黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第三部 アストラス編~竜の血脈~

26.戻された記憶

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朝食の席ではドルトもフローリアも一緒で、それなりに和やかに話を弾ませる。

「本当にロックウェル様はお話上手ですわね。昨日クレイと話しましたが、この男は本当にただこちらの話を聞くだけでつまらなかったのですよ?」
「仕事でもないのに、好きでもない相手の興味のない話にいちいち好意的に接する気になれなかっただけだ」
「それで一流の黒魔道士なんてよく言えたものですわ。ロックウェル様を見習って、女心の勉強でもして出直してきてくださいませ」
「煩いな。大抵の女はお前ほど性格も悪くないし、仕事では困ったことはない。お前の方こそその性格を顧みないと、男の方から『ついていけない』と言ってあっさり捨てられるのがオチだぞ?」

どうにもソリの合わない二人のやり取りに、ドルトも困ったようにまあまあと宥めにかかる。

「クレイ?女性にそれは失礼だよ。慎みなさい」
「う…はい。父様」

ドルトに叱られて素直に反省するクレイにフローリアが意外だと言う顔をする。

「お父上の言う事はやけに素直に聞きますのね」

それに対しクレイは当然だと言う。

「父様のことは尊敬しているからな」
「まあそうなんですの。それなら母君の件を相談すれば宜しかったのに」

何気にグサッと刺さる一言を口にしたフローリアにドルトがギョッとして、慌ててクレイの方を見る。
けれどクレイは落ち着いた様子で短く言った。

「それは俺と彼女の問題で、父様は関係ない」
「あらそうですか。とても一人で向き合えそうには見えなかったので、優しさから言って差し上げましたのに」
「ふん。母様の記憶は今日にでもさっさと戻してくる。余計な心配は必要ない」

そんな風にどこか冷たい顔で言い切ったクレイに、ついドルトと顔を見合わせてしまった。
どうやら本気らしいクレイに一抹の不安が過ぎる。

「クレイ…それなんだが、本当に記憶を戻すつもりなのか?」

大丈夫かと尋ねると、クレイはフローリアへと向けていた表情とは違い柔らかな笑みを浮かべてくれた。

「そんなに心配しなくても大丈夫だ。あの人は繊細だから、記憶が戻ったら怖がってもう俺には近づかなくなる。最初からそうしておけばよかったのに、動かなかった俺が悪い」
「クレイ……」

そんな言葉にドルトも痛ましい表情でクレイを見やる。

クレイは“動かなかった”のではなく、“動けなかった”“自分から近づけなかった”というのが正しい。
それだけのトラウマだったのだ。
それを今回後ろ向きではあれど、正面から向き合おうとしている。
それならせめてフォローくらいはしてやりたいと思った。

「クレイ。それなら私がその場に立ち会おう」
「私も行く」

一人では行かせないと二人で言うと、クレイは困ったようにしながら過保護だなと言って薄く笑った。

「仕方がありませんわね。では温泉のお礼に私も同行いたしますわ」

けれどフローリアがそんな申し出をしたのを受け、クレイが不可解そうに首を傾げた。
あまりにも意外だったからだろう。

「え?いや、お前は来なくていい」
「いいえ。相手が女性なら私にもできる役割というものがあるかもしれませんし」

どうせロックウェルはクレイを、ドルトがミュラをという役割分担なのだろうが、相手が女性なら自分がいた方がいいとフローリアは言い切った。

「女には女にしか言えない事があったりするものです」

確かにそれはそうかもしれないと思えたので、それならこの間の謝罪をする場を設ける形で皆でレイン家へと集まるかという話でその場は収まり、それぞれ朝からまた温泉を堪能してからアストラスへと戻った。


***


その翌日、晩餐という形でレイン家本邸で一同は顔を揃えていた。
緊張するミュラにフローリアが優しげな笑みを向ける。

「ミュラ様。本日はこうして場を設けていただき感謝致します」
「いえ。私もフローリア様の大切なお子に失礼な事をしてしまい申し訳ありませんでした。この場にて深くお詫び申し上げます」
「宜しくてよ。それよりもこうしてレイン家の皆様が集まる中、快く同席させていただけて嬉しいですわ」

そうして謝罪から入った晩餐は僅かな緊張を孕んだまま、表面上は問題なく進んでいった。
和やかな世間話で当り障りなく進んでいく食事の時間─────。
その間ミュラはクレイをさり気なく気にしているようで時折チラチラと視線を送っていたが、クレイは一言も話さず黙々と食事の手を進めていく。
正直何を考えているのか全く分からなくて、どうフォローを入れるべきかわからずドルトと二人で気を揉んでしまった。

そして皆の食事が終わり、クレイがガタッと席を立ったところでミュラが何かを言おうと小さく声を上げた。

「あ…っ。その……」

けれどクレイはほぼ無表情で彼女の元へと歩を進め、その額をトンッと突いた。
それはドルトの記憶を戻した時とは違いまるで仕事ででもあるかのような素っ気なさで、そのまま踵を返して短く『先に帰る』と言われた。
それはもうここには居たくないと言わんばかりの行動で、こちらの返事も待たずにクレイはあっという間にその姿を消してしまった。
対するミュラの方を見ると、震えながら頭を抑え蒼白になってしまっている。
恐らく封じられていた記憶が一気に襲い掛かってきたのだろう。

「あ…あぁあ……」
「ミュラ」

慄くミュラにドルトが声を掛けると、ミュラはふるふると首を振りドルトの手を思い切り振り払った。

「嫌っ!わ、私は、私は悪くないッ!悪くないの!」

涙を流しながら必死に訴えるが、本心では自分の罪をわかっているからかミュラが自分からドルトの手を取ることはない。

「ミュラ!」
「私は怖かっただけ!あの子が、魔力を持って生まれてくるから悪いのよ!あんな子、生まれてこなければ良かったのに!」

そうして狂ったように叫ぶミュラにドルトが固まってしまう。
まさか当時のクレイにそんな事を面と向かって言っていたのではないかと思ったからだ。
そんなミュラにフローリアがカツカツと近づき、思い切り平手で頬を打った。

「本当に未熟な奥方ですわね」
「……!」
「今の言葉は魔力を持って生まれた我々全てに対する侮辱ですわ」

パンッ!

「これは私の分。これはルッツの分…」
「い、痛ッ…!」
「これはロックウェル様の分。それと不本意ながら幼くして我慢に我慢を重ねた馬鹿な男の分」

そうしてフローリアは一切の容赦なくミュラの頬を打ち続けた。

「う……うぅ…」

張り倒されたミュラは泣きながら床にへたり込むが、そんなミュラを見下ろしフローリアは冷淡に言い捨てた。

「痛いでしょう?でも身体に受けた痛みは回復魔法で大抵すぐに癒えますわ。けれど長年耐え続けた心の痛みはそう簡単には治療できませんのよ?面倒臭いことこの上ないのです。もし貴女が同じ言葉を親から言われたとして、貴女はショックを受けたりは致しません?魔法を使える者達の元に生まれ、どうして魔力を持って生まれてこなかった、貴女なんて産むんじゃなかった…と、そう言われ続けてそれでも歯を食いしばって耐え続けられるのですか?別に私はあの男はどうでもよいですが、魔力を持って生まれてきた私にとって、先程の言葉はとても許せる言葉ではございません。反省なさってくださいませ」
「う…ひっく……」

そうして泣き続けるミュラにロックウェルはそっと手を差し伸べる。

「ミュラ様。クレイと初めて再会した日を覚えておりますか?」

そう言ってミュラの赤くなった頬に回復魔法をかける。

「クレイは貴方に複雑な気持ちを抱えていましたが、最後はまるで許すかのように頭を下げていました」
「…………」
「記憶が戻って混乱される気持ちもわかりますが…少し気持ちを落ち着けて、クレイの事を考えてやってはいただけないでしょうか?」
「…ロックウェル様」
「ミュラ、クレイの事は君だけの責任じゃない。あの頃…目を背けて仕事に逃げた私にも責任は十二分にある。どうか許してくれ」
「貴方……」

これからのことはじっくり一緒に考えていこうとドルトが言うと、ミュラは泣きながらもそっと寄り添い、しっかりと頷いた。




それからミュラのことはドルトへと任せ、ロックウェルとフローリアは別邸へと帰った。
けれどそこにクレイの姿はなく、どこへ行ったのかとヒュースへと尋ねると以前の家で眷属や使い魔達と戯れていると教えてもらえた。
どうしても一人ではいたくなかったのだろう。

【大丈夫でございますよ。ラピス達も一緒に慰めておりますし】
「そうか」
【ああ、そう言えばリドに気づかれた時は凄かったようですよ?ラピス以上に見た目がロックウェル様そっくりだと大騒ぎで、他の二人がやきもちを焼いたとか】

何となく出そびれてまだクレイに会っていなかったリドだったが、落ち込むクレイを見て心配してそっと近づいたら『ロックウェルと瓜二つで可愛い!』と言って思い切り抱きしめられたらしい。
ちょっとどころではない羨ましさだ。
自分にだってそれくらい所構わず愛情を示してくれてもいいのに……。

「私も行っても大丈夫か?」

断られる可能性はある。
けれど言わずにはいられなかった。
そんな自分にヒュースは笑ってどうぞと言ってくれる。

【ロックウェル様はもう申し分のないクレイ様のパートナーでございます。どうぞいつでもお側にいて差し上げてください】

どうやら嫉妬で暴走したりしなくなりクレイもこちらに遠慮しなくなったことから、ヒュースからの評価がこれまで以上に良い方へと変わったようだった。

「ありがとう」

そうして心のままにクレイの元へと急いだ。


***


クレイ────それは他の誰でもない。
自分が腹を痛めて産んだ我が子だった。
強い魔力を秘めた紫の瞳を持った、王の血を引く赤子だ。

自分はただただその子が怖かった。
そしてその子に『クレイ』と名付けた夫の事を、疑うことしかできなかった。
愛した人を信じられず、愛したいのに怖くてどうしても愛せない息子が煩わしかった。
上手くいかない人生に絶望し、八つ当たりで何度も息子を傷つけた。
縋るような目に気づかぬふりをして伸ばされた手を怖いと振り払う、そんな最低な母親だったように思う。
フローリアが先程自分の頬を打った事で、自分は被害者ではなく加害者だったのだと目が覚めた気がした。
そして、ロックウェルが言っていたクレイとの再会の日のことを思い出す。

ずっと自分から目を逸らし、居心地が悪そうにしていたクレイ。
それはそうだろう。
自分を傷つけた相手に好き好んで会いたい者などどこにもいない。
けれど……クレイは別れ際、困ったような顔をしながらも、確かに自分に頭を下げてくれていた。
それはどこか許しのようで、記憶がなくとも胸が締め付けられるような気がして、思わず自分も頭を下げたのだ。
そうして願ったのは間違いなくクレイの幸せだったように思う。

クレイは自分の事を忘れさせることによって、私達夫婦に幸せを与えてくれようとしていた。
それは確かに実を結び、自分とドルトの夫婦としてのあり方を変えてくれた。
あんな目にあっても自分達の事を考えてくれたクレイは、自分が恐れていたような子供ではなく本当は優しい子供だったのだろうと思う。

けれどここでルッツの紫の瞳を見た時の事を思い出す。
叫んだ自分の姿を見たクレイが絶望的な表情で崩れ落ちていなかっただろうか?
今から思えばあれほど頑なに帰れと言ったのはルッツの紫の瞳を自分に見せたくなかったからだとよくわかる。
あの時はどうして赤子に会わせてくれないのかと悲しい気持ちになったが、それにはちゃんとした理由があったのだ。
クレイはそれをわかっていてあんな行動に出たというのに、それを自分は聞こうともせず結果的に絶望へと突き落としてしまった。
それを思い出すと涙が溢れてきてしまう。
先程自分の記憶を戻すために額を突いた彼の表情は、以前と違い何もかもどうでもいいとばかりに凍てつくように冷たかった気がする。
それも仕方のないことなのだろう。
一体自分は何度クレイを傷つければ気がすむのだろう?

「貴方……」
「なんだい?」

昔と違い、呼び掛ければちゃんと答えて自分の方を温かく見つめてくれる優しい夫。
そんなあの頃とは違う幸せに胸が詰まる。

「あの子が、結婚相手に白魔道士を選んだのは…それだけ心の傷が深かったからでしょうか?」

癒されたいと……そう思ってのことだったのだろうか?

「結婚相手が女性ではなく男性だったのも、私のせいで女嫌いになったとか…そういうことなのでしょうか?」
「……ミュラ」
「私は他にどれだけの罪を犯しましたか?私の知らないあの子を…ご存知ならどうか教えて下さい」

そうして泣きながら縋るように訴えると、ドルトはそっと自分を抱き寄せてクレイの事を教えてくれた。

家を出てから黒魔道士として頑張って独り立ちした事。
王宮にはあまり関わろうとしない事。
人付き合いがあまり上手くない事。
優しいいい子ではあるが、価値観が少々おかしい事。
けれど信頼できる親代わりの魔物達が色々フォローしてくれている事。
そして、何よりロックウェルが誰よりも愛し側で支えてくれているという事。
最近子供ができて幸せそうな事。

「魔力溜まりから生まれたドラゴンの子だけど、あの二人にそっくりで実の子と言ってもおかしくないくらい可愛いんだ」

そう言って話すドルトの顔には畏怖などの感情はなく、慈しむような感情が窺えた。
こんな姿は昔からはとても想像ができない姿だ。
きっと自分が与り知らないところでこの二人にも色々なことがあったのだろう。

「……そう、ですか。私も会ってみたいですが、きっと断られるでしょうね」

クレイの子供というのが正直実感が全く湧いてこないが、ドルトがこう言うからにはきっと可愛いのだろうと思う。

初めてレイン家の養子として赤子を迎えると聞いた時、心が弾んだ自分が居た。
その時に抱いた喜びの気持ちには何一つ嘘はなかった。
一瞬クレイの顔が浮かんだが、初対面で頭を下げていた姿が思い出されて少し話してみたい気持ちが湧いたのもある。
ロックウェルの噂は何度となく耳にしたし会った時に話す姿を見てその人となりは見て取れたが、彼のことはよく知らない。
養子になってから早一年以上が過ぎた。
折角レイン家の養子になったのだから、これを機にクレイとも少しずつでも仲良くなれたらと思った。
仕事のこと、新しく迎え入れた家族のこと、そんな他愛のない話をすれば少しでも仲良くなれる気がしたのだ。
だから珍しく行動的になって、所用のついでと言いつつ別邸へと足を向けた。
それがあんなことになるなんて思いもよらなかった。
フローリアには本当に失礼な事をしてしまったと思うし、クレイにも─────罪深い事をしてしまったと思う。
自分は本当にどこまでも愚かだった。
こんな自分に、クレイに合わす顔などあるはずもない。
けれど直接会って謝る必要はあるのではないかと…そう思う自分もいた。
だから素直にその心境をドルトへと話すと、段階を踏んではどうかと勧められた。
まずは伴侶であるロックウェルと交流を持ち、クレイの眷属と接触する。
そこから相談をして、タイミングを見計らってクレイやその子供達に接触する方向で様子をみてはと言われた。
それは確かにいきなり突撃するよりは良いように思われた。

「……クレイはもう私を許してはくれないでしょうね」

先程の取り乱す場にクレイが居なかったのは幸いだったが、それはクレイがもう自分には何一つ期待していない事を指し示していた。
これ以上居ても自分が傷つくだけだと、それも分かった上での行動だったのだろう。
それを分かった上で、記憶を戻しにきた。
それ即ち自分との決別をしに来たと同義だ。
そんなクレイに今の自分は何も言う資格はない。

「私にできる罪滅ぼしがあればいいのですが…」

そうして涙を流した自分をドルトがそっと優しく包み込んでくれたが、それを複雑な思いで受け止めてクレイに本当に悪かったと心の底から謝ったのだった。



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