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まちのぞんだ腕のなか
しおりを挟む口付けがほどけ、重なった身体がゆっくりと離れた。
「……んっ、ぅ」
奥深くまで埋められていた物が、ぬちゅりと抜けおちる感触に、知らず、鼻にかかった吐息がこぼれる。
――まだ、何か挟まっているような感じがする……。
ずきずきとした痛みはあるが、けれど、それだけではない。身体の芯で熾火のように、くすぶる熱が残っていた。
潤む瞳をあげれば、かちりと視線がぶつかって、すいと気まずげに逸らされた。
「……痛みますか」
問われ、急いで首を振る。
「いいえ! 大丈夫よ!」
「そうですか……それでは、物足りなさそうなところ申し訳ありませんが」
「えっ、そ、そのようなことは……っ」
「行きましょうか、お嬢様」
「え?」
「着替えてください」
ぱさりと渡されたのは、少年が着るような丈の短いズボンと簡素なシャツ、それから布の靴とフェルト帽。
私を逃がすために用意してくれたのだろう。
――はなから、私を殺すつもりはなかったのね。
戸惑う内に、片足に残っていた黒いビロードの靴を脱がされる。
「……まったく、マントでドレスを隠しても、こんな上等な靴ではバレバレですよ。そもそもマントが上等すぎます」
しゅるりと首元の紐をほどかれ、はらりと肩から落ちたマントが漆黒のピクニックシートへと変わる。
「だ、だって、これしか……きゃっ」
もごもごと言い返そうとして、ジャックは足もとの土をギュッとつかんではなした手を私の髪と頬にすりつけた。
「……まったく、あなたは相も変わらず眩しすぎる」
「ジャック?」
「何でもありません。ほら、言い訳はいいので早く着替えてください」
「……はい」
しょんぼりとしながら、もぞもぞと衣服を身につけていく。
最後にシャツの胸元の紐を結んだところで、川で手を洗ったジャックが戻ってきた。
「……立てますか」
問われて頷いたが、彼の手に手を重ねて立ちあがろうとして、ぺしゃりとへたりこむ。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いえ。……しかたがありませんね」
「え? きゃっ」
ひょいと横抱きに抱えあげられ、慌ててジャックの首に腕を回す。
「……子供のころ以来ね」
やさしく美しい従僕の青年に、少女の私は身勝手な恋をしていた。
ジャックにふれたくて、ふれてもらいたくて、彼をお供に庭を走りまわっては、転んで足をいためただの、疲れただのと口実を作って彼の腕をねだった。
ジャックは、いつも「しかたがありませんね」と微笑んで私を抱きあげてくれた。
二度と戻らない日々が愛しくて懐かしくて、胸が締めつけられる。
――本当は、あなたを傷つけたくなんてなかった、なんて言えないわ。
私は世界に操られていた。
あなたを苦しめるつもりはなかった。
愛しているのは王子様なんかじゃない。昔も今も、変わらずあなただけなの。
そう打ちあけたところで、過去の行いはなかったことにはならない。
ジャックを戸惑わせるだけだろう。ただ、それでも。
「……ジャック」
「はい」
「私も、あなたを愛しているわ。お願い、それだけは信じてください」
図々しいことを承知で、そっとジャックの胸に頬をすり寄せると、びくりと彼の身体が強ばって、ほう、と溜め息でゆるんだ。
ふわりと額に唇を押しあてられて、あ、と顔を上げるが、ジャックは前を向いてしまっていた。
「いきますよ、お嬢様……いいえ、イリヤ」
「イリヤ?」
イライザの男名だ。首を傾げる私にジャックは頷いた。
「ええ。しばらくの間、あなたは俺の弟のイリヤです」
「……イリヤ……あなたの弟……?」
「ええ。病弱で、家から滅多に出られない弟です」
またひとつ頷くと、ジャックはしっかりとした足取りで歩きはじめた。
「あ、あの……どこへいくの?」
「あなたの知らない町です」
そう答えてから、ジャックは苦々しげに付けたした。
「もちろん、あの業突く張り女も知らない町です」
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「そう……それは、よかったわ」
どうやら、あの仕立て屋は思った以上に性質の悪い女だったらしい。
結局、私が用意した職人証明書は何の役にも立たなかった。
金貨だって、彼の退職金としては少ない。
それなのに、彼は戻ってきてくれた。
「……ありがとう」
呟いた言葉に返事はなかったが、私を抱くジャックの手に、ほんの少しだけ力がこもって。
まちのぞんだ温かな腕のなか、そっと私は目を閉じた。
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