黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第一部 アストラス編~王の落胤~

110.陥落

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まるで体中の血が沸騰するかのように感情に引きずられて魔力の暴走を抑え切ることができない。
魔力のコントロールが効かない。
今は懸命に抑えるだけで精一杯だ。

「うっ…ロックウェル…ロックウェル…」

辛くて苦しくて息ができない。
思考が纏まらない。
身が引き裂かれそうなほどの焦燥感に苛まれて心が砕け散ってしまいそうだ。
こんな風にロックウェルを奪われることになるなんて思っても見なかった。
あの不安はこれを指していたのだと今更ながらに痛感する。
確かに繋がっていたはずの二人の心が、さっき突然断ち切られてしまった。

フローリアの回復魔法を受けて顔を上げたロックウェルの顔は自分の知っているロックウェルではなかった。
いや…正確に言うなら、昔のロックウェルだったのだ。

自分を愛し慈しんでくれたロックウェルの姿はもうどこにもなかった。
そんな姿が衝撃的で、心が悲鳴を上げた。
何かの間違いだと思いたかった。
けれどあのロックウェルはもういないのだと…そう確信する自分がどこかに居て────。

「ロックウェル……」

ただただ心が砕け散らないよう自分を保つのに精一杯だった。


***


【クレイ様!】
「クレイ!しっかりして!」

アベルが去った後、更に魔力が暴走し始めたクレイを見てシリィとリーネはすぐさまその場にいたアストラスの魔道士達へと声を掛け、安全の為トルテッティとソレーユの魔道士達を広間へと誘導させた。
幸いロイドが張っていた結界がまだ生きているため、クレイの魔力の暴走は外部に影響を与えてはいない。

「クレイ!」

皆で必死に呼びかけるが、クレイはギリギリのところで魔力を抑えているようで、どうやらこちらの声が届いていないようなのだ。
こんな状態だと魔力を抑えきれず、暴走させてしまうのも時間の問題だろう。

「どうしよう…」

まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
眠らせてしまうのが一番いいとは思うのだが、魔法を唱えてもクレイの魔力に弾き飛ばされそうでできそうにない。

「記憶操作で一時的にロックウェル様の事を忘れさせてみたらどうかしら?」

リーネが思い切った提案をしてくるが、それさえもクレイに近づけない今はできそうにない。

「ダメ元でロックウェルを連れてくるか?」

ロイドがそう提案するが、その案もシリィには逆効果としか思えなかった。

「ダメよ!今のロックウェル様ならクレイを封印しちゃうかもしれないでしょう?!」

それが一番安全だと判断したならロックウェルは迷わずそれを実行へと移すだろうとシリィは思った。
ロックウェルは元来そういう人だ。

その言葉が聞こえたのかはわからないが、これまで顔を上げなかったクレイの顔がそっと自分達へと向けられる。
「クレイ!」
今なら声が届くかもとそうやって改めて声を掛けるが、クレイは悲痛な顔で声を絞り出した。

「う…。シリィ…。なんとか俺が魔力を抑えているうちに俺を封印してくれ…」

「なっ…!」

クレイは一体何を言いだすのだろう?
そんなことができるわけがない。

「できるわけがないでしょう?!」

慌てて断るがクレイの言葉は止まらなかった。

「頼む…。アベルに好き勝手されるのも、このまま魔力を暴走させて迷惑を掛けるのも嫌なんだ…」

「ロックウェル様を放っておくの?!」

シリィがそう呼びかけるとクレイが儚く笑った。

「俺のせいでロックウェルが捕まったのなら、封印して手に入らなくなったら解放してくれるだろう?」
「そんなのわからないじゃない!」

シリィは必死にクレイを説得しにかかる。

「それこそこれ幸いとあの姫がロックウェル様を国に連れ去って結婚しちゃうかもしれないわよ?!」

それでもいいのかと叫ぶように言うと、クレイの暴走する魔力がまた威力を増した。

「キャッ!」

そうやって吹き飛ばされそうになったところをロイドが抱きとめる。

「シリィ。それでは逆効果だ」

そして前へと一歩踏み出しクレイへと呼びかける。

「クレイ。こちらへ来い」
「ロイド…」

そんなロイドにクレイが悲嘆に暮れた眼差しを向け、ふるふると首を振る。

「大丈夫だ。ロックウェルを取り戻す道はある」
「…うぅ……」
「私が優秀な黒魔道士だと言うのを忘れたか?」
「ロイド…」
「以前もちゃんとお前を受け止めてやっただろう?お前のためなら私はいくらでも力になってやる。だからほら…。今はただ、私の所に泣きに来い」

その言葉と同時にクレイの魔力の暴走が収まっていくのを感じた。

「クレイ?」

そっと歩を進めて呼びかけたロイドに、クレイがそのまま真っ直ぐに飛び込んでいく。
それは意外な光景だった。

「うっ……っく…ロイド…」
「大丈夫だ」

ギュッとしがみつきながら泣くクレイを満足気に抱きしめながらロイドが優しく声を掛け続ける。

「あいつを取り戻す手はいくらでもある。交流会はまだ始まったばかりだ。私だってお前をあちらに黙って大人しく渡すつもりはない」
「…………」
「一人ずつ確実に潰してやるから心配するな」
「ロイド…」
「言っただろう?お前はいくらでも私を利用すればいい」
「……俺はお前とはギブアンドテイクがいい」
「そうだな。じゃああいつに愛想を尽かしたら私の所に来るといい。それまでは協力してやろう」
「お前はそんなことばっかりだ……」
「今更だろう?」

そんなやり取りでホッと息を吐いたクレイを見てシリィはそっと眠りの魔法を口にした。
それと共にクレイの身がゆっくりと崩れ落ちる。

「良かった…」

どうやら暴走は食い止められたようだと皆でホッと安堵の息を吐き、ロイドがそっとクレイの体を抱き上げた。

「今日はこのまま休ませた方がいいだろうな」
「そうね。部屋まで運んでもらってもいいかしら?」

案内するわとシリィが先導し、ロイドとリーネが後へと続く。

「一先ず精神安定の魔法もかけておいた方がいいかしら…」

その言葉と共にシリィの手から優しい柔らかな光が現れそっとクレイの額へと当てられる。

「クレイが少しでも元気になりますように…」

サラリと髪を梳き、シリィは心配そうに言葉を紡いだ。


***


「ああ…実に爽快だったな」

アベルは先程のクレイの表情を思い出しながら愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
正直戦いの方も勝てると踏んで仕掛けたのだが、そこはさすが高位の黒魔道士。
容易に勝たせてはくれず、正直初めて敗北させられた。
クレイにプライドを傷つけられたのはこれで三度目だ。
けれどその後のロックウェルの件では面白い様にダメージを与えることができた。
まさかあれほどクレイが自分を見失うほどロックウェルの事を想っているとは思ってもみなかったが…。

(魔力の暴走を引き起こすほどとは……な)

あれなら確実にこちらの手へと落ちてくれることだろう。

それにしても妹とロックウェルは一体どこへ行ってしまったのだろうか?
てっきり広間に戻ったのだと思っていたのに二人の姿はどこにも見当たらない。

「シュバルツ。フローリアを見なかったか?」
「え?さあ、見てないが?」
「そうか…」

折角クレイを手に入れる算段ができたのだから、あとはロックウェルとフローリアの仲を周囲に見せつけてやろうと思っていたというのに……。
仕方がないかとアベルはそっと眼鏡を押し上げると、魔道士交流会を満喫したのだった。


***


その日の夕刻。
交流会を終え晩餐会に招かれたアベルは妹のフローリアの姿を見て何があったのかを一目で悟った。
うっとりとした夢見心地な表情。
それまで感じたことがない仄かな色香。
ロックウェルと何かあったのは一目瞭然だった。

「お兄様…大人の男性って素敵ですわね。シュバルツとは大違いですわ」
「……フローリア」
「私…遊びのつもりでしたが気が変わりました。ロックウェル様の花嫁になりたいです」

そんなことを言いだしたフローリアにアベルはどうしたものかと思案する。
本来はロックウェルを餌にしてクレイを手に入れ、そのまま国に連れ帰る予定だった。
元に戻してやると脅しつつ、のらりくらりと躱してクレイを自分の物にしてしまえば後はどうとでもなると思っていただけで、ロックウェルを最終的にどうするかなどは考えてもいなかったのだ。
けれどフローリアが惚れたというのなら話は別だ。

ロックウェルはこの国の魔道士長という立場がある。
クレイとは違いトルテッティに勝手に連れ去るというわけにはいかない。
それに結婚するなら双方の王の許可を得なければならない。
アストラスの王は許してくれるかもしれないが、トルテッティの父王はそんなに簡単に許可はしないだろう。
魔道士交流会で出会ってすぐに結婚だなどと、どうせいつもの気まぐれだろうと一刀両断にされるのがオチだ。
せめて半年は付き合ってからにしろと言われるに決まっている。
とは言え今のフローリアに言っても恐らく納得はしないだろうことは容易に想像がついた。

「わかった。そういうことなら今日の晩餐会でブランシュ陛下にお願いしておくとしよう」

アストラス側から申し入れをしてくれたなら少しは父王の気も変わってくれるかもしれない。
そう思っての事だったのだが────。




「ロックウェルと姫が…?」
「はい。交流会で意気投合したそうで、是非ロックウェル様に嫁ぎたいと申しておりまして…」

そうやってアベルが話を切り出すと、フローリアは上機嫌だったが、王は一気に不機嫌になって眉を顰めてしまった。

「申し訳ないがその話はお受けできない」
「……誰か他に決まったお相手でも?我が国の姫よりも良縁であるなら仕方がありませんが、納得のいくお答えをいただきとうございます」

そう畳み掛けるように口にすると、王は暫し考えてからそっと口を開く。

「ロックウェルは優秀な白魔道士で、我が国にとっての宝だと思っている。姫と結婚となるとトルテッティの王は国に来いと言ってくることだろう。それは非常に困るのだ」
「…ではフローリアがアストラスに嫁ぐというのならいかがでしょう?」
「それもまた難しいだろうな。いずれにせよロックウェルの心一つ次第の事ゆえ私からは何も言えぬ。結婚したいというのならまずはロックウェル自身の口から私に話を通させるよう言っておいて頂きたい」
「…かしこまりました」

王は協力はしないとはっきりと態度に表した。
これではとりつく島もない。

(ロックウェルとも話してみるか…)

今の状態なら恐らく上手く言いさえすれば結婚すると言ってくれることだろう。
何せ相手は一国の姫で、魔道士長と言う地位を捨てても惜しくはないほどの良縁なのだから────。



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