黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第二部 ソレーユ編~失くした恋の行方~

43.コンプレックス

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アルバートがずっと…騎士として自分を守りたいと願っていることを知っていた。
それは最初から感じていたことだし、気持ちを伝えてくれた時にも『やはり』と強く感じた。
自分を想ってくれている気持ちが嬉しくて…愛されているのが伝わってきて、すごくすごく嬉しかった。
けれど────同時にこの幸せを失いたくなくて、どこかで見て見ぬ振りをする狡い自分がいた。

気持ちが通じ合って長年のすれ違いが解消され、やっと恋人同士になった自分達。
互いの立場は『皇太子』と『騎士』。
騎士であるアルバートが自分を守りたいと願うのは当然と言えば当然だった。

けれど胸をよぎるのはいつだってジャスティンの息絶える時の姿────。
あんな風にいつかアルバートも死んでしまうのではないか?
この幸せが淡雪のように消えてしまう日が来るのではないか?
そんな不安が常に胸の中にあった。

だから…ライアードからのお抱え白魔道士の話は正直渡りに船だった。
これ幸いとこれまで通りアルには騎士団に行かせ、日中の護衛はステファンに頼むからと言っていた。
何と言っても白魔道士の防御力は高い。
アルバートに心配はいらないと言いやすかったし、これならもし刺客が来てもアルバートが自分を庇って死ぬということもない。
そう思っていた矢先での先日の襲撃────。

倒れ伏したステファン。
吹き飛ばされるシリィ。
白魔道士とは言え万能ではないと思い知らされた。
騎士だろうと魔道士だろうと、自分の側にいる者は常に危険に晒される。
それを改めて感じさせる出来事だった。

自分が守られるべき立場なのだと…そんなことは嫌と言うほどわかってはいるが、自分のせいで誰かが傷つき、死んでいくのは耐えられなかった。
人によっては甘い考えだと鼻で笑うだろう。
それでも皇太子なのだからおとなしく守られるべきだと諭すだろう。
けれど────割り切れない気持ちがそれをどうしてもよしとはしてくれなかった。

(皆が皆、殺しても死ななさそうなロイドのように図太くて強かったら私も割り切れるんだがな……)

不意にそんな風に考え自嘲してしまう自分がいる。
けれどそう願っても大抵の者は平等に弱いものだ。
自分が守れるものなら守りたいと思う。
だから先程庇ってくれた官吏達にも下がるようにと言って前に出た。

自分が攫われるのが決定事項なのであれば……その先に安全が待っていると予めわかっているのならば、ここで下手に怪我人を出すべきではないと思った。
そんな自分にライアードが怒っているのは当然気づいていた。
けれどこれが自分なのだ。

心弱い自分を変えるべきだとは思う。
それでも…誰も死なせたくないと願う気持ちだけは忘れたくはなかった。


『ミシェル様は本当にこの国がお好きなのですね』


遠い昔にジャスティンが温かい眼差しで自分を見つめそう言った。
小高い丘に馬で遠乗りし、街を一望しながら民の生活について語り合っていた時だっただろうか?
その時は、貧しい者達の生活を改善するために各教会脇に国営の機織り工場を作ってはどうかと提案したような気がする。
それぞれオリジナルの布を織って売り出せば各所で利を上げることができ、孤児や貧しい人々も安定した収入を得ることができるかもしれないと…。
他にも利益が上がりそうな話を色々とし、あれから数年……そのいくつかは既に実行されている。

もうあの頃のようにキラキラとした目で語り合う相手は傍にはいなくなってしまったけれど、自分のことをわかってくれる優秀な側仕えはいてくれるためそうした仕事の数々で困ることはない。
そうした仕事の中で考えるのはいつだって人の命の尊さだ。

ジャスティンが亡くなってからも沢山のことを考えた。
そして、王や皇太子あっての国ではなく、やはり民あっての国だろうという結論に至った。
だから民を守ることこそがひいては皇太子の仕事だと思った。

国の発展も大事だとは思うが、貧しい者達には積極的な対策が必要だと考え、まずはそんな彼らの生活の充実を図るために堅実にここ数年取り組んできた。
国をよりよくするためにと父王が大胆な政策を打ち出し、各国との繋がりを大事にしていたのも知っている。
自分にも広い視野を持ち、他国に実際に足を運んでほしいと思っていることだってちゃんとわかっている。
けれど自分はそれほど器用ではないから、まずは目の前のことからコツコツとこなしてきたのだ。
時間のかかる外交など他の者に任せればいい。
それよりももっと勉強して自分の目の前にいる民のためにできることを考え、より早く結果の出る行動を起こしたかった。
リスクがあるものには手を出さず、けれど確実に成果の出るものには時間を割いて。

その甲斐もあってこの数年で国内の失業率は大幅に減少させることができた。
民を守り、飢えることなく日々を過ごさせたい。
その命をできる限り不当に散らせたくはない。
それはジャスティンの命を散らせてしまった償いの日々でもあった。

人の命はとても儚くて、一度失ったら二度と戻ってはこないものなのだと絶望と共に肌で感じたあの日…自分の中に死への恐怖が生まれた。
その時感じた恐怖が未だに自分の心を縛り付けている。
消えゆく体の熱を…零れゆく命の雫を…あの失われていく命と共に感じられる腕の中の重みを、もう二度と感じたくはなかった。
それが愛するアルバートであったなら絶対に気が狂ってしまうだろう。
だから…先程助けたいと必死に飛び込んだのは間違ってはいないと思う。

けれどアルバートの悲痛な顔を見て、知ってしまった────。
それはただのエゴに過ぎなかったのだと。

残された者の痛みを自分は誰よりも知っているはずなのに、アルバートにまたそれを味合わせる行動をとってしまったのだと気が付いた。
しかも彼の騎士としての役割を…不当に扱ってしまった。
主人を守ってこその騎士を逆に庇う主人などあってはならないことだ。
クレイの魔法によって自分が傷つくことはなかったが、いくらアルバートを失うのが怖かったからと言ってあの行動はすべきではなかったと反省してしまう。
それに加え自分を守ろうとしてくれたアルバートを非難するのは間違った行為だった。
あれでは騎士であるアルバートの立場がないではないか。

けれど同時に間違ってはいないと自分の中で声高に叫ぶ声がした。
アルバートが死ねば自分が生きていられないということもまた事実だったから。

相反する感情が自分の中でぐるぐると渦を巻き、どうすることが正解なのか答えを見失う。
自分の中で公私が分けられない。

そんな微妙な空気が流れたところで、思いがけずクレイの使い魔が動いてくれた。
しかもクレイはその使い魔の話を聞き、アルバートに魔法を掛けてくれたのだ。
単に自分の使い魔がお願いをしに来たからと言うだけの理由で────。

それはただの防御魔法ではなかった。
そもそもが一般的な防御の魔法は数回の攻撃で壊れるのが普通だ。
魔法に特化させたり、物理に特化させたりすれば多少の耐久性は変わったりもするが、ただそれだけだ。
けれどそれとは遥かに性能が違う防御魔法をクレイはあっさりと使ってくれたのだ。
自分にもかけてくれていたからその魔法効果が相当高いと言うことはわかっている。
それをなんの躊躇もなくアルバートへと掛けてくれた。
それが嬉しかった。

こんな魔法をソレーユの王宮魔道士に頼もうにもまず無理な話で……。
一体この魔法の市場価値はどれほどのものなのだろう?
正直片手間に掛けてもらえるような類の魔法ではない。
しかもこの魔法を自分で作ったとまで言っていた。
それだけでも恐ろしい実力の持ち主だということがよくわかる。
さすがアストラスの王族の血を引くだけのことはある。
ロイドと対等に語り合えるのもわかる気がした。

しかもそればかりではなく、クレイはついでとばかりにアルバートの剣にまで魔法を掛けていってくれたのだ。
正直そんなことが可能なんて思いもよらなかった。
魔法攻撃も物理攻撃も効かず、且つ剣で魔法を切り裂き攻撃に転じることまでできるなんて────。
それこそ世界の常識が変わるほどの魔法だ。
クレイ本人が意識していなかったとしても、あの場にいた誰もが驚いたことだろう。
そんな状態で、アルバートが自分の護衛を嬉々として提案してこないわけがなかった。

自分はアルバートには安全な場所で笑っていてほしかった。
けれどずっと……自分の側にいてほしかった。
それは矛盾しているようで、両方共に叶えたい願いだった。
けれどそれはアルバートがただの騎士である限り叶うはずのない願い。
彼を絶対に死なせたくはないから、自分がその願いを口にすることはなかった。

それなのに、クレイはそんな願いを意図せず叶えてくれたのだ。
きっとそれはアルバートの願いを叶えることと同様で────。
自分が叶えてやれなかった願いを叶えてくれたクレイに、感謝の気持ちばかりが募った。

「ミシェル様。どうか私にミシェル様の専属騎士のお許しを頂きたく存じます」

アルの口から紡がれたそんな言葉に涙がこぼれそうになる。

「常に側にあり、貴方を守り通す剣となる栄誉を私にお与えください」

『騎士として側にいたい』『貴方を守り通したい』────そんな願いの込められた言葉に、これまで自分が無視し続けていたアルバートの全てが込められている気がした。
だから……ここは恋人としてではなく、皇太子としてしっかりと答えねばと口を開いた。

「アルバート…」

緊張と至らない自分の弱さへの申し訳なさから声が震えてしまう。
けれどアルバートの気持ちをきちんと受け入れてやりたいと思った。

「お前に…私の護衛を命じる。常に側にあり、常に…その持ちうるもの全てで私の身を守れ」

第三者の手を借りないとこの言葉を言ってやれない自分が情けなく、弱い自分ですまないと思った。
そんな自分に、アルバートがどこか晴れ晴れとした顔で笑ってくれた。

「ミシェル様に、私の持ちうる全ての愛と、永遠の忠誠をお捧げ致します」

そんなどこか誇らし気な答えに胸が痛む。
そしてそれと同時に本当に心の底から強い自分に変わりたいと願い、泣きそうになりながら静かに踵を返した。


***


去っていく兄の姿を見遣り、ライアードは大きなため息をついていた。
アルバートを専属騎士に任命するのに何をあんなに泣きそうになっているのか。
クレイに安全を確保してもらったことだし、本人が望んでいるのだから笑って許してやればいいだけの話ではないか。
何を躊躇う必要がある?
何をそんなにぐるぐる考えているのかは知らないが、あんな兄には本当にイライラして仕方がなかった。

(久しぶりにイラついたな)

ここ最近はこれほどイラつくこともなかったのにと思わず拳を握ってしまう。
いっそあの綺麗な顔をグチャグチャにできたらすっきりするだろうに……。

(いや。それはそれでイラッとしそうだな)

しっかりしろと怒鳴りつけたくなりそうだ。
後でロイドに綺麗な壺でも用意してもらって叩き割ってやろうと思いながら一応フォローだけは入れておくことにした。

「アルバート」
「はっ…」
「どうせ今頃兄上はつまらないことをうじうじと考えすぎているだろう。後のことはお前に一任する。騎士団や父上には私の方から話を通しておくから、今すぐ兄上の専属騎士としての職務へと就くように」
「はっ…かしこまりました」

そうしてアルバートの背を見送っていると、そっとシリィが寄り添ってくれるのを感じた。

「シリィ?」

一体どうしたというのだろう?
そう思っていると、シリィが徐に口を開いた。

「ライアード様って実はミシェル様へのコンプレックスが凄いんですね」

そんな言葉に思わず目が丸くなってしまった。
どこをどう見たらそんな風に見えるのだろうか?
そう思ったのが顔に出たのだろう。
シリィがくすくすと笑いながらどこか楽し気に言葉を紡いでくる。

「だって凄い目で見送っていましたよ?びっくりはしましたけど、いいじゃないですか。隠さなくても。私はそういうライアード様も、とっても人間らしくていいと思います」

正直何がいいのかさっぱりわからない。
何故自分があんなどこか甘くて弱いミシェルにコンプレックスを感じなければいけないのか…。
けれどそんな自分に構わずシリィは優しく微笑んだ。

「人は自分にないものを持つ人にコンプレックスを抱くものです。だからミシェル様もライアード様にコンプレックスを抱いているでしょうし、ライアード様もミシェル様にコンプレックスを抱いても何もおかしくはないじゃありませんか。多分ミシェル様に対して引っ掛かる部分がライアード様が持ちたくても持てない部分だってことなんでしょう。私が見る限り、ミシェル様は色々思い悩んで葛藤なさっているようでした。でもきっとライアード様は頭が良すぎて、理解して諦めるのが早いからそんなミシェル様にイライラしてしまうんでしょうね」
「…………」

そんなシリィからの言葉がやけに真っ直ぐに胸を突く。
きっと他の誰に同じことを言われようと、何を馬鹿なことをと一笑に付し一刀両断にしただろう。
けれど、彼女の口から紡がれるその言葉は極自然に語られているせいか、妙に自分の心に響くような気がした。

いつまでも諦めない、変わらない兄。
そんな兄が腹立たしいと同時に自分は少し羨ましかったのかもしれない。
いつまで経っても王宮の汚濁に染まり切らないそのミシェルの思考はいっそ見事とでも言うべきだろうか?
みっともなく理想に縋りつく姿に、ああはなりたくないと思いながらもどこか眩しく感じてしまう自分が悔しくもあった。
そんな自分に気づかせてくれた目の前の婚約者にそっと目線をやると柔らかな笑みが返ってきて、なんだか先ほどまでのイライラがどこかへと飛んで行くような気がした。

「……シリィ。この後少し時間を貰えないか?」

だからふと、兄に対する自分の気持ちをシリィに話してみようかという気になった。
誰にも…それこそロイドにも話したことがない話。
如何にこれまで理不尽な思いを抱えてきたか。
如何にミシェルのことが気に入らず腹立たしく思ってきたか。
けれど…どうしても切り捨てられないこの気持ちを────彼女なら全部聞いてくれるような気がした。

それは自分の弱さを晒してしまうことになるだろう。
それでも、初めてそうしてもいいような気持ちになれた。
そうしてそっとシリィの方を窺うと、彼女はどこか嬉しそうにしながら頷いてくれる。

「もちろんです♪」

こうして心穏やかに見つめられる相手がいることが信じられない。
ロイドとはまた違った、自分の大切な婚約者。

(ああ…初めてかもしれないな)

先程ミシェルがアルバートを庇おうとした時、何を馬鹿なことをと思ったものだが……今ならあの時のミシェルの気持ちがよくわかる。
大事な人を失いたくないと思ったら、きっと立場などを考えるよりも先に体が動いてしまうものなのだろう。
確かに愚かな行為だが、もしもシリィが同じ立場なら自分もまた動いてしまいそうだとなんだか妙におかしくなってしまった。

そして後のことをロイドや他の者に任せてそのままそっと笑顔でシリィの手を取る。

「行こうか」
「はいっ!」

自分達の結婚式まであと少し────。
それまでに騒ぎを収めることができるだろうか?
大事なシリィを巻き込むことなくサティクルドの企みを潰せるよう後で作戦も練らなければと思いながらも、ひと時の安らぎの時間を得るためライアードは執務室を後にしたのだった。



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