羽なし蝶と姫蜘蛛の恋

犬咲

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羽なし蝶と姫蜘蛛の恋

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「出ていけ、化け物!」

 夫婦の寝室に入るなり、夫から投げつけられた言葉に、ジョワイユは、やわらかな声でこたえた。

「オスカー、ただいま。またせてしまってごめんなさいね」

 細い身体を包む漆黒のドレスのすそをさばきながら、足音をたてずに寝台へと近付いていく。
 四柱式の豪奢な寝台は、赤い帳で閉ざされていた。

「誰が、おまえなど待つものか……来るな、出ていけ、消えうせろ!」
「侍女から聞いたけれど、夕食をあまり召しあがらなかったそうですね。駄目ですよ。身体によくないわ」
「身体? おまえが私の身体を案ずるのか?」

 怨嗟に満ちた低い声に誘われるように、ジョワイユは赤い帳をあけはなち、微笑みかけた。

「……ええ、あなたを愛していますもの」

 白い敷き布の上、白い絹の夜着をまとい寝ころぶ――四肢をもがれた青年へと。
 憎悪に燃える青い瞳とジョワイユの黒い瞳がぶつかり、じりりと見つめあい、先にそらしたのは青だった。

「オスカー」

 甘い呼びかけに、びくりと青年の身体が揺れ、もぞりと寝返り背を向けて。
 その拍子に艶やかな白金の髪と、たれさがった夜着の袖がひらりとなびいた。
 拒絶を示す背は広く、肩や首の線は少し痩せてはいたが、かつての鍛錬の名残りをうかがわせる。

「ねぇ、あなた」

 ジョワイユは愛しい夫に、そうっと手を伸ばした。
 寝台に身を乗りだしたジョワイユの背、細い腰を締めあげる、赤いサテンのリボンが蝋燭の灯りに濡れたような光をはなつ。
 白く長い指が夜着の背にふれた瞬間、びくりとオスカーの身体がこわばった。

「ふれるな……!」

 怯える声が耳を打つが、かまわず、ジョワイユは彼の腹に腕を回して抱きしめた。
 右腕、左腕、とりあえず一抱え。それから――。

「はなせ! 化け物!」

 びちびちともがく魚を押さえるように、もう一対・・・・の腕も――蜘蛛が獲物を抱えるように、しっかりと彼の身体に絡ませた。



 アンソレイユ王国の第一王子であるオスカーが、ジョワイユの故郷であるシエルカルム王国へ外遊に訪れたのは、ジョワイユが十五の春のことだった。
 シエルカルムの姫君に侍女として仕えていたジョワイユは、あたたかな春風吹く庭園で彼と出会った。
 陽ざしにきらめく金の髪、青空を映したような瞳を持つ、キアゲハのように美しい青年。
 初めて、彼と目と目があった瞬間。
 ジョワイユは、ひとめで恋に落ちたのだとわかった。

 ジョワイユではなく、オスカーが。

 ジョワイユは、蜘蛛の亜人の父と元シエルカルムの王女の母、過保護な両親に守られた世間知らずな侯爵令嬢ではあったが、ただの人間の少女ではない。
 亜人の雌の嗅覚で、オスカーが、本気で自分を求めているとわかった。
 だから、受けいれたのだ。
 両親に相談はしなかった。
 反対はされないとわかっていたから。

 忙しい日々のあいまをぬって逢瀬を重ね、愛を未来を語る彼を信じた。
 初花を散らされる痛みも、薬でごまかしたりなどせず甘受した。
 幾度となく肌を合わせ、実りを願って、彼の熱で胎を満たした。

 必ず迎えにくると言い残し、国へと帰る彼を待つあいだも不安など感じなかった。



 そして、ある日、小さな包みが届いた。
 甘い香りの見なれぬ茶葉と、お互いの未来のために飲んでほしいと書かれた手紙と。
 ジョワイユは躊躇わず飲んだ。
 誰にも相談などしなかった。彼を信じていたから。
 そして、その夜、下腹部の痛みと脚の間を伝う赤い水で、ジョワイユは、彼が飲ませた物の正体を知った。

 年若いジョワイユはパニックに陥り、悲鳴を聞いて駆けつけた両親に全てが露見した。
 残った茶は回収され、毒物に詳しい父は、その正体と送り主に気付くと静かに激怒した。
 母も嘆き、ひどく腹を立てたが、それでも彼女は王族に生まれた人間として父をなだめ、冷静に動こうとした。
 ジョワイユの祖父であるシエルカルムの王を通じて、アンソレイユ王国へと謝罪と誠意を求める書状を送ったのだ。
 ジョワイユをオスカーの妻にするようにと。



 だが、返ってきたのは残酷な拒絶だった。
 
「教会は亜人を人間と同じ存在とは認めていない」
「アンソレイユでは人間は人間としか結婚が許されない」
「オスカーが抱いたのは人間ではない」
「流れた子も人間ではない」
「いっときの慰めに使われた道具に、何を詫びろというのか」と。

 それが、アンソレイユ王家の総意であると。
 ご丁寧に、王家全員の署名まで添えて送りつけてきたのだ。
 署名の中には、オスカーの名も記されていた。
 確かに彼自身が記したものだと、微かに残る匂いでジョワイユにはわかった。

 手紙をうけとった夜、ジョワイユの父はジョワイユに尋ねた。

「彼を愛していますか」と。

 ジョワイユが頷くと、父は、もうひとつの問いをかけてきた。
 もう一度ジョワイユが頷くと、父は静かに頷いて。
 闇夜に消えていく父を、母はジョワイユの肩を抱き、何もいわずに見送った。 

 そうして、ジョワイユの父であるサンティエ侯爵が率いる亜人の兵団によって、アンソレイユ王家は根絶やしにされた。
 ただ一人、第一王子オスカーを除いて。

 夜明けとともに帰ってきたサンティエ侯爵は、ジョワイユに土産を持ってきた。
 親蜘蛛が子蜘蛛が食べやすいよう、捕らえた蝶のはねをむしるように、手足をもいだオスカー自身を。



「……いやだ」

 夜着ごしに身体をなぞるジョワイユの手を拒むように、オスカーは首を振り、もがこうとする。
 ふふ、と笑って、ジョワイユは、四本の腕のうち、上一対で彼の身体をしっかりと捕らえなおした。
 細く見えても亜人の腕だ。非力な人間であるオスカーは動けなくなる。
 そうして、ジョワイユは自由な下側の手で、愛しい夫を慰撫しはじめた

「っ、いやだ、よせ……っ」

 絹のなめらかさを教えこむように、胸板を指先でまさぐり、探りあてた小さな突起を爪でひっかき、くすぐって。
 つんと芯をもったところで、やさしくつまんで、くい、と引っぱれば、ふ、とオスカーの息が乱れる。

「ねぇ、オスカー。きもちいいですか?」

 じわりと汗のにじみはじめた首筋を赤い舌でなぞり、尋ねたが答えは返ってこなかった。
 いじっぱりだこと、と微笑ましく思いながら、ジョワイユは愛撫の手を片方、胸から下へとおろしていく。
 くしゃりと夜着をなでつけて、腹筋をなぞり、さらに下へ。
 ごくり、とオスカーが喉を鳴らす気配がして、ジョワイユは笑みを深めた。

「……ふふ、硬い」

 さぐりあてたものは、夜着ごしでもわかるほどに熱く脈打ち、形をもっていた。
 さすさすと布越しに先端をなぶれば、じわりと染みてきたものがジョワイユの手のひらを濡らす。
 あぁ、と熱く息をこぼしながらも、いやだ、さわるな、と首を振るオスカーが愛おしくて、ジョワイユは夜着をひきあげ、裾から手をすべりこませた。
 生身の肌と肌がふれた瞬間、オスカーの身体の熱があがったのがわかった。
 そうっと彼の雄をつかめば、その指を振りはらうように跳ねて。ジョワイユは指に力をこめ、彼を捕らえた。

「――っ、ぅう、ぐっ」
「ああ、ごめんなさい。強すぎたわね」
 
 息をつまらせたオスカーをなだめるように、頬に口付け、指の力をゆるめる。

「これくらいが、好きですよね?」

 そういって、ゆっくりと手を動かす。
 きゅっと握ったまま、根元からじわじわと扱きあげ、ぷっくりとはりだした雁首を指の輪で弾けば、オスカーは声にならない呻きをこぼした。

「ここ、好きですよね?」

 やさしく囁いて、ちゅこちゅこと扱けば、むずがるように首を振るが悪態をつく余裕はなくなったらしい。

 ――可愛い人。

 声を聞かせまいと奥歯を噛みしめ、ふうふうと息を荒げるオスカーが愛おしくて、ジョワイユは目をとじ、こてりと彼の髪に頬を寄せた。



 静かな寝室に、男の押しころした息遣いと淫らな水音が響く。

 やがて、オスカーの背が緊張をおび、手の中の雄がビクビクと震えはじめて。
 ジョワイユは彼の限界を感じとり、頬をゆるめた。

「オスカー、我慢しなくていいのですよ」

 やさしく促せば、ふれあう身体に力がこもる。
 従ってたまるかと抗うように。
 ふふ、と笑ってジョワイユは規則正しく扱いていた手に、ほんの少しのひねりを加えた。
 彼の好きなところに指が引っかかるようにと。

「――っ」

 ぐぐ、と指を押しかえすように肉がふくれた気がして、ジョワイユは手の動きを速める。

「っ、ふ、ぅうっ、いや、だっ」
「大丈夫、がまんしないで」

 ジョワイユを拒むように、オスカーは首を振る。
 それでもいずれ限界は訪れる。
 ジョワイユは焦らず、じっくりと彼を追いつめていく。
 ぎゅっと強ばった身体が、小刻みに震えはじめて。

「っ、あ、ぁあ、だめ、だめだ、ぅぅっ、」

 ひときわ大きな震えが走った瞬間。

「ゆるしてくれ……っ」

 かすれた声で何かに赦しを乞いながら、オスカーは果てた。
 ジョワイユは笑みを深めて、指に力をこめた。

「っ、ぅあっ」

 根もとから、先端まで、にちゅりと扱きあげ、ひきおろして、くりかえす。
 たまったものを一滴残らずしぼりだすように、快楽で彼の理性をかりとるように。

「っ、うう、ごめ、ゆるして、ごめんなさ……っ」
 
 そうしながら、ジョワイユは、たえだえに呟くオスカーの髪をやさしく撫でた。
 彼が求めているのは自分の赦しではないことを、ジョワイユは知っていた。

 興奮がさり、訪れる静寂。
 やがて、オスカーの唇から震える吐息と共にこぼれた言葉は。

「……ころしてくれ」

 かすれた懇願に、ジョワイユは、すんなりとした首をかしげて。

「ええ、私も愛しています」

 彼の耳元で囁き、すんと甘い愛の匂いを吸いこんだ。



 あの夜――残酷な手紙をうけとった夜、ジョワイユが父からかけられた二つ目の問い。

「彼は、あなたを愛していますか」

 そう問われ、ジョワイユは頷いた。
 手紙に記された彼の署名の残り香が教えてくれた。
 まだ、ジョワイユを愛していると。



 その匂いは、今も変わらない。

 泣きながら、罵りながら、それでも、ジョワイユを目にし、肌をあわせるときにオスカーの身体からたちのぼるのは狂おしいほどの恋慕の匂い。

 国を奪われ、手足を奪われ、人形のように弄ばれながら、それでも、オスカーはジョワイユを愛していた。

 だからこそ彼は、許しを乞う。
 国に、家族に、生まれてくることができなかった最初の子に。

『王家の婚礼は国のためにするものだ。そこに愛だの恋だのという感傷的な要素は必要ない』
『国のために生きるのが王族としての義務だ』

 十数年の昔、そういって亜人である父と人間の王女であった母の婚礼に反対したのはジョワイユの祖父――シエルカルムの先王だと聞いている。
 
『それが姫様の幸福につながらないのであれば、私はそれを許しません』

 そう言いかえしたジョワイユの父は、ひとかけらの迷いもなく、国の安定よりも愛するつがいとの未来を選んだという。

 オスカーは、どこまでも人間で、王族の男だった。
 ジョワイユとの恋よりも、国を選んでしまった。
 ほんの少し彼が勇気を出して、周囲の偏見や反対に抗い、ジョワイユへの愛と向きあい、飛びこんでくれたのならば。

 愛を捨てようとしなければ。
 愛を拒んだりしなければ。

 違う未来があったはずなのに。



 小さく震えるオスカーの背に、するりと白く細い四本の腕を回して、ジョワイユは愛しい番を抱きしめた。

「……愛しているわ。永遠に」
 
 囁いた瞬間、ぶわりと蝶が羽ばたくように、飛びちった愛の匂いが、ジョワイユの鼻腔をくすぐった。
 
「……だれがっ、おまえの愛など、いるものか。おまえのせいで、私は……わたしは……っ」

 ふ、とオスカーの声が滲む。

「いやだ。きらいだ。だいきらいだ。ばけもの。ばけものめ」

 ジョワイユは淡い笑みをたたえながら、つたない罵倒を受けとめる。
 そうして、散々なげいて、なじって、彼の息がきれたところで、オスカーの身体を四本の腕で抱えあげ、立ちあがった。

「……さぁ、着替えて、夜の礼拝にいきましょうか」

 気のすむまで、赦しをお祈りください――そう、やさしく囁けば、すすりなく男の声が夜に響いた。
 
 
 Fin
 
 
 
 
 ご読了、ありがとうございました。

 永遠の後悔と愛を抱えて苦しむ話も、たまにはいいと思います。
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