黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第一部 アストラス編~王の落胤~

【番外編2】懺悔―ドルト目線―

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クレイ────その名は泥の意を持つ。
ドルト=レインはその名を敢えてその子へと名付けた。
彼が王の子であることを分かった上で…。


その子が産まれ、紫の瞳を見た瞬間この子は王の血を引く者だとすぐに分かった。
妻は王から下賜された娘だったから、それ自体は想定の範囲内だったと言っても過言ではないだろう。
我が子でなかったのは残念だが、別に二人目以降が自分の子であればそれで構わなかった。
正直、堅物な自分の所に嫁に来てくれた妻には感謝の気持ちしかない。

けれどここで問題となるのはその子の扱い方だ。
王家の血を引く子────それも男子をどう扱うべきか、悩みに悩んだ。
下手に扱い方を間違えると大変なことになってしまう。
だからこそ王に伝えるべきか否かも含め、毎日毎日考えてその答えを導き出した。

今は秘そう…と。

無駄に王妃を刺激し、王位争いで王宮内を混乱に陥れるよりも、今は秘して必要が出れば申し出ればいい。
そう結論づけた。
レイン家に居ればただのクレイ(=泥)でも、王家、つまりアート家へと戻ればその名はクレイ=アートへと変わり、人々に愛される素晴らしい芸術的な名へと意味を変える。
そここそが本来のこの子の場所────。
いつか時と状況が許せばそこへちゃんと返してやりたい。
そんな願いをそっと込めてその名をつけた。

ただ…それだけだった。

けれど妻はそう受け取ってはくれなかった。
自分の産んだ子が王の子であったから、夫から嫌悪されてそんな名を与えられたのだと誤解してしまったのだ。
違うといくら言葉を重ねても妻の涙を止めることはできなかった。
こちらの想いは、一切彼女の心に届かなかったのだ。

このことは決定的に夫婦の間に深い溝を作ってしまった。
話せば話すほどに気持ちは伝わらなくて、元々が恋愛結婚でもなかったことからどんどん二人の心の距離は開いていった。

そんな夫婦関係が息苦しくて、自然と二人にかかわることから距離を置いてしまった。
だから妻がクレイにどう接しているのかなんてほとんどわかっていなかった。
ただ教育だけはレイン家の名に恥じないようしっかりさせてやってくれと乳母へと頼み、自分はただ仕事へと没頭していったのだ。

時折顔を見る程度の大事な養い子。
その紫の瞳は魔力のない自分からするととても綺麗なものに思えたが、同時に何もかも心を見透かされそうで怖いとも感じられた。
そう────彼自身が怖いわけではなく、どこまでも逃げてばかりの弱い自分を悟られそうで怖かったのだ。
妻とも子とも向き合わず、ただ遣る瀬無い気持ちを抱えながら背を向けることしかできない自分が情けなかった。
何か声を掛けてやりたい。
でも妻にさえわかってもらえなかったこんな自分が、彼に何を言ってやればいい?
二人を愛していないわけではない。
ただ…どう接していいのかわからなかったのだ。
そうやって逃げてばかりだった自分の元に、とうとうその日は訪れてしまった。



軽いノックの音に続き、カタン…と音を立ててそっと自室を窺うようにクレイがやってきた。
これまでクレイが自ら自分の元へやってきたことなど一度としてなかったことだ。
しかもその表情は酷く憂いを帯びていて、何かあったのだと言うのは一目瞭然だった。
だからこれは逃げずにきちんと向き合わなければと、そう思った。

「クレイ…どうした?」

そうやって発した声は緊張で震えてはいなかっただろうか?

「何か…話したいことがあるなら、話してくれないか?」

12才の子供を少しでも安心させるように、冷たくならずに言葉を紡げただろうか?
少しでも話しやすいように、少しでも悩みを話せるように、ちゃんと伝えることができただろうか?

そう思ったところでクレイの少し声変りが始まった声がその一言を告げてきた。

「父様…ごめんなさい。私は明日、レイン家を出ようと思います」

そんな言葉に思わず思考が凍りつく。
その言葉を紡いだ辛そうな顔が────クレイに起こった全てを物語っていた。
恐らく母親と何かがあったのだ。
それはもうどうしようもない決定的な何かで、こんな幼い子供に『明日』家を出るとまで口にさせてしまった────。
その紫の瞳に宿ったどこまでも決意に満ちた眼差しが、まるで心に突き刺さってくるようだった。
逃げて逃げて逃げ続けて……自分が向き合おうとしなかったその結果がこれだ。
自分はどれだけ愚かな親だったのか。
本当に申し訳なくて仕方がなかった。

「お前に何もしてやれない親ですまない…」

ただそう口にすることしかできない情けない親ですまないと心から思った。
けれどクレイはそんな自分にもう苦しまなくてもいいと笑ってくれた。
どこか泣きそうなその笑顔が痛々しくて、抱きしめてやりたくて…でもできなくて思わず涙が溢れた。

そして記憶はそこで途切れ、全ての彼の記憶は紫の花へとその姿を変えたのだ────。


***


ドルトは朝目覚めたところで不思議な感覚に見舞われた。
何か大切なことを忘れているような…そんな気がしてならなかった。
それがなんなのかわからぬまま、いつも通りに支度をし、いつも通りに家を出て仕事をこなした。
何も変わらない一日。
そのはずなのに、心はどこか何か大切なものが足りないと言っているようだった。
それが何なのかわからぬまま居間で寛いでいると、そこに妻がやってきた。
しかも彼女も何かが足りないような気がすると、どこか不安げに口にしてくる。

「貴方…」

そっと遠慮がちに袖を掴んだ妻に、妻はこんな風に触れてくる女だっただろうかと不思議に思った。
自分達は確か結婚してからもう既に10年以上経過しているはずなのに、どうしてこんなにどこか余所余所しいのだろう?
そこに何か理由でもあっただろうか?
けれどいくら考えても理由が何一つ思い出せない。
ただわかるのは、彼女は自分の事が嫌いなわけではないことと、自分も彼女の事が嫌いなわけではないことだった。
だから一緒に温かいお茶でも飲まないかと笑顔で口にした。
すると彼女がどこか泣きそうな…けれどどこかホッとしたような可愛い顔を見せてくれて、そのことに何故か驚きを隠せなかった。


そこからそっと寄り添いながらお互いの事について静かに語り合った。
趣味の事や好きな事、日常での事など、それはまるでこれまでの時間を埋めるかのように沢山話したように思う。
その時間はとても充実していて、二人の距離をあっという間に縮めてしまった。
そしてその日を境に夫婦生活がまるで新婚生活のように様変わりし、仲睦まじく手を繋ぎながら庭園を歩くことが増えた。
そんな自分達を見た屋敷の者達からは随分と驚かれたが、一番驚いたのは自分達の方だったかもしれない。
まさか夫婦で過ごす時間がこれほど大切だと思える日が来るなんて思いもよらなかった。

そうやって庭園を散策していたある日の事、いつもの夫婦のお気に入りの紫の花が朝露に濡れてキラキラと輝いているのを見たところで、気が付けば二人揃って涙を流していることに気が付いた。

(ああ…これを絶対に忘れないようにしなければ……)

何故か二人揃ってそんな思いを抱いていた。
キラキラと輝く紫の…花。
きっとこれが自分達の中から消えてしまった何かなのだろう────そう思えて仕方がなかった。

「貴方…この花を大切に育てたいのですが構わないでしょうか?」

妻から言われるまでもなく、自分も同じ気持ちだった。

「ああ。大事に育てよう。きっと…その方が喜んでもらえるだろう」

忘れてしまった愛しい誰か────何故かそれを思い出すことはできないけれど…。

きっとまた会える。
だからそのいつかを迎えられたら、この紫の花の話をしてあげたいなと…そう思った。

まだ見ぬ彼の人へ────ただ感謝を伝えたい。
きっと理由があったのだろうと思う。
もしかしたらとても悲しい思いをさせてしまったのかもしれない。
けれど与えてもらえたであろうこの幸せな時間は、キラキラと輝き自分達を幸せにしてくれた。
だからこそそれに対して素直に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

この幸せをありがとう。
どうか貴方も幸せに。
自分達の幸せと同じくらい、いやそれ以上の幸せが貴方に訪れますように…。
どうかどうか…誰よりも幸せに。

────それはただ、夫婦の願いそのものだった。




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