婦になりたいのです」

 私もよ、と伝える代わりに、私はジャックの背に腕を回し、精一杯に抱きしめて。
 ふふ、と泣き笑いで言いかえした。

「ジャックったら、忘れてしまったの? 昨夜からもう、私は、あなたのものなのに!」

 すねたように背をパシリとはたけば「そうですね」とジャックが呟いて。
 その声音の苦々しさに、おや、と首を傾げると、ひょいと横抱きに抱えあげられた。
 そのまま一歩踏みだされたところで、慌てて彼の首に腕を回して。

「ジャック、どうしたの?」
「……やりなおしをさせてください」
「えっ」

 何を、と問う間もなく、数歩の後、私は寝台に押したおされていた。
 
 
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