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第二部 ソレーユ編~失くした恋の行方~
30.ざわめき
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「はぁ…驚いたな」
アルバートの背を見送ってシュバルツは隣を歩くロイドへと溜息交じりにその言葉を溢した。
「ミシェル王子か?」
「ああ。いや、昨日取り乱すところも初めて見たけど、さっきのはなんと言うかこう…」
そう。これまでのどこか悲壮感漂う感じが全て洗い流されて、キラキラと内から輝いているような────そんな感じだったのだ。
アルバートはそんなミシェルに翻弄されるほど魅了されているようだったが、気持ちもわからないでもない。
あれには皆が驚くのではないだろうか?
これまでの硬質な空気が和らぎ、否応無く目を引かれてしまう美しさだ。
「まあこれまでの10年近い想いが叶って幸せになったからなんだろう。随分人間らしくなったものだ。これでアルバートに目がいって、こちらに構ってくることも減るだろうな」
そうやって溢したロイドにシュバルツは思わず首を傾げてしまった。
「ロイド…もしかして楽しんでた?」
けれどロイドの返答は実にあっさりしている。
「別に。暇つぶしとしてはなかなか面白かったし、それを使ってどうあの王子を成長させようかとライアード様と企むのも楽しかったが、それだけだ」
「酷いな……」
聞くんじゃなかったと少しミシェルに同情してしまうが、対するロイドはどこか楽しげに語った。
「そうか?どこもそうだとは思うが王宮内は歪んでいて面白い。ミシェル王子のあれもその一部だ。私はこれからもここで踊り続ける輩を観察しながらライアード様の側に居続けたいと…そう思っている」
「わかってる。悪趣味だとは思うがそれくらいでないと王宮には住めないし、ロイドが今の仕事を気に入ってるのも知っているしな。トルテッティに行こうと誘うつもりはない。むしろこれからも傍に居させて欲しいと頼むのが自分の立場だと承知しているつもりだ」
「物分りが良くて助かる。まあ今回の件をチラつかせて賭けはなかったことにするとライアード様も仰っていたし、ミシェル王子の件は大丈夫だろう」
そんな返答に安堵しながら、シュバルツはこうしてロイドと並んで歩くのはやっぱり嬉しいなと小さな幸せを堪能した。
***
シリィはその日の朝、考え事をしながら王宮内を歩いていたのだが、前からやってくる人物の姿を見て思わず目を瞠ってしまった。
それはライアードの兄だったのだが、いつもにも増してその麗しさが際立ちキラキラと眩しく輝いて見えた。
(ふわわっ…!す…凄い…)
美形など見慣れている自分でも今日のミシェルは思わず見惚れてしまうほどの美しさだった。
一体何がそうさせるのだろうと思いつつ回廊脇へと下がり礼を執っていると、ふと彼の足が目の前で止まった。
「シリィ=ラークだったな?」
「は、はい!アストラスから参りました白魔道士、シリィにございます」
そうして頭を下げながら挨拶をしていると、面を上げよと言われたので恐る恐る頭を上げて彼の方を見た。
そこにあるのは相変わらず人形のように整った美しい顔────。
「弟とは上手くやっているか?」
「え?あ、は、はい!」
「そうか。あれは策略家なところはあるが昔から私を支えてくれる良い弟だ。何かあっても信じて側で支えてやってほしい」
そんな言葉に思わず感激してしまう。
これまで全く接点はなかったし、冷たく近寄りがたい空気を纏っているので怖い人なのだとばかり思い込んでいたがどうやらそう言うわけではなさそうだった。
「はい。誠心誠意お仕えさせていただきます」
「よろしく頼む」
そしてまたコツコツと足音高く去っていく姿に物凄い目の保養だったなと思いながら先程の言葉を思い返す。
(ライアード様は策略家…か)
まあそうなんだろうなとは思っていたが、ミシェルの口から聞くと何故か微笑ましく感じられる気がした。
恐らくその口調がどこか優しく感じられたからだろう。
この王宮に来てライアードは自分には優しく接してくれるし、その態度は一貫して甘い。
ちゃんと向き合うようになってから、大切にされてるんだなと実感している自分がいた。
けれど姉の水晶化の件もあるので当然ただの善人だとは思っていない。
きちんと向き合うと決めたからにはライアードの良い面も悪い面もちゃんと見ようとは思っている。
だからこそさり気なくライアードの仕事ぶりなどを覗きに行くこともあるのだが、そこでのライアードは自分の前にいる時とはまるで別人だった。
それは決して悪い意味ではなく、甘さなど一切なくテキパキと効率よく仕事をこなし、必要があればすぐさま動く行動力は素晴らしいの一言だ。
まさに『できる男』と言ったところ────。
とは言えそれ故に煙たく思う相手もいるように見受けられた。
(まあでも王宮ってそういうものよね)
そうやってどこも同じだなと思いながらライアードを見つめ、仕事をしている姿に思わず見惚れてしまった事は実は一度や二度ではない。
こうして少しずつライアードのことを知って、尊敬すべきところを見つけたり、好きだなと思うところもあったり、逆にあそこはダメでしょと思ってしまうところ等色々見ることとなった。
その中で徐々にではあるが自分の中で変化も多々あったのだが、それを本人に伝えたことは未だない。
一度だけ自分の気持ちを口にしようと思ったことはあるのだが、何故か上手くタイミングを掴むことができなかったのだ。
だからもうそれは横に置いておいて、現在はもう少し自分なりにライアードを知って、もっと好きになっていけたらなと思っているところだ。
そして、ずっと悩んでいた『初めて』のこと────。
正直恥ずかしい気持ち半分、不安半分と言った感情は未だに拭えないが、ライアードと口づけをするようになってからその感情はだいぶ薄くはなってきている。
それと言うのも口づけの回数自体もなんだかんだと増えてきたからだ。
朝夕の口づけは軽いものではあったが慣れるには十分なもので、今はそれ以外にも気づけばそっと口づける回数が増え、時にそれは深い口づけへと変化していた。
それ自体は決して嫌なものではなく、いつの間にか酔わされていると言っても過言ではない。
そんなことが積み重なって、最近ではもう身を任せてもいいかなと思えてきていた。
(結局流されてるような気がしないでもないけど…私ってできる男性に弱いところがあるのよね…)
恋心とは違うのだが、アストラスにいた時もロックウェルについたばかりの頃、その仕事ぶりに見惚れることが多かった。
彼はテキパキと仕事を割り振り自分の目的(主に女性関連)のために時間を作るのが上手かったのだが、基本的に叱責の時以外は部下には優しいし融通もきかせてくれる良い上司だった。
憧れるなと言う方がおかしい。
(まあ…クレイと付き合いだしてから嫉妬全開でちょっと壊れ気味だったけど……)
そう考えると恋とは怖いものなのだなと思えて仕方がない。
あのロックウェルでさえあれほどまでに振り回されるのだから────。
それによく考えたら自分も相当暴走していたように思う。
あの百戦錬磨にライバル心を燃やすなどどうかしていたとしか考えられないだろう。
それに気づけただけ、やっと失恋から抜け出せたのかなと思えるほどには気持ちの整理ができている今がある。
(これも…ライアード様のお蔭なのよね)
あのアストラスでのプロポーズの日。ライアードに話を聞いてもらえたからこそいつまでも引きずらずに済んだんだろうなと思うと、ありがたい気持ちでいっぱいだ。
これはあの焦がれるような恋心とは少し違うような気がするのだが、それでも────それはどこか恋の芽生えのように感じられた。
***
「ミシェル様?」
「え?」
「本当に?」
なんだか今日はやけに自分の周りがざわついているような気がするが、気のせいだろうか?
「ミシェル様。本日はこちらを」
「ああ。そこに置いておいてくれ」
「ミシェル様。お茶をお淹れしました」
「ああ。ありがとう」
そうやっていつも通りにしているつもりなのだが、なんだか今日はいつも以上に皆が積極的に動いてくれて仕事が捗る気がする。
一体どうしてだろう?
皆何か良いことでもあったのだろうか?
(まあいいか……)
何はともあれ仕事が捗るのは良いことだ。
そこで余裕ができたので、ふと保留にしていた案件の方に目が行った。
これらはこれまで『良い政策のような気はするがリスクもあるから保留にしていた』と言う類のもので、特に緊急性等はない案件ばかりだ。
所謂塩漬けにしていたものとも言える。
それらに改めて目を通してふむと考えた。
(これとこれは…地方と協力すれば可能そうだな。こちらも…財務大臣と交渉して上手く取り計らえば予算が取れるかもしれない)
いずれもこれまで積極的にやってみようとは思わなかった案件だが、今日は何故か動いてみてもいいかもしれないと思える自分がいた。
もしかしたら皆が積極的に動いている姿に触発されたのかもしれない。
確かに内容的にリスクもあるものではあるが、フォローできる範囲で今なら上手く調整ができそうな気がする。
だからそのまま自分の中でビジョンを明確にし、ある程度すべき事をまとめて動くことにした。
ガタッと席を立ち軽やかに動き出した自分に周囲がまたどよめくが、皆何をそんなに驚いているのだろうと不思議に思えて仕方がない。
別に動くこと自体がおかしなことでもないだろうに……。
そうして回廊を歩き目的の場所へ向かっていると、そこに第一騎士団団長がいつものようにご機嫌伺いで姿を見せた。
「ミシェル様。アルバートはご迷惑をお掛けしておりませんでしょうか?」
そんな言葉に思わず頬が緩むのを感じる。
迷惑など掛かってはいないし、寧ろこうして仕事に励めるのもアルバートが癒してくれているからとも言えるのに……。
「アルバートにはいつも気持ちをほぐしてもらい感謝している。ああ、そうだ。今度会議の場を持ち、具体的にこれからの騎士団の在り方についても話し合い見直しを行いたいと思う。何か改善して欲しい事があればこれを機になんでも申してみよ。全ては叶わぬとも検討はさせてもらい父上にも話を通そう。できることについては順次受け止め実行していきたいとも思っている。追って内容を報告してくれ」
「そ…それはミシェル様の護衛なども含め務めさせていただけると…そう考えても…?」
「そうとってもらっても構わない。お前達さえ私に仕えたいと思ってくれるのなら提案書に一言添えておいてくれるか?」
「……!!う、嬉しゅうございます!すぐに意見を集め取りまとめてまいります!」
そうして喜び勇んで帰っていった騎士団長を見送り、さっさと用を済ませてまた執務室へと戻り書類へと順次目を通す。
この分なら午後から訓練中のアルバートの姿を僅かなりとも見に行けるかもしれない。
そう考えるだけでなんだか嬉しくなってふっと思わず微笑んでしまったのだが、何故かまた周囲にどよめきが走ったので何かあったのかと顔を上げてしまった。
「……?」
けれどそこには慌てたように忙しそうに仕事をこなす官吏達の姿があるばかり。
そうしてよくわからぬまま首を傾げていると、ライアードがやってくるのが目に入った。
やり方はどうあれライアードには昨日世話になったことだし、改めて礼を述べたいと思っていたので手短に礼を伝えることにする。
結局のところアルバートとの仲が上手くいったのはライアードのお蔭だったと言うことに違いはないのだから────。
「ライアード。昨日は…世話になった」
そうして口を開いた自分にライアードが何故か目を瞠ったが、すぐに笑みをたたえて『お役に立てて光栄です』と返してきた。
「白魔道士も探してくれていると聞いた。シュバルツ殿には連日世話を掛けて申し訳ないと思っていたから正直助かる」
「……そうですね。それに関しては少々条件を追加せねばならないようなので、暫しご猶予を」
「……?お前に任せる」
「はい。お任せ下さい」
何やら含む言い方ではあるが特に悪意もなさそうだったのでそのまま流し、要件を尋ねた。
「それで?今日の用向きはなんだ?お前のお抱え魔道士に関する例の件か?」
「……はい」
思った通りの内容に小さく息を吐くが、これは飲まねばならないだろうなと思った。
「お前が言い出した賭けではあったが、シュバルツ殿にはすでに話をした上で断られているし、世話になったのに無理強いするほど私は愚かではないつもりだ。ロイドも……嫌いではあるが、シュバルツ殿から訊いた新たな見解もあることだし、これから少しくらいは見方を変えてやってもいいと考えている」
その返答はライアードにとっては意外だったのか珍しく目を丸くしていた。
「お前が意外だと思う気持ちもわかるが、何故か今日は仕事も捗って気分も良い。私の気が変わらないうちに引いておけ」
「ありがとうございます」
そして苦笑したライアードに『話がそれで終わりなら下がって良い』と伝え、そっとその背を見送る。
大人しく下がっていくその姿は従順そのものだ。
本当に二人で話す時とこうして人の目がある場での態度はきっちり分けてくる弟だと思う。
自分が言うのもなんだが、あんな風に振る舞っていてストレスはたまらないのだろうか?
ロイドと悪巧みするのもいいが、できればライアードも新しく迎える白魔道士の妃に癒してもらえるといいなと純粋に思った。
***
(これは……化けるかもしれないな)
ライアードは先ほどの兄の姿に身の内が震えるのを感じた。
我ながら良い仕事をしたものだ。
どうやらアルバートと上手くいったことで肩の力が抜け、兄の中の保守的な部分が鳴りを潜めたらしい。
どんな自分でもアルバートが受け止めてくれるという安心感があるからか、ミシェルの中にあったこれまでの怯えが消えたように思う。
先程ミシェルがほぼ却下に近い形で保留していた案件に手をつけたと官吏が驚きながら報告をしてきたので半信半疑で様子を見にきたのだが、どうやら本当のようだった。
これなら補佐に徹するのもやりがいがあるというもの…。
失敗を恐れず実行に移せるようになれば兄にとっては大きなプラスに繋がることだろう。
ロイドの件に関しても正直想定外の嬉しい誤算だ。
これまでの頑なな態度が嘘のように柔軟に変化している。
こうして見ると本当にアルバートの存在はミシェルの中でなくてはならない大きなものなのだと思えてならない。
そういう事なら裏で予め手を回しておくに越したことはないだろう。
煩そうな輩には早々に手を回しておいた方が賢明だ。
二人の仲が良好であり続けられるよう自分はただ動けば良いだけ。
それ即ち結果的に自分のためにもなるのだから。
そうしてフッと満足げに笑っていると、ロイドがやってきて白魔道士の目処が立ちそうだと言ってきた。
けれどロイドには悪いが先程のミシェルの様子から鑑みるに昨日の条件だけでは恐らくダメだろうと思い直し、新たに指示を出す。
それほどミシェルの変化は色々…それこそ周囲が戸惑うほどに大きかったのだ。
「お前の選んだ者を疑う気はないが、あれでは事後の兄上の色香は相当だろう。シュバルツ殿レベルとまでは言わないが、それなりに黒魔道士と仕事がしたことがあって色香に惑わされないような白魔道士に厳選したほうがいい。程度の低い者を選んで兄上に襲い掛かられてもたまらないしな。念には念を入れて候補者を絞り直してくれるか?」
その言葉にロイドがため息をついた後恭しく礼を取る。
「ライアード様の仰せのままに」
***
その日は何故か騎士団長が浮き足立っているように見えたので、一体どうしたのだろうと騎士団の面々が訓練をしながらも不思議に思っていた。
そうこうしている内に『ミシェル様が近々騎士団の在り方を前向きに検討し直してくださることになった』と言う発表があり、皆が皆驚きにどよめいた。
本当にそんなことがあるのかと信じられない様子でざわついている。
「ないだろう」
「ないな」
ほとんどの騎士達の言い分はそんなものだった。
正直信じられる要素がないのだから仕方がない。
それほどミシェルのこれまでの態度が頑なだったからだ。
どうせ何らかの勘違いで騎士団長が浮かれているのだろうと結論づけられ皆すぐに興味をなくしてため息を吐きながら訓練へと戻ったのだが、その後ミシェルが騎士団に顔を出したことでその話が本当だと言うのが裏付けられることとなった。
アルバートが昼食を終え午後の訓練のために仲間達と剣の手入れをしていると突如ザワッと皆の視線が一方向へと向かったのを感じた。
何かあったのだろうかとそちらを見遣ると、そこにミシェルの姿を見つけて驚いてしまう。
「ミシェル様?!」
ミシェルが騎士団に顔を出すなどこれまでなかった事だ。
何かあったのかと思い近づいて様子を窺っていると、こちらに気づいてふわりと笑ってくれた。
その様子に周囲にあからさまにどよめきが広がっていく。
けれどそれには構わぬまま、ミシェルはこちらへと歩を進め自分の前でピタリと足を止めた。
「騎士団との関係改善に向けての様子見に来た。このあと少し訓練を見させてもらうつもりだが、構わないだろうか?」
「もちろんです。騎士団長には?」
「先程声をかけて来た。危なくない場所でと念を押されたが、良い場所はあるか?」
「はい。ではご案内させていただきます」
「宜しく頼む」
そうして案内しながらも、なんだか物凄く感動している自分がいた。
自分と距離を置こうとしていたミシェルが、自分との関係と共に騎士団の関係まで改善しようと考えてくれた。
これはついこの間までのミシェルからすれば考えられない行動だ。
これを機にミシェルに対する周囲の誤解も解けていってくれるといいなと思えて仕方がない。
「ミシェル様。どうぞこちらへ」
そうして用意した椅子へと促すと笑顔で礼を言ってくれるのがすごく嬉しい。
態度は概ね公務のそれなのだが、どことなく柔らかくなった雰囲気がミシェルの印象を大きく変えたような気がする。
(ああ…ミシェル様は本当に素敵だ……)
そうしてうっとりと見惚れていると、遠くからヘンリーに呼ばれてしまった。
「アルバート!チャンスだぞ!ミシェル様にかっこいいところの一つでもアピールしておけ!」
そんな言葉に思わず苦笑してしまう。
まだ二人が付き合い始めたと言うことは伝えていないのだが、もしかしたら雰囲気で察してくれたのかもしれない。
もしくはヘンリーなりに片思いを応援してくれているかのどちらかだろう。
確かに今は見惚れている場合ではなく、ここはある意味自分の見せ場とも言える。
好きな人にいいところを見せたいと言うのは男なら誰でも思うことだ。
「ではミシェル様。私も訓練に参加してまいります」
「ああ。楽しみにしている」
そうしてミシェルから離れ、それとなく気を配りながらいつも以上に訓練へと力を入れた。
「驚いたな。お前は一体どんな魔法を使ったんだ?」
途中仕事に戻ると言ったミシェルを丁寧に見送り、その後の訓練も終えたところでヘンリーが自分へと声を掛けてきた。
「別に魔法なんて使っていない」
一騎士にそんなことができるわけがないだろうと言ってやるが、ヘンリーはそれでもあの変わりようは凄かったと言ってくる。
「あの氷の王子があんな風に笑うなんて天変地異だぞ?」
「失礼だぞ?」
まあライアードの黒王子という通り名よりは幾分かマシではあるのだが……それでも酷い言われようだと思う。
それだけ騎士団の中ではミシェルの評価が散々な証拠ではあるのだが…。
「ミシェル様はいつも素敵な方だと言っているだろう?」
「…本当にお前は一途だな」
「ミシェル様はああ見えてとても可愛らしいお方なんだ」
自分が一途なのはあるかもしれないが、それはミシェルも同じだ。
でなければ両思いになることなど到底叶わなかったことだろう。
つくづくライアードには感謝の気持ちしかない。
「それにしても大変だな。あれじゃあお前のライバルが増える日も近いぞ?」
「…………」
それは言われなくてもそうかもしれないと少し思った。
良くも悪くもこれまでの近寄りがたさが薄れているのだ。
あれなら他にも見惚れて恋に落ちる者がでてもおかしくはないだろう。
下手をするとミシェルの妃達でさえミシェルを見る目が変わるのではないだろうか?
その変化を自分が齎したというのは素直に嬉しいが、ライバルが増えるのは全く嬉しくないので一度ミシェルにきちんと話してみようと思った。
(場合によってはライアード様にご協力いただけないかロイド殿経由で聞いてみるか……)
あまりそういった事をするのは良くはないとわかってはいるが、ミシェルが自分の容姿に頓着していないような気がするだけにそちらの方が確実な気もする。
(ミシェル様はどうしてあんなにお綺麗なのに無自覚なのだろうか……)
正直ミシェルが自分に自信がないというのがどうにもよくわからない。
皇太子で見目も良く努力家でコツコツ仕事を真面目にこなせるのは凄いことだと思うし、普通に自信を持って誇ってもおかしくはないことだと思うのだが……。
きっと自分の知らないことがまだまだ沢山あるのだろう。
(もっとミシェル様の事を知っていきたいものだな)
そんな事を思っているとヘンリーが今度はライアードの話を振ってきた。
「今度の黒王子の結婚話でどうなることかと思ったが、まああれならミシェル様派が増えるだろうな」
実は王宮内は今絶妙のバランスの上で王子派で二分している状況だった。
ここ数か月で弟のライアードが外交中心とは言え仕事のやる気を見せ始めたことで、一部の大臣が勝手にライアードの後ろ盾になり始めたのだ。
ライアードの方は認めようとしないが、確実にライアード派が増えていることからその大臣達が噛んでいるのはまず間違いはない。
これはある意味脅威とも言える。
本人を担ぎ上げる勢力を本人が止める術は早々ないのだから。
それでもライアード優勢にならなかったのは本人の立ち回りの良さと、ミシェルの築いていた地盤の強さのお蔭だろう。
保守派としては断然ミシェルについた方が安心できるというものだ。
と言うのも、昨日の件で何となく噂が真実だと感じることができたのだが、ライアードは敵と判断した者には本当に容赦ない性格をしているようだ。
噂では相当な策略家で、悪人の上を行く腹黒さだとも言われている。
しかも抱えているのが優秀な黒魔道士ときたら、色んな意味で扱い難い怖い王子を担ぐより真面目で努力家なミシェルを支えるほうがまだマシと考える者も当然多くいることだろう。
そこに来ての今回のライアードの結婚話。
相手が貴族の娘なら多分勢力図的にはそう変化はなかっただろう。
けれど迎える相手が『ライアードが再度婚約するほど愛した相手』で、且つそれが『慈悲の白魔道士』というのが問題だったのだ。
それを受けてライアードが丸くなったと受け取る者もいるにはいる。
ライアードの怖さがそれで薄らぐのならライアードについてもいいと考える者も実は多い。
ライアードの優秀さはそれほどここ数か月目に見えて凄かったようだ。
だからこそそれを受けて第二妃を推す動きがあったのも事実。
妃になるのが何の後ろ盾のない他国の白魔道士なら、後ろ盾のある第二妃を推してライアードの覚えをめでたくしたいと思う者が暗躍している。
ミシェルによっていくつかの第二妃候補の話が潰されたと噂されてはいるが、これもこの先どう転がるかわからない。
この話自体が二人の仲が悪いから弟の縁談潰しをしていると思う者もいれば、一途な弟のために余計な邪魔者を排除しているのだろうと思う者もいて非常に王宮内の情報が混乱しているからだ。
前者なら二人の仲を取り持つなりそれを利用して自分の足場を固めたりして動くべきだが、後者なら邪魔はできないし不用意に動くべきではないと様子見に徹する輩も多いと聞く。
普通ならここまでの情報は自分には入ってこないのだが、帰りだけとは言えほぼ毎日護衛と称しミシェルの傍にいる自分に探りを入れてくる者もいて気になって調べておいたのだ。
これでミシェルの身に何かあってはたまったものではない。
王宮内で皇太子の身をどうにかしようとする者はそういないだろうが、狙われるとしたら人目が少ない帰り際が一番危ない。
今回のミシェルの変化が良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは予想はつかないが、大事なミシェルを自分の手で守りたいと心に誓っている。
そのためにももっと訓練に力を入れなければと改めて強く思った。
アルバートの背を見送ってシュバルツは隣を歩くロイドへと溜息交じりにその言葉を溢した。
「ミシェル王子か?」
「ああ。いや、昨日取り乱すところも初めて見たけど、さっきのはなんと言うかこう…」
そう。これまでのどこか悲壮感漂う感じが全て洗い流されて、キラキラと内から輝いているような────そんな感じだったのだ。
アルバートはそんなミシェルに翻弄されるほど魅了されているようだったが、気持ちもわからないでもない。
あれには皆が驚くのではないだろうか?
これまでの硬質な空気が和らぎ、否応無く目を引かれてしまう美しさだ。
「まあこれまでの10年近い想いが叶って幸せになったからなんだろう。随分人間らしくなったものだ。これでアルバートに目がいって、こちらに構ってくることも減るだろうな」
そうやって溢したロイドにシュバルツは思わず首を傾げてしまった。
「ロイド…もしかして楽しんでた?」
けれどロイドの返答は実にあっさりしている。
「別に。暇つぶしとしてはなかなか面白かったし、それを使ってどうあの王子を成長させようかとライアード様と企むのも楽しかったが、それだけだ」
「酷いな……」
聞くんじゃなかったと少しミシェルに同情してしまうが、対するロイドはどこか楽しげに語った。
「そうか?どこもそうだとは思うが王宮内は歪んでいて面白い。ミシェル王子のあれもその一部だ。私はこれからもここで踊り続ける輩を観察しながらライアード様の側に居続けたいと…そう思っている」
「わかってる。悪趣味だとは思うがそれくらいでないと王宮には住めないし、ロイドが今の仕事を気に入ってるのも知っているしな。トルテッティに行こうと誘うつもりはない。むしろこれからも傍に居させて欲しいと頼むのが自分の立場だと承知しているつもりだ」
「物分りが良くて助かる。まあ今回の件をチラつかせて賭けはなかったことにするとライアード様も仰っていたし、ミシェル王子の件は大丈夫だろう」
そんな返答に安堵しながら、シュバルツはこうしてロイドと並んで歩くのはやっぱり嬉しいなと小さな幸せを堪能した。
***
シリィはその日の朝、考え事をしながら王宮内を歩いていたのだが、前からやってくる人物の姿を見て思わず目を瞠ってしまった。
それはライアードの兄だったのだが、いつもにも増してその麗しさが際立ちキラキラと眩しく輝いて見えた。
(ふわわっ…!す…凄い…)
美形など見慣れている自分でも今日のミシェルは思わず見惚れてしまうほどの美しさだった。
一体何がそうさせるのだろうと思いつつ回廊脇へと下がり礼を執っていると、ふと彼の足が目の前で止まった。
「シリィ=ラークだったな?」
「は、はい!アストラスから参りました白魔道士、シリィにございます」
そうして頭を下げながら挨拶をしていると、面を上げよと言われたので恐る恐る頭を上げて彼の方を見た。
そこにあるのは相変わらず人形のように整った美しい顔────。
「弟とは上手くやっているか?」
「え?あ、は、はい!」
「そうか。あれは策略家なところはあるが昔から私を支えてくれる良い弟だ。何かあっても信じて側で支えてやってほしい」
そんな言葉に思わず感激してしまう。
これまで全く接点はなかったし、冷たく近寄りがたい空気を纏っているので怖い人なのだとばかり思い込んでいたがどうやらそう言うわけではなさそうだった。
「はい。誠心誠意お仕えさせていただきます」
「よろしく頼む」
そしてまたコツコツと足音高く去っていく姿に物凄い目の保養だったなと思いながら先程の言葉を思い返す。
(ライアード様は策略家…か)
まあそうなんだろうなとは思っていたが、ミシェルの口から聞くと何故か微笑ましく感じられる気がした。
恐らくその口調がどこか優しく感じられたからだろう。
この王宮に来てライアードは自分には優しく接してくれるし、その態度は一貫して甘い。
ちゃんと向き合うようになってから、大切にされてるんだなと実感している自分がいた。
けれど姉の水晶化の件もあるので当然ただの善人だとは思っていない。
きちんと向き合うと決めたからにはライアードの良い面も悪い面もちゃんと見ようとは思っている。
だからこそさり気なくライアードの仕事ぶりなどを覗きに行くこともあるのだが、そこでのライアードは自分の前にいる時とはまるで別人だった。
それは決して悪い意味ではなく、甘さなど一切なくテキパキと効率よく仕事をこなし、必要があればすぐさま動く行動力は素晴らしいの一言だ。
まさに『できる男』と言ったところ────。
とは言えそれ故に煙たく思う相手もいるように見受けられた。
(まあでも王宮ってそういうものよね)
そうやってどこも同じだなと思いながらライアードを見つめ、仕事をしている姿に思わず見惚れてしまった事は実は一度や二度ではない。
こうして少しずつライアードのことを知って、尊敬すべきところを見つけたり、好きだなと思うところもあったり、逆にあそこはダメでしょと思ってしまうところ等色々見ることとなった。
その中で徐々にではあるが自分の中で変化も多々あったのだが、それを本人に伝えたことは未だない。
一度だけ自分の気持ちを口にしようと思ったことはあるのだが、何故か上手くタイミングを掴むことができなかったのだ。
だからもうそれは横に置いておいて、現在はもう少し自分なりにライアードを知って、もっと好きになっていけたらなと思っているところだ。
そして、ずっと悩んでいた『初めて』のこと────。
正直恥ずかしい気持ち半分、不安半分と言った感情は未だに拭えないが、ライアードと口づけをするようになってからその感情はだいぶ薄くはなってきている。
それと言うのも口づけの回数自体もなんだかんだと増えてきたからだ。
朝夕の口づけは軽いものではあったが慣れるには十分なもので、今はそれ以外にも気づけばそっと口づける回数が増え、時にそれは深い口づけへと変化していた。
それ自体は決して嫌なものではなく、いつの間にか酔わされていると言っても過言ではない。
そんなことが積み重なって、最近ではもう身を任せてもいいかなと思えてきていた。
(結局流されてるような気がしないでもないけど…私ってできる男性に弱いところがあるのよね…)
恋心とは違うのだが、アストラスにいた時もロックウェルについたばかりの頃、その仕事ぶりに見惚れることが多かった。
彼はテキパキと仕事を割り振り自分の目的(主に女性関連)のために時間を作るのが上手かったのだが、基本的に叱責の時以外は部下には優しいし融通もきかせてくれる良い上司だった。
憧れるなと言う方がおかしい。
(まあ…クレイと付き合いだしてから嫉妬全開でちょっと壊れ気味だったけど……)
そう考えると恋とは怖いものなのだなと思えて仕方がない。
あのロックウェルでさえあれほどまでに振り回されるのだから────。
それによく考えたら自分も相当暴走していたように思う。
あの百戦錬磨にライバル心を燃やすなどどうかしていたとしか考えられないだろう。
それに気づけただけ、やっと失恋から抜け出せたのかなと思えるほどには気持ちの整理ができている今がある。
(これも…ライアード様のお蔭なのよね)
あのアストラスでのプロポーズの日。ライアードに話を聞いてもらえたからこそいつまでも引きずらずに済んだんだろうなと思うと、ありがたい気持ちでいっぱいだ。
これはあの焦がれるような恋心とは少し違うような気がするのだが、それでも────それはどこか恋の芽生えのように感じられた。
***
「ミシェル様?」
「え?」
「本当に?」
なんだか今日はやけに自分の周りがざわついているような気がするが、気のせいだろうか?
「ミシェル様。本日はこちらを」
「ああ。そこに置いておいてくれ」
「ミシェル様。お茶をお淹れしました」
「ああ。ありがとう」
そうやっていつも通りにしているつもりなのだが、なんだか今日はいつも以上に皆が積極的に動いてくれて仕事が捗る気がする。
一体どうしてだろう?
皆何か良いことでもあったのだろうか?
(まあいいか……)
何はともあれ仕事が捗るのは良いことだ。
そこで余裕ができたので、ふと保留にしていた案件の方に目が行った。
これらはこれまで『良い政策のような気はするがリスクもあるから保留にしていた』と言う類のもので、特に緊急性等はない案件ばかりだ。
所謂塩漬けにしていたものとも言える。
それらに改めて目を通してふむと考えた。
(これとこれは…地方と協力すれば可能そうだな。こちらも…財務大臣と交渉して上手く取り計らえば予算が取れるかもしれない)
いずれもこれまで積極的にやってみようとは思わなかった案件だが、今日は何故か動いてみてもいいかもしれないと思える自分がいた。
もしかしたら皆が積極的に動いている姿に触発されたのかもしれない。
確かに内容的にリスクもあるものではあるが、フォローできる範囲で今なら上手く調整ができそうな気がする。
だからそのまま自分の中でビジョンを明確にし、ある程度すべき事をまとめて動くことにした。
ガタッと席を立ち軽やかに動き出した自分に周囲がまたどよめくが、皆何をそんなに驚いているのだろうと不思議に思えて仕方がない。
別に動くこと自体がおかしなことでもないだろうに……。
そうして回廊を歩き目的の場所へ向かっていると、そこに第一騎士団団長がいつものようにご機嫌伺いで姿を見せた。
「ミシェル様。アルバートはご迷惑をお掛けしておりませんでしょうか?」
そんな言葉に思わず頬が緩むのを感じる。
迷惑など掛かってはいないし、寧ろこうして仕事に励めるのもアルバートが癒してくれているからとも言えるのに……。
「アルバートにはいつも気持ちをほぐしてもらい感謝している。ああ、そうだ。今度会議の場を持ち、具体的にこれからの騎士団の在り方についても話し合い見直しを行いたいと思う。何か改善して欲しい事があればこれを機になんでも申してみよ。全ては叶わぬとも検討はさせてもらい父上にも話を通そう。できることについては順次受け止め実行していきたいとも思っている。追って内容を報告してくれ」
「そ…それはミシェル様の護衛なども含め務めさせていただけると…そう考えても…?」
「そうとってもらっても構わない。お前達さえ私に仕えたいと思ってくれるのなら提案書に一言添えておいてくれるか?」
「……!!う、嬉しゅうございます!すぐに意見を集め取りまとめてまいります!」
そうして喜び勇んで帰っていった騎士団長を見送り、さっさと用を済ませてまた執務室へと戻り書類へと順次目を通す。
この分なら午後から訓練中のアルバートの姿を僅かなりとも見に行けるかもしれない。
そう考えるだけでなんだか嬉しくなってふっと思わず微笑んでしまったのだが、何故かまた周囲にどよめきが走ったので何かあったのかと顔を上げてしまった。
「……?」
けれどそこには慌てたように忙しそうに仕事をこなす官吏達の姿があるばかり。
そうしてよくわからぬまま首を傾げていると、ライアードがやってくるのが目に入った。
やり方はどうあれライアードには昨日世話になったことだし、改めて礼を述べたいと思っていたので手短に礼を伝えることにする。
結局のところアルバートとの仲が上手くいったのはライアードのお蔭だったと言うことに違いはないのだから────。
「ライアード。昨日は…世話になった」
そうして口を開いた自分にライアードが何故か目を瞠ったが、すぐに笑みをたたえて『お役に立てて光栄です』と返してきた。
「白魔道士も探してくれていると聞いた。シュバルツ殿には連日世話を掛けて申し訳ないと思っていたから正直助かる」
「……そうですね。それに関しては少々条件を追加せねばならないようなので、暫しご猶予を」
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「はい。お任せ下さい」
何やら含む言い方ではあるが特に悪意もなさそうだったのでそのまま流し、要件を尋ねた。
「それで?今日の用向きはなんだ?お前のお抱え魔道士に関する例の件か?」
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思った通りの内容に小さく息を吐くが、これは飲まねばならないだろうなと思った。
「お前が言い出した賭けではあったが、シュバルツ殿にはすでに話をした上で断られているし、世話になったのに無理強いするほど私は愚かではないつもりだ。ロイドも……嫌いではあるが、シュバルツ殿から訊いた新たな見解もあることだし、これから少しくらいは見方を変えてやってもいいと考えている」
その返答はライアードにとっては意外だったのか珍しく目を丸くしていた。
「お前が意外だと思う気持ちもわかるが、何故か今日は仕事も捗って気分も良い。私の気が変わらないうちに引いておけ」
「ありがとうございます」
そして苦笑したライアードに『話がそれで終わりなら下がって良い』と伝え、そっとその背を見送る。
大人しく下がっていくその姿は従順そのものだ。
本当に二人で話す時とこうして人の目がある場での態度はきっちり分けてくる弟だと思う。
自分が言うのもなんだが、あんな風に振る舞っていてストレスはたまらないのだろうか?
ロイドと悪巧みするのもいいが、できればライアードも新しく迎える白魔道士の妃に癒してもらえるといいなと純粋に思った。
***
(これは……化けるかもしれないな)
ライアードは先ほどの兄の姿に身の内が震えるのを感じた。
我ながら良い仕事をしたものだ。
どうやらアルバートと上手くいったことで肩の力が抜け、兄の中の保守的な部分が鳴りを潜めたらしい。
どんな自分でもアルバートが受け止めてくれるという安心感があるからか、ミシェルの中にあったこれまでの怯えが消えたように思う。
先程ミシェルがほぼ却下に近い形で保留していた案件に手をつけたと官吏が驚きながら報告をしてきたので半信半疑で様子を見にきたのだが、どうやら本当のようだった。
これなら補佐に徹するのもやりがいがあるというもの…。
失敗を恐れず実行に移せるようになれば兄にとっては大きなプラスに繋がることだろう。
ロイドの件に関しても正直想定外の嬉しい誤算だ。
これまでの頑なな態度が嘘のように柔軟に変化している。
こうして見ると本当にアルバートの存在はミシェルの中でなくてはならない大きなものなのだと思えてならない。
そういう事なら裏で予め手を回しておくに越したことはないだろう。
煩そうな輩には早々に手を回しておいた方が賢明だ。
二人の仲が良好であり続けられるよう自分はただ動けば良いだけ。
それ即ち結果的に自分のためにもなるのだから。
そうしてフッと満足げに笑っていると、ロイドがやってきて白魔道士の目処が立ちそうだと言ってきた。
けれどロイドには悪いが先程のミシェルの様子から鑑みるに昨日の条件だけでは恐らくダメだろうと思い直し、新たに指示を出す。
それほどミシェルの変化は色々…それこそ周囲が戸惑うほどに大きかったのだ。
「お前の選んだ者を疑う気はないが、あれでは事後の兄上の色香は相当だろう。シュバルツ殿レベルとまでは言わないが、それなりに黒魔道士と仕事がしたことがあって色香に惑わされないような白魔道士に厳選したほうがいい。程度の低い者を選んで兄上に襲い掛かられてもたまらないしな。念には念を入れて候補者を絞り直してくれるか?」
その言葉にロイドがため息をついた後恭しく礼を取る。
「ライアード様の仰せのままに」
***
その日は何故か騎士団長が浮き足立っているように見えたので、一体どうしたのだろうと騎士団の面々が訓練をしながらも不思議に思っていた。
そうこうしている内に『ミシェル様が近々騎士団の在り方を前向きに検討し直してくださることになった』と言う発表があり、皆が皆驚きにどよめいた。
本当にそんなことがあるのかと信じられない様子でざわついている。
「ないだろう」
「ないな」
ほとんどの騎士達の言い分はそんなものだった。
正直信じられる要素がないのだから仕方がない。
それほどミシェルのこれまでの態度が頑なだったからだ。
どうせ何らかの勘違いで騎士団長が浮かれているのだろうと結論づけられ皆すぐに興味をなくしてため息を吐きながら訓練へと戻ったのだが、その後ミシェルが騎士団に顔を出したことでその話が本当だと言うのが裏付けられることとなった。
アルバートが昼食を終え午後の訓練のために仲間達と剣の手入れをしていると突如ザワッと皆の視線が一方向へと向かったのを感じた。
何かあったのだろうかとそちらを見遣ると、そこにミシェルの姿を見つけて驚いてしまう。
「ミシェル様?!」
ミシェルが騎士団に顔を出すなどこれまでなかった事だ。
何かあったのかと思い近づいて様子を窺っていると、こちらに気づいてふわりと笑ってくれた。
その様子に周囲にあからさまにどよめきが広がっていく。
けれどそれには構わぬまま、ミシェルはこちらへと歩を進め自分の前でピタリと足を止めた。
「騎士団との関係改善に向けての様子見に来た。このあと少し訓練を見させてもらうつもりだが、構わないだろうか?」
「もちろんです。騎士団長には?」
「先程声をかけて来た。危なくない場所でと念を押されたが、良い場所はあるか?」
「はい。ではご案内させていただきます」
「宜しく頼む」
そうして案内しながらも、なんだか物凄く感動している自分がいた。
自分と距離を置こうとしていたミシェルが、自分との関係と共に騎士団の関係まで改善しようと考えてくれた。
これはついこの間までのミシェルからすれば考えられない行動だ。
これを機にミシェルに対する周囲の誤解も解けていってくれるといいなと思えて仕方がない。
「ミシェル様。どうぞこちらへ」
そうして用意した椅子へと促すと笑顔で礼を言ってくれるのがすごく嬉しい。
態度は概ね公務のそれなのだが、どことなく柔らかくなった雰囲気がミシェルの印象を大きく変えたような気がする。
(ああ…ミシェル様は本当に素敵だ……)
そうしてうっとりと見惚れていると、遠くからヘンリーに呼ばれてしまった。
「アルバート!チャンスだぞ!ミシェル様にかっこいいところの一つでもアピールしておけ!」
そんな言葉に思わず苦笑してしまう。
まだ二人が付き合い始めたと言うことは伝えていないのだが、もしかしたら雰囲気で察してくれたのかもしれない。
もしくはヘンリーなりに片思いを応援してくれているかのどちらかだろう。
確かに今は見惚れている場合ではなく、ここはある意味自分の見せ場とも言える。
好きな人にいいところを見せたいと言うのは男なら誰でも思うことだ。
「ではミシェル様。私も訓練に参加してまいります」
「ああ。楽しみにしている」
そうしてミシェルから離れ、それとなく気を配りながらいつも以上に訓練へと力を入れた。
「驚いたな。お前は一体どんな魔法を使ったんだ?」
途中仕事に戻ると言ったミシェルを丁寧に見送り、その後の訓練も終えたところでヘンリーが自分へと声を掛けてきた。
「別に魔法なんて使っていない」
一騎士にそんなことができるわけがないだろうと言ってやるが、ヘンリーはそれでもあの変わりようは凄かったと言ってくる。
「あの氷の王子があんな風に笑うなんて天変地異だぞ?」
「失礼だぞ?」
まあライアードの黒王子という通り名よりは幾分かマシではあるのだが……それでも酷い言われようだと思う。
それだけ騎士団の中ではミシェルの評価が散々な証拠ではあるのだが…。
「ミシェル様はいつも素敵な方だと言っているだろう?」
「…本当にお前は一途だな」
「ミシェル様はああ見えてとても可愛らしいお方なんだ」
自分が一途なのはあるかもしれないが、それはミシェルも同じだ。
でなければ両思いになることなど到底叶わなかったことだろう。
つくづくライアードには感謝の気持ちしかない。
「それにしても大変だな。あれじゃあお前のライバルが増える日も近いぞ?」
「…………」
それは言われなくてもそうかもしれないと少し思った。
良くも悪くもこれまでの近寄りがたさが薄れているのだ。
あれなら他にも見惚れて恋に落ちる者がでてもおかしくはないだろう。
下手をするとミシェルの妃達でさえミシェルを見る目が変わるのではないだろうか?
その変化を自分が齎したというのは素直に嬉しいが、ライバルが増えるのは全く嬉しくないので一度ミシェルにきちんと話してみようと思った。
(場合によってはライアード様にご協力いただけないかロイド殿経由で聞いてみるか……)
あまりそういった事をするのは良くはないとわかってはいるが、ミシェルが自分の容姿に頓着していないような気がするだけにそちらの方が確実な気もする。
(ミシェル様はどうしてあんなにお綺麗なのに無自覚なのだろうか……)
正直ミシェルが自分に自信がないというのがどうにもよくわからない。
皇太子で見目も良く努力家でコツコツ仕事を真面目にこなせるのは凄いことだと思うし、普通に自信を持って誇ってもおかしくはないことだと思うのだが……。
きっと自分の知らないことがまだまだ沢山あるのだろう。
(もっとミシェル様の事を知っていきたいものだな)
そんな事を思っているとヘンリーが今度はライアードの話を振ってきた。
「今度の黒王子の結婚話でどうなることかと思ったが、まああれならミシェル様派が増えるだろうな」
実は王宮内は今絶妙のバランスの上で王子派で二分している状況だった。
ここ数か月で弟のライアードが外交中心とは言え仕事のやる気を見せ始めたことで、一部の大臣が勝手にライアードの後ろ盾になり始めたのだ。
ライアードの方は認めようとしないが、確実にライアード派が増えていることからその大臣達が噛んでいるのはまず間違いはない。
これはある意味脅威とも言える。
本人を担ぎ上げる勢力を本人が止める術は早々ないのだから。
それでもライアード優勢にならなかったのは本人の立ち回りの良さと、ミシェルの築いていた地盤の強さのお蔭だろう。
保守派としては断然ミシェルについた方が安心できるというものだ。
と言うのも、昨日の件で何となく噂が真実だと感じることができたのだが、ライアードは敵と判断した者には本当に容赦ない性格をしているようだ。
噂では相当な策略家で、悪人の上を行く腹黒さだとも言われている。
しかも抱えているのが優秀な黒魔道士ときたら、色んな意味で扱い難い怖い王子を担ぐより真面目で努力家なミシェルを支えるほうがまだマシと考える者も当然多くいることだろう。
そこに来ての今回のライアードの結婚話。
相手が貴族の娘なら多分勢力図的にはそう変化はなかっただろう。
けれど迎える相手が『ライアードが再度婚約するほど愛した相手』で、且つそれが『慈悲の白魔道士』というのが問題だったのだ。
それを受けてライアードが丸くなったと受け取る者もいるにはいる。
ライアードの怖さがそれで薄らぐのならライアードについてもいいと考える者も実は多い。
ライアードの優秀さはそれほどここ数か月目に見えて凄かったようだ。
だからこそそれを受けて第二妃を推す動きがあったのも事実。
妃になるのが何の後ろ盾のない他国の白魔道士なら、後ろ盾のある第二妃を推してライアードの覚えをめでたくしたいと思う者が暗躍している。
ミシェルによっていくつかの第二妃候補の話が潰されたと噂されてはいるが、これもこの先どう転がるかわからない。
この話自体が二人の仲が悪いから弟の縁談潰しをしていると思う者もいれば、一途な弟のために余計な邪魔者を排除しているのだろうと思う者もいて非常に王宮内の情報が混乱しているからだ。
前者なら二人の仲を取り持つなりそれを利用して自分の足場を固めたりして動くべきだが、後者なら邪魔はできないし不用意に動くべきではないと様子見に徹する輩も多いと聞く。
普通ならここまでの情報は自分には入ってこないのだが、帰りだけとは言えほぼ毎日護衛と称しミシェルの傍にいる自分に探りを入れてくる者もいて気になって調べておいたのだ。
これでミシェルの身に何かあってはたまったものではない。
王宮内で皇太子の身をどうにかしようとする者はそういないだろうが、狙われるとしたら人目が少ない帰り際が一番危ない。
今回のミシェルの変化が良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは予想はつかないが、大事なミシェルを自分の手で守りたいと心に誓っている。
そのためにももっと訓練に力を入れなければと改めて強く思った。
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