黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第一部 アストラス編~王の落胤~

142.助言

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ロックウェルはクレイを捕まえようと魔法を唱えたが、僅かな差でクレイはするりと逃げだしてしまった。
けれど後を追おうとしたのにどうしてもクレイの家へとたどり着けない。

「ヒュース?!」

さすがにこれはおかしいと思って慌てて声を掛けるが、ヒュースはため息を吐くばかりだ。

【あ~これはどうやら相当自棄になってしまわれたようですね~】

こうなったら暫く放っておくしかないとヒュースは言った。

【瞳の封印まで解いて家の周辺にまやかしの魔法を掛けてしまわれたようですし、今日は諦めるしかありませんね】

その言葉には愕然とするしかない。
そんなに先程の自分の言葉はまずかったのだろうか?

「取りあえずファルの所に戻って話を聞こう」

何やらクレイから話を聞いていたようだし、アイリスがあの場にいなかったのも気にはなっていた。
詳しい話を聞いてからこれからの対策を考えた方がいいかもしれない。
そう思ってファルに話をしに行ったのだが────。



「だから、マリッジブルーだって言っただろう?」

返ってきた答えはそれだけだった。
確かに結婚制度の改正が進められていると聞いてはいたし、自分も漠然とクレイとなら結婚しても構わないと思っていた。
ただそう言えばクレイと結婚について話をしたことはなかったなと思い至る。
けれど今朝までは普通だったのにいきなりこれはおかしいのではないだろうか?
ここ最近は仕事を終えてから食事に誘ってくれることばかりだったのに、今日は何も言わずにファルに会いに行ったようだし、絶対に何かあったに違いない。

(誰かが何か吹き込んだのか?)

正直それくらいしか考えつかなかった。

「他には何か言っていなかったか?」
「他…?いや。来月から暫く他国で仕事をしようかなとか、お前と二人で他国に逃げたいとか…そういうことしか言ってなかったぞ?あとは結婚したくない…くらいなもんか?」

ロックウェルはその言葉に思わず固まってしまう。
『結婚したくない』────これは正直ショックだが、二人で他国に逃げたいと言っているあたり特に自分が嫌と言うわけではなさそうだ。
これは確かにファルが言うようにマリッジブルー以外の何物でもないのだろう。

「お前の事だからどうせ逃げ場がないくらい周りを固めてクレイを追い詰めたんじゃないのか?」

呆れたようにそう言われて、狙ったわけではなかったが結果的にそうなってしまったかもしれないと思ってしまった。

「そうは言っても法改正は王の親切心だったからな」

本当は親心なのだが、ファルはクレイの事を知らないだろうからと思って敢えてそう答える。
けれどファルはそこで暫く考え込んだ後で短く尋ねてきた。

「お前はもうクレイの事情をちゃんと本人から聞いているのか?」

その言葉は思いがけないもので思わず目を瞠ってしまう。
これは一体何を差しているのかがロックウェルにはさっぱりわからなかったのだが、ファルは深く息を吐きながら次の言葉を口にした。

「まあ俺も直接あいつから話を聞いた訳じゃないからただの空想だがな。あいつと初めて会った時はまだ何も知らない小さな子供で、素直にクレイ=レインと名乗った。その時はまだ瞳の色が今と違っていた。こう言ったらわかるか?」

そこから色々ファルなりにこれは訳ありの奴だと察して、人一倍気にして助言したりなんだかんだ世話をみてやっていたのだと言う。

「あいつは複雑なものを抱えているから、ちゃんとしっかり話を聞いてやってほしい。その上で自由だけは奪わないでやってくれないか?」

そんな風に困ったように言われたところで、やっとロックウェルは少しだけクレイの気持ちがわかったような気がした。
先程の自分の言葉は確かに失言だったのだ。
あんな風に当然のようにサラリと流すのではなく、ちゃんと話し合ってやるべきだったのだろう。
そう思っていたところでヒュースがそっと声を上げた。

【ロックウェル様。今他の眷属にも確認を取りましたが、どうやら今日サシェ様から婚姻書類を受け取ってそこからクレイ様が随分思い悩んでしまったようだとの事でした】

しかも悪いことにそれがドルトからと言われてしまったようなのだ。
これでは気持ちも塞ぐというものだ。
敬愛する義父から早く結婚しろと言われたようなもので、結婚したくないのに結婚しなければならないと思い悩んでしまったのだろうことが容易に想像がついた。

(しまったな……)

これはまずい傾向だ。
このままではクレイは本当に暫く自分に会ってはくれないだろう。
逃げてもどうにもならない問題だけに、気持ちの整理をつける時間を与えてやることくらいしかできそうにない。

「まいったな……」

少しくらいの逃げ道を何かしら考えておいてやればよかったと思い、ただただため息しか出てこない自分が情けなかった。
そんな自分にファルが意外そうに声を上げる。

「そう言えばお前の方はどうなんだ?結婚が嫌で女遊びをしていたようにも見えたが?」
「私はクレイなら別に結婚しても構わないし、寧ろ確実に誰にも奪われなくなるから鎖をつける意味でも大歓迎だ」

そうだ。確かにファルが言うように昔の自分は結婚なんて煩わしいとさえ思っていた。
今のクレイのように、結婚なんてしなくても好きな相手を見つけて一緒に居られればそれでいいと思っていたのだ。
けれどクレイに関しては自然と結婚してもいいなと思える自分がいた。
そうした方が自分的には安心できるからだ。
とは言えそれは同時にクレイの自由を奪うと言うことにも繋がるわけで…。
ここはやはり話し合いは必須だと言う結論に至ってしまう。

(どうしてそこに思い至らなかったんだろう……)

「はぁ~…人間変われば変わるもんだな。ロックウェルが結婚か。本当に驚きすぎて信じられないな」
「…仕方がないだろう。クレイはどんなに愛でても飽きないんだから」
「ははっ!そう言えば昨日は二人で楽しく遊んだんだって?クレイがさり気なく惚気てたぞ?」

アイリスはわかっていなかったようだが、お楽しみだったんだろうと振ってきたファルにロックウェルがクスリと笑う。

「なんだ。あいつはそんなことまでファルに言ったのか」
「ああ。本当にあいつはお前の事が大好きだな」

見てるだけですぐわかるとファルはまた楽しそうに笑った。

「あいつは本当に可愛くて仕込み甲斐があって飽きない奴だからな。一生可愛がってやりたいと思っている」
「ご馳走さん。そこまで想ってやってるならさっさと不安を解消してやってくれよ?」

そんなファルにわかっていると言いながらロックウェルはそっと酒を傾けた。


***


【クレイ様…】

朝、クレイは眷属の声で目を覚ました。
久しぶりに一人で起きる朝────。
わかってはいるが何とも寂しい朝だ。
ここ最近ずっとロックウェルと朝を迎えていたから何となく人肌が恋しくて仕方がない。

「レオ……モフモフしたい」

そんな言葉に眷属がそっと傍へとやってきてその体を触らせてくれる。
気持ちは塞ぐが、シュバルツの件があるから今日も王宮には行かないといけないだろう。
さすがにここでロイドとの勝負を投げ出したくはない。
と言うよりもいっそそちらに集中して結婚の事は忘れてしまいたかった。

「そうだ。そうしよう」

もう誰かに決定的な何かを言われるまではそのことを持ち出さなければいいのだ。
そして今月いっぱいそれを乗り切ればシュバルツの件も片が付くし、あとは他国での仕事をメインにして王宮に近寄らないようにすればいい。

「うん。そうしよう」

ロックウェルにはヒュース経由で今は会いたくないから時間をくれとでも伝えておけば問題はないだろう。
会えない寂しさも、恋しい人肌も、こうしてモフモフしていればきっと慰められるはずだ。

「レオ。シュバルツに伝言を頼んでもいいか?」
【お任せください】

嬉しそうに尻尾を振る眷属にクレイは淡々と告げた。

「暫く特訓はロックウェルには内密に行いたいから、今日は部屋で待っていてほしいと」
【かしこまりました】

クレイの言葉をしっかりと聞いて、レオはそのまま速やかにシュバルツの元へと向かう。
それを確認してシャワーを浴びに動いたクレイに他の眷属が声を掛けた。

【クレイ様。ファル様も言っていましたが、どうか一度ロックウェル様ときちんとお話し下さい】
「……昨日話しただろう?」
【あれは話したとは言いません】
「……あれがあいつの全てじゃないか」

そうだ。ロックウェルは一緒に居られれば結婚してもしなくても同じだと思っているのだ。
自分の気持ちなど、話したところでわかってもらえる気がしない。
それなら暫く気持ちの整理をさせてほしいと思うのは別におかしな話ではないと思うのだが…。

【…クレイ様は本当に恥ずかしがり屋ですね~】
【良いではありませんか。結婚しても大々的に発表しないでくれとでも言っておけばそれほど目立ちはしないと思いますよ?】
【そうですよ。籍だけ入れてまた王宮に顔を出さないようにしたら問題ないのでは?】

恥ずかしいと言う点だけならこれで問題はないのではと眷属達がフォローしてくれるが、クレイの心は頑なだ。

「……それだけが問題なんじゃない」

これにはさすがに他の眷属達もため息しか出ないようだ。

【良いじゃありませんか。クレイ=グロリアスでも収まりは良いですよ?クレイ=アートも素敵ですけどね】
「…俺はクレイ=アートじゃない。クレイ=レインでいいんだ」
【ではロックウェル=レインになってくれと逆プロポーズなさっては?】

どうしてもというのならそう言う選択肢も考えればいいのだと提案されるが、それはそれでドルトに身バレしてしまうからできない。
自分はレイン家を出た人間だし、今は王に認知されているからクレイ=アートを名乗るのが筋で、今更レイン家の名を騙るのは間違っているのだろう。
けれどこっそり思っていることくらいはいいんじゃないかと…どうしても名を捨てられない自分がいた。
そんな自分に古参の眷属がそっと労わるように声を掛けてくれる。

【なるほど。恥ずかしい気持ちだけではなく、名を捨てたくない気持ちなど…色々おありなのですね】
「…バルナ」
【ご安心ください。私の方からヒュースに伝えて、あちらはあちらで上手く言ってもらいますので】

そんな温かい言葉が今は何よりも嬉しくて仕方がなかった。

【ゆっくり気持ちの整理をなさればいいのです。ロックウェル様とてそこまで無理強いはなさらないと思いますよ?】
「バルナ…ありがとう」

そう言ってくれたバルナにクレイはホッと息を吐いて、思わず浮かんだ涙を拭いながら素直に心から感謝しつつ微笑んだ。


***


ロックウェルはいつもの癖で起きてすぐに隣へと手を伸ばしたが、そこに愛しい恋人の姿はない。

「そうだった…」

昨日逃げられてそのままだったのだと思わずため息がこぼれ落ちる。
今日はもう会えないのだろうか?
シュバルツの件があるから王宮には来るのだろうが、自分から逃げる可能性は非常に高い。
追うのは簡単だが、ここで無理強いしてもなんの解決にもならないことは分かりきっているだけにどう動くべきか悩むしかなかった。

『ロックウェル…』

クレイの甘い声が聞きたくて仕方がない。
切ない眼差しで自分を見つめて欲しい。
期待に頬を染めて強請る姿に煽られながら、どこまでも溺れさせて欲しい。
自分で強請ったくせに、虐めてやるとすぐにやめて欲しいと言ってくる可愛い姿を毎日でも堪能したい。
狂乱に耽る姿を貪りたい。
そんなどこまでも貪欲にクレイを求めてしまう自分に思わずため息が出てしまう。

「はぁ…。重症だ」

たった1日いないだけでこんなに恋焦がれてしまうなど、前代未聞だ。
あの体無しにはもうやっていけないくらい溺れてしまっている自分がいた。
どうして想い合っているのにこんな風に離れなければいけないのか…。

「ヒュース。クレイに今日、ゆっくり話せないか聞いてみてくれないか?」

なんとか1日でも早くここに戻ってきて欲しい。
優しく抱いて言い含めるように気持ちを伝えてやれば、不安なんてどこかに行ってくれるのではないだろうか?
そう思ってのことだったのだが、ヒュースは残念ですがと今朝の眷属とのやり取りというのを教えてくれた。

【クレイ様も色々と複雑なご様子ですので、暫くお時間を頂ければと……】

そんな言葉になるほどと妙に納得してしまう自分がいた。
恥ずかしい気持ちは確かにわかる。
クレイはああ見えて結構恥ずかしがり屋なところもあるし、目立つこともそんなに好きではない。
派手に魔法を使うことはあるが、あれは目立とうとしてやっているのではないことも既に承知しているし、人前でイチャつきたくないと普段からよく言っているからなるべく控えるようにはしている。
そんなクレイが同性婚第一号と言うのは確かに抵抗が強いのだろう。
嫌でも注目を浴びるのは間違いない。
例え既にほぼ公認の仲なのだとしても…だ。

それと共に、レイン家の名を捨てるのに抵抗があるのも何となくわかった。
幼い頃に家を出はしたが、きっとずっとレイン家に対する気持ちは強く残っていたのだろう。
それはドルトに対する態度を見ても明らかだし、そこには二度と戻ることができないけれど僅かなりとも繋がりを残したいという気持ちがあるのかもしれない。

この二つを鑑みるに、クレイが結婚したくないと言う気持ちもわかるし、無理強いしてまで結婚する必要はないのかなと思える自分がいた。
けれど────。

あの迂闊なクレイを野放しにしている危険性と、王やドルトの好意を無碍にしてしまう気まずさと、周囲からのプレッシャーが正直頭をよぎる。
法改正までしたのに何故結婚しないのかと言われるのは想像に難くない。
とは言えクレイの気持ちを優先すべきなのは確かだろう。

「仕方がないな。…ヒュース。悪いがドルト殿に少し相談してみるから、クレイの方は眷属達でフォローしてやってほしいと伝えてくれないか?」
【かしこまりました】

クレイはドルトが自分の事を知らないと思っているが、ドルトはクレイが以前レイン家にいたということを把握している。
もしかしたら何かいい案を出してくれるかもしれない。
そう結論づけると速やかにドルトの元へと足を運んだ。




「ロックウェル様。私にお話があるとか」

ドルトが仕事の合間に何とか時間を作ってくれたので、ロックウェルは単刀直入にクレイの件を相談してみた。
クレイ本人が結婚について悩んでいることを包み隠さず話してみると、ドルトは驚いたように目を瞠る。
それはそうだろう。
てっきり喜んでそのまま結婚するとばかり思っていたのだろうから…。

「なるほど。どうやら可哀想なことをしてしまったようですね」
「折角ご尽力いただいたにもかかわらず申し訳ございません」

しっかりと謝罪の言葉を口にし頭を下げるが、ドルトは気にする必要はないと言ってくれた。

「クレイの事をこうして教えていただけるのはとても嬉しいのですよ」

そしてドルトはロックウェルに座るようにと促した。

「陛下も私もクレイについてはまだまだ扱い方を考えあぐねているところなのです。クレイに部屋を用意した時に確かにレイン家の者だと言う確信を得られたものの、私には彼に何をしてやればいいのか…思い悩むばかりで」

たまに王と一緒にクレイの事を話しはするのだが結論はいつも同じで、彼が幸せになれるならロックウェルと一緒にしてやるのが一番だと…ただそれだけだったのだと言う。

「正直それ以外に出来ることが思いつかなかったから法改正を急いでしまったと言うのはあるのですよ」

それがまさか返ってマイナスになってしまうなどとは思いもしなかったらしい。

「この際クレイにレイン家に戻ってきて、ロックウェル様と結婚してはどうかと提案してみましょうか?」

別に記憶を戻して貰う必要はないからと言い添えれば案外上手くまとまるのではないかとドルトは提案してくれる。

「住まいはレイン家が管理している邸を用意しますし、我が家は他に跡取りもいないので必要なくなれば敷地はそのまま王家に戻す形になりますから特に大きな問題もありません」

そんな言葉にロックウェルもホッと胸を撫で下ろす。
これならクレイも受けてくれる可能性も高いのではないだろうか?
そう思っていたところで、ドルトが自分の方はいいのかと尋ねてきた。

「ロックウェル様は確かグロリアス家のお血筋でしたよね?レイン家に入ることでいざこざ等は大丈夫ですか?」
「私はグロリアス家の血筋と言っても本家とはあまり関わりもないですから。問題ありません」

それに自分は三男だ。
跡取り等の問題もない。
レイン家に入ろうとどうしようと誰も文句は言ってこないだろう。
魔力が高かったのにそれを認めてもらえないのが嫌で家を飛び出し、流しの白魔道士となった自分。
ファル達と行動を共にしながら人脈を作り上げ、王宮魔道士になり、それから一気に最年少で魔道士長の地位に上り詰めた。
実力で実家を見返した自分を誇らしく思うと同時に、そういった地位に頓着しないクレイに嫉妬していた過去の自分は今から思えば酷く幼かったなと思う。

満たされない何かを追い求めるように少しでも気に入った女を貪り続けた日々は終わりを告げて、今はただ愛する一人を手に入れ幸せな日々を過ごしている。
それがどれだけ奇跡的なことなのかと、身に染みて感じていた。

「私はクレイと幸せになれればそれでいいのです」

形はどんなものでも構わない。
ただ誰にもクレイを奪われなければそれでいいのだ。
そう答えた自分にドルトがふわりと微笑んだ。

「ロックウェル様は本当にクレイのことを深く愛してくださってるんですね」

そしてそっと立ち上がると、そのまま深く頭を下げた。

「息子のことを宜しくお願い致します」

そんな言葉にロックウェルは柔らかく微笑んだ。
きっとこんなドルトの姿を見たらクレイは泣いてしまうことだろう。

「私の全てで幸せにしてみせますので」

そう答えたロックウェルに、ドルトは嬉しそうに微笑みを返した。


***


「なんだクレイ。今日は随分やる気がないな」

シュバルツが文句を言ってくるが、クレイは先程からため息ばかり吐いている。
色気を出す特訓がいいと言われたからやらせているが、全く身が入らないのはどうしたことか────。

「そんな風にため息を吐く姿にまで色気が出るなんて、お前は本当に憎たらしい!」

シュバルツはそうやって怒るが、クレイとしては意識していないのだから仕方がない。

「悩みがあるならさっさと言って、早くしっかり特訓をしてくれ!」

さっきから0点としか言われてないんだからと言い放つシュバルツに、クレイもさすがに申し訳なくなってしまった。
これでは本末転倒だ。

「いや…結婚したくないから、ロックウェルとトルテッティとか他国に逃げたいなと思っていただけだ」
「は?」

そんな言葉にシュバルツは呆れたような声を上げたが、少し考えた後で真面目に話を聞いてくれ、しかも至極真面目な話をされてしまった。

「まあお前の気持ちは分かったが、そう言うことならトルテッティは避けた方が無難だな」
「何故だ?」
「トルテッティでは法律で30才の時点で結婚すべしと決められていて、どちらかが30になった時点でその時付き合ってる相手と必ず結婚しないといけないんだ」

勿論30才になる前に結婚しても全然構わないし、30を過ぎても恋人がいなければ仕方がないと免除はされるが、恋人がいるなら付き合った月日に関係なく、しかも性別問わず結婚をしなければならないらしい。

「だから同性婚も認められているし、わざわざそのためにトルテッティに移住してくる同性カップルもいるくらいなんだ」

それ故にクレイが結婚したくないからとトルテッティに移住してきたとしても、ロックウェルが30になった時点でどちらにせよ結婚しなければならなくなるだけの話だとシュバルツは言った。

「そういう意味ではソレーユや他の国に逃げた方が無難だな」
「…そうなのか」

正直その話はクレイには衝撃的だった。
国が違えば法律も違うと言うのを初めて身近に感じてしまった。
これではしっかりと下調べをした上で移住しないとどこに行っても苦労しそうな気がする。

「はぁ…」

そうやって落ち込むクレイにシュバルツは何をそんなに悩んでいるんだと首を傾げてしまった。

「結婚のメリットがないとか思っているのかもしれないが、結婚したらもう誰にもロックウェルを取られることはないし、ずっと傍に居られるし、法的にも守られているから何事も優先してもらえるんだぞ?堂々と二人で旅行に行くから休みが欲しいと言ってもいいし、看病したいから休みたいと言えば当然仕事も休ませてもらえる。調べればすぐにわかると思うが、細かく見ていくとデメリットよりもメリットの方が多いんだぞ?」

だからこそトルテッティは結婚を強く推奨しているんだと胸を張る。

「まあトルテッティは黒魔道士が少ないから不倫トラブルなんかはほとんどないが、既婚者を見境なく誘惑したら重い罰を科せられたりもするし…」

お前のような奴はトルテッティには住めないと言いきられ、クレイとしてはもう何も言うことができなかった。

「いいじゃないか。お前はここでそのまま暮せばいい。嫌なものは嫌だと言ってもいい立場にいるし、トルテッティのように30で結婚を強制されることもない。アストラスはお前にとって、ある程度自由な国だと私は思うぞ?」

そうやってはっきりと言われてクレイはなんだか少し気持ちを切り替えられたように思えた。
確かにアストラスでは法律で結婚時期を決められているわけではないし、今すぐ書類を提出しろと急かされているわけでもない。
書類を受け取っただけで勝手に落ち込んでグルグル考え込んでいただけで、すぐに答えを出さなければいけないものではなかったのだと少し気持ちに余裕ができた気がする。

「そうか…そうだな」

なんだかつかえていたものが取れたように感じられて、クレイはホッと息を吐いてからシュバルツへと微笑みかけた。

「シュバルツ。助かった。ありがとう」
「礼なら特訓で返してくれ。お前には期待してるんだからな」
「ははっ!そうだったのか?」
「決まっているだろう?さっさと色気の出し方を教えてくれ!時間がないんだ」

そうしてギャイギャイ言い出したシュバルツにクレイは少し気合を入れて教えてやるかと思い直し、その日は穏やかに一日を過ごしたのだった。



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