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第三部 アストラス編~竜の血脈~
6.※家出
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「ドルト殿に会いたい?」
翌朝早速ロックウェルに話を持ち掛けると戸惑ったように問い返されたが、養子に迎えてもらったのだから挨拶をさせて欲しいのだと伝えた。
とは言えロックウェルが言いたいこともわからないでもない。
レイン家の養子とは言え、一応ロックウェルとクレイの子として迎える形をとっているからだ。
「仰りたいこともわかりますが、当主にご挨拶するのは当然のこと。何とか機会を作ってはいただけないでしょうか?」
「…わかりました。では今日にでも聞いてみることにしましょう」
「ありがとうございます」
そうして話が一段落ついたところで、そっとソレへと目を向ける。
ソファーの上でロックウェルに膝枕をされながら顔色悪く死んだように眠るクレイを見て、冷たい声で問いかける。
「……死んだのですか?」
「死んでませんよ?逃げられないように朝方まで調教したので、休んでいるだけです」
「そうですか。本当に黒魔道士は仕方のない生き物ですね。回復魔法も満足に使えないのに偉そうにするからそういう目に合うのですわ」
「相変わらず姫はなかなか手厳しいですね」
「あら。当然のことですわ。強き者におもねるだけでは王族としてはやっていけませんもの。それは我が国だけではなくそれこそソレーユや他の国も同じでしょう。この男にも、力に驕らせずたまにはこうして反省を促してやるのも必要なことだと思いますわ」
「同感です」
そうして白魔道士同士にこやかに話していると、クレイがピクリと反応を見せた。
「ん…」
「起きたか?」
そうして優しい手つきで頭を撫でるロックウェルをクレイがそっと見上げるが、どうやら指一本動かすのも億劫なようだった。
「ひど…い……」
ポロリと目から涙を溢すが、どうやら声も思うように出ないようで、グスグスと泣き始めてしまう。
「今日は黒衣を着せてやっているだろう?酷くはない」
「うっ…うぅ……」
「泣くな。ほら、ちゃんと回復してやるから」
そうしてロックウェルが回復魔法を唱えると、ふわりとクレイを光が包み込みたちまち回復させた。
こんなどうしようもない黒魔道士に慈悲を掛けるなんて、本当に優しい男だ。
「クレイ。ロイドのことは兎も角、仕事でソレーユに行くなら行くで、ちゃんと言ってくれたら怒らないから」
「うぅ……嘘だ」
「嘘じゃない」
「すぐに機嫌が悪くなるくせに……」
「それはお前が一言多いせいだ」
「多くない。ついでにライアード王子のところに行ってロイドの顔でも見てこようかなって言うだけじゃないか」
「……それがだめなんだが?」
目の前でどうしようもない男が失言を繰り返すのでこちらまで呆れてしまう。
「どうしてだ?シュバルツやミシェル王子の名前だったら怒らないだろう?」
「ああ。怒らないな」
「ロイドの名前だって同じなのに!」
どうやらクレイは頭のネジが一つ二つ抜けているようだ。
どうしてこんな簡単なことがわからないのだろう?
あんなにイチャイチャする間柄に会いに行くと言われて、素直に送り出せる者がいたらそちらの方が驚きだ。
本当にロックウェルが可哀想になってくるレベルでわかっていないらしい。
これでは酷い調教をされても文句は言えないだろう。
「会いたい相手の名前を口にしてるだけだろう?」
「……クレイ?」
「疚しいことがあるわけじゃないし、ただの友達なのに!」
そうして怒ってこの場から去ろうとするクレイを、ロックウェルが氷点下もかくやという冷たい声で呼び止める。
「クレイ?腰が抜けるほど魔力交流をするのも友人だからというのか?」
「そうだ!」
「……私とはそんな風に交流しないくせに、良くも言えたものだな」
「お、お前とは普通に交流してるじゃないか!それだけで十分すぎるほど気持ちいいし、その方が好きなんだから…」
「仕方がない…と?」
クレイは慄きながらもしっかりと頷いているが、そんな行為はロックウェルの感情に火をつけるだけだ。
そしてこれ以上はさすがに邪魔になってしまうだろうからと、このタイミングでさっさと離脱することにした。
わざわざ立ち会ってこの迂闊な黒魔道士の行く末を見守るほど時間を無駄にする気はない。
「ではロックウェル様、ご当主の件宜しくお願い致します」
そうしてさっさと立ち上がり、部屋の外にいた侍女を呼んで朝食を部屋に運んでもらうよう申し伝えた。
パタンと閉じた部屋の扉の向こうからは、また狂おしいほどに囀らされるであろう黒魔道士の悲痛な声が響いた。
***
「嫌…嫌だ……!」
嬌声を上げながらももうこれ以上酷い目にあわされるのはごめんだとクレイが泣くが、いつまで経っても理解しない方が問題だと思う。
「いい加減嫉妬させるのをやめれば済む話だ」
「ひっ…!」
前も後ろも玩具で苛んで魔力を流してやると悲鳴を上げるが、今日は許す気などなかった。
昨夜散々教え込んだのにもかかわらず先程のようなことを口にするなんてと怒りばかりが込み上げて、ついついいつも以上に辛く当たってしまう。
「ロックウェル…。も……許して……」
「許してもらえると思うのか?こんなに連日失言をする方が悪いだろうに」
「やぁっ…!」
どこまでも冷たくあしらい、責めの手を緩めることはなくその怒りのままに行為はどんどんとエスカレートしていく。
クレイが泣こうが喚こうが怒りは一向に収まりそうにはなかった。
けれど────それがいけなかったのかもしれない。
「うっ…も、暫く帰らない…!こんなに嫉妬するなら、一年くらい他国で働いてくるッ!」
その言葉にしまったと思った時には手遅れだった。
こちらの隙を突いて、クレイはあっという間に逃げの体制をとったのだ。
こんなことは正直言って初めてのことで、完全に想定外だった。
「ロックウェルの馬鹿!」
「クレイ!待てっ!」
慌てて拘束魔法を唱えるが、本気になったクレイを拘束することなどできはしない。
一瞬でどこかへと姿を消すクレイにやり過ぎたと反省するが、もう遅い。
「ヒュース!」
【あ~…今回ばかりは少しやり過ぎましたね。流石に飴がなく鞭ばかりだとクレイ様もお辛かったのでしょう。一週間ほど冷却時間をおいてくだされば我々の言葉も聞いていただけると思いますので、お時間を頂けますか?】
ヒュースが言うには今回クレイが口にした『一年』と言う言葉は、それだけ大きい怒りを表しているとのことだった。
【まあ離婚や一生戻らないと言われなかっただけ良かったですよ。クレイ様はロックウェル様に甘えたかっただけですから、戻ったら優しくして差し上げてください】
「……すまない」
ヒュースには本当に迷惑ばかりかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
とは言えクレイが甘えたかったと言うのは意外だ。
いつもこれといってベタベタしてくる訳でもないし、やってきても控えめに甘えてくるかあとは閨で甘えるくらいだ。
それ以外積極的に甘えてくることなどないのだが…。
そうして不思議そうに首を傾げているとヒュースにクスリと笑われてしまった。
【クレイ様は甘えるのが下手ですしね。お気づきではなかったかもしれませんが、やはりフローリア姫が来て少し不安な気持ちも出ていたようです。それに加え、先日シュバルツの発言を聞いた時に羨ましいと思っていたのも強くあるようですね】
(羨ましい…?)
シュバルツはロイドに対して言葉を紡いでいたが、その中にクレイが羨ましがるような言葉があったのだろうか?
【欲しい時に欲しいだけもらえるというのは、それだけ愛してもらえていると実感できる事。お仕置きばかりではなく、そうしてご自分もロックウェル様に沢山愛してもらいたいと思っていたところでのお仕置き続きでしたからね。不貞腐れたくもなったのでしょう】
その言葉にそうだったのかと罪悪感に侵される。
そう言えば昨日『優しくして欲しい』と言っていたような気がする。
それならそれでもっときちんと会話する時間を持てばよかった。
ただでさえクレイはずれているのだから、嫉妬にかられず落ち着いて話を聞いてやるべきだったのだ。
「すまない。…今は?」
【今は元々の家に結界を張り巡らせて泣きながら玩具を投げ捨てております。眷属達で宥めておりますが、恐らく暫くは聞く耳を持ってくださいませんね】
当然と言えば当然かもしれない。
それだけ連日冷たく蹂躙してしまったのだから。
【誰にも会いたくないと仰っていますから今回ソレーユに行くことはないでしょうが、やはり落ち着いてこちらに戻られるまでは時間が掛かりそうです】
ヒュースも今は何もできることはないと溜息を吐く。
ここでソレーユに行かなくなったのは成長と言えば成長なのだが、それ故に行動が読み難くはあった。
【それならそれで今は眷属達に任せ、今は王宮の方に目を向け、そちらのできることからなさってみれば?】
ハインツからも根回しを手伝ってほしいと頼まれたのだろうとヒュースが言ってくるので、それもそうかと大きく息を吐いた。
クレイのことは気掛かりだが、今は何を言っても互いにぶつかってしまう気がする。
暫くそっとしておくのが一番だろう。
「眷属達にはすまないと謝っておいてくれ」
【かしこまりました】
そうして去って行くヒュースにホッと息を吐くと、今度は自分の眷属へと声を掛け、王宮へと影を渡ってもらった。
***
「う…ひっく……」
【クレイ様、泣かないでください】
【そうですよ。確かに酷かったとは思いますが、ロックウェル様のいつもの嫉妬です。落ち着かれたらまた優しくしてもらえます】
「煩い!もう放っておいてくれ!」
ベッドに突っ伏して泣く主人に、どうしたものかと眷属達はオロオロしてしまう。
けれど古参の眷属達は慣れたものだ。
【クレイ様。あちらはヒュースに任せておけばいいですし、落ち着くまでは別荘の温泉にでもつかってのんびりされてはいかがですか?】
【そうですよ。どうせ何もしなくともソレーユから金銭が入ってきているようですから生活にも困りませんし、落ち着いてから好きな仕事を受けてお過ごしになれば良いのです】
「うぅ……」
【互いに時間を置けば落ち着いて見えてくることもございます。一先ずゆっくりなさってください】
【夫婦に痴話喧嘩はつきものと申しますし、今は仰られたように無理せず少し距離を置いてみましょう】
そんな言葉にクレイも少しだけ落ち着きを取り戻して行く。
【大丈夫です。クレイ様は愛されておりますよ】
【そうです。嫉妬は愛情の裏返しですから、ロックウェル様も冷静になれば優しくして下さいますよ】
「……もう呆れられてる」
【そんなことありません】
「俺がいなくてもロックウェルは他にいくらでも相手が見つかるし…一年居なかったらきっと離婚届だけ置かれてるんだ」
どうもかなり打ちひしがれてしまったらしく、ネガティブな思考に陥ってしまったらしい。
少し落ち着いたところで、自分から一年離れると言ってしまった手前余計に深みに嵌ってしまったのだろう。
冷静に考えたらそんなことをロックウェルがするはずもないのに…。
本当にどこまで自分の存在を軽く考えているのだろうか?
とは言えこの辺で方向修正しなければますますドツボに嵌っていくだけだと、古参の眷属は話を変えることにした。
【クレイ様。そう言えば以前カルトリアを調べて来いと仰いましたね】
「…?ああ」
王家や姫に問題はないか調べて来いとクレイは言い、眷属達はカルトリアを事細かに調べてきてくれた。
その情報を全て王達に話す気はないが、まあ大きな問題はないだろうと思い特に何も言わなかった経緯がある。
【その時思ったよりも仕事が早く終わりましたので、ついでに街の方も探索してきたのですよ】
「…まあ、よくあることだな」
ついでに街の様子を見て国の情勢を見るというのは定石だ。
けれどその際眷属達はクレイが好みそうな食べ物も見つけてきていた。
珍しく黒くて美味しそうな食べ物を多く見掛けたのだ。
【その時ですね、黒胡麻という物を使った饅頭や餅、イカ墨という墨を使った黒い麺料理を発見したのですよ】
そんな言葉に思った通りクレイが少し興味を示す。
これなら上手く誘導して気分を浮上させることができるかもしれない。
【気分転換にグルメツアーなどいかがです?】
【そうですよ!他にも黒ビアと呼ばれる黒いエールのようなものもありましたよ?今あちらはそこそこ暑い時期ですし、冷えた黒ビアはとっても美味しいと思います!】
「……いいな」
そんな答えに眷属達がやったとばかりに顔を輝かせる。
【そうですよね!是非行きましょう!】
【探せばきっともっとクレイ様好みのものも見つかると思いますよ】
そうして眷属達に気持ちを立て直してもらい、それならいつもと違う装いで出掛けると言ってクレイはシャワーを浴びて衣服を改めた。
それはいつものしっかりとした黒衣ではなく、どちらかと言うとかなりラフな格好だ。
マントすら今日は羽織っていない。
「向こうは暑いらしいし、これくらいがいいだろう」
黒のノースリーブにスッキリとした黒のロングパンツ。そして黒のショートブーツを履いていた。
全身ほぼ黒一色ではあるが、腰には細い革紐を無造作に巻いて財布を簡易的にさげているため、一見すると黒魔道士には見えないかもしれない。
【クレイ様はそういった服でも不思議と気品がありますね】
【攫われないように気をつけてくださいね。あの国は見目麗しい者を奴隷商人に売るなどということもあるそうですから】
そうして注意を促す眷属達に、クレイはそんなこともあるのかと興味深げだ。
アストラスや周辺国では考えにくいことではあるが、カルトリアは特殊な国だから油断はできない。
変な輩に目をつけられたらすぐさま対処が必要になるだろう。
【もちろんクレイ様が攫われたら我々一同問答無用で組織ごと壊滅させますが……】
「ハハッ…!お前達は本当に優しいな。…さっきは八つ当たりをして悪かった。お前達が側に居てくれて本当に嬉しい。ありがとう」
そうしてやっといつものように微笑んだ主人に眷属達もホッと安堵の息を吐いた。
これならもう少し落ち着けば話も聞いてもらえることだろう。
「取り敢えずオススメの店とやらに行ってみようか」
【そうですね。ではレオが見つけた店から行きますか?】
【バルナやミランが見つけた店も人気がありそうでしたよ】
そうしてワイワイと皆で揃ってカルトリアへと出掛けたのだった。
翌朝早速ロックウェルに話を持ち掛けると戸惑ったように問い返されたが、養子に迎えてもらったのだから挨拶をさせて欲しいのだと伝えた。
とは言えロックウェルが言いたいこともわからないでもない。
レイン家の養子とは言え、一応ロックウェルとクレイの子として迎える形をとっているからだ。
「仰りたいこともわかりますが、当主にご挨拶するのは当然のこと。何とか機会を作ってはいただけないでしょうか?」
「…わかりました。では今日にでも聞いてみることにしましょう」
「ありがとうございます」
そうして話が一段落ついたところで、そっとソレへと目を向ける。
ソファーの上でロックウェルに膝枕をされながら顔色悪く死んだように眠るクレイを見て、冷たい声で問いかける。
「……死んだのですか?」
「死んでませんよ?逃げられないように朝方まで調教したので、休んでいるだけです」
「そうですか。本当に黒魔道士は仕方のない生き物ですね。回復魔法も満足に使えないのに偉そうにするからそういう目に合うのですわ」
「相変わらず姫はなかなか手厳しいですね」
「あら。当然のことですわ。強き者におもねるだけでは王族としてはやっていけませんもの。それは我が国だけではなくそれこそソレーユや他の国も同じでしょう。この男にも、力に驕らせずたまにはこうして反省を促してやるのも必要なことだと思いますわ」
「同感です」
そうして白魔道士同士にこやかに話していると、クレイがピクリと反応を見せた。
「ん…」
「起きたか?」
そうして優しい手つきで頭を撫でるロックウェルをクレイがそっと見上げるが、どうやら指一本動かすのも億劫なようだった。
「ひど…い……」
ポロリと目から涙を溢すが、どうやら声も思うように出ないようで、グスグスと泣き始めてしまう。
「今日は黒衣を着せてやっているだろう?酷くはない」
「うっ…うぅ……」
「泣くな。ほら、ちゃんと回復してやるから」
そうしてロックウェルが回復魔法を唱えると、ふわりとクレイを光が包み込みたちまち回復させた。
こんなどうしようもない黒魔道士に慈悲を掛けるなんて、本当に優しい男だ。
「クレイ。ロイドのことは兎も角、仕事でソレーユに行くなら行くで、ちゃんと言ってくれたら怒らないから」
「うぅ……嘘だ」
「嘘じゃない」
「すぐに機嫌が悪くなるくせに……」
「それはお前が一言多いせいだ」
「多くない。ついでにライアード王子のところに行ってロイドの顔でも見てこようかなって言うだけじゃないか」
「……それがだめなんだが?」
目の前でどうしようもない男が失言を繰り返すのでこちらまで呆れてしまう。
「どうしてだ?シュバルツやミシェル王子の名前だったら怒らないだろう?」
「ああ。怒らないな」
「ロイドの名前だって同じなのに!」
どうやらクレイは頭のネジが一つ二つ抜けているようだ。
どうしてこんな簡単なことがわからないのだろう?
あんなにイチャイチャする間柄に会いに行くと言われて、素直に送り出せる者がいたらそちらの方が驚きだ。
本当にロックウェルが可哀想になってくるレベルでわかっていないらしい。
これでは酷い調教をされても文句は言えないだろう。
「会いたい相手の名前を口にしてるだけだろう?」
「……クレイ?」
「疚しいことがあるわけじゃないし、ただの友達なのに!」
そうして怒ってこの場から去ろうとするクレイを、ロックウェルが氷点下もかくやという冷たい声で呼び止める。
「クレイ?腰が抜けるほど魔力交流をするのも友人だからというのか?」
「そうだ!」
「……私とはそんな風に交流しないくせに、良くも言えたものだな」
「お、お前とは普通に交流してるじゃないか!それだけで十分すぎるほど気持ちいいし、その方が好きなんだから…」
「仕方がない…と?」
クレイは慄きながらもしっかりと頷いているが、そんな行為はロックウェルの感情に火をつけるだけだ。
そしてこれ以上はさすがに邪魔になってしまうだろうからと、このタイミングでさっさと離脱することにした。
わざわざ立ち会ってこの迂闊な黒魔道士の行く末を見守るほど時間を無駄にする気はない。
「ではロックウェル様、ご当主の件宜しくお願い致します」
そうしてさっさと立ち上がり、部屋の外にいた侍女を呼んで朝食を部屋に運んでもらうよう申し伝えた。
パタンと閉じた部屋の扉の向こうからは、また狂おしいほどに囀らされるであろう黒魔道士の悲痛な声が響いた。
***
「嫌…嫌だ……!」
嬌声を上げながらももうこれ以上酷い目にあわされるのはごめんだとクレイが泣くが、いつまで経っても理解しない方が問題だと思う。
「いい加減嫉妬させるのをやめれば済む話だ」
「ひっ…!」
前も後ろも玩具で苛んで魔力を流してやると悲鳴を上げるが、今日は許す気などなかった。
昨夜散々教え込んだのにもかかわらず先程のようなことを口にするなんてと怒りばかりが込み上げて、ついついいつも以上に辛く当たってしまう。
「ロックウェル…。も……許して……」
「許してもらえると思うのか?こんなに連日失言をする方が悪いだろうに」
「やぁっ…!」
どこまでも冷たくあしらい、責めの手を緩めることはなくその怒りのままに行為はどんどんとエスカレートしていく。
クレイが泣こうが喚こうが怒りは一向に収まりそうにはなかった。
けれど────それがいけなかったのかもしれない。
「うっ…も、暫く帰らない…!こんなに嫉妬するなら、一年くらい他国で働いてくるッ!」
その言葉にしまったと思った時には手遅れだった。
こちらの隙を突いて、クレイはあっという間に逃げの体制をとったのだ。
こんなことは正直言って初めてのことで、完全に想定外だった。
「ロックウェルの馬鹿!」
「クレイ!待てっ!」
慌てて拘束魔法を唱えるが、本気になったクレイを拘束することなどできはしない。
一瞬でどこかへと姿を消すクレイにやり過ぎたと反省するが、もう遅い。
「ヒュース!」
【あ~…今回ばかりは少しやり過ぎましたね。流石に飴がなく鞭ばかりだとクレイ様もお辛かったのでしょう。一週間ほど冷却時間をおいてくだされば我々の言葉も聞いていただけると思いますので、お時間を頂けますか?】
ヒュースが言うには今回クレイが口にした『一年』と言う言葉は、それだけ大きい怒りを表しているとのことだった。
【まあ離婚や一生戻らないと言われなかっただけ良かったですよ。クレイ様はロックウェル様に甘えたかっただけですから、戻ったら優しくして差し上げてください】
「……すまない」
ヒュースには本当に迷惑ばかりかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
とは言えクレイが甘えたかったと言うのは意外だ。
いつもこれといってベタベタしてくる訳でもないし、やってきても控えめに甘えてくるかあとは閨で甘えるくらいだ。
それ以外積極的に甘えてくることなどないのだが…。
そうして不思議そうに首を傾げているとヒュースにクスリと笑われてしまった。
【クレイ様は甘えるのが下手ですしね。お気づきではなかったかもしれませんが、やはりフローリア姫が来て少し不安な気持ちも出ていたようです。それに加え、先日シュバルツの発言を聞いた時に羨ましいと思っていたのも強くあるようですね】
(羨ましい…?)
シュバルツはロイドに対して言葉を紡いでいたが、その中にクレイが羨ましがるような言葉があったのだろうか?
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その言葉にそうだったのかと罪悪感に侵される。
そう言えば昨日『優しくして欲しい』と言っていたような気がする。
それならそれでもっときちんと会話する時間を持てばよかった。
ただでさえクレイはずれているのだから、嫉妬にかられず落ち着いて話を聞いてやるべきだったのだ。
「すまない。…今は?」
【今は元々の家に結界を張り巡らせて泣きながら玩具を投げ捨てております。眷属達で宥めておりますが、恐らく暫くは聞く耳を持ってくださいませんね】
当然と言えば当然かもしれない。
それだけ連日冷たく蹂躙してしまったのだから。
【誰にも会いたくないと仰っていますから今回ソレーユに行くことはないでしょうが、やはり落ち着いてこちらに戻られるまでは時間が掛かりそうです】
ヒュースも今は何もできることはないと溜息を吐く。
ここでソレーユに行かなくなったのは成長と言えば成長なのだが、それ故に行動が読み難くはあった。
【それならそれで今は眷属達に任せ、今は王宮の方に目を向け、そちらのできることからなさってみれば?】
ハインツからも根回しを手伝ってほしいと頼まれたのだろうとヒュースが言ってくるので、それもそうかと大きく息を吐いた。
クレイのことは気掛かりだが、今は何を言っても互いにぶつかってしまう気がする。
暫くそっとしておくのが一番だろう。
「眷属達にはすまないと謝っておいてくれ」
【かしこまりました】
そうして去って行くヒュースにホッと息を吐くと、今度は自分の眷属へと声を掛け、王宮へと影を渡ってもらった。
***
「う…ひっく……」
【クレイ様、泣かないでください】
【そうですよ。確かに酷かったとは思いますが、ロックウェル様のいつもの嫉妬です。落ち着かれたらまた優しくしてもらえます】
「煩い!もう放っておいてくれ!」
ベッドに突っ伏して泣く主人に、どうしたものかと眷属達はオロオロしてしまう。
けれど古参の眷属達は慣れたものだ。
【クレイ様。あちらはヒュースに任せておけばいいですし、落ち着くまでは別荘の温泉にでもつかってのんびりされてはいかがですか?】
【そうですよ。どうせ何もしなくともソレーユから金銭が入ってきているようですから生活にも困りませんし、落ち着いてから好きな仕事を受けてお過ごしになれば良いのです】
「うぅ……」
【互いに時間を置けば落ち着いて見えてくることもございます。一先ずゆっくりなさってください】
【夫婦に痴話喧嘩はつきものと申しますし、今は仰られたように無理せず少し距離を置いてみましょう】
そんな言葉にクレイも少しだけ落ち着きを取り戻して行く。
【大丈夫です。クレイ様は愛されておりますよ】
【そうです。嫉妬は愛情の裏返しですから、ロックウェル様も冷静になれば優しくして下さいますよ】
「……もう呆れられてる」
【そんなことありません】
「俺がいなくてもロックウェルは他にいくらでも相手が見つかるし…一年居なかったらきっと離婚届だけ置かれてるんだ」
どうもかなり打ちひしがれてしまったらしく、ネガティブな思考に陥ってしまったらしい。
少し落ち着いたところで、自分から一年離れると言ってしまった手前余計に深みに嵌ってしまったのだろう。
冷静に考えたらそんなことをロックウェルがするはずもないのに…。
本当にどこまで自分の存在を軽く考えているのだろうか?
とは言えこの辺で方向修正しなければますますドツボに嵌っていくだけだと、古参の眷属は話を変えることにした。
【クレイ様。そう言えば以前カルトリアを調べて来いと仰いましたね】
「…?ああ」
王家や姫に問題はないか調べて来いとクレイは言い、眷属達はカルトリアを事細かに調べてきてくれた。
その情報を全て王達に話す気はないが、まあ大きな問題はないだろうと思い特に何も言わなかった経緯がある。
【その時思ったよりも仕事が早く終わりましたので、ついでに街の方も探索してきたのですよ】
「…まあ、よくあることだな」
ついでに街の様子を見て国の情勢を見るというのは定石だ。
けれどその際眷属達はクレイが好みそうな食べ物も見つけてきていた。
珍しく黒くて美味しそうな食べ物を多く見掛けたのだ。
【その時ですね、黒胡麻という物を使った饅頭や餅、イカ墨という墨を使った黒い麺料理を発見したのですよ】
そんな言葉に思った通りクレイが少し興味を示す。
これなら上手く誘導して気分を浮上させることができるかもしれない。
【気分転換にグルメツアーなどいかがです?】
【そうですよ!他にも黒ビアと呼ばれる黒いエールのようなものもありましたよ?今あちらはそこそこ暑い時期ですし、冷えた黒ビアはとっても美味しいと思います!】
「……いいな」
そんな答えに眷属達がやったとばかりに顔を輝かせる。
【そうですよね!是非行きましょう!】
【探せばきっともっとクレイ様好みのものも見つかると思いますよ】
そうして眷属達に気持ちを立て直してもらい、それならいつもと違う装いで出掛けると言ってクレイはシャワーを浴びて衣服を改めた。
それはいつものしっかりとした黒衣ではなく、どちらかと言うとかなりラフな格好だ。
マントすら今日は羽織っていない。
「向こうは暑いらしいし、これくらいがいいだろう」
黒のノースリーブにスッキリとした黒のロングパンツ。そして黒のショートブーツを履いていた。
全身ほぼ黒一色ではあるが、腰には細い革紐を無造作に巻いて財布を簡易的にさげているため、一見すると黒魔道士には見えないかもしれない。
【クレイ様はそういった服でも不思議と気品がありますね】
【攫われないように気をつけてくださいね。あの国は見目麗しい者を奴隷商人に売るなどということもあるそうですから】
そうして注意を促す眷属達に、クレイはそんなこともあるのかと興味深げだ。
アストラスや周辺国では考えにくいことではあるが、カルトリアは特殊な国だから油断はできない。
変な輩に目をつけられたらすぐさま対処が必要になるだろう。
【もちろんクレイ様が攫われたら我々一同問答無用で組織ごと壊滅させますが……】
「ハハッ…!お前達は本当に優しいな。…さっきは八つ当たりをして悪かった。お前達が側に居てくれて本当に嬉しい。ありがとう」
そうしてやっといつものように微笑んだ主人に眷属達もホッと安堵の息を吐いた。
これならもう少し落ち着けば話も聞いてもらえることだろう。
「取り敢えずオススメの店とやらに行ってみようか」
【そうですね。ではレオが見つけた店から行きますか?】
【バルナやミランが見つけた店も人気がありそうでしたよ】
そうしてワイワイと皆で揃ってカルトリアへと出掛けたのだった。
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