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1巻

1-2

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「……うん、ありがとうクレアお姉ちゃん」

 コクンと頷いたのは、兄のルディ。

「大丈夫だよ! いつものことだし!」

 キュッと小さな拳を握りしめて答えたのは、弟のラディ。

「でも、ラディ」
「ほんと、大丈夫だって! こんなことくらいで、負けてられないよ! なっ、ルディ!」
「うん。せっかく、クレアお姉ちゃんが神官見習いに推薦してくれたんだし……大丈夫だよ」

 か細い声でルディが続ける。
 クレアは「そう」と頷くと、パッと両手を広げ「偉いわ、二人とも!」と小さな頭をまとめて二つ、腕の中に閉じこめた。
 そのままギュウギュウと抱きしめながら、励ますように声をかける。

「さあ、戻ってご飯よ! 明日も頑張るためにも、しっかり腹ごしらえしないとね!」
「……あ、ご飯は……ボク、もう食べたから……」

 腕の中でルディがモゴモゴと呟く声がして、クレアは「え、もう?」と首を傾げかけて、すぐに彼の言葉の意味に気付いて眉尻を下げた。

「……ルディ」

 そっと腕を離し、背をかがめて視線を合わせ、ニコリと微笑みかける。

「大丈夫よ」
「え?」
「気にしないで食べなさい! 年子で似た体格の兄弟なんて、たっくさんいるんだから!」

 ポンと肩を叩いて告げると、ルディはパチリと目をみひらき、気まずそうに目を伏せた。

「ほらな、ルディ! 言っただろう、気にしすぎだって! クレアに嘘をつくなんて最低だぞ!」

 ルディの肩をギュッと抱き寄せて、ラディが怒ったように言う。

「う、うん。ごめんね、クレア」

 しょんぼりと謝るルディにクレアは「いいのよ」と首を横に振る。

「謝らなくていいから、ご飯はちゃんと食べてね」
「……うん」
「よし、行こうぜ、ルディ! 俺、もうおなかペコペコだよ!」
「あ、うん、ごめん」
「いいから、行くぞ!」

 ラディはグッと眉間にしわを寄せてルディの手をつかむと、クレアにペコリと頭を下げた後、ぐいぐいとルディの手を引っぱって歩きはじめた。

「……遠慮しないで、おなかいっぱい食べるのよ!」

 遠ざかっていく小さな背に呼びかけ、そのまま二人が見えなくなるまで見送ってから、クレアはそっと溜め息をこぼした。
 ――本当に、我慢なんてしないで、ちゃんと食べてくれるといいんだけれど。
 ルディが「もう食べた」と嘘をついた理由はわかっている。
 食事を抜くことで、ラディと体格の差をつけたいと思っているのだ。兄の自分の方が華奢だったとしても、あからさまにそっくりよりはましだと。
 神殿の名簿には、二人は「年子の兄弟」として登録されている。
 けれど、本当は双子なのだ。
 十一年前にクレアが育った孤児院の前に、仲良く一つのかごに入れられ捨てられていた。
 血の繋がりはなくても、クレアにとって一緒に育った二人は本当の弟のように大切な存在だ。
 だから、孤児院長がクレアの幸せを願って神殿に売りこんでくれたように、クレアも二人の幸せを願って、昨年二人のギフトが発動してすぐ、神官見習いに推薦した。
 ずっと一緒にいたい、離れたくないという二人の願いを叶えてあげたかったから。
 ――でも……やっぱり、この国で双子が一緒に生きていくのは難しいのね。
 二人が神殿に入って一年が経つが、いまだに、あのようなことはなくならない。
 ――理不尽な話だわ。
 クルリときびすを返し、西殿に向かって歩きだしながら、クレアは心の中で憤る。
 ――たった二百年前に後付けされたタブーのせいで、こんな目にうなんて間違っているわよ!
 夫婦めおと神の子が最初の王となったと伝えられている、フィリウス王家。
 二百年の昔、その尊き血筋に双子の王子が生まれた。
 どちらも甲乙つけがたく優れた王子だったが、それが仇となったのだ。
 どちらを王にするべきか、廷臣ていしんの意見は真っ二つになり、あるとき、第二王子派の廷臣ていしんが第一王子に毒を盛るという事件が起こってしまった。
 生死の境をさまよった第一王子は病の床から回復するなり、廷臣ていしんではなく、弟である第二王子にその責を押しつけようとした。

「私が命じたわけではありません!」
「いや、おまえが私を殺させようとしたのだ!」

 いさかいの果てに第一王子は剣を抜いて第二王子に斬りかかり、第二王子は片腕を失うこととなった。
 そこからは正しく血で血を洗う争いがはじまり、まつりごともままならなくなり、国は荒れに荒れた。
 やがて七年の月日が流れ、毒の後遺症によって第一王子が先にたおれた。
 人々はに服しながらも、ようやく国が落ち着くかと安堵した。
 その矢先、第二王子のきさきが子を産んだ。
 しくもそれは双子だった。
 第二王子は、揺りかごに二つ並んだ同じ顔を目にするなり、激昂したという。
「兄はどちらだ!?」ときさきを問い詰め、震えながらきさきが指差した方の足首をつかみあげた。
 そしてバルコニーに出ると、王太子の誕生を祝いに王宮前広場に集まった民に向かって、その子を掲げ、宣言した。

「この国に双子はいらぬ! 双子は争いを招く! 国をほろぼす呪いの子だ! 私は王として国を守らねばならぬ! よって、この場でこの子を天に還す!」

 そう言うなり、手にした子をバルコニーから投げ落とした。
 人々の悲鳴とどよめきに混じって鈍い音が辺りに響きわたった後、第二王子は残った子を抱きしめて震えるきさきに告げた。

「この国に新たな争いをもたらそうとしたおまえは我がきさきにふさわしくない。今、この場をもって離縁する」

 その日から、この国で「双子」は忌避すべき存在となった。
 第二王子が存命の間は双子で街を歩いていると、道行く人が「どちらが兄だ?」と問い詰め、兄の方を殺してしまう痛ましい事件が続いたという。
 そのため、双子が生まれたらどちらかを、あるいは両方をまとめて捨てるか隠すかするのが慣例となり、二百年が経った今でも――さすがに双子で道を歩いていて、襲われるようなことはなくなったが――子捨ての慣習が残っているのだ。
 双子は争いを招く、不吉な存在だ――という、呪いめいた根深い偏見とともに。
 クレアは、そんな迷信を信じてなどいない。
 長い歴史の中で、王家に生まれながら仲良く過ごした双子もいたはずだ。
 たまたま二百年前の双子がそうでなかったというだけで、後の世にまで呪いとなって、罪もない子供たちが傷付くなんてバカげている。
 ――こんなくだらない迷信、早くなくなってしまえばいいのに!
 そうすれば、ルディもラディも悲しい思いをしなくてすむ。
 誰にも隠すこともごまかすこともなく、堂々と二人仲良く、自由に生きられるはずだ。
 そんなことを考えながら、迷信を踏み潰すようにダンッと床を踏みしめると、クレアはまっすぐに前を見据えて、人気ひとけのない廊下を進んでいった。


    * * *


 腹が立っても、おなかは空く。
 クレアは質素な夕食をきっちりとたいらげた後、食堂から自室に戻った。
 古びた木の扉をあけ、簡素な寝台と書き物机と椅子、衣装箱が一つ置かれただけの小さな部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた――その瞬間。

「――おかえり、クレア!」

 何もない場所から、パッと見えないカーテンをめくるように黒髪の少女が現れ、クレアに抱きついてきた。

「あら、ミーガン、来ていたの?」

 クレアは特に驚くこともなく、笑って少女――ミーガンを抱きとめた。

「ええ、もう一時間も前から! あなたの部屋って本当に何にもないんですもの、退屈で死にそうだったわ!」

 ミーガンは唇をとがらせると、マントのように肩にかけていたシーツをがして、書き物机の前に置かれた椅子の背に投げた。
 クレアはシーツを目で追い、それから数歩先にある寝台に視線を走らせて苦笑を浮かべる。
 どうやら、シーツはあそこから持ってきたらしい。
 ――後で敷きなおさないといけないわね。
 ミーガンに頼んだら嫌がるだろうから、自分でするほかない。
 彼女の悪戯いたずら好きも困ったものだ。
 もっとも、そういう子供っぽいところが可愛らしいといえば可愛らしいのだが。

「そう、ごめんなさいね、ミーガン。おもてなしできるものが何もなくて」
「あら、そういうつもりで言ったのではないのよ?」

 ミーガンはハシバミ色の目をパチパチとまたたかせて、ニコリと笑顔になる。

「気にしないで、もてなしなんて期待していないわよ! クレアにそんな余裕がないことくらい、わかっているから! うんと節約して孤児院に仕送りしないといけないんですもの、大変よねぇ」

 クレアの手を取り、気の毒そうに眉尻を下げるミーガンは、クレアと同じ巫女みこの装束をまとってはいるが、境遇はまるで違う。
 彼女は、この神殿を管理する神官長の娘なのだ。
 少し子供っぽいところがあるが物怖じしない明るい性格で、クレアが神殿に入ったばかりの頃から何かとかまってくれ、神殿での過ごし方を教えてくれた。
 年が同じということもあって、クレアにとっては何でも話せる親友のような存在だ。

「ふふ、そんな頑張り屋のクレアに私からのご褒美よ! はい、どうぞ! パパーン!」

 効果音付きでミーガンが手の平を上にして掲げると、手品のように薔薇色の丸い小箱が現れる。

「薔薇の砂糖漬けですって! 一緒に食べましょう?」

 そう言って、ミーガンは椅子を引き、ストンと腰を下ろした。

「まあ、ありがとう……でも」

 クレアは礼を言いながらも、念のため尋ねる。

「神官長様の許可はいただいたの? それ、信徒さんからの貢ぎ物でしょう?」
「え? そうだけれど、いいじゃない別に。他にも貢ぎ物はたくさんあるんだし、お父様はお菓子を食べないし、こんなに小さかったら皆に配れもしないじゃない?」
「……まあ、それもそうね。ありがたくいただきましょうか」

 苦笑を浮かべて頷くと、クレアはミーガンの前を通りすぎ、寝台に腰かけた。
 ミーガンは「そうよそうよ」と楽しげに言いながら小箱にかかったリボンをほどく。それからふたをあけ、薄く雪を被ったような薔薇の砂糖漬けを一枚取りだすと、ひょいと口に放りこんだ。
 カリッと小気味よい音が聞こえた次の瞬間、ちんまりと整った顔がくしゃりとゆがむ。

「っ、なにこれ、まっずい!」

 叫ぶなり、ミーガンは舌を突きだし、クレアに助けを求めた。

「おええ、助けてクレア、まずすぎて飲みこめないー!」
「もう、ミーガンったら! ……はい、ここに出して」

 クレアは慌てて寝台から立ち上がって衣装箱をあけ、ハンカチを取りだし、ミーガンに渡す。
 ミーガンはパッとハンカチをひったくると、ぐいと舌を拭って畳み、クレアの手に戻した。

「ふう……ありがとう、クレア」
「いえいえ、どういたしまして」
「あーあ。薔薇の砂糖漬けってもっと美味しいものだと思っていたのに……じゃりじゃりするし、においがきついし、甘すぎて、そんなにいいものじゃないのね……がっかりだわ!」

 素直すぎる感想に、クレアは思わず噴きだしそうになるのを堪え、洗濯物を入れるかごにハンカチを放りこんでミーガンに微笑みかけた。

「お水、持ってきましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。部屋に帰るまでこのままでいいわ。ふふ、吐息が薔薇の香りっていうのは悪くないものね!」

 ミーガンはクスクスと笑って砂糖漬けの小箱をクレアに渡し、はあ、と大きく息をついた。

「……ねえ、聞いてよ、クレア。お父様ったらね、今日もあなたを褒めていたのよ」

 書き物机に頬杖をつき、唇をとがらせながら言われ、唐突な話題の変化にクレアは首を傾げる。

「神官長様が私を?」
「そうよ。クレアのおかげで熱心な信徒が増えてる、『癒しの巫女みこ』様様だって。私、ちょっぴりけちゃったわ! 私のギフトだって、信徒の役に立っているのに!」

 ミーガンのギフトは「隠蔽」。布をかけたように物体を見えなくする能力だ。
 先ほどのシーツや小箱にも、そのギフトがかけられていた。

「この間だってね、『浪費家の妻が家宝を売り払おうとして困っている』って人が来たから、見えなくしてあげたのよ? いいことをしたでしょう?」
「ええ、そうね」
「そうでしょう!?」

 机から身を起こし、ミーガンは得意げに胸を張る。

「すっごく喜んでくれてね、寄進きしんだってたくさんしてくれたし、その人の紹介で他の信徒も来てくれたんだから! 私、すっごく貢献しているわよね?」

 褒めて褒めてと無邪気にねだる子供のような物言いに、クレアは思わず頬をゆるめる。

「ふふ、そうね。神官長様は、もっとあなたを褒めるべきね!」
「本当よ! もう!」

 ぷんと頬を膨らませてから、ふふっと笑うとミーガンはポンと手を叩いて「あっ、そういえば」とまた話題を変えた。

「ねえ、そろそろじゃない?」

 ミーガンと話していて、コロコロと話題が変わるのはよくあることだ。
 面食らうこともあるが、彼女の天真爛漫な性格ゆえなのだろうとクレアは肯定的に捉えるようにしている。
「まあ、何が?」とクレアが笑顔で尋ねると、ミーガンはキラリと瞳を輝かせて答えた。

夏至げしまで後一カ月でしょう? そろそろ女神役が選ばれる頃じゃない!」
「ああ……そういえば、そんな時期ね」

 この国では夏至げしに二つの祝祭が行われる。
 一つは毎年行われる建国祭。こちらは「アニマスの祝祭」と呼ばれている。
 毎年その日は王都の広場にたくさんの屋台が立ち並び、一日限りの舞台が建てられ、様々な催しが行われる。
 神殿でも建国を祝う式典を開催し、拝殿に飾られた女神と男神の像に大量のイチジクの実を供え、祈祷きとうの儀の後、信徒に配られる。
 それを男女で分けあって食べることで愛を深めて、その証にも恵まれるとも言われ、子のない夫婦や恋人たちはこぞってその日にまうでるのだ。
 そして、もう一つ、「フィリウスの祝祭」と呼ばれる祭りは、王太子が二十歳を迎えた年に行われる特別な儀礼だ。
 神々の血を引くとされる次代の王が男神に扮し、女神役の乙女と共に、夏至げしのひと月前から俗世を離れて北殿にこもって身を清め、夏至げしの夜に本殿で祈りを捧げて国の繁栄を祈る。
 女神役の乙女はそのまま男神――つまりは王太子の花嫁となって、八月一日、収穫祭の日に民にお披露目され、共に国を治めていくことになる。
 つまり、実質的には「王太子の花嫁選びの儀」というわけだ。

「いったい、誰が選ばれるのかしら……!」

 書き物机に肘をつき、窓から月を見上げてミーガンが溜め息をこぼす。

「ええ、本当に、誰が選ばれるのかしらね……」

 女神役の乙女に身分の制限はない。
 王太子が見初めた女性が選ばれることになっているため、フィリウスの祝祭が近付くと、町ゆく乙女たちは「もしかしたら……」と期待に胸をふくらませて過ごすことになるのだ。
 クレアもありえないとは思いつつも、そんな妄想をしたことがないといえば嘘になる。
 ――だって、あんなにステキな方に選ばれたら、そりゃあ嬉しいもの!
 当代の王太子ウィリアムは見た目の美しさだけでなく、その高潔な人柄や優れた能力もまた人々の敬愛を集めている。
 名もなき民の声に耳を傾け、飢饉ききんや水害の際に惜しみなく援助を行うだけでなく、隣国との国境に盗賊団が出没したときには、自ら兵を率いての討伐までやってのけた。
 まさに眉目秀麗、清廉潔白、文武両道。とにかく讃える言葉に事欠かない人物なのだ。
 ――おまけに、ギフトまで特別仕様だなんて……できすぎよ!
 一人につき一つの祝福、一つのギフト。それが常識だ。
 けれど、「ウィリアム」はこの国で、いやきっとこの世界でただ一人だけ、二つのギフトを――「探知」と「転移」を持って生まれてきた。
 正に神々の特別な寵愛ちょうあいを受けた神の子、継承者フィリウスなのだ。
 ――そんな方に選ばれたら、本当に名誉なことよねぇ……まあ、私には縁のない話だけれど。
 乙女の身分は問わないといっても、そんなものは建前だろう。
 ある程度の家柄の娘から選ばれるに決まっている。
 少なくとも、平民の両親から生まれ、孤児となったクレアにお鉢が回ってくることはないはずだ。
 ――むしろ、ミーガンの方がずっと可能性は高いわよね。
 なにせ神官長の娘だ。血筋の確かさ、尊さはかなりのものだろう。
 ――もしもそうなったら、私は王太子妃様の友人になれるってことかしら?
 それも名誉なことだと思いながら、クレアは窓から月を見上げているミーガンに尋ねた。

「どなたが選ばれるのか、神官長様から聞いていないの?」
「それがね、聞いたけれど教えてくれないのよ! たとえ可愛い娘にだって教えられないって! まったく、頭が固いわよねぇ!」

 ミーガンはプンと頬をふくらませた後、その頬を押さえて、うっとりと遠くを見つめて溜め息をこぼした。

「……ああ、私が選ばれたらどうしましょう! 王太子妃なんて務まるかしら!?」
「ふふ、あなたなら大丈夫よ」
「そう? ありがとう!」

 満足げに頷くと、ミーガンはまとった巫女みこの装束に視線を落とし、にんまりと頬をゆるめる。

「楽しみだわ……王太子妃になったら、こんな冴えない服じゃなくて、きれいなドレスをたくさん着られるんでしょうね!」
「あら、ドレスなら、今でもたくさん持っているじゃない?」

 巫女みこや神官は昔ながらの一枚布の装束をまとう習わしだが、外出の際や休日には神殿外の人々と同じような装いをすることが許されている。
 クレアも月に一度か二度、日用品の買い出しをするときにはドレス姿で出かけていく。
 といっても、クレアの衣装箱には茶色と紺色、色違いの木綿のドレス――と呼ぶのもおこがましい質素な服――が二着あるきりで、その上に羽織るものを変えて気温の変化を乗りきっている。
 けれど、ミーガンは季節ごと、見かけるたびに違うドレスをまとっているので、それなりの数がそろっているはずだ。
 そう思って口にした言葉に、ミーガンは「まあ、クレアったら!」と眉をひそめた。

「わかっていないわねぇ! ドレスはドレスでも、その辺の店で仕立てたドレスとお姫様のドレスでは格が違うじゃない!」

 呆れたように言われ、その格下のドレスでさえろくに持っていないクレアは複雑な気持ちになりながらも、「まあ、そうね」と頷いた。

「確かに、お姫様のドレスには憧れるわよね」
「でしょう? 王太子妃になったらドレスも靴も、宝石だって、いくらでも選び放題よ? いいわよねぇ!」

 そう言ってミーガンはパッと立ち上がると、巫女みこの装束の裾をまんでクルリと回り、クレアに片目をつむって笑いかけた。

「ねえ、クレア? 私が選ばれたら、あなたを侍女にしてあげるわね!」
「まあ、本当に?」
「そうよ! 上流階級の人たちはしきたりやマナーにうるさいから、クレアに王太子妃はちょっと荷が重すぎるけれど、侍女なら気楽になれるじゃない?」

 悪戯いたずらっぽく告げられ、クレアは苦笑を返す。

「侍女も気楽にはなれないと思うけれど……でも、そうねぇ。私でも侍女なら務まるかもしれないわね。ありがとう、期待しているわ!」
「ええ、期待していて! ふふ、うんとこき使ってあげるから!」
「もう、ミーガンったら! どうか、お手やわらかにお願いします」

 クスクスと笑いあっていると、不意にノックの音が響いて、クレアは扉の方を振り返る。

「はい」

 かけた声に返ってきたのは、年嵩としかさ巫女みこの声だった。

「……クレア、神官長様がお呼びよ。拝殿に来るようにとのことです」
「え? 今ですか?」
「そうよ」

 こんな時間に何の用だろう。クレアはミーガンと顔を見合わせ、首を傾げる。

「……治療を受けた信徒の方から、またクレームでも入ったのかしら?」

 以前、一度だけだが、転倒して歯を折った幼子の治療をした後、「治してもらったはずなのに、まだ痛がっている!」と母親が深夜に怒鳴りこんできたことがあるのだ。
 結局、クレアが治したところとは違う乳歯が抜けかけて痛みが出ていただけだったのだが、あのときはずいぶんと焦ったものだ。

「さあ? わからないけれど、とりあえずいってくれば? 治し忘れたところがあったら、治せばいいじゃない!」

 ミーガンにポンと肩を叩いて励まされ、クレアは「そうね」と微笑んだ。

「ありがとう。いってくるわね」
「いってらっしゃい……というか、一緒に出ましょうよ。私も、もう帰るわ」
「そう、わかったわ。じゃあ、また明日ね」
「ええ、また明日」

 そんな挨拶を交わして部屋を出て、ミーガンは自室へ、クレアは拝殿へと向かった。


    * * *


 しんと静まり返った深夜の拝殿。
 ずらりと並んだ太い石柱の奥、神々の姿をかたどった像の前にひざまずいて祈りを捧げる初老の男――神官長の後ろ姿を見つけて、クレアは足早に駆け寄った。
 足音に気付き、白髪交じりの黒髪をなびかせて振り返った神官長が、ゆっくりと立ち上がる。

「ああ、クレア……呼びだしてすまないな」
「いえ、神官長さ――」

 言葉を返そうとしたところで、クレアは自分を見つめる神官長の瞳に、どこか哀れむような色がにじんでいることに気が付いて、ドキリと鼓動が跳ねるのを感じた。
 その動揺を感じとったのだろう。

「クレア、安心しなさい。悪い話ではないよ」

 神官長は柔和にゅうわな笑みを浮かべてなだめるようにそう言ってから、そっと口髭くちひげを撫でつけ、おごそかな口調でクレアに告げた。

「……女神役に君が選ばれた」

 クレアがその意味を理解するまで、まばたき三回分のときがかかった。
 女神役に、君が。女神役とは「フィリウスの祝祭」の女神役のことだろうか。それに選ばれた。
 ということは、つまり。

「わっ――」

 私が王太子妃なのですか――と叫びそうになり、慌てて両手で口を押さえる。
 そんなバカなという驚きと衝撃、こんな奇跡があるのかという感激と歓喜が胸を交差し、大声を上げたくなるが、浮かれるにはまだ早いと大きく息をつくと、クレアは声をひそめて尋ねた。

「あの、女神役とは、『フィリウスの祝祭』の女神役ということで間違いございませんか?」
「そうだ」
「本当に、私なのですか?」

 孤児である自分が選ばれるなんて信じられない。

「ああ、君で間違いない」

 しっかりと頷きながらも、神官長の顔色はどこか冴えない。クレアが選ばれたことが不満なのか、それとも別の気掛かりがあるのか。
 ぐるりと思考を巡らせて、クレアは言葉を返す。

「それは光栄ですが……私よりも、ミーガンの方がふさわしいのでは?」

 動機はちょっぴり不純かもしれないが、あれほど王太子妃になりたがっているのだから、父親である神官長も、きっとミーガンの望みを叶えてあげたいと思っているはずだ。
 クレアとしても、抜け駆けのようなまねはしたくない。


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